【カイト】
黄の国から海を渡って、一度青の国へと戻る。
南に位置する青の国は、黄の国と比べると随分暖かい。基本的に青の国に雪が降ることなど滅多と無いし、降ったとしても積もる事は全く無い。
殆ど一年中各地を転々としている俺でも、青の国に戻ると『帰ってきた』という気がする。矢張り俺が、この国で生まれたからだろうか。
だからと言って、この国にも馴染みきれないのだけれど。
冬の間はこの国に留まる事になっている。豪商である養父は、俺やルカの他にも何人もの部下を連れて旅をする。この南の国の気候に慣れてしまっている身では冬の寒さは厳しいし、北部地方は雪に埋もれてしまっていて移動もままならなくなるからだ。
だから冬の間は本拠地である青の国での商売に本腰を入れ、次の旅の準備をする。青の国では貴族の娘たちの相手をすることも殆どなくなるから、少しほっとする。全く、とは言えないところが少し嫌なのだけれど。
好意を向けられれば嬉しいけれど、それ以上に息苦しい。俺には、同じだけの気持ちを返す事が出来ないから。
港を眺めて歩きながらそんな事を思う。久々に貰った休暇は潮風に当たってのんびりと過ごしたい。港では活気溢れる声が辺りを包み、人々が忙しなく行き交う。そんな様子を眺めながら、防波堤に沿って歩いていく。もう少し行けば、港と少し離れた静かな場所になる。
「ん?」
人々のざわめきが随分遠のいた頃、歌声が聞こえた。聞き覚えのある声だ。声のする方に歩いていけば、予想に違わぬ人が其処に居た。
「こんな所で何をしてるんだ?」
問いかければ、桃色の髪をしたようやく少女という年齢を抜け出した女性が振り返る。
「兄さんこそ」
「俺はただの散歩」
「わたしも似たようなものです。時間が空いて暇だったので、此処に来て海を眺めてました」
「歌が聞こえたよ。綺麗な歌だね、ルカは発音も良いし」
そう言えば、ルカの頬が僅かに赤くなる。
「兄さんは、誰にでも褒めるんですから」
「本当にそう思ったから言ってるんだよ」
誰にでも、と言われるのは心外だ。けれど、誰に対しても良い顔をしている、というのはあるのかも知れない。
「そうやって、誰にでも期待させるんですね」
「……そうなのかも知れないね」
硬質なルカの声は、俺の言葉を手放しに喜ぶことを必死に抑えているからだと解かる。俺の言葉には、言葉以上の意味は無いと知っているからだろう。
でも、このまま行けば、俺がルカと結婚することは十分に有り得る。それに反抗するだけの明確な意思も理由も無いから、そう話されても俺はきっと何も言えないだろう。そう思うと同時に、逆にそれはルカに対して失礼な話だ、と思う。
ルカは、どういう道を選ぼうとするのだろうか。その時には、ルカの気持ちを最優先にするのが、一番良いだろう。
今の俺は、流されて生きているだけだ。明確な意思も指標もなく。このままで良い訳はないのに、俺の中には何も生まれない。
「今度もまた、一緒に行くのか?」
「そのつもりです」
次に出発する時のことを問えば、そう答えが返ってくる。
「此処で養母さんと店を見ていてもいいのに」
「何れは、わたしが父の後を継ぐことになるでしょうから、出来るだけ覚えておきたいんです」
「そう」
女の子のルカに、各地を旅して回るのは大変だろうに、しっかりとした意思でそう告げるルカを純粋に尊敬している。真っ直ぐ背筋を伸ばして立っている強さが、羨ましいと思う。
「ルカは、良い子だね」
「子ども扱い、しないでください」
少し拗ねた顔になる。そういうところは、子供の頃と変わらない。自然と笑みが浮かんだ。
俺は、このまま流されるままに生きていくんだろうか。何も目標が掴めないまま、養父の望む通りに、生きていくのだろうか。
そして、何も、してあげられないまま。
春が来る少し前に、青の国を出る。海を渡り、緑の国の城下町に着く頃には丁度暖かい春の陽気が辺りを包む頃合になっている。
緑の国の城下町は、青の国ほどの活気は無いが、それでも賑やかだ。青の国には置いていない様な品々が置いてあるし、見ているだけでも飽きない。案外掘り出し物があったりして、養父も緑の国での仕入れには随分熱心になる。
