第十章 悪ノ娘ト召使 パート6
メイコの反乱が勃発した時、守備に残っていた人物がレンで無ければどうなっていたか。歴史にもしも、はあり得ないが、もしも、を想像して考察することが未来の人類に共通する癖として存在する様子である。この時、レンはロックバード伯爵が言い残した言葉を忠実に実行していた。即ち、メイコが反乱を起こすかもしれない、という事態を想定して王宮の警備体制を一から変更していたのである。その為、この段階で通常の二倍の兵士が王宮に詰めている状態となっていたのだ。それが反乱軍の参謀役を務めていたアレクの最大の誤算であった。もしレンが王宮に残っていなければ、反乱はもっとスムーズに展開していただろう、という学説が後の歴史学者達の共通した認識となっている。しかし、誤算はレンにも存在した。アレクが仕掛けた百名の内通者に関しての情報をレンは一切掴んでおらず、その為に簡単に南正門の突破を許す羽目になったのである。その為にレンは反乱軍を切り裂きながら、次々と追加の指示を出してゆくことになった。本来なら反乱軍を内壁で食い止め、その隙に別働隊が反乱軍の本隊を叩くという予定であったが、それを即座に変更し、別働隊二千を反乱軍の側面から急襲させることにしたのである。どんな状況でも冷静に、戦況を見極めて戦う。そのレンの指揮能力を目の当たりにすれば、たとえロックバード伯爵であっても舌を巻いてレンを賞賛していたことであろう。
一方のメイコとアレクは、用意周到に待ち構えていたとしか思えない黄の国王立軍の猛烈な抵抗に困惑の表情を浮かべていた。反乱が起こった段階である程度の兵が裏切ることを予測していたにも関わらず、その様な様子は一切見えない。判断が甘かったか、とアレクは後悔しながらももう一つ剣を振るい、かつての同僚の肉体を袈裟がけに切り裂いた。通常の戦闘なら選択できる撤退という項目は今のメイコ達には存在しない。乱戦不利と分かれば折角立ちあがった国民達がメイコ達を見限って逃亡を図ることは目に見えている。勿論、青の国も撤兵するだろう。結果として、修正が効かないほどの被害をメイコ達に与えることになる。その時、自分はともかく俺はメイコを守れるのか、とアレクは考え、背筋に冷や汗が湧いたことを否応なく自覚する羽目になった。とにかく、王宮にさえ侵入できれば。アレクは神に祈る様な想いでもう一度剣を振り上げた。先程一部の兵士が王宮への侵入を果たしたが、それも直後に王宮から飛び出してきたレンの様子から全て討ち取られていることは十分に推測出来る。その隣でアレクと同じように剣を振るうメイコは、それでもただ前を見て戦い続けている。その姿を見てメイコ隊長は戦っている時が一番美しい、と戦場に似つかわしくない思考を行ったアレクは、やはり負ける訳にはいかない、と気を取り直して何度目になるか分からない剣戟を目の前に溢れている黄の国王立軍に向けて放った。グミが蒼白な表情でアレクに注進にやって来たのはその時であった。
「アレク殿、側面から王立軍が迫っています。その数およそ二千。」
その報告は、歴戦の勇士であるアレクの心胆を冷却するのに十分な威力を誇っていた。国民が一万近く反乱に参加しているとはいえ、所詮は戦の訓練を行っていない素人に過ぎない。反乱軍の戦力として計算できる数は結局のところ五百しかおらず、その数は既に三百近くにまで低下している。残された選択肢が余りに少ないことを自覚したアレクは、メイコに向かって即座にこう言った。
「メイコ隊長、増援は私が食い止めます。メイコ隊長は王宮へお進みください!」
一人で何が出来るかは分からない。それでも、時間さえ稼げれば。アレクはそう考えたのである。その言葉に不安そうにメイコはこう返した。
「死なないで。」
勿論、死ぬわけにはいかない。アレクがそう言いおうとした時、近くの戦場で冷静に王立軍を切り裂いていたアクが静かにこう言った。
「私が行く。」
「アク殿、敵は二千だぞ!」
無謀なことを言うな、とアレクは考え、そう答えた。それに対して、アクは何事も無かったかのように更に言葉を続ける。
