「お土産は何にしようか」

そう言いながら左右の屋台を交互に眺めるミクを、神威は悔恨の想いで睨みつけた。
幸い、神威のその態度は気付かれなかった。
彼女は今頃どうしているだろう。不意に、涙を流して泣いている彼女の姿が浮かぶ。
静かに、声を殺して泣いている。しかし次第に声が漏れて、苦しそうに嗚咽を漏らす。
目も当てられない彼女の姿が浮かんで、慌てて振り払った。
苦しい思いを、彼女はしているのだろうか。別れを切り出したのは突然の事だったから、深く印象には残っているのかもしれない。
それになんと言っても、その事からまだ三日しか経っていないのだ。
傷はまだ、鮮烈に痕を残しているだろう。その傷を作ってしまったのはほかならぬ自分自身だ。
どうしてあんな事を言ってしまったのかと、後悔した。彼女の泣き腫らした姿を想像したら、胸の内が痛くなった。
こんなことなら、彼女に冷やかな軽蔑を受けたほうがまだよかったのではないかとさえ思う。
でも、もう遅かった。アレは実は嘘なんだと言って、本当の事を弁解したってもう遅い。
仮に本当の事を言ったとしてもどうせ信じてもらえまい。万が一に信じてもらえたとしても、彼女を傷つけたという事実は、もう、どう足掻いても変わらないのだ。

「土産なんかいらないだろ」
「いるよ。浅草なんて来る機会、滅多にないんだから」

神威は溜息をつきたくなった。
土産代なんてどうせ自分が出す事になるのだろう。彼女でもない奴に物を買ってやる義理なんてない。
けれど反抗は許されない。
もはや本当に下僕だ。
言いたい事を言えずただ黙って言う事を聞いているなんて、男としてのプライドはないのかと、心の中の自分が叫ぶ。

『お前はかの有名な藤色台風じゃないか。台風とは自分を中心にして、好き放題暴れるものだろう、周りを巻き込むものだろう?お前の存在は台風の目、そのものなんだ。
それがなんだ、今のお前は逆に巻き込まれているじゃないか、なんて滑稽な画だ。
自分の通う学校だけでなく、他校の生徒や教師までもを慄かせた存在が、こんな見た目のひょろそうな女に手懐けられているなんて、滑稽以外のなにものでもないだろう。
お前は悔しくはないのか、悔しいだろう?尻に敷かれて嫌だろう?
どうだ、今すぐその女の頬を思い切りひっぱたいてしまえ!
その崩れ去ったプライドをもう一度修復したいのなら、本能のままに動け!』

魔性の思いが囁いた。それにつれて、感情はだんだんと憤りで高ぶっていく。
拳を握りしめる神威。しかしミクは神威の一歩前を歩いているのでそれに気づいてはいない。
そうだ、藤色台風の脅威を見せつけてやればいいじゃないか。一発引っぱたいて、怯えさせてやればいいじゃないか。そうして逆に脅してしまえばいいんだ。
そう思った矢先に、心の中にまた魔性以外の何かが囁いた。
それは人間としての良心と言うのか理性と言うのか、形として表すのなら天使のような何かが、自分に囁きかけた。

『人を脅すなんて外道だろう。お前は一体何をしようとしている。
お前は変わったんじゃないのか。彼女に出会って、一から全てをやり直そうと思ったんじゃないのか。お前にもかつて善の心はあって、お前はそれを取り戻そうとしたのではないのか?その思いはそんなに薄っぺらいものだったのか?この女の言動ごときに揺らいでしまうのか?
どんなに腹が立っても暴力は振るってはならない。力で全てが解決すると思ったら大間違いだ。この女を引っぱたいた所で何が変わるというんだ?人を傷つけてまで、何をそこまで変えたがる?
滑稽だっていいじゃないか。いつか必ずチャンスは巡ってくる。
だから今はじっと我慢しろ。今は待つ時だ!』

