姉貴との冷戦は、結局次の日にはなし崩しに無かったことになった。……いや、仕方がないよ。同じ屋根の下に住んでいるんだから、そうそういつまでも険悪ではいられない。色々と不都合も多いし。
 とはいえ、あれ以来、二人の間で巡音さんの話題が出たことはない。要するに、お互いまた険悪になるのが嫌だから、意図的に持ち出さないようにしているってことだ。だから普段どおりに戻ったといっても、なんとなく不穏というか、張り詰めた空気はあったりする。
 そうこうするうちに時間が過ぎて、中間テストがやってきた。姉貴と突っ込んだ話をしたくない、という理由で部屋にこもって勉強していたため、今回のテストはいつもよりも出来がいいぐらいだった。ちょっと複雑だ。
「中間テストも終わったことだし、俺、今度の日曜は出かけるから」
 テスト最終日の晩飯の席で、俺は姉貴にそう言った。さすがに出かけるとなると、一応報告しておく必要がある。
「出かける? どこへ?」
 当然、姉貴はそう訊いてきた。
「クオと遊びに行ってくる」
 ……嘘は言ってないぞ。クオと遊びに行くのは本当だ。それに初音さんと巡音さんも一緒ってだけで。
「気をつけて行きなさいよ。それと、日が落ちるのが早くなってきているから、あんまり遅くならないようにね」
 出かける時は大体いつもこんなことを言われる。多分、姉貴が今の俺ぐらいの年齢の頃に言われていたんだろうけど……俺は女の子じゃないってば。
「……あ、そうだわ」
「何だよ」
「その日は私も出かける用事があって、遅くなるかもしれないのよ。レン、夕食は一人で適当に食べてくれない?」
 飲み会でも入ったのかな。たまにこういうことがある。姉貴も社会人だからつきあいとか、色々あるんだろう。
「わかった。それじゃ、日曜はそういうことで」
 そんなわけで、俺は姉貴に本当のことは言わなかった。いいんだよ、嘘はついてないから。全部話さなかったってだけで。


 日曜日。俺は支度をして、クオの家に出かけた。何度見てもでかいな、この家。インターホンを押すと、しばらくして、クオが出てきた。
「よう、悪いな」
「別にいいよ」
「巡音さんがまだ来てないんだ。中でちょっと待っててくれ」
 この前とは違う部屋に連れて行かれる。置いてある家具からすると、ここが居間らしい。この部屋には初音さんもいた。
「鏡音君、こんにちは」
「こんにちは」
 そういや初音さんとまともに喋ったことって、ほとんど無かったな。同じクラスではあるんだけど。
 とりあえずソファに座って待つ。そんなにしないうちに、またインターホンが鳴った。初音さんが立ち上がって誰が来たのか確認すると、そのまま出て行く。どうやら巡音さんが来たようだ。
 しばらくすると、初音さんが巡音さんを連れて戻って来た。今日はスカートじゃなくてズボンなのか。まあ遊園地だしな。巡音さんがこっちを見て、驚いた表情になる。ん? どうかしたんだろうか。
「じゃ、そろったことだし、出かけましょ」
 初音さんの言葉を聞いた巡音さんは、初音さんの袖を引っ張った。
「何? リンちゃん」
「あの……」
「四人で行くって、言ってなかったっけ?」
 ちょっと待て。なんか妙な方向に話が行ってないか? 巡音さんの困惑した表情を見る限り、俺とクオが一緒ということは聞いてないようだ。
「人数多い方がああいうところは楽しいのよ。さ、行きましょ」
 そんなことを言いながら、初音さんは巡音さんを引っ張って出て行った。……初音さんという人が、わからなくなってきた。
「なあ、クオ」
「なんだよ」
「お前……初音さんと一緒に絶叫マシン乗りたいんだよな?」
 一応確認。
「……そうだよ、文句あるか」
「ないけど、疲れそうだなと思って」
「うるせえ。それより行くぞ。出発が遅れると、ミクに怒られるからな」
 クオのこともわからなくなってきた。……まあいいや。人の趣味にあれこれ口を出すのは止めておこう。