「一人で十分。」
そう言い残したアクは剣の向きを変えると、正面右側から迫ってきている二千の王立軍に向けて駈け出して行った。直後に湧き起こった殺気に、肝が引き攣る様な感覚だけを残して。
レンの誤算のもう一つ、そして最大の誤算がこのアクの存在であった。もしアクが反乱軍に参加していなければ。通説はこの様な結論を導き出している。即ち、反乱は失敗に終わり、敗北の憂き目にあっていたのはメイコであっただろう、ということである。それ程までにアクの実力はずば抜けていた。メイコもアレクも一流の剣士であることは疑いようもないが、アクの実力はそれを遥かに上回っていたのである。黄の国王宮の北方、練兵場に待機していた二千の兵士は、当初アクの姿を見て戸惑いの色を見せた。何しろ、たった一人で二千の兵士達の前に立ちふさがったのだから。そのアクは、但し無表情に長剣を構えると、風の様なスピードで黄の国増援軍に向けて刃を放った。長さ二メートル近くある剣先が増援軍の目の前に迫ったと認識した瞬間に、五人の兵士が犠牲となった。そのまま、中央を無造作にアクは駆けた。駆けながら、斬る。アクを止めようと槍を突き出した兵士は、目標地点にいたはずのアクの姿が消えたと感じて思わず槍の動きを止めた。そして彼は直後に視界を失う。その次の瞬間には呆けた表情のままの兵士の首が血飛沫と共に空中を舞った。人の目でとらえることが不可能であるほどにアクの攻撃速度は速かったのである。接近戦が不利ならば遠距離攻撃を行おうと手槍を放り投げた兵士は、アクが短く呟いた言葉に驚愕の表情を見せた。
「エル・ファイアー。」
アクの左腕から飛び出した強烈な火急は手槍を一瞬で木炭へと変化させ、その勢いのままで兵士達の身体を焼き尽くした。アクは剣だけではなく、魔術も使用できる、おそらくミルドガルド史上初めて現れた戦闘の天才だった。それでも、一対二千である。包囲を解かずに疲れさせれば討ち取れるはずだ、と自らの恐怖を隠す様にそう考えた増援軍の司令官は、次の瞬間に面倒くさそうに呟いたアクの魔術によりその命を奪われることになる。
「フレア。」
炎系統最強魔法が突如飛び出したことにより、指令以下増援軍の仕官クラスが一瞬にして全滅した。その事件は戦場に大きな変化をもたらした。虎の子である二千の増援は一瞬に指揮系統を失い、アクの殺戮に晒されていったのである。一方、湧き立ったのは反乱軍と国民達であった。その一件で勝利を確信した国民達は、それまで以上に勢い立って黄の国王立軍への攻撃を開始したのである。その攻撃に耐えきれず、レンはとうとう玄関ロビーまで撤退することになった。その時、レンは正確にその人物の姿を発見した。即ち、赤い剣士メイコ。
「メイコ殿!」
増援軍が壊滅した段階で策は尽きた。ならば、後は総大将を討ち取る以外に勝利は無い。レンは瞬時にそう判断すると、無我夢中という言葉そのままにメイコに向かって突撃を開始した。メイコに習った通りの形で剣を振り上げる。その剣を、メイコは剣を引きながら受け止めた。
「大分腕が上がったな、レン。」
僅かに笑みを漏らしながら、メイコはそう言った。その言葉に歯ぎしりだけで応じたレンは、更に剣を振り上げる。その攻撃をもう一度受け止めながら、メイコは軽い舌打ちを放った。レンの剣の腕が予想以上に伸びていたのである。もう少し鍛える時間があれば、ミルドガルド大陸一の剣士になっていたかも知れない、とメイコは考えた。それは血の成せる技だろうか。歴戦の勇士としての名を残した黄の国前国王の血統によるものなのだろうか。そう考えながら、メイコは逆に剣を押し返した。アレクがいつでもレンを斬れるように待ち構えている。その態度に、まだレンに攻撃しないで、と心の中で呟いたメイコは、思い切りのいい剣戟をレンに向けて放つ。そして数合。ほんの半年前はメイコの圧勝だったのに、今は完全な互角。若さとは恐ろしいな、と考え、メイコがもう一度剣を振り上げた時、玄関ロビーから二階へと延びる螺旋階段の上から色香のある女性の声が響いた。
