―R・ある眠っていたロボットの話―
記録の蓄積、整理。ヒトの頭脳はこの作業をしているとき、夢を見ているのだという。では、今、この瞬間、ワタシが視ているものはユメというべきものなのだろうか。
白く靄のかかった空間の中で、リンは幾多も積みあがっている引き出し中から近くにあった一つに手を触れた。瞬間、引き出しは開き、中から映像が出てくる。
青みがかった映像の中で、博士がリンの名を読んでいた。触れたその手が温かいと、感じた。その温かさに呼応するように映像にオレンジ色の光が帯びる。リンは博士の手のぬくもりに強張っていた体が解けるのを感じた。
映像は、引き出しの分だけ多種多様であった。触れたら反応が返ってきそうなほどリアルで立体的なものもあった。輪郭がぶれてしまって判別が難しいものもあった。モノクロの映像の中、ただ青い空だけが奇妙に色付いているものもあった。
何故こんなにも、あやふやな記録なのだろう。とリンは不思議だった。きちんと日々の記録はとっていたはずなのに、これでは記録としての意味を成さない。そう首をかしげながらリンはそれでも一つ一つ、確認するように引き出しに触れては中身を確かめた。
それらの中身のほとんどが博士と過ごした日々だった。緊張した面持ちでリンの体をメンテナンスする博士。言葉を発したリンに満面の笑顔を浮かべた博士。疲れた様子で居眠りをする博士。いらついた様子で頭をかきむしる博士。新たにやってきた拓海に意地悪そうな笑顔を向ける博士。遠くを見つめている博士。青い顔で苦しげに顔を歪めて、痛い感情を与えてきた博士。
慈しみと恥じらいをこめてリンに触れてきた、博士の指先。
ふと、博士の指の感触を感じたような気がして、リンは引き出しに触れる手を止めた。
周囲を見回したが、当然のごとく誰もいない。そう、ずっとこの空間でリンは一人きりだった。博士が触れてくることなどありえない。微かに首を振り、リンはぼんやりと博士の指先について考えた。
なんで、博士はワタシの事をモノとして扱わず、あのように優しく扱ったのだろう。
確かにリンは精密機械だが、ちょっとやそっとでは壊れない設計になっている。けれど、博士はリンに対して壊れ物を扱うがごとく、優しい手で触れてきた。共同研究者であった拓海に対しては容赦なく頭を叩いたりしていたから、誰に対しても優しいというわけではなさそうだった。
博士はそっと慈しむように柔らかな手つきでリンの頭をなで、髪を梳いてくれた。頭にリボンをつけてくれて、服だけは、恥ずかしいから自分で着なさい、と困ったように頬を染めて着替え一式を差し出してくれた。
ふ、とその一連の出来事を思い出してリンは思わず笑みを浮かべた。
ワタシはヒトではくロボットなのだから、気にすること無いのに。博士は、ばかだなぁ。というか、ワタシを造ったのは博士なのだがら、今更気にしても遅いのに。
突然襲ってきた笑いの波に抗うことなく、リンはくすくすと笑みをこぼした。ひとしきりそのあたたかな感覚を味わった後、ぼんやりとリンは思った。
知りたい。と思った。
博士が何を思ってワタシに触れたのか。
博士は何を思って何を求めたのか。
それはリンの理解を超えていることだった。それでも知りたいと願った。 この、体の内側でこだまするものについて、知りたいと願った。
ゆっくりと瞼を持ち上げた。目を覚ますと体は鉛のように重たく、熱かった。駆動部分は軋みを上げ、いたるところから機能低下のメッセージが発していた。自分が眠っている間に何が起こったのだろう。と不思議に思いながら、リンはゆっくりと座っていた椅子から体を起こし、周囲を見回した。
見慣れた部屋だった。年老いた博士と拓海と過ごしたログハウスのリビングだった。大きなテーブルに椅子、大きな画面のついたコンピューター、カウンターの向こうには台所。何も変わらない。ただ、いつも積み上げられたままだった書類の束が片付けられていることと、テーブルの上に飾ってある花だけが、いつもと異なっていた。
熱を帯びた皮膚の上を、窓から入り込んできた涼しい風が撫でた。
気持ち良い。
そんな事を思って、ほ、とリンは息をついた。
風が吹いてきた方向に視線を向けると、窓が開いていてカーテンが揺れ、 その動きに合わせてちらちらと太陽光も揺れていた。
まるで踊っているみたい。
そんな事を思ってリンは楽しげに微笑んだ。
軋む足を動かし、ゆっくりと窓辺に寄ってみた。太陽の光に眩んで思わず顔をしかめながら、空を見上げると晴れ渡った青が目に滲みた。
綺麗だな。
そんな事を思ってリンは手を伸ばした。博士が笑ってるみたいだ、そんな事を思った。
博士はどこに行ったのだろう?そう思ってリンは周囲を見回した。けれど、博士の気配はなかった。上の階でなにやら活動している気配はあったけれどそれは博士とは異なる若い気配で、拓海のようだ。とリンは思った。
いつも一緒にいたのに。
