「ところで真優。本人がいるところでいうことでもないけどさ…ボーカロイドって高いじゃない。そんなお金、持ってたのね。」
「うっ…ほ、ほんとに本人がいるところでする話しじゃないわね!」

 KAITOの歌唱で場の空気が変わったためか、真優のマシンガントークも一旦鎮まったのをきっかけにずっと気になっていたことを切り出してみた。口に含んでいたお茶を吹き出しかけた真優は何度か咳払いをしている。
 沙羅と真優は同い年であるため、金銭の状況などについては大きな差があるわけでもない。もちろん、お互い裕福な家庭に育っているわけでもないことは知っている。KAITOという存在の素晴らしさは十分に分かったのではあるが、沙羅にとっては最初からずっと気になっていたことなのだ。寧ろこの数時間、それを聞かずに黙っていたことを褒めて欲しいくらいだった。

「ま、ぶっちゃけ厳しいっていうか、ある意味全部投げ打っちゃった感じはあるんだけどさ。」

 一つ息をついて語りだした真優は妙に達観した様子で、笑みさえ浮かべている。対するKAITOは、というと自分が高額であることも心得ているのか、先ほどの元気はどこへやら。申し訳なさそうに身を縮めて主人の様子を上目で伺っている。そんな彼の様子に気付く風もなく、親友は沙羅に向かって続けた。

「でもさ、これは運命だったと思ってるんだ。」

 そう言って真優は、隣で居心地悪そうにしているKAITOに視線を向ける。マスターの視線を受けてKAITOはぎくりと身を強ばらせた。海色の髪がさらりと額をすべる。髪と同じ海色の瞳を曇らせて不安そうな表情のまま恐る恐るといった様子で視線を返している。そんな二人の対比が面白くて、沙羅はついKAITOと親友の顔を交互に見てしまった。だが、ふと引っかかる単語があったような気がして、口の中で反芻させる。

「運命?」

 これは昔馴染みの勘というやつに他ならないが、真優の口から運命、という曖昧な言葉がでてきたことが意外に思えた。特に何かを咎めたつもりはなかったが、問い返した沙羅の言葉に親友はばつの悪そうな表情をした。

「や、わかってる!微妙に傷つく気がするから何も言わないでよ!?」

 まだ何も言っていないというのに、身を乗り出し、ばたばた手を振り回して言い募る真優。あまりの動きの激しさにすぐ隣にいるKAITOがはり倒されそうになって目を丸くしながら身を引いている。高価なアンドロイドの彼は自己防衛機能もそこそこ機能しているらしい、とつい感心してしまった。

「わ、わかってるのよ。あたしらしくないこと言ってるってことくらい。けど物事にはタイミングってやつがあるんだなっていうのも実感してさ。ほら、今を逃すと一生ない出会いっていうのもあるじゃん。すごく引力が強くなった時っていうのが“それ”じゃないのかなって思うわけ。」
「で、それが来ちゃったから今に至る…と。」
「うん…ま、そういうこと。この子じゃなきゃダメだ!って思ったんだ。」
「そか。」

 恥ずかしげもなく、そういうことを堂々と言える彼女のそんなところが魅力的だと沙羅は思う。自分には、できないことだ。

「だからさ、カイトも変なこと気にしちゃダメだからね!あたしは、あんたを買ったこと、後悔なんかしてないんだから。」

 晴れやかな笑顔だった。言葉の通り、一点の迷いも後悔もないのだろうことが分かる。ただ、そう言いながらKAITOの背をバンバン叩いているのが些か気になるが。一応あれは精密機械なのではないのか。

「ますたー…お、俺…。」

 一瞬、主のその雑な扱いに対して言及するのかと思ったが、彼の表情を見て沙羅は淡くため息をついた。どう見てもその表情に難色は含まれていなかったのだ。溢れるほどの輝く幸福感…そう、それがまさに文字通り溢れかえっている。整った相貌には笑顔を通り越して泣きが混じってしまった表情が浮かんでいた。それを見た彼のマスターはぷ、っと吹き出す。

「こーらこら、いい男がそんな情けない顔しない。台無しだぞー。」
「うっ、そ、そんなこと言ったって…!! マスターは、いじわるです。」

 表情を修正しようとしているのか、少し唇をとがらせて眉を寄せながら一言抗弁するKAITOだったが、どうもうまくいかないと思ったらしく「俺、充電してきます!」という宣言を残して部屋を出ていってしまった。

「ボーカロイドって、どれくらい充電もつの?」
「んー?一日は普通に。うちらが寝てる間に充電するくらいで十分すぎるくらいだよ。」
「…真優が意地悪するから放電しちゃったんじゃない?」
「なるほどね!!その発想はなかったわ!」

 面白い、と喜んで笑っている親友に苦笑せずにはいられない。バレバレにもほどがあるが、彼は時々ああやって照れ隠しすることがあるから、そういう時はそっとしておくらしい。どうやら真優は度々ああやって純粋な心の持ち主である彼をからかって遊んでいるようである。情感を込めた歌唱を可能にするために備わっている豊かな感情をそんな風に使われてしまうKAITOがちょっと気の毒なような気がしたが、これはこれで一つの形なのかもしれない。

