扉を開いた先、何もなければ良いと思っていた幻想は無残に打ち砕かれた。
黒々とした煙が充満し、思わず咽ながら部屋中を見渡す。
天井の照明が割れてガラス片が飛び散り、爆発地点であろう机は炭色に染まって壊れていた。
>>08
「カイト……?」
散々な部屋の中、カイトの姿は机の向こう側にあった。
爆発で吹き飛んだ様々なものが障害物となってよく見えないが、青い髪はカイトのものでしかありえない。
まだ心臓がうるさくて、他に音が聞こえないままだったが、彼の方へ足を向ける。
その姿を確認した瞬間、血の気が引いた。
「ああ……メイコ、さん……危ない、ですよ」
「君っ……! そんなことが言える状態か!?」
ガラス片をいくらか踏んだが、走ってカイトのところまで行く。
体にはガラス片が掠めたらしい切り傷。
その程度なら私の応急処置でも大丈夫だろうが、問題はそんな小さな傷ではない。
おそらく、爆発したのはガラス瓶かガラス製の何かに入れられたものだったのだろう。
爆発した瞬間に、ガラス片が飛び散り、カイトを傷つけた。
いくつかは体に刺さり、いくつかは掠めた。
そして不運なことに――彼の右目には、5センチほどのガラス片が突き立っていた。
赤い血が、眼球があった場所から流れていく。
どう考えても、失明しているとしか思えなかった。
どうにかしてやりたいと思うが、どうすることもできない。
刺さったガラス片を抜けば、血は今よりも流れるだろうし、眼球を繰り出すことになるかもしれない。
もしもそれで視神経だけでなく他の神経まで傷つけてしまってもいけない。
私にできることは、医者を呼ぶことぐらいだ。
そう思って電話がある部屋へ行こうと立ち上がったが、腕を掴まれて動けなくなる。
視線を向けると、彼は驚くほど穏やかな表情で言った。
「ご近所さん……よく知ってる、から、大丈夫……だよ」
何て楽観的な、と思ったが、嘘とも思えないのでもう少しだけ待ってみることにする。
カイトは私の気持ちに気付いているのかいないのか、私の腕を掴んだ自分の手を見つめて不思議そうに首を傾げた。
「メイコさん、僕の右目、どう、なってる……?」
ぎくりと背筋が冷える。
私の腕を掴む時にも違和感を覚えたはずだが、今口にしたことで余計にそれが強くなっただろう。
カイトは閉じることさえできなくなった右目から涙のように血を流しながら、不安げに私を見ている。
おそらく、爆発の衝撃で痛覚が麻痺しているのだ。
どこもかしこも痛くて、どれが一番痛いのかわからない。
それならば、下手に真実を教えてショックを受けさせるのは避けるべきではないのか。
様々な考えが頭の中で交錯したが、結局カイトの視線に押されるように口を開く。
「カイトの右目には……ガラスの破片が、刺さってる。おそらく、失明は免れないだろう」
自分で思っていたよりも平坦な声が出たことに少し安堵した。
悲痛な声を出していたら、カイトが冷静に事実を受け入れたとしても、落ち込んだかもしれないと思ったからだ。
彼の視界がどれぐらい鮮明なのかはわからないが、その目は確かに私に向けられていた。
ここで視線を逸らしてはいけないと、彼の視線を真っ向から受け止める。
そうしている間にも、カイトの右目から、血は流れ続けていた。
暗くガラス片で押しやられた右目は、空洞のようで見ているのが辛い。
彼はしばらく何も言わなかった。
私は何も言えずにいた。
失明したばかりの彼にかける言葉など、今まで他人との関係を断っていた私には思いつくはずもない。
救急車のサイレンが聞こえてきたのは、そんな時だった。
それと同時にカイトの視線が私から離れ、彼が自嘲気味に笑う。
「何となく、だけど……失敗する、気、がしてた、んだ」
「……でも、やり遂げたいことだったんだろう?」
おそらく、今までも何度も失敗と成功を繰り返してきたに違いない。
そしてそんな中で、カイトはその予感を感じ取るようになった。
父もたまに、『今日の実験は失敗しそうな気がするなあ』と弱気な言葉を呟いていたことがあった。
やめればいいのにと言っても、父は絶対に諦めることはない。
失敗から生まれる成功もある。
成功は多くの失敗から始まる。
研究者とは、そういうものなんだろう。
だからきっとカイトも、同じなのだ。
カイトはにこりと力なく笑って、そのまま気を失った。
痛みを感じなくとも、体は相応のダメージを受けていたはずだから当然だろう。
救急隊員に連れられるカイトに付き添って救急車に乗り込みながら、私は胸が痛むのを感じていた。
手術室前でじっと手術が終わるのを待つ。
その時の、何もできないもどかしさといったらなかった。
失明するとは、どういう感覚なのだろうか。
失明した時の感覚を経験しているはずの父にも尋ねたことはなかったのに、今はとても気になっていた。
どんな絶望感だっただろう。
そんな中で、人にどんな言葉をかけてほしいと思っていたのだろう。
それがわかれば、私はきっと――。
繰り返し考えてしまうのは、カイトにかける言葉や、カイトに向ける表情のことばかり。
いくら考えたところで何も思いつかないのだが、そうするしかなかった。
そうでなければ、最悪の事態ばかりを考えてしまいそうでどうしようもない。
――カイトがもしもこのまま死んでしまったら、私はどうすればいいのだろう。
浮かんでくる不安を打ち消して、私はカイトが戻ってくる姿ばかりを無理やり想像し続けていた。
「戻ってきてくれないと、私は……」
言葉にしてぞわりと悪寒が走る。
顔が蒼白になっているかもしれないと思うほどの嫌な予感を、初めて感じていた。
彼がいなくなると恐ろしいと思うのは、この世界で私を知っている唯一の人間だからだろうか。
もっと違う理由のような気がする。
私は彼のことをどう思っているのだろう。
私にとって、彼はどういう存在なのだろう。
何にも無関心な私にも優しく接してくれた、父以外で初めての人。
世界はくだらなくないし、つまらなくもないのだと教えてくれた人。
つまりそれは、特別な存在ということだろうか……?
