それから、リンは毎日、夜になるとレンのところにやってきて、一緒に過ごすようになりました。レンはリンからパンをもらい、リンはレンのところで食事をして、朝になるまで眠りました。
きちんとした食事と睡眠が手に入るようになったせいか、やつれていたリンは、肉付きがよくなって健康そうになりました。厨房の仕事――皿洗いや鍋磨きだけでなく、かまどの掃除もリンの仕事でした――のせいで汚れていましたし、着ているものも相変わらずぼろのままでしたが。レンは新しい服を出してあげようと言ったのですが、リンに「誰からもらったのって問い詰められるから、いらない」と断られてしまいました。お屋敷の厨房で働く人たちは、毎日あんなにこきつかわれて、ろくな食事も取っていないはずのリンが元気そうなのを見て、不思議に思っていました。
「どうしてあの子は元気そうなの」
ある日、この家の奥様が厨房にやってきました。奥様は、リンがあまり弱っていないのを見て、不機嫌そうでした。
「……皆目わかりません」
「誰かこっそり食事を与えたりしてないでしょうね」
「それはしていませんが」
奥様は、冷たい目でリンを見ました。リンは、厨房の床を磨いているところでした。奥様の方は見ないようにして、一心不乱に床をこすっています。
「まったく、気に入らないわ」
そう言うと、奥様はリンに近づきました。そして、近くに置いてある水を入れた手桶を蹴ったので、リンの周りの床は水浸しになってしまいました。
「あっ!」
リンは思わず、失望した声をあげてしまいました。それはそうでしょう。今まで必死になって掃除していた床を、汚されたのですから。
「何をしているの、早く掃除しなさい」
奥様がリンに命じます。ですがリンは、すぐに反応することができませんでした。何も言えず、目の前の床を見ています。
「何をぐずぐずしているのっ!」
奥様の金切り声が響き渡りました。リンが反射的に耳を押さえます。その態度が、奥様の神経を逆撫でしたようでした。
「まったく可愛げのないっ!」
奥様はリンを突き飛ばすと、手近にあった箒で、リンを殴りつけました。リンが悲鳴をあげ、自らをかばうかのようにうずくまります。そんなリンの小さな背を、奥様は箒でさんざんに叩きました。
ルカの魔法でリンを見守っていたレンは、いてもたってもいられなくなり「やめてくれ!」と何度も叫びました。でも、叫んだところで、誰にもレンの声は聞こえないのです。レンは、リンが傷つけられるのを、ただ見ていることしか、できませんでした。
やがてリンが動かなくなると、奥様は箒を投げ捨てて、出て行ってしまいました。厨房はしんと静まり返っています。誰一人、倒れているリンを気にかけようとはしません。
レンは、リンが死んでしまったのではないかと、気が気ではありませんでした。ひどく打たれた背中には、赤いものが滲んでいます。
やがて大分時間が経ったころ、リンはふらふらと起き上がりました。リンが起き上がると、料理長が、またたくさんの仕事を言いつけます。リンはよろけながら、仕事に戻りました。
いつもよりも時間がかかりましたが、リンはなんとか、言いつけられたことを終わらせることができました。終わった時はもうとっくに夜になっていて、厨房には、誰も残っていません。リンはいつものようにパンをつかむと、池へと向かいました。レンはそれを、じりじりしながら待っていました。リンが池まで来てくれなければ、レンには何もできないのです。
リンはなんとか、池の中の不思議な部屋まで来ることはできました。が、安心したのか、部屋に入るやいなや、また倒れてしまいました。レンは大声で呼びかけましたが、リンはそのまま動きません。今ほど、魚の身がもどかしく感じられたことは、ありませんでした。
レンはあまりにも激しく暴れたので、水盤の中から飛び出してしまい、ますます身動きが取れなくなってしまいました。それでももがき続けていると、ルカの声が聞こえました。
「王子様、何を大騒ぎしているの?」
いつ来たのか、部屋の中にルカがいました。ルカはレンの尻尾をつかんで持ち上げ、顔を覗き込んでいます。そんなルカに向かって、レンは懇願しました。
「リンを助けてくれ! ひどい怪我をしたみたいなんだ」
「……あら、これは大変」
ルカはレンを水盤に戻すと、倒れているリンを抱き上げました。
「いったい何があったの?」
レンはざっと、起きたことを説明しました。話を聞いたルカは、リンをベッドに寝かせると、服を脱がせて、傷の手当てをしてくれました。
「ずいぶんとひどくやられたわね……でも幸い、死ぬようなことはないわ。この薬で治療をしたから、一晩寝れば良くなるわよ」
その言葉に、レンはほっと胸を撫で下ろしました。でも、全部の懸念が、消えたわけではありません。
「……でも、明日になったら、リンはまた戻らないといけないんだ」
レンは、リンをあのお屋敷に戻したくありませんでした。また、リンがあんな目にあうのを、見たくありませんでした。
