応接間で出されたコーヒーを飲み終えるころには、リンとレンはそわそわとメイコやミクを見ていた。どうやら相手をしてもらいたいと見当をつけ、俺はミクに声をかける。
「ミクはこの家初めてだろ、リンとレンに案内してもらったらどうだ?」
「え、いいんですか?」
 翠の瞳をしばたたいたミクに、アカリが微笑んだ。
「そうね、リンちゃんレン君お願いできる?」
 二人が同時に頷く。
「いいよ!」
「勿論」
「メイコとカイトもついでに様子見てきたらどうだ。久しぶりだし、ボカロ同士で話したいこともあるだろ」
 年長者二人を促すと、メイコはこちらの意図を悟ったのだろう、保護者の顔をして頷く。カイトはもとよりミクと離れるつもりはなかったようで、既に立ちあがていた。
「それじゃ、ちょっと行ってくるね。トレーニングルーム使ってもいいかな?」
「いいけど、怪我しないように気を付けるのよ」
「了解!」
「よっしゃ!」
 どうやら、目的はそこだったらしい。リンとレンがそろってこぶしを突き上げ、メイコの腕を引いた。
「行こう行こう、あたしメイ姉に見て欲しい技があるんだ」
「引っ張らなくても行くわよ」
「ミクとカイ兄も行くだろ?」
「うん、行ってみたい」
「僕も行くよ」
 リンとレンに連れられてメイコ達がドアの向こうに消える。賑やかな気配が完全に遠ざかったのを確認し、俺はカップを置いた。テーブルの向こう側で、アカリも同じように姿勢をただしていた。いきなり本題を切り出すのも躊躇われ、とりあえず当たり障りのない問いを口にする。
「……リンレンは元気そうだな。忠司ともうまくやってるのか?」
 俺の数少ない友人であり、妹の旦那の名前を出すと、アカリは小さく苦笑した。
「うーん、リンちゃんはいいんだけど、レン君はまだちょっと距離があるかな」
「そうなのか?」
 忠司は穏やかで人当たりのいい性格だ。あまり人とぶつからないタイプだから、意外だった。
「出張多いし、なかなか話す時間もないから、かな。リンちゃんは人懐っこいけど、レン君は男の子だしちょっと警戒してるのかもしれない」
 まぁ、レンは男だしマスターの伴侶が、家を空けて飛び回っているというのが微妙に納得いかないのかもしれない。仕事だから俺も仕方ないとは思うが、リンレンがいなければアカリ一人だったから、もっと心配しただろう。
「それでね、あとでお兄ちゃんレン君と少し話してくれないかな?」
「ん、別に構わないが、何かあるのか?」
 アカリは目を伏せて、指を組んだ。憂いを覗かせる表情は、久しぶりに目にする。たぶん、鏡音の二人には見せないようにしているのだろう。
「よくわからないんだけど、時々溜息ついたりぼぅっとしたり様子がおかしいの。何か悩みがあるんじゃないかなと思って聞いたんだけど、何もないって。もしかしたら、私には言いにくいのかもしれない。だけど、お兄ちゃんなら同性だし相談しやすいんじゃないかな」
「チェックでは何も出てこないんだな?」
「うん、ウィルスとかじゃないと思う。たぶん、メンタル的なものじゃないかな」
 ボーカロイドの一マスターにすぎない俺が、研究者であるアカリに比べてどれだけのものがわかるのか、正直見当はつかない。だが、妹の願いを無下にする気はさらさらなかった。
「わかった、ちょっと話してみるよ。カイトもいるし、男三人ならレンも話しやすいかもしれない」
「ありがとう。そういえばカイ君、ずいぶん変わったね。あんなに感情表現豊かな姿、初めて見たよ」
 玄関でのやり取りを思い出したのか、アカリの表情に明るさが戻る。
「ミクが来てから、あんな調子だよ。あそこまでシスコンになるとは思ってなかったが、ま、悪い変化じゃないからな」
 アカリと一緒に暮らしていた頃のカイトは、物静かと言えば聞こえはいいが、人の顔色をうかがうばかりで極端に自己主張できない性格だった。アカリやメイコの働き掛けもあり少しずつ改善されたが、根本的な性格は変わらなかった。自分自身に何の存在価値もないと信じ込んでいるような、自暴自棄な戦い方に俺もメイコも結構手を焼いたものだった。
「そうだね、私もそう思う。カイ君はいい方向に変わったね。シスコン、なのかは置いといて」
 最後の方小さくつぶやいた言葉が上手く聞き取れず、首をかしげた俺にアカリは小さく笑って見せた。
 
