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 ひび割れた音のスピーカーから出発のアナウンスが聞こえてきた。古い重厚なレンガ造りの大きな駅舎。朝の通勤通学のピークが過ぎた時刻。人ごみは幾分和らいでいたが、それでも大きな街のターミナル駅ではいろんな人が行き交っていた。紳士淑女、金持ちの老人に物乞いの子供。各種多様な人々が入り混じり、進んでいく。
ざわざわと人々が行き交う中、駅構内の中央に置かれた時刻表が貼られた巨大な掲示板の前に青年が一人佇んでいた。20代前半くらいの、痩せぎすで、おしゃれというよりも不精で伸びた前髪の奥から見える鋭い目つきが印象的な、青年だった。
 薄汚れたコートを羽織り、古びた鞄を足元に置き、青年はじっと時刻表とその上に描かれている路線図を眺めて。しばし考えるような素振りを見せてから、何かを決めた様子で小さく頷いた。ひょい、と足元の鞄を持ち上げて切符販売の窓口へ向かい、遠くの地名を口にした。
「A―まで、大人1枚」
「―リルになります」
ガラス越しに告げられた安くはない金額に、青年はごそごそとポケットをさぐりしわくちゃの紙幣を数枚取り出した。愛想程度にしわを伸ばした紙幣を丁寧な手つきで受け取り、窓口の女性はおつりの硬貨とともに切符を差し出してきた。
「良い旅を」
お決まりの台詞とともに差し出された切符を受け取り、硬貨はズボンのポケットに落とし、青年は窓口をあとにした。
 中央の壁にはめ込まれた、巨大なステンドグラスから差し込む色とりどりの光が寝不足の目に痛い。顔をしかめながら、鮮やかに描かれたこの国の宗教の偶像を見上げる。かすかに目を伏せて微笑む偶像は、すべてを慈しむようにも、見ようによっては何かを諦めてしまっているものの笑顔にも、見える。
 一体、神と奉られているものが何を諦めねばならないというのか。そもそも旅人ごときが神様をどうこう言うなんて不遜にも程がある。
 そんなことを思い、一人苦笑して青年は歩を進めた。
 改札を抜けて大きなドーム状の屋根に覆われたプラットホームへ進む。高い天井に駅の構内よりもさらにざわめきは響き、耳に煩い。別れの挨拶、物売りの甲高い声、嬌声のまざったおしゃべり、出発の時を告げるベル。すべてが入り混じり不協和音を奏でている。どちらかといえば静寂を好む青年はかすかに顔をしかめ、早足で騒音の中を通り抜けた。一緒に騒音の一部になってしまえばうるさく感じることもないのだろう。が、生憎とおしゃべりをする相手も、別れを告げる相手も、どれもこれもいないのだ。
 目的の列車にたどり着き、一服タバコを吸いたい心持ちではあったけれど出発時刻が差し迫っていたのでそのまま乗車してしまう。飴色に磨かれた木製の車内に木製に革張りの二人がけの椅子が向かい合わせに並んでいる。
 出発間際の列車の中は案外混んでいてなかなか空いている席が見つからない。誰かと相席になるしかないだろうか。そう両側に椅子が並ぶ狭い通路を抜けながら、前の方の左手側にぽつりと空いているように見えた席に向かった。
 と、空いていると思っていた席には既に先客がいた。長い青灰の髪を二つに結い上げたのが印象的な少女。傍らにはきちんとたたまれた灰色のコートに小さな鞄が置かれていた。どちらも質の良いものだとなんとなくわかる。
 二人がけの椅子の窓際に腰掛けてぼんやりと外の景色を眺めていた少女だったが、青年の気配にふと顔をこちらに向けた。髪の色よりも濃い色の、どこか猫を思わせる大きな瞳が青年を見上げてくる。
「ここ、いいか」
そう言って少女の座っている席の向かいを指すと、どうぞ、と少女は小さく頷いた。
 コートを脱いで、少女と斜向かいになるよう通路側に青年は腰を下ろした。脱いだコートを無造作に脇に置き、荷物をその上に適当に置く。一息ついたらなんだかお腹がすいていることに気がついた。パンか何かを買っておけばよかった、と青年が少し後悔していると、ちょうど良いタイミングで物売りの声が窓の外から響いてきた。
「失礼」
そう一声、目の前の少女に声をかけて身を乗り出し、窓枠に手をかける。がたん、と少し引っかかりを感じながら窓を上へ押し上げて、窓の外へ顔を出した。案の定、出発前の乗客に何かしらを買ってもらおうと物売りの少年がホームを行き来していた。青年は、おうい、と物売りの少年に声をかけた。
「サンドイッチとコーヒーをくれないか」
「合わせて75リル」
首から吊り下げた木箱の中から紙にくるんだサンドイッチとコーヒーを出しながら物売りの子供がぶっきらぼうに言う。その言葉にズボンを探り、硬貨を取り出した。5リル硬貨に10リル硬貨が2枚。あと50リル足りない。鞄を探れば紙幣が出てくることは分かっていたけれど、そこまでするのも面倒だ。
 やっぱりやめる、と青年が物売りの少年に言いかけた瞬間。脇から白い手が伸びた。
「それと、コーヒーをもう一つ」
幼さの残る甘い声でそう言いながら、きれいにたたまれた紙幣を子供に差し出したのは相席の少女だった。
 少女からお金を受け取り、注文通りのコーヒー二つにサンドイッチを一つ、物売りの子供は窓枠においた。前掛けの大きなポケットからお釣りの硬貨を取り出して、ちりんちりん、と音を立てて少女の伸ばした手に落とし込む。そのうちに、列車が発車する合図の鐘が鳴り響いた。
「どうぞ」
