UV-WARS
第二部「初音ミク」
第一章「ハジメテのオト」
その27「新しい日常の始まり」
翌日、電気屋がやってきて、テッドの家の電気を修理していった。
電気が使えるようになったのは日が沈んでからだった。
その翌日には、テトからの依頼でやってきたという警備会社が、簡単な警報システムを設置して帰っていった。
さらにその翌日には、プログラムの修正を受けて、稼働時間が5分から1時間に延びた初音ミクが、家の中を嬉しそうに歩きまわっていた。
その同じ日の夕方、無事に退院した桃がテッドを訪ねてやってきた。薄手のブラウスにフレアスカートという軽装だった。
荷物を足元に置いて、神妙な面持ちで桃は口を開いた。
「このたびは、いろいろと、ご迷惑、ご心配をおかけしました。誠に申し訳ありません」
玄関で深々と頭を下げた桃に、テッドは大いに慌てた。
「いや、そんな畏まらないで。つらかったのは桃さんの方でしょ?」
「でも、テッドさんだって、怪我をされて、家をめちゃめちゃにされて、…」
桃の表情が今にも泣きだしそうなほど切なそうに沈んだ。
「ダメっすよ。悲しい顔は」
廊下の奥から現れた初音ミクはニコニコと底抜けに明るい笑顔だった。
「え?」
まるで何年も前からここに住んでいるような雰囲気で、ミクは桃に話かけた。
「笑顔が一番っす。笑顔になると元気が出ますよ」
文字通り桃はミクを見て目を丸くした。
自由に動けるようになっただけでなく、ミクはコンピューターの中の人格とは別の人格に変わってしまっているように見えた。
「いやあ」
テッドは頭を掻きながら説明した。
「こいつがどうしても外に出たいと言うんで、どんな言葉づかいがいいか、テストしてるのさ」
「すごい…」
桃はため息をつくように声を漏らした。
「なにが?」
うれしそうにテッドが反応した。
「もうほとんど、人間みたい…」
「そんな、オーバーな。まだまださ。充電して一時間しか動かないし、…」
「え、でも、どこが不足しているんですか」
「元々、MMDエージェントっていうシステムがあって、それを組み込んでるだけだからね。人間が言葉を発さないと、動きようがないんだ」
「ということは、次は?」
「周りの状況を見て、人に話しかけるようにする。まあ、さじ加減が難しいけどね。家の中では、自由にしゃべらせてやりたいし」
「そういうことっす。マスターには、もうひと頑張りしてもらって、もっと自由にしゃべりたいっす」
そのとき、台所のほうから声が聞こえた。
「ミクー、ちょっと来てえ」
メイコの声だった。
「はーい」
答えたミクは、どすどすと200キロの体をやや軽快に運んでいた。
「体重も減らさないとね」
「充電池や骨格の素材も考えないといけないですね」
テッドと桃は顔を見合わせて苦笑した。
「うほん」
わざとらしくテトが咳払いをした。
はっと気付いて桃は体を動かした。
「ご、ごめんなさい、テトさん」
「いやいや」
テトは満足気な笑顔で制した。
「仲良きことは善きことかな」
セリフが年寄臭かったが、テッドも桃も顔を赤くしていて、気にならなかったようだった。
桃はそのまま靴を脱いで上がった。それを見てテッドはどことなく違和感を覚えた。
「テッドさん、今日はポテトサラダと、トンカツを作ってきたんです。ほかにも、お総菜やもろもろ。夕食、まだですよね?」
「ああ、そうだけど、…」
「じゃあ、また、台所、お借りしてもいいですか?」
モモは嬉しそうに持ってきた三段の重箱を掲げて見せた。
「病み上がりなんだから、俺がやるよ」
それをテッドはスムーズに受け取った。
「体を動かしたいんです」
テッドは重箱を抱えて台所に入った。
「いいけど、無理しないこと。これ、大事だから」
台所に消えるテッドと桃の後ろ姿を、テトは微笑ましく見つめていた。
台所では、ミクがちょこんと椅子に座っていた。
「ミクちゃん、何しているの?」
桃の質問にミクは嬉しそうに答えた。
「充電してます。2時間かかります」
「あ、そう」
桃は、ミクの椅子の背後から延びる電源コードに目をやった。
「じゃあ、桃さん、あと、お願いしてもいい?」
「はい、任せてください」
「メイコも、頼んだよ」
「了解、テッド君」
モニターの中のメイコが敬礼した。
テッドは玄関に戻った。違和感の元を確認するために。
テトが靴を脱いで上がろうとしたとき、テッドはテトがスーツを着ていることに気付いた。