良心はそう囁きかけた。確かにそれも一理ある。だが、理性よりも本能を優先にして生きてきた神威にとっては、魔性の思いの方が強く響いた。
脅すのがどれだけ非人道的で許されない行為だとしても、ミクにそれをされたのだ。ならばこちらだってやり返したっていいではないか。目には目を見せつければいい。
醜い感情が沸々とわき上がってくる。そして一度沸点に達してしまったそれは、もう自分自身では冷ます事が出来ない。今まで抑えていたかつての自分が現れようとしている。
そこが公共の場所だろうが桜田門の前だろうが関係ない。今までだってずっとそういう場所で暴れてきたのだ。
神威は高く、その右の手を振り上げた。

「神威君」

ミクが突然言ったその声に、振りおろそうとしたその拳が空でとどまる。
まるで不意打ちを食らった気がした。
拳を振りおろすタイミングを失ってしまい、力を失くしたそれはすぐにゆっくりと下ろされてしまった。

「もしかしたら隙を見て私の事を手玉に取ろうとしてるかもしれないけど、そんな事しても無駄だから」

ミクは依然として前を向いている。俺はその後ろにいて、ミクからは死角となっているはずなのに。
何故分かったんだ。
ミクは神威の方に向き直った。彼女は真剣な顔をしていた。

「私を殴って逆に脅してしまえばいいんじゃないか?なんて甘い考えがあるんだったら、さっさと捨てたほうがいいわ。そんなことしたら最悪、神威君が危うくなるんだよ。秘密がばらされて元カノに嫌われるとか皆からも距離を置かれるとか、そんな立場的な意味でじゃない。神威君の命が危うくなるの」

命が?そんな大袈裟な。そうやってまた大袈裟に脅すのか。
神威はせせら笑った。

「は、まさか」
「本当だってば。あ、言ってなかったっけ。ウチのパパ、鷹取会の会長なのよ」
「たかとりかい?なんだそりゃ。教育委員会的なやつらか?」
「そういう意味じゃなくて。んー……やっぱ一般の人はそんな知らないのかなぁ。都内じゃ有名な“暴力団”なんだけど」
「ぼ、暴力団?」
「そ、暴力団」

暴力団だと?いや、まさか。そんなのは嘘だ。俺を脅すためのハッタリだ。
その証拠に、なんで人目を忍ぶような身分の父親の娘がのうのうと学校に通っているのだ。しかも本人は生徒会長なんか務めて。
考えればすぐに分かる問題じゃないか。
その事を追及すると、案外ミクは言葉に詰まることなく、すらすらと答えた。

「裏口入学させてもらったんだ。ウチの高校の校長先生、パパと知り合いでね」

そう言うとミクはおもむろに、ふと真正面を指差した。
神威と対峙しているから、神威からしてみれば自らの背後だ。

「ほら、パパの部下達がいつも見張ってるから」

神威がふっと後ろを振り向くと、そこにはいかにもヤクザらしい真っ黒なスーツを着こなした男性が立っていた。
なるべく人目につかぬようにはしているようだが、この祭りの中でスーツを着た人間がその場に立っているとどうしても浮いて見える。
周りはカップルだの親子だので祭りを楽しんでいるのに、その男性は一人こちらを無表情で見ている。その瞳だけを鋭く光らせてこちらを眺めているのだ。(実際サングラスをかけているので分からないが、多分そうなのだろう)その光景は、異様以外の何物でもない。
他にもあちらこちらを見渡してみると、真っ黒なスーツ姿の人間は見つかった。
見張りは一人だけではないようだ。ポツリポツリと、今見つけただけで五人はいる。
なるほど、ミクの言っていた見張りというのは……こいつらの事か。

「だから、変な気は起こさないでね。命は大切にしなきゃ」
「く……」

ふてぶてしく笑うミクの笑みを、神威はただ黙って見ているしかなかった。
俺とて命は惜しい。強大な力を前にして、それと対峙することなんて無謀な行為だ。
そんなのはどんなバカでも子供でも分かる。
神威は、ギリギリと歯ぎしりをするばかりだった。それ以外どうする事も、出来なかったのだ。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

セルフ・インタレスト 15 (♯3)

誤字脱字、ストーリーの矛盾点などありましたら教えていただけると助かります……。

閲覧数:54

投稿日:2012/08/05 15:46:28

文字数:3,183文字

カテゴリ:小説

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