5.
 ひたいになにかが当たっている。
 柔らかくて……あたたかい。
 それはほんの少し――せいぜい二、三秒――の時間のことで、すぐにひたいから離れていってしまう。
 それにどこか名残惜しさを感じながら……目を覚ます。
「ん……」
 まぶたをこすり、芝生から身を起こす。
 この前、彼女が激突していた丘の下にある大木の木陰だ。
「あ、おお起きた? 起きました?」
 すぐそこには、見慣れたツインテールの少女の姿。なぜだかわからないが、彼女は妙にどもっているし、顔も赤い。
「? どうしたんだ?」
「いいいやいやなんでもないよ! ですよ!」
 ……あやしい。
 そんなわかりやすく動揺するやつがどこにいるんだよ。なんか語尾も変だし。
「お前、なんかしたのか?」
 自分のひたいをさすりながら尋ねる。
「な……にも? してないですよ?」
「ウソつけ」
 さっきよりも顔を赤くしといて、なに言ってんだ。
「……変なラクガキしたんじゃないだろうな。帰る前に川に寄って見てみないと」
「そんなことしないってば! そうじゃなくて、その……」
 彼女は言いかけて、顔を赤くしたまま言い淀んでしまう。
 なんなんだよ、いったい。
「……」
「……」
 急な沈黙に、僕は気まずくなって視線をそらす。
 視線の先は曇り空。今日はこの前と違って遠くもよく見えない。でも、空の陰り具合からすると、もう夕方だろう。
「……帰るか」
「うーん。そうですね」
 なんだかよくわからないが、彼女の声音は不満そうだ。
 僕は立ち上がって伸びをする。
 その隣で、彼女は渋々立ち上がると、背後遠くにそびえる白磁の聖都に視線をやる。
 あっちは雨でも降っているのか、白いもやに包まれて白磁の城郭の輪郭はぼやけていた。
「もう少し……」
 僕の裾をつかんで、どこか弱々しく僕を引き留める。
「……?」
「もうすぐ、なにか見えるだろうと。そんな風に思えたんです」
「うん?」
「私は……あたしは、ずっと“こっち側”に来ることを望んでました。けれど、なにも確信がなくて、その度胸もなくて……ずっと後回しにしてました」
「なんの話だい?」
「……」
 僕には彼女の言おうとしていることがさっぱり理解できなかった。
 聖都を見ていたはずの彼女は、いまはもううつむいて僕の視線すら避けているみたいだ。……けれど、それでもこれから告げることは、とても大事なことだと言わんばかりの雰囲気だった。
「あの絵を見て、やっと仲間がいるって思ったんですよ。確かにヘタクソだなんて言いましたけど、でも、本当は仲間がいるって知って嬉しかったんです」
「ふぅん」
 あの絵?
 ヘタクソ?
 仲間?
 わからないことだらけだったが、なぜか話をさえぎってまで追及するのははばかられた。
「そして……やっとこっちに来る決心がつきました。だから、悲しまなくていいんです」
「え?」
 ……悲しむ?
「あたしは、ずっと苦しかったんです――ずっと、苦しかったんだ。息を止めたら、こっちに来られるような気はしてた。でも、その確信がどうしても得られなかった。トーゼンだよね。自分の見てる夢は本当に単なる夢かもしれない。本当のことかどうかもわかんないのに、そんな勇気なんか出ないよ。普通なら……息を止めるなんて、ただの終わりなんだからさ。でも、あの絵が、“こっち側”の世界が夢なんかじゃなくて実際に存在する場所なんだって教えてくれたんだ。じゃなきゃ……あたしの知ってる光景を、君も知ってるハズないもんね」
「一体、なにを……」
 僕の困惑した声に、彼女はやっと顔を上げる。普段の少女には似つかわしくない、物憂げな表情をしていた。
「だから、あたしのことは心配しないで」
「……いやだから」
「君にはわからないかもしれない。けど、あいつにはたぶん伝わるから。だから大丈夫。気にしないで」
「?」
 そう言うと彼女は、ふぅ、と息を吐いて気恥ずかしそうに「あはは」と笑った。
 彼女にとっては、どうやら意を決しての言葉だったらしい。
 僕にはよくわからなかったけれど。


 ◇◇◇◇


 悪寒と共に飛び起きる。
 全身が汗でじっとりと濡れていた。
「……ウソだろ」
 “やっとこっちに来る決心がつきました”
 “だから、悲しまなくていいんです”
 そんな、夢の中での少女の言葉が頭の中で反響する。
 まさか、と思った。
 そんなハズない、とも。
 だけれど、同時にあり得るとも思った。美紅ならやりかねない、とも。
 ベッド脇の目覚まし時計が指しているのは、真夜中の十二時半過ぎ。
 朝までなんて待っていられない。
 僕は部屋着を脱ぎ捨てて制服を手に取り……一瞬だけ躊躇する。
 ――コレを着る意味なんて、もうないんじゃないのか?
 だって、僕は――。
「ええい」
 そんなことで悩んでなんになるっていうんだ。
 悩んでいる時間の方が惜しい。
 僕はズボンを履いてシャツを着て、上着を羽織ると、なにも持たずにバタバタと家を出る。寝ているであろう両親のことなんかどうでもいい。
 どこへいけばいいかはっきりしてる訳じゃない。が……僕と美紅の接点なんて、学校くらいしかない。
 電車も動いていない時間だからって待つつもりもない。
 靴を履くのすらもどかしく感じながら、僕はあわただしく家から飛び出した。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
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ローリンガール 5 ※二次創作

5
なんというか、自分は会話に抽象的な表現やうまい比喩を入れるのが苦手なんだな、と感じています。

今回、歌詞をストーリー内に盛り込む上で、
そういった表現を会話に盛り込めないかと試行錯誤していたりします。

閲覧数:105

投稿日:2021/08/31 19:00:02

文字数:2,205文字

カテゴリ:小説

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