 
「ここは、何の部屋なの?」
 鏡音の二人に案内された地下室は、広さこそあるが物がなくガランとしている。白い壁とフローリングの床が広がっているだけだ。首を傾げたミクに、リンが胸をはった。
「トレーニングルームだよ。せっかく実体持ちなんだし、マスターをリアルでも守れるようにね」
「ガードは学習型プログラムだから、リンと色々試して経験値つんでるんだよ。で、リアルで暴れられる部屋をマスターが用意してくれたんだ」
 レンもどこか自慢気に笑う。マスターに大事にされていることが二人とも嬉しいのだろうと、ミクは微笑ましく考えた。
「ね、メイ姉手合わせしてよ。あたしずっと楽しみにしてたんだ」
 壁際にいたメイコの手を引き、リンがおねだりをする。その様子にレンも声をあげた。
「リン、ズルイぞ。俺だってメイ姉に稽古つけて欲しい」
「お姉ちゃん大人気だね」
 メイコは苦笑して、肩をすくめた。
「リアルの戦闘なら、専門が他にいるけどね。あたしたちは、ガーディアンタイプとはいえボーカロイドなんだし」
「メイ姉は最強だもん。リアルではなかなか会えないし、この機を逃したらもったいない」
 ぎゅーっと腕にしがみついて主張するリンに、カイトが苦笑しながら提案した。
「順番に相手してもらえばいいんじゃない? 空いた方は僕が見てあげるよ」
「わかった、じゃ俺はカイ兄とまず組むよ。リン、後で代われよ」
「了解っ」
 ミクは驚いて兄を見上げた。カイトまでリアルの戦闘ができるとは思わなかった。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
 電脳空間での強さは知っているが、リアルではああいう防御はできないだろう。心配になって尋ねたミクに、カイトはへらっと笑った。
「めーちゃん程得意じゃないけどね、そこそこは経験あるから大丈夫だよ」
「というか、カイ兄は強いけどなんか卑怯くさいんだよな」
 レンがうろんな眼差しをカイトに向ける。
「お褒めにあずかり光栄です」
「褒めてねぇ」
 大げさに一礼したカイトに、レンが低い声で反論した。ミクは正直カイトが卑怯な真似をするなんて想像もつかなかったが、それを口にする前にリンの声が響き渡った。
「いっくよ!」
 小柄な身体が一瞬沈み、爆発的に加速する。両端に別れていた距離を一気に詰めたリンが、勢いの乗ったパンチを繰り出した。
「リンちゃんすごい」
「ん、でもめーちゃん相手にはちょっと単純かな」
 カイトの言葉を裏付けるかのように、メイコは上体をひねって拳の連打をかわし、カウンターを放つ。リンが両腕を上げてガードするが、小柄な身体は軽々後ろに吹っ飛んだ。
 見ていたミクは悲鳴をあげそうになったが、リンは両手両足を地面に着けて勢いを殺すと、ぱっと立ち上がった。その横顔は、好戦的な笑みを浮かべている。
「流石、メイ姉」
「自分から後ろに跳ぶなんて、リンも成長したじゃない」
 余裕の笑みを浮かべたメイコが、猫でも手招きするみたいに指先を曲げる。リンは可愛らしい顔にどこか獰猛な笑みを滲ませ、再び地を蹴った。
「リン、後で代わる気あるんだろうな?」
 猛ラッシュをかけている片割れを眺め、レンがぼやく。
「見学しとくかい?」
「いや、こっちはこっちで始めようぜ。時間が勿体ない」
 言いながら、レンはリンとメイコの争う場から離れるように歩き出す。ミクは少し迷ったが、カイトに「ここは危ないから」と促され、二人について行く形になった。
「あの、お兄ちゃんはその格好で大丈夫なの?」
 白いコートはカイトによく似合っているが、先程見たリンとメイコみたいな格闘には不向きだろう。
「そうだね、汚したり破けたりしたら困るから、ミク預かっていてくれる?」
 コートを脱いで差し出したカイトに頷き、ミクは両手で受け取った。
「頑張ってね、お兄ちゃん」
「ミクが応援してくれるなら、負ける気がしないな」
 微笑むカイトに笑顔を向けるミクの耳に、呆れたような少年の声が届く。
「……始めていいか?」
 レンの生暖かい眼差しの理由はわからなかったが、邪魔だったのだろうと見当をつけたミクは慌ててコートを抱きしめて壁際に下がった。それを見届けてからカイトがレンに向き直る。
「いつでもどうぞ?」
 カイトはごく自然体で立ったままにミクには見えたが、対峙するレンは違うらしい。挑むような眼差しを向けたまま、動こうとしない。
 暫しの緊張を破ったのは、カイトの気負いのない声音だった。
「そういえば、アカリさんは何処からこの部屋モニターしてるのかな?」
「天井のカメラで録ってマスターの部屋に転送してるよ。事故ったら、直ぐにアラームが鳴る」
「カメラ?」
 何処にあるのだろうと天井を見上げたミクにレンが視線を動かした瞬間、カイトは動いたらしい。打撃音にミクが振り返った時には、レンの身体は派手に吹っ飛ばされた後だった。
「レン君、油断大敵だよ?」
 にっこり笑ったカイトに、喉の奥で唸ったレンが飛び掛かり、地下室はそれから暫くの間賑やかな打撃音が反響することになった。


