【ミク】


 お母様、と呼んで目の前の女性に手を伸ばす。
 けれどその女性はあたしの手を振り払う。
 泣きそうになったあたしに、大きな男の人が話しかける。
『これを持っていなさい。決して手放さないように』
 渡されたのは、髪飾り。あたしみたいな子供がつけるようなものではない、高そうな、百合の髪飾り。
『いいね、ミク』
『はい、お父様』
 あたしが頷いたのを確認すると、もう一人違う女の人があたしの手を引いた。
『今日から、彼女が君のお母さんだ。行きなさい』
『……お母様?』
 何を言っているのか解からない。
 あたしのお母様は、お父様の隣に居る人だけなのに。
 けれど、その人はあたしを見ないで顔を伏せている。きらりと光る何かが、その白い頬をすべり落ちた。
 何も言えないまま、女の人に手を引かれて歩く。
『ミク!』
 お母様が顔を上げてあたしの名前を呼ぶ。いつも綺麗にお化粧している顔が涙で崩れていた。その瞬間に、理解した。もう、あたしはお母様に会えないんだってことを。
 もう、お母様をお母様と呼べないんだってことを。


「お母様!」
 叫んだ自分の声で目が覚めた。
 ベッドから起き上がり、頬に手を触れれば涙で濡れた跡がある。
「またあの夢かあ」
 涙を拭って、鏡台の前に立てば、少々目は赤くなっているけど、顔を洗えば気にならなくなる程度だ。大丈夫。
 服を着替えて髪を整える。いつものツインテール。左側の髪には百合の髪飾り。子供の頃は似合わなかったけれど、今なら余り見劣りしなくなったと思う。それに案外こうしてつけていた方が気づかれないものだし。
 服は白いワンピースに緑色のショールを羽織って。最近は少し肌寒くなってきたけど、まだ日中は暖かいし、これぐらいの格好で良いだろう。くるりと鏡の前で一回転、うん、大丈夫。
 部屋を出ても大丈夫な姿になってから、顔を洗いに共同洗面所に行く。冷たい水で顔を洗えば、随分すっきりした。洗面所についている鏡で顔の確認。
 涙の跡は消えている。
 大家さんに心配かけられないし、うん、平気。
 二階建てのアパートで、あたしの部屋は二階の端っこになる。階段を降りるとすぐに大家さんの部屋と食堂があって、御飯は大体みんなそこで食べる。アパートの人の中には男の人も居るから、身なりもきっちりしなさい、とお母さんにもよく言われていたし。
「大家さん、おはようございます!」
「おはよう、ミクちゃん」
 食堂で朝食の準備をしていた大家さんに挨拶をすると、笑顔で答えてくれる。気前の良い小太りの女の人で、いつも元気が良い。アパートに住んでいる人たちみんなのお母さんみたいな人だ。
「ミクちゃんはいつも元気だねえ」
 一階に住んでいるおじさんが声をかけてくる。奥さんと、まだ五歳ぐらいの女の子と三人で暮らしている。たまにその子と一緒に遊んだり歌ったりしてる。
「えへへ、元気が取り得ですから」
「それにいつも可愛いしね」
 そう言ったのは二階の階段側の端の部屋の人。二十代だと本人は言っているけど、本当は三十代だと思ってる。一人暮らしの男の人。気が弱くて情けないけど、妙に気障ったらしい感じでいつも話しかけてくる。
「そんな事言っても何も出ませんよー」
「本当の事なのになあ」
 そう言って肩を抱こうとしてきた手を抓ってやる。痛いなあと言って苦笑いする人にべっと舌を出して見せた。
「ミクちゃんみたいな器量の良い子が、あんたみたいなの相手にする訳ないでしょうに、懲りないねえ」
「なんだよー、解かんないだろ、そんなの」
 大家さんに笑われて、拗ねた様子を見せる。基本的に、みんな大家さんには敵わない。
 他にも、あと二人ほどアパートの住人が居るんだけど、その人たちは個人主義であんまり食堂に来てしゃべったりしない。顔を合わせたら挨拶する程度。ちょっと、もったいないなって思う。こうして話していると、みんな家族みたいで楽しいのに。
「そうそう、ミクちゃん、お願いがあるんだけど」
 と、一階のおじさんが話しかけてくる。
「あ、また子守ですか?」
「そうなんだ。奥さんちょっと今日用事があってね」
「ふふ、しょうがないなあ。なんてあたしもあの子と遊べるの、好きだから良いんですけどね」
「頼むよ」
 そうお願いされたら断れない。
 おじさんは昼間はお仕事に言っちゃうし、おばさんも用事がある時はその子一人だけになっちゃうから、あたしが面倒を見ることが結構ある。その女の子とあたしは、もうすっかり仲良しさんだ。少しすると、おばさんと女の子が一緒に来る。今日は三つ編みをしてる、可愛いな。
「ミクちゃんおはよー」
「おはよう」
「ごめんね、ミクちゃん、今日もお願いね」
「いいえ、気にしないでください」
 おばさんは申し訳無さそうに謝るけど、あたしは気にしない。こうして揃った所でみんなで一緒に朝食を食べる。大家さんの作る料理は、いつもあったかくて、美味しい。


