「またお兄さんの夢、見ていたの?」
 食堂にて食事の乗ったトレイを受け取った所で、背後から声をかけられた。疑問系ではあったが確信している様子で返事を待つ気配に、俺は答えず適当に空いた席へと腰を下ろす。そんなこちらの態度など一向に構わず向かいへ座った彼女は、自身のトレイに置いた皿から一本のペンネをフォークで突き刺し捲し立てた。
「何でそんなに気にするわけ?別にいいじゃない。血は繋がってないんだし、もういない人なのよ。そこまで引き摺ってる方が異常だわ」
 普通なら、こんなプライベートなことを大声で口にするなぞ何て非常識な奴だと眉を顰める場面だろう。現に俺も彼女と出会ったばかりの頃、こいつとだけは頼まれても仲良くならないなと思っていた。
「MEIKO」
「何?」
「……零してる」
 話すことに夢中で手元がおろそかになったか、彼女の胸元にトマトソースが付着している。薄い灰青色のシャツに、その赤い染みはよく目立った。
 「塔」に所属する者は、皆一律に支給された制服を着ることが義務付けられており、ランク毎に縁取りの色とシャツの襟色が違う。俺と彼女は共に群青色で、彼女曰く俺の髪と瞳がそれと同色なため、着こなしの意味で羨ましいとのことだった。正直制服に着こなしも何もないと思うのだが、おそらく男には分からない美学があるのだろう。
 デザインは全ランク共通となっており生地も同様だ。しかし何故か襟に関してのみ男は立襟、女は丸襟というわずかな違いがあった。仕事の際はこのシャツの上からやはり指定の上着を羽織ることになっているが、塔内でそれを着ている者はほとんどいない。
 また「庭」の生徒にも専用の制服があり、当然の如くランクによる識別が為されている。そして「庭」の生徒も卒園した術士も、年一度の全身検査時における測定値に応じて、新しく寸法を取られたものが隔月で支給されるようになっていた。
 そんなことはともかく、濃い赤銅色の瞳を見開いた彼女は、卓上に置かれていたティッシュを数枚抜き取りつつ、こちらへ恨みがましい視線を寄越した。
「もう……KAITOのせいだからね」
「何でだよ」
「人の話を聞こうとしないから。そういう所、直した方がいいと思うけど?」
「それならもっと聞きたくなるような明るい話題にしてくれ。そしたらいくらでも聞く」
「本当ね?」
 言質を取ったと言わんばかりに破顔一笑した彼女は、汚れを拭き取るのもそこそこに身を乗り出す。その変わり身の早さに俺はどうにか苦笑を抑え込んだ。
「なら聞いてちょうだい。あのね、この前友達と話してたんだけど――……」
 そうして紡がれ出した話題も興味があるものとは言えなかったが、少なくとも不快な気分になることはない。適当に相槌を打っておけば彼女も満足するだろう。そこでようやく食事に手をつけた俺だったが、彼女の第一声を思い出しつい溜息が漏れた。幸い彼女は気付かなかったように見えたものの、案外そんな振りをしているだけなのかもしれない。
 楽しげに身振りを交え話す彼女を眺める。長い睫毛に縁取られたきらきら輝く明るい瞳に、形の良い薄い唇。仄かに上気した頬は健康的で、大人びた雰囲気が漂う整った顔立ちは、屈託なく笑うとにわかに親しみやすさが生まれた。綺麗であることは認めるが、一見するとごく普通の朗らかな女性だ。そして俺もそこまで悟られやすい人間ではなく、むしろ量り辛い類のはずなのだが、彼女の観察眼はなかなかに侮れないようだった。
 それにこのタイミングもある。あらかじめ示し合わせてでもおかない限り、塔内で知り合いと行き会うことなど滅多にない。これが周知の事実。とは言え、勿論例外は存在する。例えば俺の行動パターンを把握しているなら、先回りしておくことだって可能だろう。俺は彼女の行動予測を未だ立てれた覚えがないというのに、彼女はすっかり読み切っているらしかった。我ながら何て単純な生活を送っているんだろうと、ほとほと呆れてしまう。
 そんな千里眼の彼女には悪いが、俺の意識は彼女の友人の友人が目撃したという「庭」の生徒と教諭の禁じられた恋物語から、次第に内へと沈んでいった。疼きにも似た余韻と共に、後味悪く居座り続ける無作法な存在。夢を見た日は終日あの男のことが頭から離れない。
「……兄さん、か」
 兄は特別な人間だった。それは今でも語り種になっており、弟である俺はいつもその話を他人から我が事のように聞かされては、片身が狭い思いをしていたものだ。
 兄が「塔」に入ったのは九歳の頃。そして「庭」で学び始めた当初から、兄はその才覚を如何なく発揮した。成績は常にトップで、当然ながらランクは甲。また複雑な術式も難なくこなし、果てにはオリジナルの術を編み出すまでに到ったという。
 やがて兄は外での仕事を「庭」に所属している内から行うようになる。これが十三歳の時だった。まだ養成期間中という一応の配慮もあってか、直接仕事に加わることはなかったらしいが、兄ならそこらの術士たちより数倍うまく立ち回ったに違いない。
 それから一年ほど経ったある日のこと。仕事で向かったとある村落にて、兄は泣き喚く力さえ失くした生後間もない俺を見つけた。周囲には縁者と思しき者はおろか、人自体が存在しない有様だったようだ。何しろ兄たちが異様な魔力の波動を感知し駆けつけた際、すでに村は見るも無惨に蹂躙され尽くした後だったと聞く。足手まといにしかならない赤子など放置して逃げるのが普通で、誰もそれを咎めることは出来ないだろう。