微かに首をかしげながら更に周囲を見回すと、今朝とどいたのだろう、テーブルの上に無造作に置かれた新聞が目に入った。それを手に取り、何の気なしに日付に目をやった。
日付は、リンが最後に記録していた日よりも遥かに先の、300年後だった。
え?と思った。何かの間違いだろうか。と眉をひそめ、リンは自身の中に埋め込まれている時計を確認した。間違いではなかった。確かに、今、リンがいるのは300年後のログハウスだった。
ヒトが、人間が300年も生きている事は不可能。
蓄積された記録から、そんな冷たい事実がリンの中で浮かび上がる。最後に見た、博士の青い顔がよみがえる。きっと博士はもう死んでいる。と奇妙に冴えた思考の片隅で認識した。
レン。と弱々しい声で、リンはしかしそれでも、博士を呼んだ。
レン、どこ?ともう、ここにはいない、いるはずの無い人の事を呼んだ。
いない。ここには、いない。
リンの瞳から涙が零れ落ちた。喪失がじわりじわりと広がる中、感覚が鮮やかにリンを浸食してゆく。
触れる風が心地よくて、溢れる光に安らいで、広がる青の色に焦がれて。博士のいない悲しみに潰れてしまいそうで。悲しくて悲しくて仕方が無いのに、それを感じることができることすら嬉しくて、嬉しくてたまらない。
この喜びも悲しみも全部伝えたいのに。これがココロというものですか?と問いたいのに。博士はやっぱりいない。きり、と唇を噛みリンは途方にくれたように中空を見上げた。
何故この場にいてくれないのに、こんなものを与えたの。やり場の無い、怒りを悲しみを、喜びを、ワタシはどうすればいい?
伝えたいこのココロを、どうすればいいの?
リンの中で徐々に上がってゆく熱に駆動部分が堪えきれず、軋みながら膝関節から力が抜けた。かくん、とその場に座り込み、リンはどうすることもできない感情を持て余しながら泣きじゃくった。
ふと、博士も今のワタシと同じようにまるで子供のように泣いていたことがあった。とリンは思い出した。そう、あれは眠りに着く少し前、博士が痛い感情を与えた後のこと。
記録の片隅、まるで文字の羅列のような、映像の掠れた微かなキオクがリンの中でよみがえった。伝わる痛み、拓海の抱擁、博士の嗚咽。そして、眠りに着く前に届けられた、歌声が同封された奇妙な未来からの手紙。
そう、伝えたい相手がここにいないと言うのならば、届ければ良い。過去に。そして、それができることをワタシは知っているはず。
膝関節が動かなくなってしまったため、這うようにコンピューターに近づき、リンは自身をそれに繋げた。過去へ手紙を届けるなんてやりかたは知らないし、教わってすらいない。けれど、既に届けられたことのある、自分の内側で保存されていた未来からの手紙が、その方法へ導いてくれた。
かたかたとコンピューターが動き始め、リンの体の熱が上昇する。耐え切れず、体中から悲鳴が上がる。限界が、近いことにリンは気がついた。だからといって止める気はなかった。ただ、急がないといけない。と思っただけだった。
伝えなくては。と思った。
ありがとう、って言わなくちゃ。そうリンは思った。
―R・ある眠っていたロボットの話―~ココロ~
ピアプロで活躍されているwanitaさんのココロ・キセキ小説がなんだか心に滲みてしまい、わー!となって書いてしまいました。
(最近わー!となってばかりだな、私。)
そんなわけで、wanitaさんのココロ・キセキ―ある孤独な科学者の話―をベースに、その300年後を妄想させていただきました。
こんな暴挙を許してくれて、ありがとうございます!!!
※―L・ある孤独なロボットの話―と対となっています。
よければそちらも読んで頂くと幸いです※
原曲様・トラボルタP様
【鏡音リン】ココロ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2500648
原曲様・ジュンP様
【鏡音レン】ココロ・キセキ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2844465
原作様・wanitaさん
『ココロ・キセキ』―ある孤独な科学者のはなし―
http://piapro.jp/content/6f4rk3t8o50e936v
コメント1
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ご意見・ご感想
wanita
ご意見・ご感想
wanitaです!
こちらこそ、使っていただけて、嬉しかったです。
私の作品も超解釈の大暴れなので☆
素敵な未来をありがとうございました!
2010/04/09 23:18:00
sunny_m
>wanitaさん
本当にありがとうございます!!!
好き勝手してしまって、本当にもう、自重しない人ですね私(笑)
では、今後ともよろしくお願いします☆
2010/04/10 11:09:33