―嘘です。本当は傷つきたくなかったんです。
人に嫌気がさしたその者は獣になる事に決めた。人は醜い。自分の愚かさに気がつかない。歴史を紐解けば、今おこなっている事がいかにばかげている事なのか簡単に理解できるのに、それでも、何度も何度も何度も、繰り返す。
人とは、醜く愚かで脆弱な生き物。
そんな人という生き物に嫌気がさしたから、その者は獣になった。獣になるための知識も力も、その者にはあった。
そしてその者は自らに魔法をかけ、醜い人から美しい獣となった。
異形のものとなった獣を人は忌み嫌い迫害する。それもまた、獣にとっては予測していた事で、やっぱり人は愚かな生き物だ。とため息をつくだけの事だった。
異形だが知識も力もある獣を、忌み嫌いながらも人が手放す事など出来ない。その事を、獣は分かっていた。だから獣は人に提案をした。森のはずれにある塔に一人で暮らす。と。
その塔はかつて賢者たちが暮らしていた塔。書物が沢山詰め込まれた塔。今ではほんの一握りの選民しか触れる事が許されない知識の詰まった塔。多くの人にとっては手の届かない知識の詰まった塔。
そして手が届く届かないにかかわらず、そこに宿る英知はあまりにも難しく、読み解くにあまりにも膨大で、だれも手を出そうと思わない、塔。
塔の中の書物をすべて理解することができる存在は、もうこの国では獣だけだった。
この塔に住むことを許してくれるならば、人目につかないようにひっそりと暮らそう。そして塔の英知に触れる事を許されたこの国の選民が、この塔の知識を欲した時、自分がこの塔の情報を読み解いて必要な知識を彼らに与えよう。
人にとってこれほどまでに都合の良い条件は無い。一も二もなく、獣の示した言葉に人は飛びついた。
そして、それからずっと獣は国のはずれにある賢者の塔で、独り、暮らしていた。
―それは誰にも邪魔される事の無い生活でした。誰もいない空間には争いごとも起こらない。美しい調和のとれた永遠とも呼べる平和でした。孤独とは平和な事。知っているつもりでした。むしろそれを望んでいたはずでした。
それは小さな穴だった。
塔を構成する煉瓦は古い。長年の雨風にさらされ脆くなってしまったのだろう。塔の少し下辺り、丁度2階の床に位置する場所の外壁部分の煉瓦がこなごなと崩れ、小さな穴があいてしまったのだ。子ども一人ならばぎりぎり潜り抜ける事が出来そうな小さな穴。そこから滲むように進入してきた外の気配に獣は小さなため気をついた。
少し高い位置なので外からの修復は面倒だ。が、塔の内側で作業を行うのもまた、埃が舞ってしまってよろしくない。とはいえ放っておけば雨風が吹きこんできて大切な書物を濡らしてしまうだろう。
確か壁の穴を直す簡単な魔法があったはずだ。普段使わない術だからちょっと調べてみない事には詳しくは分からないけれど。手が空いたら調べて直そうと、獣は心の中に刻みながら応急処置に手近に転がっていた布をその小さな穴に張り付けて、その場を去った。
獣はここ最近、忙しかった。数年前にこの国はある民族を滅ぼした。それは山奥に身を隠すように存在していた小さな民族だったが、高度な技術と美しい文化を営む民族だったそうだ。
そして焼き尽くし骨組みだけになったその民族が暮らしていた跡地で、ある古い文献が発掘された。
その古い文献は、どうやら古い時代に栄えた帝国の事についての文献のようだった。
そしてその古い文献の解読を、獣はこの国から依頼されていた。
その日も塔の頂上にある書斎で、獣は大きな机に広げられた古い文献に向かっていた。
それは、はるか昔に栄えた文明について記された記録書だった。文明の規模、その民族の歴史、生み出された技術に文化、生活様式、繁栄と衰退。ひとつの大きな時代の創世と滅亡までが克明に記録されたそれは、滅ぼされた民の古い言葉で書かれていた。
美しい、まるで絵画のような文様を刻む文字列。
