人の縁

 青の国最南端の港町にて。
 屋敷で執務を行っていたカイトは、最後の書類を読み終えて判を押す。案内人業が中心とはいえ、王子として報告書に目を通すのも仕事の内だった。
「ふう……」
 肩のこる事務作業から解放されて伸びをする。王子として政治に関わるより、案内人として観光客を相手にする方が性に合う。そう考えてしまうのは単に王室に執着が無いからなのか、それともこの町で暮らして来たからなのか。
 あるいは……。
 背中を椅子に預けて天井を見上げる。自然と頭に浮かんだのは、鈴の名を持つ金髪蒼目の少女。彼女に出会えたから、より一層思うようになったのか。
 何となしに窓へ顔を向ける。二階にあるこの自室からは、港町と海を一望する事が出来るので、水平線も眺めるのも可能だ。
 あれから数週間。リンベルはもう王宮へ行ったのだろうか。憧れのレン王子に会えただろうか。
 海の向こうに暮らす彼女へ想いを馳せていると、ドアをノックする音が耳に届いた。
「カイト王子。よろしいでしょうか?」
 まだ仕事があるのかと不満は出さないように、カイトは召使に許可を出す。
「構わない。入れ」
 ドアが開く。召使は失礼しますと言って入室すると、持っていた封筒を主人の前に差し出した。
「お手紙です」
 笑顔で手渡された封筒を受け取り、カイトは海を越えて来た手紙を丁寧に机の上に置いた。他に書類や仕事は無いかと召使に確認し、肯定が返ってくる。
「分かった。ご苦労」
 カイトは肩の力を抜き、召使に労いの言葉をかける。召使は嬉しそうに顔を綻ばせて一礼した。
「はい。それでは失礼致します」
 退室する召使を見送り、カイトは机へ視線を落とす。書類と今しがたその脇に置いた封筒が目に入り、紋様を描いた封蝋を指でなぞった。
 緑の国の王女ミク・エルフェン。それが手紙の差し出し人だ。半年ほど前に緑の王族が青の国を訪問した際に初めて出会い、それ以来たびたび手紙を送ってきたり、遠路はるばる青の国へやって来たりする。
 緑の国と関係を良好にしておくのは、青の国にとっても損になる事は無く、むしろ利益になる方が大きい。黄の国からの旅行客が減少している昨今、緑の国から多くの観光客が来てくれるのはありがたい。
 しかし、ミク王女と仕事以外で付き合えるかと問われれば、正直答えは否だ。大切な友人とは思えるが、それ以上の異性として見る事が出来ない。
 それに大陸二国の関係を考えると、青の王族が緑の王女と結ばれるのは避けたい所でもある。

 黄と緑は昔から小競り合いが絶えず、国境や領土を巡って戦争が起きた事も少なくない。十年前に起こった紛争を最後に休戦、和平が実現しているものの、まだ国同士の仲は友好とは言い難い。
 王宮から聞いた話によると、黄の国のレン王子は緑との友好を求めており、政略か個人の感情なのかは不明だが、ミク王女へ想いを寄せているらしい。緑の王室も悪い話では無いと考え、王女に婚姻を勧めているとか。
 国の為を考え、民の事を考えるのなら、はっきり言ってミク王女はレン王子と結ばれるべきだ。長年の争いに終止符が打たれ、黄と緑は平和な時代を迎える事が出来た。ここ数年でお互いの王族が催事に招待したりされたりとした交流もあり、良好な関係へほんの僅かでも進み出している。
 今は新しい時代の芽を成長させなくてはいけない時期だ。個人的にも青の国としても、レン王子を出し抜くような真似はしたくない。
気のせいなら良いのだが、ミク王女は父である緑の王や重臣への反発心から青の王子に走っているように見える。彼女の立場や紛争時に起こった事件を考えれば分からなくもないが、一国の王女としてはあまり褒められた行為ではないだろう。
 もしどちらかが、あるいはお互いが一般市民だったら。こんなややこしい事にはならなかったのだろうか。
 カイトは疲れた表情で椅子に背中を預け、思考を追い出すように呟く。
「王族ってホント面倒だよなぁ……」
 お飾りで目立たない上、ふらふらと遊んでいる自分が言う資格は無いとは思うが、口に出さずにはいられなかった。

