彼女は、……ミクは私にとって世界で誰よりも大切な少女だった。
それはとても遠い過去、まだ私も少女と呼べる程の年齢だった頃に……私は幼かった彼女に拾われたようなものだった。
……いや。その当時の事を語る必要は、今は無いだろう。
ミクという少女を、一言で語るなら……そう。彼女は、あんたとは丸っきり「正反対」の存在だったという、事だ。


 私は道中、己の主人――緑の国の娘についてリンに語って聞かせた。
別にミクの哀れな最期をこの娘に思い知らせたかった訳ではない。今さら彼女から同情や謝罪を要求した所で……なにも帰って来ないのだから。
それにリンもまた、形は違えど己にとって最愛の存在を失ったばかりだ。一体何を、望めよう。
ただ、気晴らしが欲しかったのかもしれない。この何も無い荒野を歩くのに、沈黙は重すぎた。

「あんた、彼女の身分がただの街娘ではない……と。本当は知っていたでしょう?」
「………………」
リンは黙ったまま、コクリと頷いた。
そのはずだ。ミクは何度か隣国で開かれる舞踏会に出席した事があるのだ。……隣国の主であるリンが客人を知らないはずが、ない。
「確かにミクもまた、貴族の娘ではあった。……だけど、彼女は贅沢を嫌って、ただの街人として日々を過ごしていたの」
ピクリ、とわずかにリンの肩が揺れる。私は表情を変えずに「別にあんたを責めている訳じゃない」と続けた。
実際……彼女はとても変わった思考を持つ少女だったのだから。

ミクは贅沢を嫌った。上等な布を使って美しく仕立てたドレスよりも、継ぎはぎを縫い合わせたエプロンを気に入っていた。
ミクは質素を好んだ。つやつやのフルーツで彩られたタルトよりも、なんの飾り気もない林檎を丸齧りするのが好きだった。
ミクは労働を望んだ。パーティーや貴族の娘達が好む遊びよりも、畑で食物を育てたり繕い物をして働いている方が心から楽しそうだった。

宝石よりも道中で摘んだ野花を。豪華な食事よりも質素な芋料理を。一見すると首を傾げるようなものばかりを自ら選ぶ少女だった。
彼女が望みさえすれば、宝石も贅沢も恋も自由に手に取ることが出来るというのに……それを、しなかった。それだけだ。

「なにより。彼女の一番変わった所は……私を召使として扱ってくれなかった」
「…………」
「私は彼女に絶対の忠誠を誓った。例えどんな残酷な事でも、彼女の望むことなら全て叶えようと思っていた。……だけど、彼女が私に望んだのは」


ただ、彼女の友人になる事だけだった。


きっとミクにとって、何よりの楽しみは私の口から聞く旅の話だったのだろう。
だから、私は暇があればふらりと旅に赴いては、あらゆる遠い国の噂話を持ち帰っていた。
彼女が御伽話に興味を示せば島国で人魚伝説を聞き、彼女が花を欲しがれば、山奥の村から珍しい色を咲かせる薔薇の苗を持ち帰りもした。
……街に住む彼女の代わりに、私が遠くへ趣いて彼女の目となり耳となる。
彼女のために出来ることなど、その程度しかないと思えば酷く情けなく、自己嫌悪に浸る夜もあった。彼女は求めなさすぎたのだ。
なのに。彼女は私を姉のように慕い、いつまでも傍に寄り添っていて欲しいとだけ願う。
目を閉じてみれば、いつでも鮮明に思い出せるのは彼女の定番の口癖だ。

『ルカは何もしてくれなくて良いの。貴方が傍にいてくれるだけで、私は幸せなのよ』

「……全く。従者泣かせの困った娘だったのよ。……彼女も」
語っているうちに彼女との楽しい思い出ばかりが蘇ってしまい、思わず私の唇が苦笑で歪む。
本当は分かっていた……。私も、どこにも行かずに彼女と共に過ごすだけの日々がどれほど幸せだったのかを。
しかし、彼女のために体を張りたい……という願望を捨て切れなかったのは、私の我侭故なのだろう。
何故、彼女の傍から離れてしまったのか。片時も離れず共に過ごしていたらあんな悲劇は起こらなかったのかもしれない。
少なくとも。私があの夜あの場に居さえすれば、あるいは己の命を投げ打ってでも、彼女を助ける行為くらいは出来たかもしれない……。
後悔は終わらない。今でも、何度も、悪夢のようにその悔いだけが私の背中に圧し掛かる。そして、この重荷を私はずっと抱え続けるのだ。

本音を言ってしまえば、あの召使だった少年が羨ましいとすら思えてしまう程に。

「…………今なら、私もあの子の気持ちが分かる……」
「え?」
黙って聞き手に回っていたリンの口から、ふいに言葉が漏れた。出会ってから今までのうちで、一番はっきりとした声音だったかもしれない。
「本当は、レンは何もしなくて良かったのよ。私、レンと一緒に過ごすおやつの時間が一番好きだったの。大好きなブリオッシュを、レンの淹れた紅茶で食べる瞬間がなによりも幸せだった。あの時だけは、私もレンも笑っていられたから。あの時だけが、昔と同じだったから。レンが居ればそれで良かったのよ。なのに……なのに皆、私からレンを奪おうとする。私が何か命令しないと、私がレンにしか出来ない事を言わないと、私が…………っ」
声が震えた。正気には戻っても、まだ感情をコントロール出来る程に冷静にはなれないのだろう。
馬と寄り添いながら歩く私の斜め上から啜り泣く音が聞こえたが、私は聞こえない振りをしていた。


……嗚呼、やはりかの少年が私には羨ましい。
少女はただ、少年の存在を惜しむばかりに無理難題を振りまいてしまったのだ。なんとも残酷で純粋な子供の我侭。
その貪欲なる親愛を、どうして責められよう。
私だって、本当は。ミクから望まれたかった。求められたかった。何よりも手放して欲しくなかった。


「どんな命令でも構わなかった。私がレンに言いたかったのは、いつも一つだけだったもの」
どんな命令でも構わなかった。私が彼女の口からその言葉を聞きたかっただけなのかもしれない。





何処にも行かないで。
私の為に、従いなさい。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります

残された者(3)【悪ノ二次】

唐突に光臨したネ以下略

閲覧数:1,080

投稿日:2009/02/13 23:21:42

文字数:2,455文字

カテゴリ:小説

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  • ま☆さ

    ま☆さ

    ご意見・ご感想

    はやーーーーーーーい!!うーーーれしーーーーーーーーーい!!!!!
    (3)もまた話にのめり込んじゃいました。
    1話づつなら堪えられたんですが、続けて読んだらまさにタグ通り涙腺崩壊です(;_;)
    本当はもっとうまく感想伝えられたらいいんですが、うまく文章にならない・・・です。
    月並みですが、ルカとリンにハッピーエンドとまではいいませんが、希望がみえるとこまでは書いてほしいな~
    ・・・アンハッピーでもいいですけど・・・
    あ、あとひとつ(?)お願い(要望)が。
    ノベルと同時進行で、ズサさんのイラストも見てみたいですねえ(ニヤリ)
    うpされてるイラストは明るめのものを多く描かれてるみたいなんで、こういった哀しい?イラストも
    見てみたくなりました。もっと涙ボロボロになるだろうけど・・・
    図々しいお願いですが、ズサさんの好きなペースでかまいませんので(ブクマさせてもらってるから見落とさないし)
    よければご一考を。
    では失礼します。

    2009/02/13 23:57:59

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