 初音さんのところの車に乗っけてもらって、俺たちは遊園地に向かった。便利だな、こういうのって。クオには悪いが。
 巡音さんはまだ混乱しているのか、車内ではほとんど喋らなかった。俺とクオ、一緒で大丈夫だったんだろうか……。というか、初音さんの意図はどこにあるんだろう。やっぱり、クオのことはただの従弟としか思ってないのか?
 とかなんとか考えていると、遊園地に着いた。一日フリーパスを買って、中に入る。
「中間も終わったことだし、今日は思いっきり楽しむわよ! まずはやっぱり、あれに乗らないとね」
 元気よくそう言って、初音さんはジェットコースターを指差した。……本当に好きなんだな、絶叫マシン。
「遊園地の華って言ったら、やっぱあれだよな」
 初音さんの隣で、クオがうんうんと頷いている。どうやら、クオの言ったことは事実だったようだ。映画の趣味は違っても、こっちの趣味は一緒らしい。
「ミ、ミクちゃん。あれに乗るの……?」
 あれ? 巡音さんが、こわごわとそんな声をかけている。
「うん」
 初音さんがこれまた元気よく頷いている。一方、巡音さんは引きつっている。……もしかして、絶叫マシン苦手なのか?
「わたし、あの手のはちょっと……怖くって……」
「えーっ、折角来たんだし、乗りましょうよ」
 おどおどとそういう巡音さんに、初音さんが無茶な注文をしている。……おいおい。それはないだろ、さすがに。
「ごめんなさい、ミクちゃん。わたし、コースターは無理……」
「うーん、でも……」
 初音さんが残念げにコースターを見やっている。クオはちらっとこっちを見た。えーと、クオに協力してやるって決めたんだよな。
「じゃ、初音さんはクオとあれに乗って来たら? 俺と巡音さんはここで待ってるよ」
 巡音さんが驚いた表情でこっちを見た。一方で、クオが俺の言葉を後押しする。
「なんなら、しばらく別行動にしねえ? 折角だし、俺は色々と絶叫系乗りたい」
 初音さんと一緒に、だろ。
「俺はいいよ。初音さんは?」
「リンちゃんさえよければ、わたしもそれでいいわ」
 あれ……意外なことに、初音さんはあっさり承諾した。そんなに絶叫系乗りたいのか? それとも、俺の推測は外れていたんだろうか。
「え……ええ」
 そんなことを考えている傍で、巡音さんが頷いている。まあとにかく、そういうことで、ここから先は二手に分かれて行動することになった。
「じゃ、決まりっ!」
「そんじゃ、俺とミクは絶叫マシン連続記録作ってくる」
 初音さんとクオは、嬉々としてジェットコースター乗り場へと向かって行った。俺と巡音さんが残される。
「あの……いいの?」
 巡音さんが、おずおずと訊いてきた。
「何が?」
「コースター乗らなくて」
 だって、クオと約束……はしてないけど、協力することになってんだよ。
「俺は別にいいよ。クオの邪魔はしたくないし」
 とりあえず今日のところは初音さんと楽しんできてもらおう。本当に楽しいのかどうかはよくわからないけど。
「それより巡音さん、何に乗りたい?」
「えーっと……」
 巡音さんは遊園地内を見回した。
「わたしは、あれがいいんだけど……」
 巡音さんが指差したのは、メリーゴーラウンドだった。……ああ、こういうのが好きなのか。
「じゃ、行こうか」
 俺たちは、連れ立ってそっちへと向かった。