 その後は、おじさんの家に行って、女の子と遊ぶ。
「ミクちゃん、ミクちゃん、またおうた、歌って?」
「いいよ、どのお歌がいい?」
「いぬさんの歌!」
「解かった」
 女の子にリクエストされて、歌を歌う。
 歌っている時間は、とても幸せ。歌うことが何より好き。そして、あたしの歌を聞いて喜んでくれる人が居る事が、何よりも嬉しい。
 お母さんが、歌の好きな人だったから、それが原因だと思う。
 あたしのお母さんは、本当のお母さんじゃなくて、育ててくれた人。でも、あたしに優しくしてくれたし、幸せだったと思う。そのお母さんも、一年前に病気で亡くなってしまったけれど。
 最初は悲しくてたまらなかったけど、それでも大家さんや、アパートのみんなが励ましてくれたらから、元気になれた。本当に、此処のアパートの人たちが、あたしは大好きだ。
 そうして歌を歌って、女の子と一緒に遊んでいるとあっという間に時間は過ぎて夕方になる。楽しい時間は、本当にあっという間。
 おばさんが帰ってくると、あたしはそこで一旦お別れ、部屋に戻る。今日は広場に歌いに行くにはちょっと時間が遅いかな、また明日にしよう。
 夕食の時間になると、朝居なかった二人も加わって賑やかな食事になる。と言ってもその二人は余りしゃべらないんだけど。
 まあ、そういう人も居るのかな。
 あたしは誰かと一緒に居るほうが楽しいけど。
 寂しいってことを、忘れていられるから。
 部屋の窓を開けると、冷たい風が入ってくる。その窓からは、緑の国のお城が見える。お城を見ると、いつも、懐かしいような、切ないような気持ちになる。
 髪飾りにそっと触れて、呟く。
「忘れないよ」
 お母様のことも、お父様のことも。
 面影も薄れてきてしまったけれど、でも、忘れてない。今でも夢に見る。
 誰にも言えない秘密。お母さんが死んでからずっと、あたしは一人。
 でも、それでも歌を歌えば、あたしは笑っていられるから。
 夕暮れの街、オレンジ色に照らされた街が、暖かく見える。こうして街を見るのが、あたしは好き。二階建てだから、此処は余り見晴らしがよくないけれど、高台の方に行けば、もっとよく見える。
 楽しそうな人たちの笑い声、話し声。
 聞いていれば、あたしも楽しくなるようで、それでも少し、寂しくなるような。
 あたしは一人。
 世界に一人。
 だから、寂しいのかな。



 もう大分冬が近づいてきた。
 朝窓を開ければ、冷たい空気が流れ込んでくる。
「うん、今日はカナリアの歌かな」
 そうして、今日歌う歌を決めた。町の広場で歌う。そうして歌って、聴いてくれたお客さんから少しばかりお金を貰う。あたし一人暮らすぐらいだったら、それで何とかやっていける。緑の国の城下町は旅行で来る人も結構居るから、余り困らない。
 いつものように大家さんやアパートの人たちに挨拶をしてから、街に出た。
 今日は少し寒いから、深緑のカーディガンを着てきた。手には小ぶりの箱が一つ。歌を歌いに行くのに必要なのは、これだけで十分だから。
 まだ少し早いかな。
 人が広場に集まってくるのはもう少し後だろう。
 時折すれ違う街の人たちと挨拶を交わしながら、ゆっくりと歩く。ところどころに植えられている木々は赤に黄色に染まっていて、いくつかの葉っぱがちらちらと地面に落ちている。
 冬になれば、雪が降る。
 それまでにもう少し、お金を貯めないといけないな。
 冬になるとお客さんが減ってしまうから。
 海の向こうの青の国は、雪なんて全然降らないらしいけど。ああでも、雪が降った後、銀色に染まる街も綺麗で好きだ。
 やっぱり、今日はカナリアの歌だな。
 今日の気分に合っていると思う。
 ゆっくりと街を歩いていると、随分と人も増えてきた。そろそろ広場に行けば良い頃合かな。お昼前ぐらいが、一番人が多くなる。
 それよりも少し早目に行って歌っていないと。