 こうしてまだ目も開かぬ時分より天涯孤独となった俺は塔へと連れ帰られ、数年の後、兄と共に塔での生活を止め外で暮らし始めた。身寄りのない子供を孤児院区域で育てることは「塔」の規則で定められている。いわば義務であり、何ら気を遣う必要はない中での兄の決断に、奇異の視線が注がれた様が目に浮かぶ。わざわざ兄が俺を連れ出した訳について、おそらく誰一人明確な答えを導き出せないはずだ。
 何はともあれ外での生活を始めた俺たちだったが、そこで由々しき問題が持ち上がった。兄には「塔」から定期的に食料や日用品が支給される。しかしこれはあくまで「塔」に所属する兄だけであり、俺に一切の補助はなかった。それは当然のことだと当事者である俺ですら頷ける。もし近親者にまで援助をするなどということになったら、極端な話、術士が外で囲った愛人と同棲し出したなんて場合にも責任を持つ羽目になってしまうのだ。
 このままでは直立ち行かなくなると初めから分かっていたのだろう。ようやく一人で歩けるようになった段階の俺を育てるために、兄は「庭」で学び、時には「塔」から命じられた任務をこなしつつ、空いた時間に別の仕事を取り始めた。それは塔を囲む形で造られた街、そこに住む人々の依頼を受けるというもので、家屋の修繕や、汚染水を浄化し飲料水に変えたりなど、まるで丁ランクの術士が請け負うようなことを率先して行っていた。
 甲ランクの兄にしてみれば何てことない依頼の数々だったろう。しかしどんな弱い魔術といえど、使えば無論魔力を消費するし、体力だって奪われる。「庭」や「塔」での“日常”を勤めながら時間外労働をするようなもので、普通の人間であればあまりの過労に倒れてもおかしくない。
 けれど兄は無理した様子もなく楽々と捌いてみせたという。思い返してみれば、家に帰って来た兄が疲れた様子を見せたことは一度もない。あまり話したり笑ったりする方ではなかったが、それでも時々一緒に遊んだりもしてくれた。今考えると、兄は化け物なんじゃないかと本気で疑う所業だ。
「ねぇ、KAITO」
 いつになく真剣に思いに耽っていたら、不意に名を呼ばれ、俺は若干挙動不審に背筋を張った。機械的に食事は続けていたものの、話は全く耳に入っていなかった。それもこれも皆あの夢、引いては人間離れした兄のせいだ。もし今ふらりと幽鬼の如く蘇り目の前に現れたなら、一発どころか十発は殴っておかないと気が済まない。
「何だ?」
 内心どぎまぎしつつも表情を取り繕い訊ねる。そんな俺を真っ直ぐ見据えていた彼女は、やはり違和感を感じたらしく、疑いを込めたじとっとした視線を向けてきた。
「何慌ててるのよ。もしかしてまた人の話聞いてなかった?」
「聞いてたよ。それで何だ?」
 ここで誤魔化しきれなければ、今までの倍以上の小言を食らうことになる。必死に見えぬよう細心の注意を払い、俺は普段通り振舞い続けた。
 それが功を奏した――と思いたい。彼女は軽く息を吐いた後、俺への審議を取り止め語調を和らげた。
「……まあ、それならいいんだけど。で、今日の予定は?」
 どうにか乗り切れただろうか。いやまだ油断は出来ないと気を引き締め、逆に口元は心持ち緩めて次に来る言葉を受け入れる態勢を整える。
「昼からは特にないな。トレーニング室にでも行こうかと思ってたくらいで」
「私もなの。緊急の出動要請がない限り今日と明日は暇。ねぇ、だったら夜にちょっと外へ行かない?久し振りに買い物でもしたいかなって思ってたの」
「それはいいけど、何で夜に?」
 そういう誘いが来ることは予想がついていた。しかし、何故昼間にしないのだろう。わざわざ暗くなってから出かける意味がまるで分からなかった。
 こんな俺の反応など彼女はとっくに見越していたようだ。テーブルについた両肘、その組んだ指の上へ顎を乗せつつ小首を傾げ、わざとらしい上目遣いでこちらを見つめる様は、裏が透けていても目が離せなくなる。気のせいか声も艶っぽく仄かに甘い。
「たまにはぴったり寄り添って歩くのもいいじゃない。だって私たち――恋人同士、なんだから」
「……そうだったな。忘れてた」
 勿論そんなのは出任せだ。そこまで俺はもうろくしていない。それでも改めて口に出されるとむず痒く、つい子供みたいな浅い憎まれ口を叩いてしまう。そうして彼女の探るような強い眼差しに思わず顔を逸らすと、勝ち誇った如き満面の笑みが視界の端に映った。これ以上屈辱的なこともそうそうないだろう。なのに何故だか悪い気はしない。そこがまたどうにも悔しくて堪らない。
「じゃあ、そういうわけだから。十八時にエントランスで待ち合わせましょ。遅れないでね」
「ああ。でもその前にちゃんと服は替えとけよ」
「言われなくても分かってるわよ。あんたじゃないんだから」
 いつ俺が食べ零しをつけたままの服で外出したというのか。妙な妄言をまことしやかに語るのは勘弁してもらいたい。
「楽しみね」
 だがそれに対し物申す前に弾んだ声音でそんなことを言われては、喉元まで出かかった反論も引っ込んでしまう。これももしかしたら彼女の作戦なのだろうか。小悪魔というのは彼女のような女性のことを指すのかもしれない。
「……そうだな」
 俺は彼女には勝てない。それはこれまでの経験則で明らかだった。出会った時から俺は彼女に負けっぱなしだ。そしてそれで構わないと思っている。俺が負け続けることで彼女が笑顔になるのなら。
 そして――
「どうしたの?」
「何でもない」
 こんな当たり障りない会話をずっと続けることが叶うなら。
 ――本望だと胸を張ってみせる覚悟は、とうに出来ていた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