いつもと違う、化粧気のない顔ではなく、薄く塗られた化粧が、テトを年相応に見せていた。
〔ああ、これか〕
テッドは何となく納得した。
テトは視線に気づいて声をあげた。
「ん。どしたの?」
「どこか行って来たの?」
「弁護士の先生と、警察に。誘拐と不法侵入の件の相談というか、被害届の提出にね」
テトはテッドが注視していることに気付いた。
「いや、年相応の格好をしてるな、と思って」
ぴくっとテトの眉が動いた。
「テッド君」
テトの笑顔がこわばった。
〔あ、まずい〕
と思った時は遅かった。くいっと迫ってきたテトの顔は悪魔が乗り移ったかのようだった。
次の瞬間、テッドの頬は思い切り抓られた。
「い、痛い、痛いよ」
テトは、テッドの頬をつまんだまま靴を器用に脱いだ。
「雉も鳴かずばうたれまいに」
古くさい諺など口にすると余計に年寄りに見える、と思っても絶対に口に出してはいけない。言ったら最後、地獄がテッドを待っているだろう。
テトが手を離した跡は赤くやや膨らんでいた。
「乱暴だなあ。これでも褒めているつもりなんだけど」
テッドの前を通り過ぎてすたすたと歩くテトの後ろ姿に声をかけたが反応はなかった。
仕方なく後をついて歩き出したテッドの耳にテトの声が聞こえた。
「彼女を褒めるときは、もっと言葉を選んでね」
テトの言う彼女が桃のことだと察したテッドはまたあの感覚に捕らわれた。テトが全てを見通してテッドを操っているという感覚だった。
「前から聞きたかったんだけどさ」
テトは悠然とソファーの中央に腰を下ろしてから応えた。
「何?」
〔テト姉の目的って…〕
テッドはその言葉を胸にしまった。
「テト姉と桃さん、付き合いは深いの?」
「『長い』じゃ、なく?」
「ああ」
「彼女に初めて会ったのは、彼女がまだ十二歳の時だった、かな。両親を交通事故で亡くした直後で、ショックで口がしばらくきけなかった」
「彼女、両親、いないんだ…」
「学校には、ボクが付き添ってた。ボディガードの最初の仕事さ」
その時、桃が台所からお盆を持って現れた。
「まずは、涼しくなりそうな、ところてんを用意しました」
「おーっ、これはうまそうだ」
早速、テトがお盆から器を掠め取り食らいついた。
テッドはお盆がテーブルの上に置かれるのを待って、器を手に取った。
「テッドさんは、黒蜜ですか。それとも、酢醤油?」
「黒蜜で」
黒蜜の入った器に木の匙が添えられて差し出された。
木の匙で掬うと蜂蜜のように糸を引いて黒蜜がしたたり落ちた。
「この黒蜜って、まさか、手作り?」
桃は首を振った。
「まさか。黒砂糖から作るのって難しくって、市販品です」
そのとき、桃の腰あたりで低く唸るようなモーター音がした。
桃はポケットから自分のスマートホンを取り出し相手を確認した。
「ちょっと、失礼します」
桃は、お盆をテーブルに置いて、廊下に出た。
リビングと廊下の境のドアが閉じられ、ぱたぱたと歩く音が遠ざかったところで、テトがテッドの脇を突いた。
「すっかり台所に慣れちゃった感じだね」
テトは意味深な笑みを浮かべていた。
「大金持ちのご令嬢だからね。これはチャンスかもよ」
仮にも雇われている身の言う言葉ではないな、と思いながら、テッドはところてんを啜った。
「で、話の続きだけど、…」
テトは器に残ったところてんをのどに流し込んだ。
「彼女は17歳の時に、これまで育ててもらったおばあちゃんを亡くしてる。それ以来、彼女は博士と二人きりで暮らしているわけなんだ」
「ふーん」
○
桃は、履いてきたミュールをつっかけ、玄関から外に出て、話を続けた。
「はい、プロトタイプは、1時間稼働時間を延ばしました。充電には2時間を要するようです」
桃は視線を海に向けた。
桃は少し口をつぐんだ。相手の声に耳を傾けているようだった。
「はい。また、なにか、ありましたら、ご報告します」
水平線上には何も見当たらない。桃の視線はどことなく彷徨っているような、焦点が定まっていない風に見えた。
「では、失礼します、お母様」
桃は、スマートホンの電話を切って、ポケットにしまうと、ややぎこちない足取りで家の中に戻った。
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第二章「恋するVOCALOID」へ続く
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