二人とも、母親の遺伝子は何処に捨ててきた?
アレンとジンを二人並べて見て、昔からイルとレンを知る者は大抵こう言うし、父親である自分達も全くもって同感だ。燃えるような紅髪と輝く金髪を始めとする外見はもちろん、性格やら口調までもが二人とも父親と瓜二つ。
イルもレンも愛妻家(愛犬家)なので、少しくらいは母にも似て欲しかったのだが、それでも自分の子供とは可愛いものだ。巷では親になると自分の親の気持ちが分かると言うが、イルは逆に益々分からなくなった。どうやったら、血の繋がった実の息子を捨てることができると言うのか。
まあ、イルに限って言えばハウスウォードの事は最早笑い話に過ぎない。
「おはよー、父さん」
「おはよう、ジン。セシリアも」
「おはようございます」
なかなか治らなかった寝起きの悪さだが、不思議なことにジンが産まれると同時に改善された。毎朝殺人未遂に遭うことも無くなったので、親友も昔より優雅な朝を過ごせていることだろう。
そしてそれ以上に、幼い息子にあんな場面を見せるわけにはいかなかった。イルもレンも少々常識から離れた精神性をしているために、あれもただのスキンシップの一環だったりするが、年齢一桁の少年に見せれば絶対に不眠症になる。
「宿題やったか?」
朝食にがっつく息子に声をかけるが、気まずそうに目を逸らされた。
「今日の朝十時半からだろ。食べ終わったら手伝ってやるから、ちゃんと終わらせるぞ」
革命から十七年。黄の国では行政機構も教育機構もほとんど出揃って、イルもレンも二十代前半の頃から比べれば暇とすら言えるくらいの仕事量になっている。
数年前の計画通り、今は外務大臣をディーが務めレンは宰相となって、王宮内の仕事に専念している。怒涛の仕事量から解放された親友は、楽器演奏やら調剤やら読書やらに昔以上に力を入れている。そしてジンが六歳になった時からは、その教育係ともなっているのだ。
心配していたが、ジンはそれほど読書嫌いではなかった。セシリアの血でいくらか中和されたのかと思っていたが、親友に言わせると物心つく前から積極的に読ませていた、『絵本』とやらが役に立っているらしい。
レンもイルも、アズリがアレンのためと言って買ってくるまでは存在も知らなかった。ハウスウォードには教養と知識を身につける教科書と実用書はあっても、情操教育のための子供用物語など一冊たりとも無かったからだ。
君は本来、そこまで文字嫌いでも無かったのかもね。ただ小さい頃から難易度の高過ぎるもの読まされて、それがトラウマになってたんじゃない?
ジンが楽しそうに絵本を読んでいるのを二人で眺めながら、グラス片手にレンはそんな事を言っていた。実際は確かめようもないないし今更どうでもいい事だが、まあ頷ける話だ。
因みに、唸るほどジンの部屋に置かれている絵本は、本来全てアズリがアレンのために買ってきたものだ。しかし六歳にもなると、アレンはレンの書斎に入りこんで政治やら医学やら生物学やら薬学やら、とにかく今でもイルは読みたくないような小難しい本を読み始めた。
正しくレンの息子と言ったところだろう。持ち主に放置されている本に、何故か非常にアズリは感情移入しており、ジンに使ってもらえないかと打診してきた。
イルにとっても渡りに船で、試しに与えて見た所気に入ってくれたというわけだ。しかしトラウマとはならなかったものの、元来得意ではないのは変わらない。
やはりジンにとって、勉強とはどうしても好きになれないものらしい。
「えー、しなくてもレン伯父さん怒らないって。ちゃんと一緒にやってくれるから平気」
机に黙って座っている時間が嫌いな息子に断られたが、それを許すわけにはいかないのだ。
「お前が怒られなくても、俺が殴られるんだよ。いいから、教えてくれる人に言われたことくらいちゃんとしろ」
己の子供時代は、レンが手伝ってくれるようになるまで宿題が手付かずであることが常だったが、何しろ教師がハウスウォード時代ほど生温くない。しかもすっぽかして私刑を受ける羽目になるのは、ジン本人ではなくイルなのだ。
理不尽とは思うが、レンをそこまで神経質にさせてしまった原因は、間違いなくイルとジンの悪ふざけなので文句の一つも言えない。
