【ミク】


 アパートから一歩外に出て、春の日差しを一杯に浴びる。
 すう、と息を吸い込んでから声を出した。
「じゃあ、行ってきます!」
「行ってらっしゃい。今日はあたしも時間が空いたら聞きに行くからね」
「はい、有難う御座います!」
 大家さんに聞いてもらえるなら、尚更気合を入れないと。
 すっかり春らしくなった陽気に、何だか気分が浮き立つ。やっぱり春は良いな、と思う。花が咲いて、蝶々が羽ばたいて、鳥たちが囀って。
 何だかみんな、生き生きとしているみたいだから。
 いつものように広場に行って歌を歌う。
 季節の歌。カナリアの歌。

   私はカナリア 空の鳥
   歌が大好き 幸せな鳥

 歌い始めれば、旅人や、常連さんが足を止めて聞いていってくれる。それだけで嬉しい。あたしの歌を聞いて、笑顔になってくれる人が居るだけで。

   空を飛んで 私は歌を歌った
   歌う喜びを歌った

 歌を歌うということに、飽きる事が無い。それはお母さんも言っていたことだ。歌を歌って、人に幸せを届けること、そんな素晴らしいことに、飽きる筈が無いって。
 あたしも、そうだと思う。
 お母さんのお母さん(お祖母さん)は、元々は各地を転々と旅をしては芸を披露して暮らす一族の出身だったらしい。だけど、お祖母さんは恋人が出来て、一族を離れてこの国で定住することにしたらしい。
 お母さんの歌はお祖母さんから教えてもらったんだと言っていた。そして、あたしはお母さんから教えてもらった歌を歌う。

   冬は寒くて でも私は好き
   さらさら雪が 太陽に輝く

 歌うことで、大好きな人たちに幸せを届けることが出来たら、素敵だと思う。いつも、そう思いながら歌っている。
 お母さんが教えてくれた歌を歌いながら、誰かを幸せに出来たら良い。
 歌い終わると拍手が聞こえた。みんなにお辞儀をして、それからお金を貰う。いつものこと、でもそれが嬉しい。
「……すごく、綺麗だった」
 そう声がして振り返れば、凄く綺麗な男の人が立っていた。さらさらと風に流される青い髪と、優しく穏やかな髪とは少し色合いの違う青い瞳、それを縁取る長い睫。肌の色は白くてぱっと見でもシミ一つない。背筋がすっと伸びていて、細身だけれど、肩幅もしっかりあって、手足もすらりと長い。何もかもが、体全部が計算して作られたかのように綺麗な人だった。
 多分、年は二十歳過ぎぐらいだろう、穏やかな笑みを浮かべていた。
「凄く澄んでいて、綺麗で…こんなに素敵な歌は、初めて聴いたよ」
「あ、有難う御座います」
 自分が褒められているんだと気づいて、慌ててお辞儀した。箱にお金が入れられる。
 あたしにしてみれば、その人の声の方が素敵だと思った。暖かくて穏やかな声が、まるで何もかもを包むように優しくて、この人が歌ったら、一体どんな歌になるのだろう。
「それに、歌うのが楽しくて仕方ないっていう風に聞こえた。俺も聞いてて、凄く楽しかったよ。羨ましいな、そんな風に歌えるなんて」
「そんな…」
 何のてらいも気負いもなくそう言われて流石に頬が熱くなる。歌を褒められるのは初めてじゃないけれど、こんなに気障な台詞を意識せずに言えるのは凄いと思う。うちのアパートに居る人も気障だけど、この人は全く意識していないのが解かるから、余計に。
 ああ、でも、この声もいけないのかも知れない。優しくて暖かで、綺麗な声。
 この人の歌を、聴いてみたい。
「あの、だったら、一緒に歌いませんか?」
「え?」
「ね、一緒に歌いましょう?」
 考えるよりも先に、彼の手を握っていた。そして歌い始める。

   私はカナリア 空の鳥
   歌が大好き 幸せな鳥

 歌い始めると、その人は呆気に取られたような顔をする。強引過ぎただろうか、でも、この人にも歌うことの楽しさを知ってもらいたい。
 この人の歌を聞いてみたい。
 同じ強さでそう思う。

   冷たい銀世界 風を切る
   歌を歌おう いつの日も

 一番が終わると、その人をじっと見つめる。
 その人は諦めたように苦笑いを浮かべて、それから口を開いた。

   僕はカナリア 籠の鳥
   何も知らない 囚われの鳥

 あたしが歌ったのとは違う歌詞。聞いたことが無いから、今、この人が作った詩なのかも知れない。即興でそんなものを作るだけでも信じられないのに、その人の歌声が凄く綺麗で、それもまた信じられない。優しくて、暖かで、澄んだ声。
 それに、歌の内容が何だか悲しかった。籠の鳥、なんて。
 ぎゅっと、彼の手を握った手に力が篭る。

