ザン……と波の音が響く。
街から見て西南の外れに位置するこの港……いや、港だった場所と言うべきか。この場所には寂しいだけの海と、既に人の気配も感じられない廃れた町跡しか無かった。
ここは昔、漁業を生業とする人々が集まった小さな港町があったと聞いた事がある。しかし、さらに南の方角へ下った先に帝国と結ぶ大きな港町が出来てからは、人々はそちらへ流れ、町は廃墟となった。
さして珍しい事でもないし、随分と昔の話だ。
このような辺鄙な場所へ好んで来るのは後ろめたい事情がある放蕩者か、余程の物好きだろう……。
廃墟の町から少し離れた場所にある高台で馬の足を止め、リンの体だけを地面に下ろしてやる。
「ここからなら誰が来ても分かるだろう……。私はここに居るから、この先はあんただけで行きなさい」
「え……」
「別にあんたを置き去りにしようとか、考えてないわよ。見張りが必要でしょう? ……それに、姉弟の別れの場面に水を差す程無神経でも無いわ」
「…………うん、分かってる」
「早く行きなさい。長居も出来ないから」
コクリと頷くと、リンは浜辺まで駆けて行った。
羽織っていたマントを脱ぎ捨て、波が打ち寄せる場所まで走る後ろ姿がこの離れた場所からでも見える。
リンはしばしの間、波に足を浸してぼんやりと海を眺めていた。そして、ポケットから何かを取り出して海に流したようだった。
その何かを、流石に私の視力では捉える事は出来なかったが、大体の事は予想できる。
……密かに伝わっていたこの地の伝説。どうやら彼女も、それを知っていたようだった。
『願いを書いた羊皮紙を、小瓶に入れてね。その港で流すと、願いが適うらしいの』
ミクの無邪気な声が脳裏に蘇る。
いつか……、その海に赴いて試してみたい。と、楽しそうに彼女は語っていた。そんな話をしていた……と思う。
海に託すような願いとはどんな願いなのか? そう……私は彼女に尋ねた気がする。
『願いは誰にも知られないから願いなのよ』と言って、彼女は笑っていたけども。
私なら、どうして居ただろうか。海に託してみろ、と言われた時に思いつく願い……。
いや。そんなこと、望んでみたところで唯の妄想……夢物語だ。思わず自嘲の笑みが浮かぶ。
例え死のうが生き延びようが、私が願うことなどいつも同じなのだ。海に託すまでもない。
「もし、生まれ変われるならば。生まれ変わっても……」
小一時間過ぎた頃、気が済んだらしいリンがマントを片手に抱えて戻って来た。
遠目に見ても、波打ち際に佇んでからは特に動こうとする様子もなく、大人しいと思っていたが……目の下にうっすらと残っている涙の跡を見つけて、私は察した。
「……もう、大丈夫。行こう」
既にリンの瞳に迷いは無い。私はただ、黙って頷いた。
二人で馬に跨り、街道を駆ける。
この道の先にあるのは、お世辞にも決して安全とは呼べない山道だけだ。
進める場所までは、一気に駆け抜けてしまいたい。本当の危険は、これからだ。……そして、その危険を乗り越えても、私達は生き延びなくてはならない。
私はリンに何度も言い聞かせる。リンも、何度も頷いて言葉を聞き入れた。
――運命共同体。……変な話だが、私とリンの関係にあえて名前を付けるとしたら、そう呼ぶのだろうか。
唯一の召使を失った皇女と、絶対の主を失った召使。あの日の夜に、私達は出会った。
…………本当に。滑稽としか呼べない、残された者の酷い物語だ。
「……そういえば、あんたに……悪ノ娘に会ったら、一度聞いておきたい事があったのよ」
馬の手綱を繰りながら、腕の中で身を縮めているリンに声を掛ける
「緑の国だった場所……。あそこの一番見晴らしの良い場所に、ミクの墓があった。他の民はゴミのように死体が投げ出されていたのに……あの子だけ、あの子の為の墓標が。真新しい花も供えられていた。それが青の皇子の仕業だったのなら分かるけど……あの皇子なら、あんな場所に墓を作るはずがない。私にはそれだけが気掛かりだった。……あれは、あんたの情けだったのか?」
もし。もしも、それが私の予想通りだったのなら。悪ノ娘が、自ら手を掛けた恋敵に対してそんな薄っぺらい情けを掛けたのだったら……。きっと私は、生涯をかけてこの娘を許す事が出来なくなるだろう。
――しかし。リンは少し驚いた様子で目を見開いた後……ふるふると首を振ってその問いを否定した。
「……知らない。私は、あの子の墓の事なんて何も知らない。……でも。多分、その墓標は――レンが作ったんだと思う」
そう言って、リンはただ悲しそうに苦笑を浮かべるだけだった。
リンの口から聞いたその言葉は、私には初めて耳にする……また、もう一つの物語だった。
召使の少年は、実は緑の国で出会った少女に恋をしていたらしい。
しかし、その少女はすでに青の皇子と恋仲にあった。
悪ノ娘の想い人は青の皇子だった。
哀れな双子は、ある舞踏会でその事実を目の当たりにし、二人同時に失恋した事になる。
