「ごめん、飽きた。別れよう」

 そう言われた時、世界は意味を失った。






 身じろぎをする音に、テーブルクロスを敷く手を止めて振り返る。
 レン、起きたのかな?時間的にはそろそろ起きてもおかしくない。
 寝過ぎって体に良くないんだったっけ。だったら寧ろ起こしてあげるべきなのかなぁ。
 見たところ、今の音は寝返りを打った音みたい。ってことは、多少なり意識が回復してきた…ってことかもしれない。
 手早く花瓶に花を飾って、急いでレンの側に向かう。そのまま期待を込めて彼を見守っていると、やがて瞼がゆっくりと開いた。
 いつも思うけど、レンの目って綺麗だよね。

「ん…?」
「レン、起きたの?おはよう」

 ふらり、と頭を持ち上げるレン。
 そのぼんやりしたような瞳は―――私を見た瞬間にぎょっとしたように凍りついた。
 そこに浮かぶのは、何か良く分からない、鋭い感情。

「…あれぇ、なんでそんな目で見るの?」

 こてん。私は、ぬいぐるみみたいに首を倒した。

「私の知ってるレンはそんな顔しないよ?ねえ、そんな目で見ないで?まるで私がゴミみたいだよ」
「来るな」
「あのねぇ、私、考えたんだよ。レンは私に飽きたって言ってたよね?確かに私、レンに甘く接するばっかりだった」
「来るな…!」
「それがいけなかったんだよね?ごめん、全然気付けなくて。でも大丈夫、これからはいろんなことをしてあげる。二度と飽きたりしない
ように」
「来るなっ!…っ!?」

 腕を振って私を追い払おうとしたレンが不意にバランスを崩す。
 ああー、そんな無茶するからぁ。駄目だよ、自分の状況くらいきちんと把握してないと。

「…な、に、?」
「あはぁ」

 疑問の声が震えていたから、私は安心する。
 何があったのか分かりやすく理解してもらうために、近くのテーブルに置いておいた注射器を手にした。
 勿論、飾りなんかじゃないよ?中身だって入ってた。―――10分くらい前までは。

「やっと効いて来たの?体の自由が利かないでしょ」
「何…―――だ、それ!?」
「単に痛み止めだよ?麻酔みたいな効果があるんだって。でも、即効性っていう割にはあんまり早く効果が出ないものなんだねぇ。ふふっ、これからは誰かに試してからにしなくちゃ」

 レン、痛がってない。良かったぁ。嬉しくて勝手に笑みが零れてしまう。
 ね、レン。びっくりした?でもね、怯える必要はないよ?ああ、だけど、その顔って凄く可愛いね。
 初めて見る表情だからそう思うのかもしれない。だって、今まで怯える側だったのって常に私だったもの。
 力の入らない体を必死に支えるレン。
 その強がるような仕草と恐怖の滲んだ表情が堪らなく愛しくて、私はそっとその唇に唇を重ねた。

 瞬間、がり、と痛みが走る。
 …噛まれた、みたい。
 反射的に距離を取ってから自分の唇を手の甲で拭うと、まるで口紅でもなすりつけたみたいな真っ赤なラインが描かれた。
 あれ、思っていたより出血してるかな。そんなに大事にはなっていないみたいだけど。

 暫くそれをぼんやり眺める。
 なんだか既視感があるなあ、となんとなく考えていたら、自分がそれを何と重ね合わせていたのかに気付いた。

 レンが私にいつもくれる傷痕、だ。
 それと同じ―――愛の証。

「レン…嬉しい」
「は…?」
「やっぱり私を好きでいてくれたんだ!そんなレンだから、私、大好きなんだよ」
「……!?」

 レンが、何故か絶句する。
 どうしてそんな、訳が分からない、みたいな顔をするのかな?訳が分からないのは私の方なのに。
 でも、まあいいよね。そんなの些細な事だもん。

「えへへぇ、今度は逃がさないよ」

 言いながら、ぺた、とレンの首筋に手を置く。そこの産毛がざわりと逆立っているのにまた首を傾げるけど、やっぱりこれもまあいいや。
 だってレンの真意って、私が普通に考えていたものだった試しがないし。
 面倒なことを考えるのをやめて、私はレンに指を伸ばす。
 いつだって伸ばした指先は空を切っていた。いつだって触れるのはレンからだった。
 私は触る事を許してはもらえなかった。