「それは仕方がないわね。この子は他に、どこにも行くところがないんだから」
「どこかないのか? どこでもいい。リンが安心して暮らせる場所は」
レンの言葉を聞いたルカは、腕を組み、考え込みました。
「……残念だけど、私には思いつかないわ。この国にはあまり知り合いもいないし。ここを出たところで、良くてどこかの下働きとして、こき使われるのがオチでしょうね。でなければ路上で、物乞いでもすることになるわ」
レンは面白くない気分で、ルカの言葉を聞いていました。いろんなことができる魔女なのに、リンに新しい人生を見つけてやることはできないというのです。
「……だったら、今晩だけでいいから、僕を人間に戻してくれ」
ルカに「人間に戻してくれ」と頼んだのは、これが初めてでした。頼んでも無駄だろうと、最初からあきらめていたのです。
「リンが目を覚ましたら、魚に戻してくれて構わないから」
少しでも、レンはリンの近くにいたいと思いました。人間に戻って、せめて手でも握ってあげたい、そう思ったのです。
「……それはできないのよ」
「なんでだよ! あんただろ、僕を魚に変えたのは!」
「あの時、ちょっと頭に血がのぼっていたものだから、うっかりして、とびきり厄介な魔法をかけてしまったのよ。この魔法は、術者の意志で解くことはできないの」
ルカの言葉に、レンは呆然としました。では、自分は一生、魚のままなのでしょうか。人間には戻れず、家族にも会えず、魚として死んでいくしかないのでしょうか。
「どういうことだよ! 一生魚のままなんてひどいじゃないか!」
確かに自分は、ルカにイタズラをしました。バカにして笑いもしました。でも、その報いとしてこれは、ひどすぎます。
「……一生解けないというわけじゃないのよ。解く術はあるの。私にはできないというだけ」
その言葉は、レンにとって、何の慰めにもなりませんでした。一生魚のまま、という宣告をされたも同然なのですから。
「とにかく、あなたを人間に戻すのは無理なのよ」
それだけ言うとルカは煙のように消えうせてしまい、部屋には魚のままのレンと、意識のないリンだけが残されました。
レンはリンを見て、悲しい気持ちになりました。あんなにひどい目にあっているのに、誰もリンを助けてくれません。そして自分は魚のままで、リンの手を握ってあげることすらできないのです。
夜明けが近くなったころ、リンが目を覚ましました。自分の身体を見て、首をかしげています。
「傷が消えてる……お魚さんが治してくれたの?」
「ああ、ええと……」
レンは困ってしまいました。手当てをしたのは、ルカなのですから。でも、ルカのことを話していいのかどうか、わかりません。レンは結局、あいまいな肯定の返事をしてしまいました。
「大丈夫だった? ひどい怪我だったから心配したんだよ」
レンがそう言うと、リンは下を向いてしまいました。そのまま、何も話そうとしません。
「リン?」
「ねえ、お魚さん……わたしのお母さんのこと、おぼえてる?」
「おぼえてるよ」
リンの母親は、時々娘の様子を見に、池に来ることがありました。落ち着いた感じの、優しそうな女性でした。リンがレンのことを嬉しそうに話すのを、笑顔で聞いていた姿を、レンは思い出していました。
「奥様はね、わたしのお母さんのこと、悪い女だっていうの。つみびとで、けがれてるって」
レンは、何を言えばいいのかわかりませんでした。
「本当はお母さんがつみをつぐなわないといけないけど、もう死んでしまったから、子供のわたしがつぐなわないといけないんだって。……だから、わたしは、ああいうあつかいを受けても、しかたがないんだって、みんな言ってるの」
その、「みんな」というのは、厨房で働いている人たちなのでしょう。レンは全員をひっぱたいてやりたいと思いましたが、魚ですから、そんなことはできません。レンにできるのは、リンに慰めの言葉をかけることぐらいなのです。
「……あんな人たちの言うことなんて、気にしなくっていいんだよ。リンのお母さんがいい人だったのは、僕がちゃんと知っているから。つぐないなんてしなくていいし、リンがそんなことを気にする必要もない。あいつら、きっと、頭がおかしいんだよ」
レンは、本当の意味で、この問題を理解しているわけではありませんでした。ですが、リンが傷つくのは嫌でした。リンがそんなことで傷つけられていいはずはないのです。
「お魚さん、ありがとう」
リンはほっとした表情で、かすかな笑みを浮かべました。きっと、気にかかっていたのでしょう。
一方でレンは、浮かない気持ちでいました。リンに食事や寝床を与えることはできても、本当に問題を解決してあげることはできないのです。リンをこの家から自由にしてやることは、できないのでしょうか。
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