 メイコ達が戻る前に、そろそろ本題を片付けなくてはいけない。
 そう判断した俺は、懐から封筒を取り出した。電子証明が主流になって久しいが、こうした公式書類には未だに紙媒体の方が信頼性が置かれていた。
 差し出した封筒を、アカリは神妙な表情で受け取った。ただ、俺に向けた眼差しは納得してはいないと告げている。
「悪いな」
 簡単に託すには、ちょっと重い中身だということはわかっている。だが、俺が信用できる血縁は目の前の妹しかいないのは事実だった。両親は既にいないし、他の親戚は心から信用できるとは言い難い。
「……仕方ないってわかっているけど、だから、ちゃんと受け取るけど、私にこれを開けさせたりしないでね」
「ああ、わかってる。万が一の為だよ」
 第一級危険指定された仕事についている事を、アカリは納得してはいない。俺だってアカリが同じ仕事をすると言ったら絶対に止めるだろうから、納得しろと言う方が無理だとわかっている。多分、アカリは俺を止められないと諦めて受け入れてくれただけだ。
 アカリは焦げ茶色の瞳に強い意思を覗かせて、俺を見つめた。
「万が一でも駄目。絶対に、開けさせないで」
「……わかった、絶対に開けさせたりしないよ」
 絶対なんてないと知りながら、俺はそう答える。
「うん、約束だからね」
 頷いたアカリも、そんな事はわかっているだろう。ただの口約束だが、アカリが少しでも安心するなら構わない。勿論、簡単に死ぬつもりはないし、これは本当に保険以上の意図はない。
 それでも、受け取って嬉しい物てはないだろう――遺書、というのは。
 俺がもし死んでも、メイコ、カイト、それにミクをアカリなら守ってくれる。その安心の為に、俺は遺書をたった一人の妹に押し付けている。それは残酷な行為だと理解していたが、俺にはどうしても必要な事だった。

『バカね、アキラがそんな表情する必要ないのよ』

 あの日、一度メイコを手放したことを……そうすることしか出来なかった自分自身の不甲斐なさを、痛いくらい覚えている。

『あたしは大丈夫。ボーカロイドなんだから、こんなのは当たり前のことなのよ』

 明るい口調と裏腹に、殉教者みたいに澄んだ笑顔。何もかもを諦め、受け入れた静かな瞳。
 もう二度と、絶対にメイコにあんな顔はさせない。俺がいなくなっても、アカリに辛い思いをさせても、それだけは譲れない一線だった。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

戦場の歌女神3(中編)

戦場の歌女神3(前編) http://piapro.jp/t/3D-T の続きになります。

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閲覧数:322

投稿日:2013/02/17 00:25:41

文字数:4,880文字

カテゴリ:小説

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