夢の痕~siciliano 3

前回の投稿から早半年…お久し振りでございます。
モチベーションが徐々に復活してきましたので、またこっそりゆっくり投稿していきたいと思います。

今回は、ようやくKAITO以外の人が出てきます。
勿論会話文もあります。
ようやく多少は小説らしくなったでしょうか…。
まだまだ地の文が多いのですが、前回と比べれば読み易さは雲泥の差だと思います。

次回はいつになるか分かりませんが、このモチベーションが維持出来ている内に完結できるよう頑張ります!

閲覧数:139

投稿日:2012/09/07 04:16:02

文字数:4,614文字

カテゴリ:小説

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  • sunny_m

    sunny_m

    ご意見・ご感想

    こんにちは!遅ればせながら読ませていただきました!!
    前回同様、緻密な設定を元に書かれているのが伝わってきます!
    描写も細やかですごいです。
    すごくメイコさんが可愛い。食べこぼしを指摘されるメイコさん、可愛い(大事なことなので二回言った←)
    そして恋人同士のカイメイ美味しいです!!
    カイトの兄さんについても書かれていて、どきどきします。
    カイトの兄さんに起こった出来事とか、カイトさんがこれからどう進むのか、とか。
    すごく気になります!!!

    どんな風に話が進むか楽しみにしていますね。
    それでは!!

    2012/09/17 16:14:10

    • Lilium

      Lilium

      こんばんは。ご無沙汰しております><
      半年以上も空けてしまい、今更更新しても御覧下さる方はいないだろうな…と少し寂しく感じながらの投稿でした。
      自業自得ですけれど^^;
      なので、コメントを頂いたのを知った時、まず我が目を疑ってしまいました。すみません…。
      コメント、本当にありがとうございます!


      緻密な設定というよりも、行き当たりばったりの設定が増えすぎて収拾がつかなくなっていますw
      辻褄合わせをするのは楽しいのですが、細かい所で矛盾がないかどうか、見直しする度に不安になります><;


      自分の中のMEIKO像はこんな感じだったので、可愛いと言って頂けて一安心ですw
      あまり恋人っぽくない二人ですが、どうかしばらくお付き合い下さいませm(_)m
      KAITOの兄は、まだもう少し謎の人扱いが続きます。
      できるだけ早く物語の核をお見せできるように頑張ります!

      2012/09/23 03:23:56

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