 でも。

「逃がさないよ、絶対逃がさない…」

 今は、違う。

「逃がさない逃がさない逃がさない逃がさない逃がさない逃がさない逃がさない逃がさない…絶対に」

 私はうっすらと笑みを浮かべた。
 暗い部屋の中で、闇に溶け込むような昏い笑みを。

「だってそんなの、狡いものね?」

 私と貴方の間に絡み付いた、愛という名の鎖の戒め。
 それは私の喉元に、心臓に絡み付いて呼吸も鼓動も支配しているのよ。なのに、貴方だけその束縛から逃れようっていうの?何の未練もなく、私を置いていくっていうの?
 そんな薄情な事、黙って見逃せるはずないでしょう?

「離せ!」
「いやぁよ」

 細いけれどしっかりとした骨格の首筋に、そっと銀の首輪を嵌める。
 少し無骨だけれど、これが私から貴方へ贈る誓いのリング。
 健やかなるときも病めるときも、永遠に共にいられますように―――そんな祈りを込めて指先で滑らかな感触を愉しむ。
 ああ、これが私達を繋いでくれるのね。そう思うと、この無機質な輝きさえ愛しく思えてくる。

「レン、ねえレン。終わりなんて嘘でしょう?飽きたなんて冗談だよね?私知ってるよ、レンがたまに酷い冗談を言うの」
「…ふざけ、んなっ…!冗談、なんかじゃ、」
「うそ」

 私は笑顔でレンの顔を覗き込む。
 血の気の失せた肌と私の薬のせいで上手く言葉を紡げない口元。
 見開かれた目に映る私は、どこまでも愉しそうに笑っていた。
 ぱくぱく、酸欠の金魚みたいに何度か口を開閉して、やっと彼は声を出した。

「…狂ってる」
「狂ってる?」

そうかなぁ、と私は目を見開いた。
それはちょっと、心外かも。だって私はレンから教えてもらったことをなぞっているだけなのに。

「レン、それじゃレン自身も狂ってるってことになっちゃうよ。そんな事ないでしょ?痛みだって快感に変わる…それだって教えてくれたのはレンだったじゃない」

 変なの、と思いながら、はらりとブラウスを脱ぎ捨てる。
 あらわになる私の肌。少しだけ肌寒いけど、それよりも風が与える痛みの方が意識を突き刺した。
 私の肩から背中にかけて、色々な傷だらけ。切り傷、擦り傷、打撲痕。おかげで人前で服を脱ぐ事すらできやしない。
 最もそんな事をする機会なんて殆ど無いし、あったとしてもするつもりもないけどね。
 だって私の体も心も、全てがレンのもの。

 レンの全てが私のものであるのと同じよ。

「心の傷も、体の傷も、どっちだって同じ。そうだったよねぇ?」

 レンが言葉を返してくる前に、私は笑顔でナイフを手に取った。目の前の端正な顔に恐怖が過ぎる。
 嫌だなぁ、そんな怖いことなんてなんにもないのに。私はただ、貴方から刻み込まれた愛の痕を返してあげたいだけ。
 私だって最初はとっても痛くて怖くて泣き叫んだけど、レンは笑顔で切り裂いてくれたじゃない。
 最初は怯えていたって段々その愛を感じられるようになるものなんだって、分かっていたんじゃなかったの?それとも、もう忘れてしまったのかな。
 大丈夫、大丈夫だよ。もし分かっていなくたって、すぐに分かるようになるから。
 愛って甘ったるいだけじゃないの。ところどころ、苦かったりもするものなの。
 味わうなら全部味わうべきよ、でなきゃ勿体ないでしょう?私はそうしたよ。