教育が開始された当初は、ジンは勉強を嫌がり時間になると自室から逃亡を図るようになった。その度にうんざりしながら探すレンを見つつも、元劣等生のイルとしてはジンを止めることができなかった。そしてレンのジンに対する寛大な態度に、ほっとしつつも親友の幼子に対する柔和な笑みをどこかで勘違いしてしまっていた。
仕事が滞る。これ以上、鬼ごっことかくアレンぼには付き合えない。息子に鎖をつけるか、君が責任を持って時間通りに部屋に待機させておくか、好きな方を選べ。
とある日にこう詰め寄られ、その金色の瞳に本気を悟ったイルに選択肢は無かった。すっかり鳴りをひそめていた親友の放つ冷気を、久々に体感した瞬間だ。
冷血鬼、親友のこの渾名も今となっては酷く懐かしくなった。激動の時期が終わり、レンもそうそう無茶をする必要も無くなって、今では十代から二十代前半の彼を覚えている者も多くないだろう。
年齢を重ねるにつれて、天才宰相の周りから彼を不満に思う人間達も減って来た。彼の言動が少しずつ改善されているというのもあるが、単純に受け手の印象の問題も大きい。
内容は同じでも、二十歳そこそこ、ましてや十代のガキに言われれば腹が立つが、三十も過ぎた上司の言葉なら納得できるのだろう。
そんな事を考えていると、件の宰相が本日の予定を告げるために訪れていた。
「おはよう」
「おう」
イル、ジンに続いてセシリアも挨拶を返す。それに笑顔で返してから、来客の有無やら会議の時間やらを説明する。午後に一部の大臣(ディー・ヴィンセント・レン)との打ち合わせがあるくらいで、本日も暇で優雅な一日になりそうだ。
「ジン、宿題は終わった?」
一通り終わると、二時間後に開始される勉強のためにかレンはジンに問いかけた。
「まだ」
躊躇い無く返された息子の一言に、氷槍より尚冷たく鋭い視線がイルに向けられる。
「これからするんだ」
慌てて付け足すと、死刑執行は保留となったらしく殺気が霧散した。
「えー」
尚も不満の声を上げる息子の口を塞ぐと、レンはジンの頭に手を置いた。
「嫌いなのは分かるけど、大切な事だからね。今何もしないでいると、後で十倍苦労することになるからね」
さっきも言ったが、ジンに対する親友の態度は酷く優しい。その慈愛を元義弟にも与えて欲しいものだ。因みに後で苦労するのは主にレン、いや時期を考えればアレンかもしれないが。
「うう、分かったよ」
レンは口を歪めながらも了承するジンを見て頷き、どこかの王様と違って素直だと捨て台詞を残して去って行った。余計な御世話だ。
朝食終了後、渋る息子と一緒に何とか宿題を片付けた。程なくして戻って来た鬼教師がジンに教えている間、アレンも恐る恐る入室してきた。
「こんにちは、陛下」
「よく来たな、アレン。父さんはここに居るぞ」
金髪の少年はレンを見つけ、近くで自分の勉強道具を広げ始めた。普段ジンと遊ぶ時にはもっと堂々と入ってくるのだが、敬愛を通り越して崇拝している実の父が居る時は全ての動きが固い。
「相変わらず難しそうなの読んでるな」
アレンを見ていると、ハウスウォード時代のレンの姿が如実に甦って来る。
「これは内臓の場所が書いてある場所だよ、陛下」
人体標本が描かれているページを嬉々として眺める十歳児に、どういう反応を求められているかさっぱり分からない。
「将来は医者にでもなりたいのか?」
ジンの将来は決まっているが、アレンには理屈上政治に関わる必要は何処にもない。レンも息子には将来をしっかりと選ばせるだろう。
しかし、金髪の少年はとんでもないと言う風に首を振った。
「ぼくは父様みたいになりたい」
意外だったが、彼のレンに対する心酔っぷりを考慮すれば当然か。というか、そんな話を親友から聞いた気もする。
「そっか、じゃあジンを助けてやってくれ」
柔らかい金髪を梳いてやると、アレンは年相応のあどけない笑みで頷いた。すぐに勉強を再会すると思いきや、幼い天才児は唇を噛みしめて紅髪の少年と、その隣に座るレンを見上げていた。
金色の瞳に映るのは、羨望。
「あっちに混ざるか?」
ジンと鬼教師は食事にも使うテーブルで勉強しているので、アレン一人くらいはもちろん楽に入れる。しかし、再びアレンは首を横に振った。