 巡音さんは最初のうちは緊張していたのか表情が硬かったが、段々落ち着いてきて、笑顔を見せてくれるようになった。……いいことだよな、これって。姉貴の言ったことは当分忘れよう。大体、そんなにあてになりゃしないんだよ、姉貴の考えなんか。
 大人しめのアトラクションに幾つか乗った後、巡音さんはためらいがちにこう言い出した。
「あの……鏡音君」
「何?」
「わたし、ちょっとお手洗いに行って来るから、待っていてくれる?」
 生理現象は仕方がないだろう。俺が頷いたので、巡音さんはトイレのある方へと行ってしまった。しばらく、その場でぼーっと待つ。そんな時だった。不意に強い風が吹いた。その風で、誰かの帽子が俺の足元に転がってくる。深い考えもなく、俺はそれを拾った。持ち主は……。
「あ、すみません。それ、あたしので……え? レン君?」
 聞き覚えのある声に、思わず相手を見る……え?
「ユイ……?」
 そこにいたのは、ユイだった。ユイの他に、女の子がもう二人いる。片方は中学の時の同級生で、チカって子だ。確かユイとは仲が良かったっけ。もう一人の背の高い子は知らない。多分、高校に入ってからの友達だろう。
「久しぶり……」
 ユイはそんなことを言うと、俺の手から帽子を受け取った。確かに、一年前に別れてからずっと会ってなかったしな。ユイの家は学校を挟んで俺とは逆方向だったから、近所でばったり、なんてのも無かったし。
「……そうだな」
 何をどう話したらいいのかよくわからず、俺はぶっきらぼうにそう言った。というか、何を言えばいいんだこの場合。ユイはユイで、気まずそうな表情でそこに佇んでいる。
「ねえユイ、知り合い?」
 背の高い子がそんなことをユイに訊いている。
「鏡音レン君。中学の時の同級生」
 まあ、元彼とは言い難いか。ユイの方から俺を振ったわけだし。
「へえ、結構かっこいいじゃん」
 声に出して言うなよ。俺にも聞こえてるだろ。ユイは困っている表情で、視線を明後日に向けている。
「ね、ねえ……ユイ、マナ、もう行こうよ」
 ユイの袖をチカが引っ張った。……そういや、チカは俺とユイがつきあってたことを知ってるんだっけ。当然、別れたことも知ってるよな。確かこの二人は同じ高校に行ったはずだし。
「え、なんで?」
 マナという名前らしい、背の高い子がそう言う。空気読めないのか、こいつは。
「というか、そっちは一人なの?」
 はあ? 一人でこんなところ来るわけないだろ。
「連れがいるよ。今ちょっと外してるだけで」
 早く戻って来ないかな。混んでるんだろうか。女子トイレって異常に混んでる時があるんだよな。前に姉貴がぼやいてた。
「実はユイ、失恋したばっかりなんだよ」
 マナって子が、俺に向かってそんなことを言い出した。え? 失恋?
「おいユイ、お前、他に好きな奴ができたとか言い出して俺と別れたのが、大体一年前だろ。それなのにもうそっちも駄目になったわけ?」
 あまりにびっくりしたので、俺はユイに向かって思わずそう訊いてしまった。ユイがびくっとした表情になる。あ……しまった。口が滑った。
「あ……悪い」
「ううん、いいの……」
 げっ、泣きそうだ。参ったな……ややこしいことになってきた。
「え? 二人って、前につきあってたの?」
 だ~か~ら~、空気を読めと言ってるだろうが。
「うん。一年前にハル君のこと好きになっちゃって、レン君とは別れたの」
 ユイがマナとやらにそう説明している。ハル君というのが、ユイが俺と別れた後につきあっていた奴らしい。
「へえ~。それがこんなところで再会するなんて、何か運命を感じるよね」
 はあ? 何を言い出すんだこいつは。
「二人にもう一度つきあえっていう、神様の思し召しじゃないの?」
 なんだそりゃ。何をどう考えたらそういう理屈が出てくるんだ。
「そんな……レン君に悪いよ。だって、あたしが振ったんだよ」
「ユイ、失恋の特効薬は新しい恋って言うでしょ? まあこの場合新しくはないけど、いい機会じゃないの。結構いい男だし」
 あのなあ……思い切りこっちに聞こえてるんですが。というか、ユイ、友達選べよ。なんだよこの図々しい生き物は。
「というわけで、一緒に回らない?」
「俺、連れを待ってるところだって、さっき言わなかったっけ?」
 大体、人見知りの強い巡音さんを、全然知らない人たちと一緒に連れ回せるかい。特にこんなのが混じってちゃ。
「その人も一緒でいいし。ねえ、ユイのこと可哀そうだと思わない? 一度はつきあった仲でしょ? まだ未練とかないの?」
 ある意味賞賛に値するのかもな、この図々しさ。どうやったらこんなのができるんだろう。けどな、ユイとチカがお前の隣で困ってんのに気づけよ。それにしても巡音さん、まだ戻って……あ。
 少し離れたところに、巡音さんがいた。戻って来たものの、俺がこいつらと話しているせいで、声をかけるタイミングを失ったらしい。そこで遠慮なんかしないでくれよ。……巡音さんの性格じゃ無理か。……あ、そうだ。
「リン、遅い!」
 俺はそう叫んで、巡音さんの方へと駆け寄った。巡音さんが驚いた表情になる。
「ごめんなさい、お手洗いがひどく混んでて……」
 俺は巡音さんの手を握った。
「じゃあ行こうか」
「……その子、誰?」
 空気の読めない子がそう訊いてきた。ユイとチカの二人は、察したのか困っている。
「誰って、見りゃわかるだろうが」
 思い切って巡音さんの肩を抱き寄せる。巡音さんが、驚いたのか、びくっと身をすくませるのがわかった。……ごめん。後でちゃんと説明するから。
「だから誰?」
 あ~の~な~、ここまでされたら普通は察するっての! なんなんだこの子。
「あの……鏡音君、こちらは知り合いなの?」
 げっ、巡音さんの方まで訊いてきた。いや、不審に思うのはもっともなんだが……。
「中学の時の同級生だよ。……それじゃ、俺たちはこれで」
 俺はそれだけ言うと、巡音さんを連れて立ち去ろうとしたが、空気の読めない生き物はしつこかった。
「ねえ……冷たいんじゃないの?」
 なんでこんなに鈍いんだこいつは。
「マナ……もうやめてよ。気持ちは嬉しいけど、レン君は迷惑してるよ。だって……デートの最中なんでしょ?」
 ユイがそんなことを言う。巡音さんが「え?」とでも言いたげな表情でこっちを見た。ぎゅっと肩を抱き寄せ、その耳に囁く。
「悪いけど、今だけ話あわせてくれ」
 ……巡音さんが耳まで赤くなってる。悪いことをしてしまった。そう思いつつ、ユイたちに向かってこう言う。
「そういうこと。だから、邪魔しないでくれ」
 俺は巡音さんの肩を抱いたまま、ユイたちを残してその場を離れた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

アナザー:ロミオとシンデレラ 第十九話【自分の道を行けばいい】

 この作品のレンは、頭がいいという設定ですが、意外と自分のことはわかっていなかったりします。
 まあ、一から十まで最初から全部わかっているようだと、小説にならなかったりするのですが。

 なお、レンの元カノと友人二人はオリジナルキャラです。

閲覧数:1,016

投稿日:2011/10/08 18:41:58

文字数:5,819文字

カテゴリ:小説

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