   君と出会って 僕は歌を知った
   歌う喜びを知った

 高いところも、綺麗に響く。彼があたしの方を見て、微笑む。ああ、彼も歌を歌うことを楽しんでくれているのだと、そう思ってあたしも嬉しくなった。
 籠に居る鳥だって、歌うことは出来る。だから、一緒に歌いたい。

   僕は歌う 君に届くように
   喜びも 悲しみも 高らかに

 彼が作った二番めの部分が終わったところで、彼の両手を握り締める。
 視線が絡み合って、微笑みあう。
 何故だろう、不思議な気分だった。ずっと前から、こうしているような。そんなことは無いのに。歌うことの楽しさを、こんな風に誰かと分かち合うことが、今まであっただろうか。

   二羽のカナリア 空の鳥
   歌が大好き 仲良しの鳥

 二人で歌う。自然と詩が頭の中に浮かぶ。
 歌を聴いてもらって、その人が笑ってくれれば嬉しかった。でも、これほどまでに誰かと歌いたいと思ったことは、今まで無かった気がする。
 一緒に歌って、その気持ちは尚更膨れ上がった。
 合わさる声が気持ちいい。初めてなのに、それが信じられない。ずっと、この人とこうして歌っていたんじゃないかという気がする。

   二羽は出会って 声をそろえて歌った
   歌う喜びが増えた

 誰かと声を合わせて歌うことが、こんなに楽しいなんて、今まで知らなかった。ううん、忘れていたのかも知れない、お母さんが生きていた頃は、いつも一緒に歌っていたのに。
 そんなことさえ、ずっと忘れていた。
 彼の優しい声と、あたしの声が交じり合って、重なり合って、今までと違う音が生まれる。それなのに、どこか懐かしい気持ちになる。
 嬉しくて、どこか切ない。
 歌い終わると、あちこちから歓声と拍手が聞こえた。
 いつもより、随分多い気がする。あ、女性のお客さんがかなり増えてる。綺麗な人だから、見蕩れてしまうのはあたしも解かる。
「良かったよ!」
「デュエットは初めてだけど、綺麗だった」
 口々に褒められて、次々に箱にお金が貯まっていく。
「あ、有難うございます!」
 ぺこりと頭を下げる。お金を入れていってくれる人たちに何度も頭を下げる。そうしていると、見覚えのある人が目の前に居た。
 大家さんだ。いつの間に居たんだろう、彼と歌っていたときは彼のことしか頭に無かったから気づかなかった。
「本当に驚いたよ、いつの間にこんなかっこいい恋人を見つけたんだい?」
「えっ、いや、違いますよ!?」
「真っ赤になっちゃって、照れなくてもいいのにー」
 照れずに居られる訳が無い。横目で見れば、彼は変わらずに穏やかに笑っているだけだった。ちょっと、平然としすぎじゃないでしょうか。
 というか、初対面なのに、恋人って……こんな素敵な恋人が居たら、そりゃ嬉しいだろうけど。
 しばらくの間大家さんにからかわれて、ようやく帰っていったのを確認してほっと息を吐く。
「今日は有難う御座いました」
「あ、いや。俺は別に何もしてないけど…」
「そんな事ないですよっ!あたし一人で歌ってただけじゃ、いつもはこんなに稼げませんから」
 そう言って箱を見せる。絶対、いつもの倍以上入ってる。いつもは安い銅貨とか銀貨が多いのに、今日は金貨も入ってるし。
「あ、でもあなたにも渡さないと失礼ですよね…えーと、どれくらいかな?」
「いや、別に俺はいいよ。君がそのまま持って帰ったら」
「え、でも…」
「俺は、君と歌えただけで、十分おつりが来るくらい楽しかったから」
 にっこりと笑顔で言われて、あたしもつられて笑ってしまう。
「あたしも楽しかったです。あ、そういえば、名前も聞いてませんでしたね。あたしはミクって言います。大体いつもこの広場で歌ってます。あなたは?」
「俺はカイト。青の国から来たんだけど」
 え?
 まって。
「……青の国の、カイト…さん?」
「うん?」
「あの、青の商人の息子さん…?」
「そうだけど…?」
 きょとん、とした顔をしているその人を見て、一歩、二歩と後退る。
「あの、女たらしで有名な!?」
「……え?」
 何のことだと言わんばかりに呆気に取られた表情だけれど、青の商人の息子、カイトの話はそれはもう、あちこちで聞いた。
 三国を渡り歩き、各地の貴族や王族の子女を侍らせる三国一の女たらし。
 何しろ、あの黄の国の王女様までが彼にぞっこんだという話だ。