「父様の邪魔になるから、ぼくはここでいい」
「邪魔になんかならねえよ。訊きたい事もあるんじゃねえのか?」
アレンにも当初は家庭教師が付いていたのだが、残念なことにベセスタ学習院教授長の知識量を、この天才児が超えるまでに大した時間はかからなかった。今やアレンに物を教えられる人間はレンかディーくらいなのだが、両者共その気が全く無い。
「分からない所は、今度学習院に行った時にでも論文を探すから大丈夫」
十歳児とは思えない科白だが、アレンの大人びた言動は今に始まった事ではない。
ここまで言われてしまうと、それ以上勧めることもできない。
「気が変わったら言ってやるからな」
構って欲しいくせに、アレンはその意思表示が酷く下手だった。そしてそれ以上に、レンは父親として息子にどう接するべきか分かっていない。
レンには父親と言うものが身近にいた経験が無い。ヴィンセントを親同然に慕っているが、その彼とも常に同じ所で寝食を共にしていたわけではなかった。
実の両親と過ごした記憶は無いらしいし、イルの実の両親でありレンにとっての養父母に至っては説明不要だ。イルが辛うじてジンと自然にコミュニケーションをとることができるのは、十一の時に追い出されて義理の両親に可愛がってもらった記憶があるからだ。
つくづく、レンは貧乏籤を引いていると思う。
産まれた時からほとんど一緒に居るイルが正直に言ってしまえば、レンは親馬鹿を通り越して馬鹿親の部類に入るだろう。生まれる前は己の血を引く人間に、自分がどういう感情を持つか恐れていた親友だったが、産まれて来た時はもう小躍りせんばかりに喜んでいた。
アレンの誕生までは、まさかあの義兄の鼻歌を聞く日が来るとは思っていなかった。
「ふー、やっと終わったあ」
ジンが疲れ切った声でこう宣言したのは、昼食時間も間近に迫った時刻になってからだった。
「お疲れ様」
道具を集めながら、レンはテーブルに突っ伏したジンの背中をぽんと叩いた。
「うん、伯父さんもありがとう」
「どういたしまして。宿題もちゃんとしておくんだよ?」
「努力します」
弱々しく敬礼する我が子は、十数年前の己を見ているようだった。親友も同感のようで、ばっちり目があってお互い肩をすくめた。
「レン、お疲れさん」
「君と違って素直だから、それ程でもないよ」
憎まれ口は義兄の持病だ。治癒の見込みが無いので、障害とも言うかもしれないが。
「出来た息子だろ?」
「君の息子に相応しいってことは、否定しないけどね」
「食事、ここでしていくか?」
暇になってからは特に、ハウスウォード一家がイルの部屋で一緒に食事することは珍しくない。しかし金時計で時刻を確認していた親友は、少し考えてから首を横に振った。
「今日は遠慮しとくよ。午後の打ち合わせの準備があるからね」
「そっか、じゃあその時な」
「うん」
道具を持って立ち去ったレンだが、その間一度としてアレンと目を合わせることもしなかった。
「お前も食事だろ。一緒に帰らなくていいのか? それともここで食って行くか?」
見えなくなるまで寂しそうに父の背中を見つめ、そして再び唇を噛みしめて自分の道具も片づけ始めた金髪の少年の肩に手を置くが、こちらも首を横に振る。
「今日は午後から母様の買い物に付き合うから、ぼくも戻らなきゃ」
「買い物? アレン、おれも行っていい?」
イルが返す前に、外出の単語を聞きつけたジンが声を上げた。
「うん、一緒に行こう。後で迎えに来るから」
「約束な!」
「お邪魔しました、陛下」
「いつでも来い」
最後にぺこりとイルに頭を下げて、アレンは部屋に戻って行った。
「アレン、なんで落ち込んでたんだろう? 伯父さんがおれに勉強教えてくれる日は、いつも機嫌悪いんだよなあ」
完全に足音が聞こえなくなってから、ジンが不思議そうに首を傾げた。
「親子揃って不器用なんだよ」
イルが紛れもない本音を返すが、息子にとっては意味が分からなかっただろう。
国で一番、何でも器用にできる親子だからだ。
ただし、人間関係の構築だけはその限りではない、というだけのこと。
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