-蒼-
甘いハチミツと爽やかなレモンティーの香りで、レンは目を覚ました。
天井に目を向け、何か違和感のようなものを覚えた。天井は灰色の低い天井などではなく、明るい白く整えられたキレイな天井であった。
傍らで二人のリンがお菓子をつまみながら、レモンティーを楽しんでいた。けれど、レンの目が覚めたことに気がつくとうれしそうに飛びついて、
「死んだかと思った!」
とか、
「レンの目が覚めなかったら毎日お墓参りに行こうと思ってた!」
とか、目覚めた直後から何だかとても不吉なことを泣き笑いの状態で、それも、同じ顔で言ってくるのだ。
「…なんで、俺、ここに?」
二人のリンは交互にまるで双子であるかのように、そうでなければ打ち合わせでもしたように今までのことをわかりやすく説明した。それによってやっと自分がどうなったのか、思い出したレンは驚いたようにリンとリンを見た。
「レン、ねえ、リンさんのこと、ス…」
「わー!!そ、そんなことより、レン。リンちゃんとレンってどういう関係なの?」
「あれ?リンさんやきもち?」
「ち、ちょっと待って。…どっちがリンでどっちがリン?」
どちらもリンであることに違いはない。しかしその辺は、彼女らの理解力の問題だ。
「私がレンの主人の、リン」
「私はカイト兄の妹の、リン」
「…あー、分かった。大丈夫。そっちの髪が長いほうが、館のいたほうだろ?」
「そうそう」
二人は同じように、同じ回数、同じタイミングでレンにうなずいて見せた。
「これは俺の想像だし、カイト兄がこの話を聞いて認めた訳じゃないから、どうかは分からないけど、リンの話を聞いていると俺はその考えに行き着くと思ってる。両親が死んでいなくなった双子の姉は、死んだと思っていたけど、死んだところを見たわけでも聞いたわけでもなく、結局は俺の妄想だった。十四でずっとあの館に住んでいたリンは、俺を知らないといったけど俺も十四、九歳まであの館で普通にすんでいた」
痺れを切らしたリンがいきなりずいっと前へでて、
「回りくどい!もっと簡単に言えるでしょ!?」
「わかった、とりあえず座れ。な?」
「…」
「そこにいるリンは、多分だけど…」
そこまでレンが言って口ごもるのを見て、まだ双子だの何だのを理解できていない“髪の長いほうのリン”が、やっと分かったように小さく呟いた。
「レンの…双子の…姉弟?」
「…多分。けど、一つ分からない。双子の兄弟なら、俺を覚えていても…」
「それは…。丁度私、九歳の途中からしか記憶がないの。カイト兄は何でもくれたけど、一つだけ、教えてくれなかったわ。館の廊下の壁にかけられた写真の中に写っているのは、誰なのか。私とカイト兄と…きっとあれはレンだったのね」
三人は静かに顔を見合わせ、なんとなく沈んだ空気に耐えかねたように一気に何かを話し出した。多分三人とも他の二人を笑わせようと、面白い話でもしようとしているのだろう。しかし一度に同じような声で、それも全然違う話を始めたものだから誰がどんな話をしているのか、まったくといっていいほど分からない。聖徳太子だって聞き分けられないと思えるほどだ。
三人は同じタイミングで話すのをやめ、顔を見合わせると
「ぷっ…あはは!」
と笑った。
治りかけの腹の傷は痛かったけれど、そんなことは関係ないようにすら思えた。痛い腹を抱えて笑うレンは今までよりもずっとずっと、幸せそうな顔をしていて苦しそうな表情など一切ない、混じりけのない心からの笑顔だった。
やっと気がついたらしく、それから四十分ほど経ってからルカが部屋の中へとはいってきた。
「あら、にぎやかだと思ったら…。目が覚めたの?」
「あ、ルカ!ねえ、三人並んだら誰が誰か分からないでしょ!」