……が。悪ノ娘にとって、その失恋よりも召使が恋をしていた事実に動揺した。
自分が好いている人物を……二人とも、魅了してしまった緑の国の娘。
あの女が、私から奪ってしまう。恋も、唯一無二の片割れも。
故に、彼女はいつものように深くも考えずに言ってしまったのだ。
「緑の国など、滅んでしまえば良いのに」
「あの女を、殺してしまいたい」
召使は、それを忠実に実行した。
一夜のうちに小国で武力もさほど持っていない緑の国を襲い――召使自ら、愛する少女の命を奪った。
「緑の国が滅んだと私が知ったのは、その事件があった翌朝だった。……私は素直に喜んだわ。また一つ、私から大切なものを奪う存在が無くなった……って。だけど、それからすぐに知ってしまった」
召使は、本当にその事実を悲しみ、悔しんだ。
涙で頬を濡らさない夜は無く。ただ1人、夜空の月に向かって祈りを捧げていた。
「……私はとんでもないものを、いつもレンに背負わせていた」
本来、その手が血に汚れるべきはいつも自分の方だったというのに。
「…………そんなに、あの子の事が好きだったんだ……レン」
スン、と鼻を啜る音が聞こえる。私はそれを聞きながら、黙って手綱を振った。
……その少年の物語を語るべきは、私の役目では決して無い。
まだ視線の先には遠い山並みを目指して、私達は馬を駆る。
「悪ノ娘」を連れた逃亡劇は……まだ始まったばかりだ。しかし、私はあえてここでこう願おう。
いつか、この少女と少年を主役にした悲劇が、ただの言い伝えとして語り告げられる御伽話になる事を――
-end-
残された者(5)【悪ノ二次】
唐突に光以下略。
……随分と駆け足で書き連ねましたが、この物語はここで一度終わります。
ホント、思いつくがままに勢いだけで書いた文章なので…読み返した時に、顔から火が出るほど赤面するだろう数日後の自分が容易に想像できます(笑)
しかし、悔いは無いwwwww
願わくは、この物語が誰かの「悪ノ」、ひいてはボカロの世界観が広がる切欠でありますよう^^
……つか本当に巡音サイドの「悪ノ」新作を誰か作ってry……いやすみませんなんでもないですorz
あ。なるべく本家原曲様のイメージは壊さずに盛り込むよう努力していたのですが……一部、私独自の解釈が含まれて「あれ?」と思う部分があったかもしれません(汗)
その辺をも物語れる機会がありましたら…………まぁ、それはまたその時に。
稚拙な文章、乱筆乱文で失礼しましたが、ここまでお付き合いして下さった皆様には多大なる感謝を!
PS。この作品にまつわるイラストは……うん、まぁ。気が向いた時にでもうpしたいと思います(笑)
コメント4
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ご意見・ご感想
wanita
ご意見・ご感想
はじめまして。wanitaと申します。
ミカンの話など、旅の描写が実感を伴って伝わってきて、面白かったです。
私もぼちぼちと文章を上げていて、風景が見えるような物語をつづりたいと思っていたので、ズサ様のこの物語は、とてもまぶしく素敵に感じました。
最後の一文が、いいですね! では、また遊びにきます☆
2010/05/20 00:42:06
レイジ
ご意見・ご感想
はじめまして!
レイジと申します。
実は以前からズサ様の『残された者』が気になっておりまして、今日ようやく時間がとれて読むことが出来ました。
自分が今丁度同じ『悪ノ娘』を題材に小説を書いていることもあり、どんな物語になっているのだろうと考えながら読ませて頂きましたが、読みだすと止まらず、一気に最後まで読んでしまいました。
絵も文章も上手いなんて・・羨ましすぎます。。。
では、突然のコメント失礼しました!
良い作品をありがとうございました!
2010/05/14 23:57:57
空花。
ご意見・ご感想
感動です。゜(>O<)゜。
ブクマさせていただきました!!
悪ノ物語すごい好きです!
ありがとうございました!
2010/04/05 13:02:28
ま☆さ
ご意見・ご感想
最後までガッツリ読ませていただきました。
どちらかが悲哀するでもなく、すぐ幸福への道が見つかるわけでもなく、先々の安らぎ(幸せ?)を願う終幕はいいですね。
というか、これ全部唐突に頭に浮かんだならすっごいですね!!
ズサさんの発想と表現力にはただただ感服するばかりです。・・・ホントですよ(笑)
イラストはまた天啓が降りたら書いていただけることを首をなが~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~く・・・じゃない、ゆ~~~~~~っく~~~~~~~~り待たせてもらいます、ノベルも同様に(ニヤニヤ)
また作品がうpされてたらナマイキいうかもしれませんがコメントさせてくださいね。
ではこのへんで失礼します。
2009/02/15 01:56:54