ズキンと痛む頭に手を伸ばして俯いた時、急に手術室から人が出入りし始めて騒然となる。
口々に「どういうこと?」「わからないわ」「原因を調べろ」と、嫌な予感のする言葉が発せられていた。
どういうことだ、と頭の中に浮かぶ疑問は口からは出ていかない。
医者たちが行ったり来たりするのを見ながら私は痛む頭を抱えていた。
『大丈夫だよ』
「え……?」
痛む頭に響く声。
一瞬幻聴の類かと思ったが、聞き覚えのある心地良い声はすぐ隣から聞こえてくる。
顔をしかめながら視線を横へ巡らすも、誰の姿も見当たらない。
頭が、痛む。
『大丈夫、ずっと君の側にいるよ』
「――ご家族の方ですか」
幻聴のようにも聞こえた声に重なるように聞こえてきた声に、私は慌てて顔を上げた。
手術を終えたらしい医者が難しい表情で立っている。
さっきの声のことは気になったが、それはひとまず頭の片隅に追いやって立ち上がった。
すべてがスローモーションのようで気持ちが悪い。
不安がせり上がってきて吐き気がする。
カイトは無事なのか。
それとも、カイトの身に何か良くないことが起こったのか。
思ったことは、口から出てはくれない。
聞き返すこともできないまま、医者が意を決したような表情で口を開くのを見ていた。
「手術は成功しましたが、……左目はもう見えないでしょう」
「カイトはっ……彼は、大丈夫、なんですか……?」
ようやくのことで口から飛び出した言葉に、医者は小さく微笑んで「命に別状はありません」と告げた。
その言葉に、足の力が抜けて椅子に座りこむ。
見ると、足が笑っていた。
はは、と小さく笑いながら自分の両足を叩く。
さっきまでは片目だけとはいえ失明してしまうカイトにどう声をかけようと悩んでいたはずだというのに、生きているとわかっただけですべてがどうでもよくなってしまった。
カイトにとっては失明も辛いことだというのに。
彼の気持ちよりも、彼の身を案じている。
もしかしたら彼にとっては失明することが死ぬよりも辛いことかもしれないのに、私は自分勝手だ。
「ただ、命に別状はありませんが、少々原因不明の事態が起こりまして……」
思考に浸っていた私の耳に届いた困ったような医者の声。
再び私は勢いよく立ち上がっていた。
そのまま医者の胸ぐらを掴んでどういうことなのか問いかける勢いだったが、どうにかその衝動は押しとどめる。
手術は成功して、命に別状もないのに、原因不明の事態だって?
疑問が頭の中で浮かぶが、その時手術室から彼が運ばれてきた。
医者に招かれるまま、彼の元へ急ぐ。
また心音がうるさくなる。
自分がちゃんと歩いているかどうかもわからない。
引いていたはずの頭痛が戻ってくる。
痛い、悲しい、痛い、苦しい、痛い、いとしい、痛い、怖い。
何が起こっているのか、何が起ころうとしているのか、何を信じればいいのか、わからない。
今まで感じていなかったはずの感情が一気にあふれ出したような、混乱真っただ中の心中。
感情の波は心の防波堤をいとも簡単に越えて、私をかき乱す。
私はどんな顔をしていただろう。
彼を見るまでの気持ちはよく覚えていない。
ただ、カイトを見た瞬間、私の息は止まった。
――大丈夫、ずっと君の側にいるよ。
優しい優しい声が聞こえる。
それはいつでも私の耳に、身体に、心地良く響いた声だった。
いつも身近にいてくれて、いつも私を心配してくれた人の声。
その声は、一体誰の声だったのか。
その人は、一体誰だったのか。
困惑する思考、止まった呼吸。
世界の基礎が、すべて崩れ落ちていくような感覚を覚えた。
繋がってはいけないはずのものが、繋がってしまったその瞬間、私はただ呆然とすることしかできなかった。
>>09
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