「今日は営業は無理そうね」
ショウコさんはそう言って、店の入り口に「臨時休業」という紙を貼りに行ってしまった。ハクちゃんが、マイコ先生の方を見る。
「マイコ先生、ママがここにいるって知ってたんですか?」
「……まあね。ハクちゃんのお母さん、元モデルでしょ? 業界の知り合いに片っ端から声かけて見たのよ。消息知ってる人がいないかって」
すみません、わざわざ、とハクちゃんがマイコ先生に頭を下げている。いやでも本当、よく見つかったわよね。
ヒールの音を立てて、ショウコさんが戻ってきた。そして、またカウンターの中に入る。何か飲むかと訊かれたので、適当に注文した。ショウコさんは自分も飲むつもりらしく、カウンターに置かれたグラスは四つだった。
とりあえず出されたお酒を飲み――結構美味しい――おつまみをつまんでみたりもする。でも、誰も口を開かなかった。えーい、じれったい。
私は、ハクちゃんを軽く肘でついた。ハクちゃんが、私を見る。
「ほら、折角会えたんだから、積もる話をしなさい」
とにかく話をさせないと。結果がどう出ようと。
「あ、うーん……えーと、ママ、元気だった? 離婚してから、どうしてたの?」
そんなことを訊くハクちゃん。ショウコさんが、顔を顰めた。
「離婚してから? 大変だったわよ。あんたのお父さん、浮気したのはお前なんだから、びた一文出さんって姿勢を崩さなくて。お父さんだって浮気してたくせに」
ハクちゃんの目が、まん丸く見開かれた。えっ、ちょっと待って。ハクちゃんの家って、お母さんだけじゃなく、お父さんも浮気してたの?
「ママ、それ、本当なの?」
「ええ。弁護士も『浮気の証拠がある以上、不利ですよ』って態度だったし。慰謝料と養育費を請求されないだけありがたいと思え、ですって」
「それじゃなくて、お父さんが浮気してたって話の方」
「ああ、それもね、確実。ただ証拠がなかったのよ。だから裁判でその事実突きつけられなくてね。おかげで損しちゃったわ」
それから、ショウコさんは延々と苦労話を始めた。離婚されたら、当時の浮気相手にはあっさり逃げられたこと。東京にいづらくなって、大阪に来たこと。こっちでしばらくホステスのようなことをしていて、貯めたお金でこの店を開いたこととかだ。
ハクちゃんはというと、ショックを受けた表情でその話を聞いていた。心情を思って、私はやるせない気分になる。ハクちゃんが期待していたのは、こんな再会じゃないだろう。
「それで、あんたのお父さんはどうしてるの? 相変わらず浮気三昧?」
「それは……わかんない。ママが出て行ってから、すぐ再婚したけど」
ぼそぼそとハクちゃんは答えた。お母さんの浮気はともかく、お父さんの方の浮気は初めて知ったわけだしね。というか、そんなに浮気ばっかりしてたの? よくまあそれで、自分の娘のことをどうこう言えたもんだわ。
「ふーん、あの時の浮気相手かしら」
「……知らない」
「まあもう、あんたのお父さんとのことは過ぎたことよ。あの頃はあたしも若くてバカだったし。だからあんな人と結婚しちゃったのよね」
「そんな人のところに、よく子供を置いていきましたね」
私は口を挟んだ。ショウコさんが、不快そうにこっちを見る。
「だってしょうがないでしょ。浮気すると親権を取るのに不利になるのよ。あの人、無駄にお金だけはあったし」
金に任せて、腕利きの弁護士を雇ったってこと? でもあんまり争った構えもないみたいだけど。
「けど、それから一度も会いに行きませんでしたよね」
「ちょっとハク、この人何なの!?」
ショウコさんは苛立った声をあげた。ハクちゃんがおろおろしだす。
「鏡音メイコ先輩っていって、あたしの高校の時の先輩なの。そちらは始音マイコ先生。ファッションデザイナーで、あたしとメイコ先輩は今、そこで働いてるの」
どうも、とにこやかにマイコ先生がグラスを掲げてみせる。うわ、顔は笑ってるけど目は笑ってないわ。
「で、結局会いに来なかった理由は?」
「……しょうがないでしょ。あの人は会わせないって言い張るし、あたしも生活があったし」
「離婚の原因がどうであれ、最低限会う権利というのは法律上認められてますよ」