「そうですね、そっくりです」
にっこりと微笑んだルカにレンは明らかな敵意を示せないでいた。悪魔のレンからしてみれば天使であるルカは天敵であるのだが、気を失っていたとはいえ、気づいているのだろう、ルカが自分を助けようとしてくれたことに。だからこそ、敵意を示すことが出来ないのだ。
つい十日ほど前のレンならば天使であるルカを見たときに、臨戦態勢に入っただろうが、リンの使った魔法で口走った言葉のように何かを感じて、心から敵だとは思えていないようだった。
「…カイトさん、呼びましょうか。今、とても心配しているようですよ」
「カイト兄が?」
「ええ。呼びましょうか?喜んでくると思いますよ」
「…うん」
俯いたままでも頷いて答えたレンはどこかおびえているようだったが、それを見た二人がレンの頭をなでて微笑んだ。
「カイト兄がレンになんかしてきたら、再起不能にしちゃうから安心して」
「アイツから守ってあげる!顔を複雑骨折にでもしてやるわ」
一見恐ろしい言葉で重視の女の子二人が笑顔で発する言葉ではないように見えるが、それは正しい。しかし二人はいたってまじめで、それをみたレンもなんとなく心が和むのをかんじた。
「じゃあ、待っていてください。呼んできますから」
ルカが出て行ってから数分、なんだかこっそりとカイトが扉の隙間から顔を出した。
「何やってんだよ、カイト兄。はいってくるなら来いって」
「…だってルカさんが言ってたよ?二人が凄い怖いって」
「レンになんかしたら…ぶっ潰す(はーと)」
「脅かすなよ。もっと…ほらおびえてる」
あきれたようにレンが笑ったのをみて、いくらか安心したようにカイトはゆっくりと中にはいってきて、少し心配そうにレンの顔を見た。
「大丈夫?レン。…ごめん、俺も何であんなことになったのか、よく分からないんだ」
「大丈夫だけど、分からないってどういうことだよ」
「父さんと母さんが死んでいるのを見つけて、君たちは驚いただろう。それと同じく、俺も驚いた。けど、一瞬目の前が暗くなって…。気がついたらこの館にいた。それ位、何故か記憶が飛んでいるんだ。信じてもらえないだろうね。めーちゃんから、俺が何をしたのかは聞いた。けど…何も覚えていないし、思い出せないんだ」
気持ちだけが先走ってしまい、なんだか早口になって話すカイトの言葉をよく聞いて考えてみるレンは思う。
「…カイト兄、これ、だれかわかる?」
と、主人のほうのリンを指差した。“これ”扱いされたリンは不機嫌そうに頬を膨らませて、抗議したがレンの“無視”の前に撃沈した。
「ここの娘さん…めーちゃんの子供でしょ。さっき、聞いたんだ」
「ふぅん…。じゃ、こっちは」
「リン。俺の妹で…レンの双子のお姉さんだね」
やっぱりか、そう思った。
さっきのレンの考えは間違っていなかったのだ。
まるで何事なかったような青い空は四人を照らすように窓から透明な光を、部屋の中へと送り込んでくる。無邪気で童顔なカイトは真剣に話しているのだろうが、どうにも子供っぽさがぬぐいきれていない。煩わしい腹の包帯はルカがどうにかしてくれたのだろうか、不器用なリンがやったようには見えない。
「…本当に、ごめん。俺、兄貴の資格なんてないよね…」
「そんなことない!あんなことになったのは、カイト兄のせいじゃないんでしょ?だったら、私はカイト兄を信じる。それに、私のお兄ちゃんでいることに資格が必要?もし必要だとしたら、血がつながっていることじゃない?私はカイト兄におにいちゃんでいて欲しい!ね、レンもそう思うでしょ?」
俯いたカイトの腕に抱きついて必死で説得をしようとリンがレンに言葉を投げかけると、レンは少し考えたように無口になって、口を開いた。それはすこしいたずらっぽい笑顔で、