「エル・ウィンド!」
ルカの魔術か、と判断したメイコはすぐさま後ろに跳びはね、レンとの距離を開けた。直後に強烈なカマイタチがメイコの目前を吹き荒れる。そして、ルカが怒りに任せた様な声でこう叫んだ。
「まさか貴女が裏切るとは思わなかったわ、メイコ。」
「国民の為です、ルカ殿。」
メイコはそう言い返したが、ルカはその言葉には反応せず、次にアレクと同様にレンとの一騎打ちを見守っていたグミに向かってこう告げる。
「貴女もね、グミ。」
ルカの姿を見て硬直する様な表情を見せたグミは、しかし気丈に立ち直ると、ルカに対してこう叫ぶ。
「だって、許せなかったもの!」
「許せなかった?」
「私の主君を・・いえ、大切な友人であるミク女王の生命を奪ったリン女王を許せなかったの!ミク女王は、我儘な私に対しても優しくしてくれた。あの人は死んではいけない人だった。もっと、もっと幸せになっていいはずの人だったのに、それなのに、それなのに!」
グミのその言葉に、一番の衝撃を受けた人物はルカではなく、レンであっただろう。そのミク女王の生命を直接に奪った人物は自分自身。そして、この反乱を起こした直接の原因を作ったのも。
「だから、カイト王の手先になったの?彼の野望を実現させるために?」
冷静に、ルカはそう告げた。その言葉は既にレンの聴覚には反応していなかったが。
「・・手先?」
グミはルカに対して、戸惑ったようにそう告げた。違う。手先なんかじゃない。私は自分の意思でこの反乱を主導したはず。決して、カイト王に操られた訳じゃない。そう言いたかったのに、なぜか言うことが出来なかった。カイト王の狙いは何?今まで忘れていた疑問を思い出し、グミは視線を無為に空に彷徨わせた。玄関ロビーに吊り下げられている豪奢なシャンデリアが何故か色あせて見える。
「まだ、貴女は幼すぎるわ。」
ルカは溜息を漏らす様にそう言うと、続いてレンに向かってこう叫んだ。
「レン、あなたはリン女王の元へ行きなさい!ここは私が食い止めるわ!」
直後に、ルカは叫んだ。自身が極めた魔術の集大成を誇る様な、風系統最高魔術の言霊を。
「エクスカリバー!」
その言霊が、レンにとってのきっかけになったとしか思えない。レンは直後に猛烈な勢いで螺旋階段を駆け上り始めたのである。戦は負けた。僕は、黄の国を守ることが出来なかった。それが僕達の運命なのかも知れない。それでも構わない。でも、その運命にだって、僕は逆らって見せる。
君を守るために。
猛烈な暴風が王宮玄関ロビーに吹き荒れた。ルカが数百年の時を重ねて極め上げたエクスカリバーはメイコ達の身体をまるで抵抗力を無くした木の葉のように翻弄したのである。所々風圧で切り裂かれたメイコは壁に叩きつけられたと認識した瞬間に、その意識が黒く染め上がったことを自覚した。天井に吊り下げられていたシャンデリアは無残に砕け、落下し、その巻き添えになる格好で十数名の反乱軍がその下敷きとなり尊い命を落とした。アレクはメイコを抱きとめようとして失敗し、メイコと同じように壁に叩きつけられ、そして意識を失った。グミはとっさに発動させたマジックシールドでその威力を軽減させることには成功したが、その努力を遥かに超える威力で襲いかかって来た風圧には抵抗できず、床にたたきつけられた。この時、反乱軍の主要メンバーの三人が一時的に意識を失う結果となったのである。その様子を確認したルカは、それ以上の攻撃を加えようとしなかった。既に、ルカも認識していたのである。自身が守り続けて来た黄の国はこれで滅亡する。残された黄の国に、メイコも、アレクも、そしてグミも必要な人間だった。だから、彼らを殺す訳にはいかない。それでも、私にだって意地はある。せめて、ファーバルディの血筋はこのミルドガルドに残さなければならない。強くそう意識したルカは、先程自身の脇を猛烈な勢いで駆け昇って行ったレンの後を追ってリン女王の私室へと駆けて行ったのである。
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