再度突っ込む私。ちなみにこの辺りのことは、カイト君から教えてもらった。
「うるさいわね! なんでそんなことを言うのよ!」
なんでって……はっきりさせる必要があるから。ハクちゃんにわかってもらう必要があるから。
「……ハクちゃんはもう二十歳を過ぎてます。連絡を取るのだって、会いに行くのだって自由にできます。なのにどうして、一度も会おうとしなかったんですか?」
「先輩やめてください。ママだって、きっと色々大変だったんです」
そりゃ、大変は大変でしょうよ。でも、手紙一枚書けないほど大変だったの? それにお父さんが再婚したって、知らなかったのよね。つまり全く連絡を取ってなかったってことで、娘の状態を問い合わせることすらしてこなかったということだ。
更にさっきの話からすると、このお店は結構前からやっている。娘の様子をこっそり伺いに来ることもできないほど、生活が不安定だったとは考えづらい。
「だからあたしはそれどころじゃなかったのよ。生きていくのは大変なんだし。もちろんハクのことは心配だったけど、食べる物も着る物も屋根もあるのはわかってたし」
生活に困っていなくても、心の平穏を得ていたかどうかは別問題なんだけどね。……でもって。
「……もう一人、娘さんいますよね? どうしてその娘さんのことを訊かないんです? 元気なのかとか、何をしているのとか。普通、まずそこが気になるんじゃないですか?」
ショウコさんは、虚を衝かれた表情で黙ってしまった。何か言おうとしたハクちゃんを手で押しとどめ、私は言葉を続ける。
「訊かないんですか?」
「あ……えーっと、ハク、あの子は元気?」
あの子って……。
「元気だけど……ママのこと憶えてない。まだ小さかったし、あの後お父さん再婚したから」
取ってつけたかのようなショウコさんの問いに、力の無い声で、ハクちゃんは答えた。相当気落ちしてるようだ。
「ふーん……そう」
ショウコさん、目が泳いでいる。明らかに、どうでもよさそうだ。ハクちゃんが、はっと顔をあげる。
「……ママ、ママは平気なの!? リンはママのこと、ママって思ってない。自分のママはカエさんだけだって、そう思ってるのに」
「カエさんって?」
「お父さんの再婚相手」
「あら、じゃあ、あの時の浮気相手じゃないのね。じゃ、あの女、結局捨てられたんだ」
妙に嬉しそうな声音だった。喜ぶところはそこなの!? ハクちゃんが、さっと引きつる。
「ママ、それでいいの?」
「いいって何が?」
「だから、リンのことよ!」
「えーと、リンにはリンの人生があるでしょうし……」
「リンを産んだのはママでしょ! カエさんに取られて悔しくないの!?」
これは危ないかな。私は、いつでもハクちゃんを抑えられるように身構えた。
「ああ……えーっと……えーっと……」
ショウコさんは答えられないようだった。……悔しくないの、か。悔しくはなさそうね。でも、それを認めるのも嫌みたい。
「……もういい」
口ごもっているショウコさんを見たハクちゃんは、そう言って立ち上がった。ショウコさんが、びっくりしてハクちゃんを見る。
「ハク?」
「もういい。もう帰る。いきなり来てごめん。でも、会えて嬉しかった」
ハクちゃんは店を出て行った。マイコ先生が「追いかけなさい」と私に言ったので、私は席を立って後を追う。
「……ハクちゃん!」
ハクちゃんは、店の外で途方にくれて立っていた。勢いで飛び出してしまったものの、どこに行くって決めてたわけじゃないわけだしね。
「メイコ先輩……」
ハクちゃんの瞳に、みるみるうちに涙が盛り上がった。そしてそのまま、ハクちゃんは顔をくしゃくしゃにして、泣き出してしまった。
「先輩……あたし……あたし……」
私は泣きじゃくるハクちゃんの肩を抱いて、背中をさすった。しばらくそうしていると、マイコ先生が店から出てくる。
「お勘定済ませてきたから」
「先生、この後どうします?」
「ホテルに戻りましょう」
それが一番いいか。ハクちゃんを落ち着かせないといけないし。それには、外より室内の方がいい。
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