「…そう、だな。俺も、カイト兄が兄ちゃんでいいと思う。今回のことは別として、別に誰かに危害を加えたわけじゃあ…。いった!!リン、何すんだよ?人が話してるときに!痛いんだぞ!」
「危害を加えてない。ほぉ。ならこの傷は何だね、自然に出来た傷かな?」
きれいに巻かれた包帯の上から傷をつんつんとつついてくるリンはどこか不機嫌で、意地悪い顔をしていた。
「…お前、嫌なやつだな」
呆れ顔で言ったレンに、カイトに抱きついたままリンがまた、あの話題を取り出してきた。
「リンさんは、レンがまた危なくなるんじゃないかって、心配してるんだよ。…それに、レンから思いもよらず唐突な告白をされたわけだし」
「…告白?」
「思い出せないなら、いい!むしろ思い出してくれるな!」
「あのねー。レンが気を失っている間に、私がレンの心の中を覗く魔法を使ったの。この家の人たちをどう思っているか。メイコさんは『あったかい』、ルカさんは『優しい』、で、リンさんのときね、うれしそうに『ダイスキ』ってはっきり言ったからね」
「は…はぁ!?俺がそんなこと言うわけ無いだろ!!大体、インチキじゃないのか!何だよ、カイト兄!その目は!!つーか、もうくんな!帰れ!!」
そういうとベッドに倒れこみ、布団を頭までかぶった。
顔を真っ赤にしたリンも後ろを向いて何かをぶつぶつといっていた。
カイトとリンは微笑み合って、その部屋を出た。
「え…ちょっ…リンちゃん!どこ行くの!」
「えー?レンと二人でイチャイチャしてていいですよ。帰りますから」
「まっ…テメェ!カイト兄!!」
「あはは、思春期だもんね」
二人が出て行って、残されたリンとレンは顔を合わせようともせず、ただ背中を向け合って話もしなかった。
「…」
「…」
「……」
「……」
「あの…さ、レン?」
「…うん?」
「本当に私のこと、好き?」
顔を真っ赤にしてこれまでで一番勇気を出していった言葉だったが、それにレンは驚いてのんでいた冷たいレモンティーをこぼしそうになった。
「な、なんだよ、急に…。てか、信じるのかよ。そんなの」
「私は…嫌いじゃないって言うか…。どっちかって言うと…その…ス…キ?みたいな。レンは?私のこと、嫌い?」
やっとレンのほうへ向かって、しかも前のめりになって勢いあまってベッドに顔から落ちそうな位の勢いでリンは言った。
するとレンは少しいらいらしたように胡坐(あぐら)をかいたまま貧乏ゆすりをはじめ、その仕草にリンは怒っているのか、と思った。が、それは間違いだったようだ。いきなり振り返って恥ずかしそうに、
「…たく……嫌いな訳ないだろ!!」
と言って、それから勢いでリンの頬にキスをした。不慣れなのか、下手なキスだったがリンは驚きのあまりそんなことはどうでもよくなっていた。
驚いているリンから目をそらし、レンはまだ恥ずかしそうに、
「…これでいいのかよ?…絶対誰かに言うなよ!言ったら許さないからな!!」
「うん、うん。えへへ、レン、ダイスキだよ!!」
そういってリンもお返しとばかりにレンの頬へとキスをした。
それはまだ雪が宙を舞う、一月のこと。
初々しいカップルを見守る影は、窓の外の大木の上だった。
「何だ、ラブラブじゃん。もう、だめだな。ああいうのって本当に嫌いなんだよね」
緑色のショートヘアーに赤いゴーグルのようなものをつけているのは、まだかわいらしい少女だった。
「壊しちゃおう」
そういって、少女は何かゲームでも始まるように、楽しげに笑って木から飛び降りると下にあったバイクにまたがり、どこかへと姿を消した。
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