緑の国では支店を置いていて、城下町に滞在する間はそこで寝泊りをすることになる。街に着いて数日は、支店のチェックで父は忙しく、貴族のご機嫌伺いも少しの間免除される。
その間に、俺は街へ出た。
市場は活気に溢れ、行き交う人々も楽しげだ。そんな空気は俺も好きだから、歩いているだけでも楽しい気分になるし、行商人が声をかけてきたりもする。女の人は殊更割引するよ、とサービスを申し出てくるけど、それには断りを入れながら市場を抜けていく。
空を飛んで 私は歌を歌った
歌う喜びを歌った
歌声が聞こえた。
透き通った、綺麗な声だ。歌詞の通りに、歌うことが楽しくて仕方ないというような、声。
引き寄せられるようにその声のする方へと歩いていく。
高い音 低い音 遠くまで
春の風を感じて 夏の日差しに向かって
声は、街の中央にある広場から聞こえてくるようだった。
人を掻き分け、歌声の主を探す。高く澄んだ声に、鳥肌が立つ。もっと近くで、ちゃんと聞きたい。ルカの歌とも、メイコの歌とも全然違う。
広場に着いて、噴水の前で歌う少女の姿を見つけた。
私は歌う 秋の彩りを
喜びを 悲しみを どこででも
緑の髪を二つに束ねた少女。長い髪が彼女の動きに合わせて揺れる。
くるり、と楽しげに歌いながら少女が一回転。
ふわり、と着ているワンピースの裾が翻る。
何て、楽しそうに歌うんだろう。
何て、綺麗に歌うんだろう。
そして何で、寂しそうに見えるのだろう。
彼女は笑っているのに。
冬は寒くて でも私は好き
さらさら雪が 太陽に輝く
一歩一歩彼女に近づく。
ある程度近づいた所で、立ち止まる。余り近づいては、邪魔になるだろう。
そのまま、彼女の歌に聞き入る。空気に溶け入るように少女の歌声が響く。心臓が脈打ち、それが煩い位で耳障りだ。彼女の歌だけ、今は聞いていたいのに。
彼女が歌い終わると、広場のあちこちから拍手が沸き起こる。
少女はにっこりと笑って、お辞儀をする。人々が彼女に近づき、お金をその手に持っている箱に入れていく。
ああ、そうか。
これが彼女の仕事なんだろう。今、お金を持っていただろうか。自分の懐を探り、硬貨を取り出す。彼女の歌声には、こんなものでは足りない気がするけれど。
「……すごく、綺麗だった」
少女に声をかける。彼女は笑顔で振り向いて、俺を見た。何故か呆けたような顔で、一瞬俺を見返してくる。
「凄く澄んでいて、綺麗で…こんなに素敵な歌は、初めて聴いたよ」
「あ、有難う御座います」
はにかんだ笑みを浮かべて少女がお辞儀する。そんな少女の持っている箱に俺も硬貨を入れた。
本当に、色んな所を回って、色んな歌を聴いたけれど、俺の心をこんなにも捉えたのは、彼女の歌声が初めてだった。
改めて少女と向き合う。ツインテールにした髪の片方に、髪飾りがついている。それがその少女にはよく似合っていた。
まだ十代半ばというところだろうか、リン王女よりもいくつかは年上のように見える。
「それに、歌うのが楽しくて仕方ないっていう風に聞こえた。俺も聞いてて、凄く楽しかったよ。羨ましいな、そんな風に歌えるなんて」
「そんな…」
少女の頬がぱっと朱に染まる。何だか恥ずかしそうで、言ったこっちまで照れてきそうだ。
もうこれで帰ろうかと思った時、不意に少女が俺の手を握った。
「あの、だったら、一緒に歌いませんか?」
「え?」
「ね、一緒に歌いましょう?」
そう言ったかと思うと、少女はもう歌いだしていた。
先程と同じ歌だ。
私はカナリア 空の鳥
歌が大好き 幸せな鳥
本当に、幸せそうに歌う。俺の手を引いて、歌い続ける。
冷たい銀世界 風を切る
歌を歌おう いつの日も
一番が歌い終わった所で、少女がじっと見つめてくる。仕方ない、これは俺も歌うまで納得してくれそうにない。
余り自分から歌ったことは無いけれど、深く息を吸い込んで声を出した。
僕はカナリア 籠の鳥
何も知らない 囚われの鳥
詩は即興だった。先程の少女の歌も覚えているけれど、今の俺にはあの歌をそのまま歌えない気がした。少女がじっと見つめてくる。俺の手を握る力が強くなった。