 あなたと愛し愛されて、甘さを知った。
 あなたに騙され裏切られ、辛さを知った。
 あなたがいない夜には、無味さを知った。
 あなたに切り付けられて、痛さを知った。
 あなたに切り捨てられて、苦さを知った。
 あなたを想い続けて、酔うことを知った。
 あなたが、あなたが、あなたが―――あなたがあなたにあなたがあなたをあなたにあなたへあなたとあなたはあなたがあなたさえあなたもあなたにあなたのあなたやあなたあなたあなたにあなあなたあなたあなたあなたあなたああなたあああはなあああああいしてるあなただけでいいのあなただけがすべてなのあなたさえいればいいのにげないでにがさないわあなただけはぜったいにつかまえるわはなさないわわたしのわたしのわたしだけのたいせつなひと逃げるなんてゆるさないぜったい許さない何があってもはなさない殺したって手放さないあなたは私のもの、永遠に私のものなんだから他の誰にも渡さない他の何処にも行かせない永遠に愛してあげるだから永遠に愛してちょうだい私のこの渇きが癒えるまで!

 そして私は、
 あなたを手に入れようとして―――…成功したの。

 白いシャツの首元から覗く、まるで芸術品みたいになめらかできめ細かい肌に目を細める。
 刻んであげる。渾身の愛を込めて、慎重な力加減で、繊細な言葉を。
 自分のものには名前を書く、それと似たようなものね。つまりは所有の証だもの。

「レン」

 強張った顔をしたレンに微笑みかける。
 心配しないで。やり方とかは良く分かっているから、無駄な怪我なんてしないよ。
 頭を駆け巡る陶酔感に逆らわないで、私は笑顔のまま握った刃物を振りかぶる。

 もしかしたらあなたがいなくなって真っ先に疑われるのは私かもしれない。
 もしかしたら第三者が、ここにいるあなたを見付けるかもしれない。
 もしかしたら、は幾らでも考え付く。だって、世界は可能性に溢れているんだから。

 でも私は、不確かな明日がどんなものになったって全然構わない。レンと過ごした日々の中で、私はそれに気付いてしまった。

 今。

 今さえ幸せなら、もう、なんだっていいの。

「大好きだよ」

 ああ、幸せ。
 この狭い世界には、あなたと私の他に、余計なものなんて何一つ存在してない。
 それに、安心してね。私達の邪魔をするものは全部壊してしまうから。
 例えば天使が割って入って来たら、羽をもいで地に転がしてしまおう。
 例えば運命が割って入って来ても、私の力で砕き散らしてみせるから。



「だからずっと、二人でいようね?」



 例え死んでも、永遠に。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

sane or insane?

ヤンデレのおいしい季節になりましたね!
pianissimoさんのinsanity girlです。
ヤンデリン萌え!←深夜のテンション
お相手、最初カイトさんにしといたら全然抵抗してくれなくてどうしようかと…なんというヘタレ…
ちなみにこれ、実は大概レン君が悪かったりします。どうもうちのレンは悪役くさいので困るなー、本当はもうちょっと一方的にリンちゃんをヤンデリンにしたかったのですが。


次の長編はちょっと準備してからになると思います。

閲覧数:949

投稿日:2010/12/07 02:06:51

文字数:4,220文字

カテゴリ:小説

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  • Aki-rA

    Aki-rA

    ご意見・ご感想

    普通に恐怖しました!
    夜中に小声で怖い怖い‥を何回呟いた事か‥
    しかし、病リn‥ヤンデリン恐るべし‥


    ヤンデレと聞いていてもたってもいられず私の友達の元カップルの実体験話を勝手にさせていただきますね←←

    その彼女がヤンデレで、友達が爆睡してる時に彼女の注射器でこっそり血を採血して部屋に飾っていたんです。
    後に友達が発見して問い詰めたところ、
    「これで離れていてもずっと一緒だから‥」
    その友達は彼女がヤンデレだと言うことをその瞬間までわからなかった(普通の女の子)って言うしょーもない話でしたスイマセンm(..)m
    勿論その後別れを切り出したんですが、それからが大変だったらしいです。


    しかし、ホラー(?)の才能もお持ちとは!
    尊敬してます。これからも頑張って下さい!

    2010/12/07 03:33:11

    • 翔破

      翔破

      おおっ、メッセージありがとうございます!
      しかし事実は小説より奇なりというか、現実のほうが凄いですね。
      別れを切り出した後どうなったのか、想像するのが怖いです・・・

      ちょっと返信遅れてしまいました。すみません;

      2010/12/08 07:48:45

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