3 12-10年前
あたしの両親は、あたしが中学一年の時に死んだ。
交通事故だった。
アクセルとブレーキを踏み間違えた軽自動車が歩道に乗り上げ、周囲の通行人を七人も轢いたあげく、街路樹に衝突して止まった。
七人のうち、未就学児の男の子とそのお祖母ちゃん、そしてあたしの両親の四人がこの世を去った。
ドライバーの八十代の老人もまた、街路樹への衝突の際に命を落とした。ドライバーはいわゆる孤独老人だったらしく、あたしたち被害者遺族はこの事故で訴えることすらできなかった。
この事故を、あたしはうまく受け入れられなかった。
当たり前だ。共働きで二人ともなかなか帰ってこなかったとはいえ、仲は良かったし、優しい両親のことは大好きだった。そんな時に、なんの脈絡もなく両親がいなくなったのだ。中一で受け入れられるような出来事じゃない。
しばらくは泣くこともできなくて……お通夜とお葬式は叔父さんがやってくれたけど、その間中、あたしはただ呆然としてしかいられなかった。
パパとママは普段から写真やビデオをたくさん撮る人だった。今じゃスマートフォンだとかで簡単に撮れるけれど、その頃はまだビデオカメラを持ってないと無理だったのに。
一人ぼっちになったあと、大量に残されたビデオカセットを、あたしは来る日も来る日も見続けた。その映像に映っているのは幼い頃のあたしばかりだったけど、でも、パパやママの声を聞いているうちに、ようやく涙がこぼれてきた。そうなってからは涙が止まらなくて、あたしはただただ泣き続けた。
擦り切れかねなかった沢山のビデオカセットは、お店で動画ファイルに変換してもらって、今では全部スマートフォンに入っている。
二、三ヶ月はまともに学校にも行く気力が出てこなかった。
三人分のご飯を作って、帰ってくることのない二人を待ち続けたり、部屋をわざと散らかしてみたり二人の服を出したりして、生きてるように見せかけようとしたりした。
そんなあたしを見かねた叔父さんは、一緒に暮らそうと言ってくれた。けれど、あたしはそれを受け入れることができなかった。
あたしは新しい家族が欲しかったんじゃない。パパとママにまた会いたかっただけなんだ。パパとママの居た家すら出て叔父さんのところで暮らすのは、そんな思いさえ否定している気がして、どうしてもできなかった。
そんな思いを、あたしは頑張って叔父さんに説明した。
あたしの要領を得なくて長い話を、叔父さんは口を挟まずに聞いてくれた。
話し終わってからの叔父さんの第一声は「どうしてもそうしなきゃダメなのか?」だった。
あたしはただうなずいた。
叔父さんはしばらく考えたあとで「そうできるようにしよう。だが、考えが変わったらいつでもうちに来なさい」と言ってくれた。
そうしてあたしは、パパとママのいたマンションの七階で、そのまま一人暮らしを始めた。
両親は将来のためにかなりの貯金をしていて、あたしが成人するまでに必要なくらいのお金はあった。名義は叔父さんの名前にするしかなかったけれど、叔父さんは「これは愛ちゃんのためのお金だ」と言って一切手をつけないでいてくれた。
親権は叔父さんに移ったけれど、あたしの希望通り、必要以上の干渉はしてこなかった。連絡は取り合ってたし、保護者面談なんかの保護者がいないといけない場面では出てきてくれたが、その他はあたしの自由にさせてくれた。
それが良いことだったのかどうかは……微妙なところだ。
もともと鍵っ子だったあたしは、家事や炊事はだいたいできたから、そこに不便を感じることはなかった。
いろいろと心が落ち着いてきてみると、むしろ、家事はパパとママが居た頃より減ったから、自由な時間が増えたのだ。
増えすぎたって言ってもいい。
中学二、三年は、自分で思い返してみてもなかなかひどかったと思う。
親から怒られないのをいいことに、髪を染めてピアスをあけて、夜も遊んで回った。警察に補導されたのも両手じゃ足りない回数になる。
それが落ち着いたのは、中学三年の秋になってからだ。あたしはまた夜遊びをしてて、すでに顔馴染みになっていた婦警のお姉さんに捕まって、警察署で叔父さんを待ってた。
そこで婦警さんは「お父さんとお母さんが今の愛ちゃんを見たらどう思う」と問いかけてきたことがきっかけだった。
あたしはもちろん、ぶちキレた。
「テメーになにがわかる!」
「知ったような口聞いてんじゃねぇよブス」
「あんたなんか死んじまえ!」
他にも、今じゃちょっと口にすることもはばかられる罵詈雑言を浴びせた。
その頃には婦警さんもあたしの両親が亡くなってることを知っていた。それなのにそんな、なにも知らない第三者が口出しする時と同じようなことを言ってきたのが、許せなかった。
婦警さんも罵倒に慣れてるのか、そんな風に言われても悲しそうにするだけだった。
そして婦警さんは「じゃあ、お父さんとお母さんはどんな人だったの?」と続けてきたのだ。
それに答えようとして口を開き……答えられない自分にがく然とした。
遅くまで仕事をして、へとへとになって帰ってきたパパ。「いつもごめんね」と言いながらご飯を作ってくれたママ。
その二人の姿は簡単に思い浮かべられるのに、どんな仕事をしていたのか、どんな人生を歩んできたのか、あたしはそれまでなにも知らないままだったのだ。
急に黙りこんでしまったあたしに、婦警さんは「え、あれ? どうしたの?」とうろたえた。
あたしは、大好きだったパパとママのことをなにも知らなかったという事実にうちひしがれ、気づけば涙を流していた。
そして、その衝撃をどうしていいかわからず、婦警さんにしがみついて泣きじゃくった。
その時、初めて“彼女”の声が聞こえたのだ。
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