君と出会って 僕は歌を知った
歌う喜びを知った
声が、空気に溶け込んでいく。
それが気持ち良かった。歌うという事は、こんなに楽しいことだっただろうか。少女を見ると、にっこりと笑みが返ってきた。
そう、歌うことは、こんなに楽しいことだったんだ。君に出会って、初めて知った。
僕は歌う 君に届くように
喜びも 悲しみも 高らかに
繋いだ手からぬくもりが伝わってくる。
二番が歌い終わった所で、もう片方の手も握られた。
微笑み合う。
まるで、昔からずっとこうしていたような錯覚に陥る。彼女の名前も知らないのに、それでも俺にはこうして彼女と居る事がとても自然なことのように思えた。
三番は、二人で歌う。二人で作った歌を。
二羽のカナリア 空の鳥
歌が大好き 仲良しの鳥
歌が合わさると、更に声が伸びた。空気と交じり合い、彼女の声と俺の声が溶け合う。不思議な気分だったけれど、心地良かった。
二羽は出会って 声をそろえて歌った
歌う喜びが増えた
少女も楽しそうだった。
何だか俺は、今始めて自分が生きていると実感しているような気がする。歌を歌って、彼女と歌って。
どうしてだろう、嬉しいのに、泣きたいほど切ない気持ちになるのは。
歌い終わるとうわっ、と急に周囲の音が耳に入ってくる。さっきまでは自分と彼女の声しか聞こえてこなかったのに。それは多分、歌を聴いていた人たちが一斉に拍手したからなんだと気づいたのは、少し経って正気に返った後だった。
人前でよくこんな風に歌えたものだ、と自分でも思う。そもそも、ここが公衆の面前であるということすら忘れていた。彼女のことしか、見ていなかった。
「良かったよ!」
「デュエットは初めてだけど、綺麗だった」
歌を聴いてた人たちが口々に感想を言っては、少女の持っている箱にお金を入れていく。
「あ、有難うございます!」
少女はぺこりと頭を下げて、お金を入れていってくれる人にお礼を言う。
「本当に驚いたよ、いつの間にこんなかっこいい恋人を見つけたんだい?」
「えっ、いや、違いますよ!?」
「真っ赤になっちゃって、照れなくてもいいのにー」
彼女の知り合いなのだろうか、恰幅の良い女性が少女をからかう。
恋人扱いされても、俺は不思議と嫌だとは思わなかった。それどころか、本当にそうだったら良いのに、と思った。彼女の隣で、ずっと一緒に歌を歌っていられたら、どんなに幸せだろう。
少女をからかっていた女性が離れていって、ようやく群がってきていた人たちも居なくなると、改めて少女と向き合った。
不思議な気分だ。
彼女と出会って数分しか経っていないのに、今まで感じたことのないような感情が次々に溢れ出してくる。歌を歌う楽しさも、誰かの笑顔を見て癒されるのも。
「今日は有難う御座いました」
「あ、いや。俺は別に何もしてないけど…」
「そんな事ないですよっ!あたし一人で歌ってただけじゃ、いつもはこんなに稼げませんから」
そう言って硬貨で一杯になった箱を見せる。
「あ、でもあなたにも渡さないと失礼ですよね…えーと、どれくらいかな?」
「いや、別に俺はいいよ。君がそのまま持って帰ったら」
「え、でも…」
「俺は、君と歌えただけで、十分おつりが来るくらい楽しかったから」
これは本当の気持ちだ。それに、彼女に貰うまでも無くお金は一杯ある。そしてお金では満たされないものを彼女に貰った。
「あたしも楽しかったです。あ、そういえば、名前も聞いてませんでしたね。あたしはミクって言います。大体いつもこの広場で歌ってます。あなたは?」
「俺はカイト。青の国から来たんだけど」
「……青の国の、カイト…さん?」
名乗ったとたんに、ミクと名乗った少女の表情が硬くなる。
「うん?」
「あの、青の商人の息子さん…?」
「そうだけど…?」
父のことを『青の商人』と呼ぶ人がいるから間違いないけれど。一体、何なんだろう。彼女が、一歩、二歩と後退る。
「あの、女たらしで有名な!?」
「……え?」
警戒心を露にした彼女を前に、俺は混乱の局地に居た。
女たらし?
一体何だ、それ?