 もしかして、あたしも今、ひっかかりそうになってた?噂を知らなきゃ絶対ころっといってた気がする、まずい。
「女たらしって…何のこと?」
「自分の噂知らないんですか!?あっちこっちで女の人たらしこんでるって噂」
「えええ?ちょっと、待って。俺は別に」
 本気で解かっていないように見えるが、騙されちゃ駄目だ。これが手なのかも知れない。警戒心を解いては駄目よ、あたし。
「商売のために貴族のお嬢さんのご機嫌取りをしてるっていうのが出鱈目だっていうんですか?」
「………あ、いや、それは、でも、俺が望んでいる訳じゃ」
「ひどい。望んでなくたってやってるなら同じじゃないですか!最低です!もう話しかけてこないで下さい!!」
 そう言ってその場から駆け出した。
「待って!」
 呼び止めようとする声が聞こえたけれど、無視をする。そのまま広場から出て、アパートまで全力疾走して、自分の部屋に飛び込んだ。何人かの人にぶつかったけど、知ったことじゃない。
「ああもう…」
 息をきらして、それからずるずると座り込む。
 最低だ。言いたいことを言って、逃げ出してきた。何より嫌なのは、ショックを受けている自分が一番嫌だ。
 素敵な人だと思ったのに。それが、あの噂の青の商人の息子だったなんて。
「ミクちゃん、どうかしたのかい?」
「大家さん…」
 あたしがただいまも言わずに部屋に戻ったから、心配して見に来てくれたんだろう。ああ、駄目だな、心配かけちゃって。
「どうしたの、さっきの彼氏と喧嘩でもしたのかい?」
「彼氏じゃありません!」
「そうムキにならないの、んで、喧嘩したのかい?」
「別に、あの人とは何でもありません。たまたま、一緒に歌っただけです」
 思わずむすっとして呟く。素敵な歌を、歌う人だと思ったのに。
「一体どうしたんだい、言ってくれなきゃ解からないよ。さっきはあんなに楽しそうに歌ってたじゃないか」
「…あの人、青の商人の息子さんだったんだそうです」
「あの噂の色男かい?」
「ただの女たらしですよ!危うく騙されるところだったわ!」
 だからあんな気障な台詞だって平気で言えたのに違いない。
「騙すような人には、見えなかったけどねえ」
「見えなくても、そうなんでしょう。あの人だって、否定しなかったし」
「何か訳があるのかも知れないじゃないか。それに、噂ばっかり信じてたら、本当に大切なことが見えなくなるかも知れないよ?噂なんて人づてに伝わるうちに、幾らでも変わっちまうんだから。それとも、ミクちゃんは、彼がそういう人に見えたのかい?」
「それは…」
 そんなことは無い。凄く優しそうで、暖かい声で、穏やかな眼差しで、楽しそうに歌っていた。だから、あの噂の青の商人の息子だって知って、ショックだった。
「でも、大家さんだって、噂話大好きじゃないですか」
「あはは、まあ、そうなんだけどね。でもあんまり間に受けるもんじゃないよ、あたしだって、半分信じて半分は信じて無いからね。ミクちゃんは、ちゃんと自分の目で見て、耳で聞いたものを信じた方がいいよ」
 そう言われたって、結局彼は、貴族のお嬢さんを相手にしていることは否定しなかった。噂を事実だと認めているようなものだ。
 結局黙り込んでしまったあたしの頭を、大家さんが優しく撫でてくれる。
「まあ、ミクちゃんは頑固だからね。あたしはこれ以上何も言わないよ」
 そう言って大家さんは部屋を出て行った。
 しん、と部屋が静まり返る。
 せめて、否定してくれたなら、信じたかも知れないのに。
 だけどあの人は、否定しなかった。
 だから。
 それがきっと、一番ショックだったんだろう。
 大体、よく考えれば、あたしが怒る権利なんて無いのに。恋人って訳じゃないし、口説かれた訳でもない。ただ、歌を褒めてもらって、一緒に歌っただけ。
 馬鹿みたいだ。
 一緒に歌っただけで、あの人のことを解かった気になって、噂の人だと知って、また急に解からなくなって、怒って帰って。
 あの人も呆れただろう。
 それでもやっぱり怒りは静まらない。理由なんて解からないけど、それでも。ムカムカする気持ちは抑えられない。
 次に会ったとしても、絶対に、口なんかきかない。
 そう心に決めた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

