12.歌うメルター
音をたてないようにと、ゆっくりとドアが開かれ、音楽で満たされている部屋に
男性が入って来た。その男性はどこか気品ある雰囲気をかもし出している。
男性は部屋の中央で演奏している少年とその演奏に合わせて歌っている少女を確認すると
静かに息を吸い、なるべく音をたてないように注意しながら、
壁沿いに部屋の隅に置かれているソファーを目指して歩きだした。
部屋の中央にいる二人は、この男性に気付くことなく、二人だけのステージを続けている。
男性は過剰ともいえる程慎重に音をたてないように進んでいる。
息を吐く音もたてないようにと、息を止めたまま――。
目的地の付近に着いて、男性は目的のソファーに先に座っている老人に気付いた。
それと同時に既にソファーに座っていたトラボルタも男性の存在に気付いた。
男性の方から会釈をしてみせた。トラボルタもそれにお返しするように会釈をする。
その間も二人の間に音声でのやり取りはない。
男性は、右の手のひらを見せるように老人の方に突き出した。
正確には老人の少し横、ソファーの空いている場所を指している。
トラボルタはすぐさま男性の意思を汲み取り、少しずれるように座り直し、
ソファーにもう一人がゆうに座れるだけのスペースを作りだした。
それを受け取り、男性は紳士的な態度でお辞儀をすると、
ソファーに新しくできた空白スペースに腰を下ろした。
「どうも、あなたがトラボルタ様ですね?」
男性は部屋に入ってから初めて声を発した。
どうやら比較的大きな部屋であるので、ここまで来れば小声でなら話しても
中央の二人の音楽の邪魔にはならないだろうと考えたようだ。
突然名を呼ばれた老人は少し驚いたが、「そうだ」と男性に答えた。
「やはり! 数々の偉業、私も伝え聞いております。
なんでもクリプトンの創設に関わった人物の一人で、数々の発明を産み出してきたと――」
男性は少し興奮した様子で、声のボリュームが若干大きくなった。
自身の声の大きさに気付き、男性は途中で会話を止め、部屋の中央を見た。
相変わらず二人だけのコンサートは続いている。
それを確認して、男性はとりあえずほっと安心して肩をなで下ろす。
「すいません…… 年甲斐もなく興奮してしまい……」
先程差し出した手で、自分の頭をなでて照れてみせる男性からは
さっきまでの気品が薄らいだような印象を受ける。
「失礼ですが、あなたは?」
トラボルタは、突然部屋に入って来た正体不明の男性に尋ねた。
「ははは、すいません。自己紹介がまだでしたね。
私は皆からセル卿などと呼ばれている、しがない小市民です」
男性は、自慢とも謙遜ともとれる独特な感性の自己紹介を済ませた。
「ほ? セル卿? という事は、ここの主? 彼の親御さんですか?」
部屋の中央でピアノを演奏し続けている少年を見ながら、トラボルタは聞き返した。
「まあ……そんなとこですかね。あの子とはもうお話になりましたか?」
明るい口調ではあるももの、なにやら歯切れの悪い返答をしたセル卿に、
トラボルタは多少の違和感を覚えたが、話題はすでに次へと移っていた。
「隣で歌っているあの子は一体……?」
部屋の中央で歌っている少女に目を奪われた男性は、
かねてよりの疑問をトラボルタ氏にぶつけてみた。
「あの子が今回あなたの息子さんを護衛することになっている者です。
いかんせん初仕事ですが、私もついているのでご安心ください」
先程の言葉で少しいい気になっているトラボルタは、
別に言わなくてもいい情報までペラペラと饒舌に語り出す。
「ということは、あの子はメルターですか……。いや、しかし……この歌は?」
彼が疑問に思うのは、当然の事であった。
それは一般的な常識ではおよそ考えられない光景であったからだ。
トラボルタは男性の疑問に即決した。
「あの子は正真正銘メルターです。しかし……あの子は少し特別なようじゃ……」
「特別……ですか……?」
特別という言葉に、なぜかセル卿は妙に心惹かれているようだ。
少し薄暗い小さな部屋には、たくさんの紙が散乱し、用途のよくわからない器具などが、
ところせましと置かれてある。
その部屋の奥の隅で小さな灯りを焚き、書物を読みふける一人の男性の姿がある。
それは、現在から遡ることわずか。
シンデレラが少女を連れて訪ねてきて、数か月が経った頃のトラボルタの姿である。
「おわっ!?」
それまで書物に集中していた意識をふと現世に戻すと、
自分のすぐ目の前に碧い瞳の少女が立っていた事に気付き、彼は思わず声をあげてしまった。
こちらが突然声をあげた事に対する、少女の反応は見受けられない。
「ど、どうしたんじゃ? こんなところに?」
少し怯えるように老人は少女に尋ねた。
しかし、少女は口を閉ざしたまま、その場に立ち、老人の方をじっと見ている。
トラボルタは音をたてながら椅子を後ろにひき、すっと立ち上がった。
そして、後ろを振り返るやいなや、すかざず大きな声で叫んだ。
「おーい、シンデレラぁー。シンデレラー」
その声は小さな家中に響き渡り、程なくして部屋に
ドンドン、カチャカチャという音が近づいてきた。
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