ゆっくりと動き始めた列車の中。開け放った窓をがたがたと閉めた青年に、少女はそう言ってコーヒーとサンドイッチの包みを差し出した。見ず知らずの人から奢られる謂れはなかったがそれを断る理由も見つからない。
「ありがとう」
素直にそれらを受け取ると、少女はひとつ微笑んだ。綺麗な顔立ちの少女だが笑うと人懐こさが感じられる。口調も落ち着いてはいたが声はまだ甘かった。思っているよりもまだ幼いのかもしれない。そんなことを考えながら青年は暖かなコーヒーに口をつけた。
 かたん、かたん、と規則正しい音を奏でながら列車が進んでいく。この長方形の箱の中にいると体感することはできないが、かなりのスピードで進んでいることが前から後ろへと流れていく景色の様子で分かる。
 列車が進むごとに石造りの背の高い建物たちは去っていき視界が開けていく。街の中心部を抜けると、少しずつ建物や家屋が減り、冬の柔らかな日差しに照らされた黄金色の草地やら常緑樹の林やらが窓の外に見え始めてくる。冬の厳しい寒さに耐え、春の芽吹きに向けて静かに力を蓄えているような、そんな景色。
 過ごした街から離れ、次の街へと渡る、この瞬間は少し寂しくて悲しい。普通の生活の営みから外れてしまったような、そんな不安がのしかかってくるのだ。しかし次の瞬間には、元々普通の生活など持ち合わせていなかったのだと気がつき自嘲するのだが。
「切符を拝見いたします」
青年の物思いを破るように、後ろの車両の扉が開き、紺色の制服を着た車掌が検札に回ってきた。いけないコートのポケットに切符を突っ込んだままだった。青年が慌ててぐしゃぐしゃのコートから切符を引っ張り出している傍らで、少女は涼しい顔で鞄の中から切符を取り出し車掌に差し出した。
「A―まで、ですね」
確認するように言いながら車掌はすぐには切符を返さずじろじろと少女のことを見つめた。
 こんな時間に一人で列車に乗っているのは一体どういうわけか。もしや家出ではないだろうか。そう車掌の訝しげな眼差しが物語っているのを感じたのか、後ろ暗いところが少女にもあるのか、少女はいたたまれない様子で俯いている。
 これも何かの縁だろう。青年は口を開いた。
「その子は、俺の連れだ」
え、と驚くような眼差しが二つ、ほぼ同時にこちらに向いてきた。少女のものと車掌のものだ。何を言いだしたのかこの人は、と訝しんで相手が何かを言い出すよりも先に、青年は畳み掛けるように言葉を紡いだ。
「そいつは俺の姪だ。今日はこいつの一番上の姉の結婚式で、それに出席するために学校を休んでいるんだ。こいつがいくらしっかりしてるからといって、子供一人で列車に乗っていたら家でと勘違いされちまうからな。俺が迎えに来たのさ」
思いついた言葉を適当につなげて朗々と言い切り、ほら、と自分の切符を差し出す。少女の目的地と同じ地名が書かれた切符に、車掌はまだ少し疑わしい視線を向けながらも切符を返してきた。
「A―への途中、中央停車場で30分間停車いたしますので、ご了承ください」
そう言って車掌が向こうへ行くのを見送り、青年がふうとひとつ息を吐き出すと、斜め向かいで少女もまた安堵した様子でため息をついていた。
「あの、ありがとう」
ほっと胸をなでおろしながらそう言った少女に、青年はコーヒーの礼だ、と返事をした。
「それで、A―にはなんの用事で行くんだ?」
好奇心に駆られてそう尋ねると、少女は一瞬はにかむような笑みを浮かべて言った。
「どうしても会いたい人がいて。」
「恋人か」
「ううん違う、けど、大切な友達」
大切な友達、と少女は慈しむように言った。その相手を本当に大切に思っているのだろう。と思い、そんな風に思える相手がいることに少し羨ましく感じた。
 大切な人だと思い出す奴など、自分にはいないから。
 旅をするのに荷物は軽いほうがいい。物理的にも精神的にも。何ものに縛られない、ということは自由だ。自由、ということは孤独だ。わかりきっていることだ。自分で納得していることだ。けれど、時折こういう風に無邪気に誰かを思い慕う姿を見ると、羨ましく感じてしまうのだ。
 どちらにしろ、どうあがいても自分には縁のないものだけれども。心の中でそう呟き、青年がコーヒーを飲んでいると、先ほどの出来事のせいか少しだけ砕けた様子で少女がこちらを見つめてきた。
「名前を聞いていい?おじさんと姪ならば、お互いの名前くらい知っておかないといけないから」
元来は人懐こい性格なのかもしれない。子猫を思わせる無邪気さをたたえた少女の眼差しに、知らず笑みをこぼし、青年は、サハラ、と名乗った。
「サハラ。君は?」
「私は、ハツネ」
ハツネと名乗った少女はそう言って、薄く笑んだ。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

蒼の街・1 ~Blue savant syndrome~

お久しぶりの投稿です。

前から書きたいなぁと思ってた二次創作です。
ホント原曲様の作者、好きだな自分。

どうにもスランプ?なのか上手にかけてる自信は全くゼロです。
久々なのも書かなかったんじゃなくて、書けなかったから(笑)

閲覧数:767

投稿日:2012/09/17 17:25:39

文字数:4,161文字

カテゴリ:小説

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