 秋は収穫の季節で、市場も一番賑わう時期。
 人も随分多い。市場の向こうに広場があるから、其処を抜けていかないといけない。人の多い市場は、気を抜くと人にぶつかって転んだりして大変な目に合うから気をつけないと。
 と、思ったら前方で転んでいる人が居るのが見えた。
 慌てて駆け寄る。
「君、大丈夫?」
 声をかければ、尻餅をついたまま見上げられた。金色の髪の、男の子…だよね、女の子みたいに可愛い顔してるけど。服は召使のもので、どこかの貴族の家の使用人なのかな。
「こんな人の多い所でふらふらしてたら危ないよ?」
「あ、はい。すみません。緑の国に来たのは初めてだから、驚いて」
 ゆっくり立ち上がりながらそう言われて、ピンと来た。こんな事を言うのは、青の国の人では有り得ない。
「そうなの?君、ひょっとして黄の国の人?」
「あ、はい。そうですけど」
 やっぱり。その子はどうして解かったんだろうって顔であたしを見てくる。あたしより、一つ二つ年下かな、頭は良さそうだけど、表情が何だかあどけない。
「だって、人に聞いた話だけど青の国の城下町は此処よりもっと凄いって話だもの。ここを見て驚くのなんて、黄の国の人だと思って」
「…青の国ってそんなに凄いんですか?」
「うん、新しい国王のガクポ陛下って凄く立派な方なんですって。まだ若いのに。まあ、あたしも噂で聞いただけなんだけど」
 街の人たちは結構噂好きだから、そういう情報は苦労しなくても入ってくる。黄の国の評判も。余り、いい噂は聞かない。王女様が君主になってからは、随分大変なことになっているらしいとか、その王女様が、青の国の商人の息子さんに御執心らしいって事まで。
 何処から噂が漏れてくるのかは、解からないけど。
 この子は、大丈夫なのかな、その国に居て。少し心配になるけど、辛そうにしているようには見えないし、服も召使のものとはいえしっかりしているし、あたしが心配することじゃないかも知れないな。通りすがりの人に心配されても、嬉しくないだろうし。
「そういえば、まだ名前を言って無かったね。あたしはミク。君は?」
「僕は、レン」
「レンくんか。よろしくね」
 年の近い男の子の友達は、そういえば居なかったな、と思って笑いかける。友達になれないかな、お使いに来ただけなら、またすぐに黄の国に帰っちゃうんだろうけど。
 でも、この子にあたしの歌を聞いていって欲しいな。
「あたしはこの街で歌を歌って暮らしてるの。今から広場で歌うから、少しだけでも聞いていって」
「…うん」
 レンくんが頷いたのを確認して、二人で広場まで向かう。
 もう人がたくさん居るな。
 広場の中心の噴水の前まで走っていく。
 レンくんは、広場の入り口のところでじっとしていた。もう少し近くに来てもいいのに。
「あー、あー、」
 うん、声は今日も絶好調。
 息を吸い込む。

   私はカナリア 空の鳥
   歌が大好き 幸せな鳥

 カナリアの歌。
 歌うことが大好きな、あたしはカナリア。
 レンくんが居るのを目で確認しながら、他のお客さんも見る。何人かが立ち止まって聞いてくれている。

   高い音 低い音 遠くまで
   春の風を感じて 夏の日差しに向かって

 ねえ、聞いていって。
 あたしの歌を。秋の冷えてきた空気は冷たくて、その分声が遠くまで伸びる気がする。こうして思い切り歌うと、楽しくてしょうがない。
 歌うことが楽しくて、気持ちいい。

   冬の寒さは 身を切るようで
   空気が澄んで 遠くまで響く
   ほら 雪が解けてる 芽が出てる
   歌を歌おう もうすぐ春だ

 最後まで歌い切って、ぺこりとお辞儀をすれば、拍手を貰う。
 聞いてた人たちにお金を持ってきた箱に入れてもらう。値段は要求しません、気持ちだけでも十分嬉しい。
 レンくんは、じっとあたしを見ていた。
 ぼーっと、夢でも見ているみたいに。たまに、そういう風になるお客さんが居た。レンくんもそうだったみたいだ。
 後で、感想でも聞けたらいいな。
 それで、友達になってもらえたら、嬉しいな。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります

【悪ノ派生小説】比翼ノ鳥 第四話【カイミクメイン】

ミクの出生については隠すつもり無し。
今の所週刊ペースですが、四月になったら余裕が出来る予定なので、更新頻度も上がると思います。
次回はカイトとミクがようやく出会う予定。

閲覧数:490

投稿日:2009/03/23 17:56:32

文字数:5,385文字

カテゴリ:小説

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  • 甘音

    甘音

    その他

    >エメルさん
    いつも感想有難うございます。
    とりあえず、ルカさんを忘れないであげてください!ガクポより出番は多いはずですから!
    一応メインキャラ、と言えるのはカイト、ミク、リン、レン、メイコの五人かな。ルカとガクポはサブメインで。

    ミクの出生やもう一人のきょうだいの話については、あえてノーコメントで、想像を楽しんでいただければと思います。ネタバレしても面白くないですよね。何より大筋の展開はわかっているものですから、少しくらいは謎があった方が楽しいかも知れません。

    カナリアの歌、ミクが歌ってくれたら嬉しいですね。
    作曲が出来たら私だって歌わせてあげたいです。


    >時給310円さん
    タイムリーってそんな。おめでとうございます(?)

    正直、この四話までがプロローグのイメージですね。て、そんなこと言ったらプロローグ長すぎですが。
    正統派のヒロイン、と言って頂けると嬉しいです。私のイメージでは、ミクがお姫様でカイトが王子様ですから。色々なものの影響で、でしょうが。
    ハートで書いてる、というのは照れる表現ですが、物語に入り込まないと、良い文章は書けないなと思っているのも事実です。しかし指摘されて、この表現ってそんなに個性的だったかしら?と思っているぐらいですので、ある意味何も考えずに書いているのかも知れません。

    いつも感想いただけて、本当に嬉しいです、有難うございます。

    2009/03/24 20:43:41

  • 時給310円

    時給310円

    ご意見・ご感想

    よしきた、今日はタイムリー。

    読ませて頂きました。いよいよ来ましたね、初のミク視点。少しずつ少しずつ、物語が本格的に動き出そうとしているのが感じられます。
    1人称だと、その人物の人となりが分かりやすくて良いですね。波乱の幼少時代を過ごしつつも、ミクは明るく素直な娘に成長した様で……いやホント、いい娘だなぁ。久々に正統派ヒロインを見たような気がします。元々の舞台が西洋のおとぎ話風の舞台なので、変に個性的なヒロインよりも正統派の方が一層映えると、個人的には思っております。
    それから……ん~、何て言えばいいんだろう。
    甘音さんのお話は、技術うんぬんよりもハートで書いてるって感じがして好きですね。いや、確かに技術もお持ちなんですけど。例えば、ミクが夕暮れの街並みを眺めるシーン。「夕暮れの街、オレンジ色に照らされた街が、暖かく見える」……街が暖かく見える? こういう部分に、ああ、この作者さんは物語の中に入って書いてるんだなぁって感じるんですけど、実際どうなのでしょう? 深読みしすぎ?ww
    書きたいことは色々とありますが、あんまり長々と書くとアレなんで、ひとまずこれくらいに。

    お次はいよいよカイトとミクの出会いですか。待ってました!w
    これからペースも上がって行きそうだとか。読む側としては嬉しい限りです。執筆がんばって下さい。

    2009/03/23 22:04:20

  • エメル

    エメル

    ご意見・ご感想

    今回はミクの視点ですね~
    あとはリンとガクポ視点が出れば主要メンバー全部かな。あ、ガクポは主要メンバーじゃないか。

    ミクは緑の王族出身なのになぜ城から出なければいけなかったのか、その謎は残しておくんですね。
    個々の国に二つの宝があるから、もう一つの百合の髪飾りを持つべき人物がいるのか。
    その人物のためにミクはお城を出されたのかなぁ・・・なんて深読みしすぎですね。
    城を出され、育ての親は死に、それでも明るくって。周りの環境のおかげもあるけれど、ミク自身の強さもあるのかな。

    ミクの出生がが分かったから、黄の国のもう一人のきょうだい候補からミクは外れましたね。
    後は・・・カイトか?いやいや第三者がこの先出てこないとも限らないし。
    まぁ推理物じゃないんだしこの先の展開を期待してますね。
    次回ついにカイトとミクが出会うみたいだし、楽しみにしてます~

    カナリアの歌、いいですね。うちのミクに歌わせてみたいな。
    カイトとのデュエットVerとかも・・・って私作曲できない~~~orz

    2009/03/23 19:51:09

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