【悪ノ派生小説】比翼ノ鳥 第六話【カイミクメイン】

実はもうすでに落ちてるミクさん。
カイトの形容詞はかっこいいというより綺麗が多い。
何故なら母親似という設定だから。この話のカイトはそういうものなんだと思ってください。

閲覧数:518

投稿日:2009/04/05 11:01:15

文字数:5,491文字

カテゴリ:小説

  • コメント4

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  • 甘音

    甘音

    その他

    こんばんは、いつも感想有難う御座います。すっかり常連さんですね。

    落ちてます、すでに。
    えーと、タグに関しては、お好きなように(笑)よっぽど妙なのでなければ消したりしませんしね。
    暫くはニヤニヤしていただけるような話を書きたいなと思っています。今後の事は今後の事として、今の話を楽しんでいただけたなら嬉しいです。
    カイミクメインと銘打つからには、二人の話を出来るだけ濃密に描けたらと思います。勿論他のキャラを疎かにするつもりもありませんが。
    いつも感想励みになっています。四月に入ったし暇も出来たので、今までよりペースアップして上げて生きたいと思います。

    2009/04/06 19:59:59

  • 時給310円

    時給310円

    ご意見・ご感想

    おっと、向こうで「新作待ってます」なんて書きましたけど、すでに出来上がっていたとはw
    こんばんは甘音さん、今回も読ませて頂きました。

    いや~……落ちてますな、すでにww
    一人であれこれ葛藤しているミクが、端から見てて可愛くて仕方がありません。後半の心理描写は素晴らしいの一言です(カイミクファン的に)。これがニコ動だったら「ニヤニヤ動画」とかタグがついてるに違いねぇ。なんなら付けときましょうか? ニヤニヤ小説タグw
    まあ笑い話はともかく、ミクの初々しさの機微が丁寧に描かれた、とても良い回だったと思います。読む人間をニヤニヤさせられるのも、文章力あってこそですもんね。流石です。
    一人で怒って、自己嫌悪して、落ち込んで。いや本当に可愛いです。こういう娘こそ幸せになってほしいものですが、先を考えるとキツいですね。
    いや、今は先なんて考える方が無粋というものか。少なくとも今はとても楽しい、それでいいですよね!
    たいへんたいへん面白かったです、次も期待して待ってます!

    2009/04/05 22:59:35

  • 甘音

    甘音

    ご意見・ご感想

    こんにちは。

    そりゃー、ミクさんもショックですよー。運命(笑)の出会いをした直後ですから。
    カイトに対する誤解の表現をずっと迷ってて、候補には、「軟派」とか「フェミニスト」とか「女好き」とかあったんだけど、やっぱり一番しっくり来るのは「女たらし」でした。本人望んで無くても、たらし込んでるのは間違いないんですよ、この人。
    二人の関係に関しては、タイトルが一番物語っていると思います。そういうつもりで、書いています。

    カイト綺麗で良いですか?なら良かったです。
    この話は兎に角カイトがモテモテなので、必然的に美形設定になるんですよね。いや、ボカロたちは全員美形だと思いますけど。
    この話では、カイトの容姿に気合を入れています。

    動画、素敵でしたよー。
    私はKAITOもミクも持っていないので、歌わせてあげられているだけで尊敬します。私はそもそも歌わせてあげられる自信がありませんから。

    続き、そんなに待たせずにあげられたらな、と思います。いつも感想有難う御座います。

    2009/04/05 22:44:57

  • エメル

    エメル

    ご意見・ご感想

    こんにちわ

    えぇ!ミクすごいショック受けてるよー。私よりもショックの度合い大きいんじゃw
    カイトは嘘や誤魔化しなんて出来なさそうだしね。だからって肯定と取らなくたって・・・
    いや、案外「女たらし」より「他の女性に愛想振りまいてる」のが嫌だったりしてね。
    自分だけ見て欲しいみたいな。意外と独占欲が強いのかな。
    それにしてもミクも歌ってる時に既視感みたいなものを感じてるんですね。
    私、そういう表現大好きです。なんだろ運命とかそんな大げさじゃなくても強い絆とかそんなものを感じますよね。

    このカイトは綺麗という形容詞が一番合うとおもいますよ。
    容姿が綺麗で穏やかな仕草と表情に優しい声、もてるのも納得ですw
    KAITOはたしかにかっこいいやかわいいが多いけど綺麗というのも全然良いと思います。

    動画見てくださってたんですね。うわ~ありがとうございます!
    でもあの歌の良さは全部替え歌詞作者様のおかげです。私なんてヘボ調声で雰囲気ぶちこわし・・・

    今回もよかったです。続き楽しみにしてますね~

    2009/04/05 12:23:22

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