滅ぼされた民は山奥の小さな民族だけあって、彼らに関する資料や文献は大陸の中央であるこの国まで伝えられる事は無く、大して残されていなかった。その数少ない情報や、周囲の似たような文明で発達した文字や、実際の古い文献内の文字列など、色んな情報を手繰り寄せて獣は文字通り一字ずつ読み解いていった。まるで暗号のようなその文献の解読はなかなか進まず、獣は微かにいらついていたが、それと同時に興奮もしていた。
知らないものを知っていくこと。これ以上の喜びを知らなかった。未知の世界を紐解いていく事。それはどれだけ金を積まれても譲れない楽しみだった。知識を蓄えていく事。きっとこれが自分の生きる意味なのだと、獣は考えていた。
つと、獣の文字をなぞる手が止まった。またこれか。と獣は解読に行き詰った文字をトントンと軽く指で叩き、ため息を落とした。
それはなかなか解読が出来ない文字だった。たった一文字。一筆書きで描かれた柔らかな曲線ととがった部位で構成されているシンプルな形の文字。それがどうしても解読できないのだ。
もしかしたら、この国には無い概念を意味する文字なのかもしれない。
そう考えて、獣は脇に積み上げていた他国の資料を引っ張り、何か該当しそうなものは無いか、とそのぶ厚い本のページを捲った。
どさり。と階下からなにやら物音が聞こえてきた。
愚者の塔・1~The Beast.~
スペクタクルPさんの、The Beast.の二次創作小説です。
相変わらずの妄想小説なので、イメージを損なわれましたら申し訳ありません。
あと、原曲様に沿った内容です。
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もっと見る古い文献に描かれていた、一筆書きの、シンプルな形の文字は「アイ」だとアヤは言った。
「アイ?」
「そう。愛。」
そうアヤは言い、ああ。気がついたように声を上げた。
「この国には愛と同じ意味の言葉が無いな。」
そう呟いて、アヤは思案するように中空を睨みつけた。アイを説明しようと、思考を巡らせているよ...愚者の塔・7~The Beast.~
sunny_m
………
ひび割れた音のスピーカーから出発のアナウンスが聞こえてきた。古い重厚なレンガ造りの大きな駅舎。朝の通勤通学のピークが過ぎた時刻。人ごみは幾分和らいでいたが、それでも大きな街のターミナル駅ではいろんな人が行き交っていた。紳士淑女、金持ちの老人に物乞いの子供。各種多様な人々が入り混じり、...蒼の街・1 ~Blue savant syndrome~
sunny_m
朝、獣が自室の書斎に戻ってみるとアヤはまだそこにいた。古びたソファの上に陣取ったアヤは、部屋の中に入ってきた獣に、おはよう。と言いながら睨みつけてきた。どうやら一睡もしていないようで、疲れた色をにじませたその眼の下は黒く隈が浮かびあがっている。
「出ていかなかったのか。」
未だにこの塔に残っている...愚者の塔・9~The Beast.~
sunny_m
時は流れる。
国が滅び新たな治世が始まりそして又滅び。人々が愚かな歴史を繰り返す中、森のはずれに、ずっと変わらずそびえたつ英知の塔があった。その塔はかつて賢者たちが暮らしていた塔。書物が沢山詰め込まれた塔。
そして手が届く届かないにかかわらず、そこに宿る英知はあまりにも難しく、読み解くにあまり...愚者の塔・14~The Beast.~
sunny_m
その日は久しぶりにこの塔へ客がやってきた。
客がやってきた。と言っても塔の中に招き入れて、もてなしたわけではなかった。この王国の支配者の使いの者が塔の扉の前に立ち用件を言い、獣は二階のテラスに出てそれを聞くだけだった。人との、とりわけ有知識層との接触は出来る限り避けたかった。力を持つ人が獣に近づ...愚者の塔・5~The Beast.~
sunny_m
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