「で、あんたはああいうの、興味ないの?」
「え…ああいうのって、VOCALOID?」
「そうそう。だって本来なら、あたしなんかより、あんたの方が音楽の才能あるじゃん。曲だってちょっとは書けるんでしょ?あたしにはそういうこと、してあげられそうにないしさ。や、もちろん努力はするつもりだけど!」
「んー…書きたいなぁ、とは思うけどね。あれって一応理屈が分かってたって結構敷居高いんだよ?」

 逆に言えば理屈が分かってなくてもセンスや情熱のある人なら超えられる敷居でもあったが、続くその言葉は飲み込む。高校、大学と音楽を専門にやっていた経験のある沙羅には作曲の心得もあった。しかし、あれは飽くまでも西洋の、クラシック音楽の法則を勉強するためのものだ。実際は和音進行やら立ち並ぶ禁則を掻い潜るパズルゲームのようなものだった。あれを作曲に用いようという場合は、それなりの発想の転換が必要になるのだ。
 とはいえ、できる人にとってはできる。それが難しいのは、単に自分の能力が微妙だったからに過ぎない。だからこそ、就職した今、まるで音楽には関係のないことをやっているのだが。こんなことはもう愚痴でしかないため、そこはなんとか苦笑するだけに止めた。そんな沙羅の反応に親友は「ふーん、そういうものか」と少し難しい顔をした。

「なんていうかさ、そういう立場になって見ないと分からんこともあるのかなーと思うよ。あんた見てると、特にね。」

 真優は人を振り回す激しさはあるが、こういう時に優しい。瞳に、ほんの少しの優しさを滲ませて沙羅を見る。

「あたし達さ、学生だった時と比べたら自分の時間なくなっちゃったし、仕事仕事ってそっちばっかに意識もってかれちゃうけどさ。人生楽しむ気持ちを残しておかないといけないと思うんだ。」

 日常に流されているうちに、確実に時間は消費されてしまう。それは仕方がないことだけど。流されるだけじゃなくて、そこに華を添えていく努力はいつだってできるのだと。

「真優は色んなことに挑戦してるよね。」
「ふふん、あったりまえじゃない。だって人生は一回しかないんだよ?やりたいことは、できるときにどんどんやってかなきゃ!」
「今じゃなきゃ出来ないこと、今じゃなきゃ出会えないこともあるから…って言いたいんだよね?」 

 真優の言葉には力がある。彼女の考え方は基本的に昔から変わらないが、学生だった頃よりも一層、力強くなったような気がする。そんな彼女と話をしていると、いつだって沙羅は元気をもらったような気持ちになるのだ。真優の発するであろう言葉を先に提示してみせた沙羅には、自然と笑みが浮かんでいた。

「その通り。分かってるじゃない。」

 沙羅の言葉に満足したのか、真優はそう言って、今日一番の笑顔で笑った。



 自宅へと戻る途中、すっかり夜になってしまったと思いながら空を見上げれば、広がっていたのは満天の星空だった。暗くて見るものもないので、何とはなしにその星空を眺めながら、気がつけば今日のことを振り返っていた。相変わらず今日も振り回されてしまったわけだけれど、それなりに得るものがあったような気のする一日だった。

「VOCALOIDかー…。」

 歌う海色のアンドロイドの姿と、その主である親友の姿がやはり一番強く印象に残っている。正直、今まで視界の外にあった世界だった。それが急にすぐ傍までやってきたような、そんな感覚で足元がふわふわしているような気がする。けれど、自分がその世界に足を踏み入れるかというと、やはりその勇気は持てない。相変わらず自分は臆病だな、なんて思ったらついため息が漏れた。必要ないところで自分は現実的なのだ。いや、現実的という価値観を盾にして逃げるのが得意なのだ。

「逃げるのはよくないよね、うん。」

 物思いにふけっていたら何となく自分一人のような気がして、独り言などつぶやいてしまっていたが、不意に正面から自転車の気配がして口を閉じる。そういえば屋外だった。一人で歩いているとつい考え事に集中してしまうのは沙羅の悪いくせだ。そうしてよく道を間違えたり忘れ物をしたりする。
 確かに今日は振り回された一日だったが、今日と言う日は何かのきっかけのような気がした。何かは分からないけれど…そう、真優の言葉を借りるなら、物事にはタイミングがあるのだ。もしかしたら自分にもそのタイミングとやらが迫っているのかもしれない。だから、こんなにも落ち着かない気持ちになるのかもしれない。それはまだ、正体が分からないけど。フットワークが重いことがネックになるということは沙羅自身が一番知っている。

(明日はどこかに出かけてみようかな。)

 何事も自分の身体を使って動いてみないと始まらないのだから、まずは出かけてみることからやってみよう。頭の中で綿密に明日のスケジュールを組立ながら残りの帰り道を急いでいたら、入る筋を一本間違えて少し遠回りをしてしまったが考え事をするためにわざと徒歩の時間を延長したのだと思うことにした。

ライセンス

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深海のメモリー ~1.海色のアンドロイド(後)~

字数オーバーにつき分断されました(笑

閲覧数:136

投稿日:2013/03/10 07:50:34

文字数:4,224文字

カテゴリ:小説

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