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考え過ぎて馬鹿になってはいけない
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硝子の破片を丁寧に拾っていては
誰だって生きづらいだろう...publicdomain
Kurosawa Satsuki
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ご意見・ご感想
甘音
その他
感想有難う御座います。
まあ、ギャグというか、オチをつけただけなんですが、ショックを受けられるとは思いませんでした。
大丈夫ですよ、カイミクメインですから!長編ならギャグもシリアスも詰め込むスタイルなので、構えないで見て頂けるといいなあと思います。嫌でも鬱展開は待っていますが。
というか、あの歌わせてみたはエメルさんだったんですね!うわーうわー、あれ凄い好きです。KAITOが優しくて泣けてきます。これ作った後なら仕方ないですね。解かります。
ルカさんは、これから大活躍の予定です。
そうですよね、ルカさんは何ていうか色んな意味でしっかりした人ですから。この二人のことも、ちゃんと書いていきたいと思います。
誤解を…解く前にミク視点になります。ちょっと待っててくださいね。
2009/04/05 09:41:36
エメル
ご意見・ご感想
感想遅れてすみません。実は投稿された日に読ませてはいただいてたんですが・・・
ラスト、軽いギャグだったんですね。ショック受けてた私って(滝汗
「え、何・・・カイトがたらし男って、何・・・ミクが情報通なのは分かるけど、何・・・」
はい、お馬鹿です。途中までいい雰囲気だったので^^;
ニコニコ動画にhttp://www.nicovideo.jp/watch/sm6559267
を投稿したばっかりだったので気持ちがカイトに向きすぎていたのかもw
冷静に見てみればこういう展開もありですよね。
思えばルカも複雑な立場なんですよね。近いからこそ、知っているからこそ辛い思いもあるんでしょうね。
カイトから見れば流される延長線にいるルカ、でも彼女もまたそれを望んでるようには見えませんね。
気丈な分、突っぱねることさえしそうに思えました。
ミクと出会って大きく変わり始めたカイトの運命、続きが気になります。
というかこの誤解をどう解いていくのか楽しみでなりません。
2009/04/04 12:37:11
甘音
ご意見・ご感想
いつも有難うございます。
あー、まあ、四話までは実質プロローグみたいなものでしたので、ギャグは入れなかったですねー。やっぱり終盤は話が重くなっちゃうので、今のうちにかるーく行っておこうかと。とりあえず、続き物は引きが大事だと思っているので、続きが気になるようなものを書ければな、と思っています。
いやまあ、勝負じゃないんですけど、ね(笑)
カイトとミクのデュエットは本当に書きたかったので。
というか、自分の書いたものをこんな風に解説されるとかなり恥ずかしいです。カイトに褒められたミクの心境さながらです。
歌詞は自作です、どこかから抜き出してくるのは何か違うな、と思ったので。というか、上手い具合に浮かんでくれたので。
ルカとミクに関しては今後、ちゃんと展開があります。もちろん心配は心配の通りにw
本当にいつも感想有難うございます、励みになります。
2009/03/31 23:38:49
時給310円
ご意見・ご感想
来たwww
すいません、ラストのオチ、来ましたコレw
このシリーズでこんなに明確なギャグって、実は初めてじゃないですか? それをよりによって、全話を通して屈指の見せ場となるであろう、主人公2人の出会いのシーンで使うとは! 完全に予想外でした。ものの見事にやられました。だって今までのシリアス基調の展開を見ていれば、出会いのシーンは当然、ロミオとジュリエットばりのロマンチックなやつを想像しますって! まして、終盤までそんな感じで進んでたんですから!
いや~、お見事。あなたの勝ちですww
さてさて、最後のオチもさることながら、今回も優れた文章力を存分に堪能させて頂きました。
注目すべきは何と言っても、カイトとミクのデュエットですね。これがオペラだったら、さぞかし華やかに演出されるであろうシーンでした。
歌とオーバーラップしての心理描写が大変素晴らしい。「俺は彼女に好意を持った」なんて無粋な言い方をせず、「彼女と居る事がとても自然なことのように思えた」「自分が生きていると実感しているような気がする」といった言い回しを使うあたりが何とも粋で、読ませてくれます。
それに歌詞そのものが、カイトの心の変化を表す仕様になっていますよね。歌が進むごとにカイトの気持ちも高まって行く過程が秀逸です。この歌詞、自作されたんですよね? すごいなぁ……僕も歌詞と心理描写をオーバーラップさせる手法はよく使うんですけど、いやはや、これは見習いたいです。
そういえば、ルカとミクとの対比も少し浮き彫りにされましたね。少し苦みを含んだルカと、まっさら白無垢なミク。この2人が出会った時にどうなるのか、今から心配ですw
今回も面白かったです。いきなり高いハードルできちゃったけど、がんばれカイト!ww 長文失礼しました。
2009/03/30 23:42:14