 カイトが愚痴をこぼした日の夜。
 胸の中で太鼓を打っているような鼓動を覚えながら、リンは廊下に立っていた。
 緊張で手足が震えているのが分かる。歯の根が合わないのは、ずっと隠して来た事を打ち明けるからだ。
 大丈夫。大丈夫……。
 目の前のドアを見つめて必死で言い聞かせる。今更話さないなんて選択は無いし、明日の朝に出立する以上、今じゃないと駄目なのだ。
 ドアを開けるのが怖い。前に進むのが堪らなく不安で、踵を返して自分の部屋に逃げたくなる。知らない方が相手にとって幸せだと囁く声が聞こえた。一瞬その誘いに乗りかけて、首を振って否定する。
 この前決めたじゃない。全部話すって。だからユキが寝るまで待っていたんでしょ。
 キヨテルとミキはドアを隔てた向こうにいる。後は自分が居間に入るだけだ。ずるずると延ばして来た事に片をつけるのは、今しかない。
 少しでも落ち着こうと大きく深呼吸をする。重い感覚がする右手を持ち上げて、小刻みに震わせたままドアをノックした。
 中からキヨテルの返事が聞こえ、リンは危険な物を触るようにドアノブを握った。ゆっくりと回してドアを開き、ほとんど擦り足で居間へ入る。キヨテルとミキの視線がリンへと向いた。
「どうしたの? そんな顔で」
 緊張した面持ちのリンに、ミキは心配そうに声をかける。キヨテルは無言で二人を見やり、次の言葉が出るのを待つ。
「キヨテルさん。ミキさん」
 リンは改まった態度で口を開く。迷ったように一度視線を下に落とし、両手を握りしめて正面を向いた。
「私、ずっと隠していた事があるんです」

 キヨテルとミキに向かい合う形でソファに座り、リンはこれまで心にしまっていた秘密を包み隠さずに話した。
「そんな迷信でリン、様を追い出したなんて……」
 貴族達はどうかしていると怒りを露わにするミキに、リンは安堵と嬉しさを感じていた。本名でも偽名でも呼び捨てで良いと伝えて、確認の為に質問する。
「やっぱり、双子が不吉って言うのは知らなかったんですね?」
「聞いた事も無いわ。と言うか、貴族達のでっち上げじゃないかと疑ってる」
 むしろその方が納得出来ると言い切り、道理で、とミキは呟く。
「だから王宮で働くのにこだわっていたのね。レン王子の元へ行く……、いや、弟の所へ帰る為に」
 リンの様子が不自然だった理由が解け、ミキはすっきりした表情を浮かべる。リンは全てを告白した解放感と晴れていない不安を抱いたまま、ミキの隣へと目を移した。
 話し始める前から終わるまで、そして今現在でもキヨテルは沈黙を守っている。眼鏡の向こうある目を覗き見て、リンは顔を曇らせる。
 怒っているんだろうな。きっと。今までずっと騙していたのも同然なんだから。
「そうか……」
 眼鏡を指で押さえ、キヨテルは重く口を開く。目を閉じて長い息を吐いてから、やや俯いていた顔を上げてリンを見つめた。
 罵倒される。リンは瞬時に判断して覚悟を決めていたが、キヨテルの口から発せられたのは意外すぎる言葉だった。
「やっぱり君はリン王女……。アンの娘だったんだな」
 何を言われたのかが一瞬分からず、リンは呆気にとられてぽかんとする。
「えっ……?」
 もしかして、ずっと前からばれていたんだろうか。知っていた上で自分を育ててくれていたんだろうか。
 疑問符を浮かべるリンを、正確にはリンの目を見つめてキヨテルは頬笑む。
「君の目はアンにそっくりだ。顔は父親似なのかもしれないけれど、目は母親から受け継いだみたいだね」
キヨテルはゆっくりと目を細める。まるで旧知の仲のように黄の国王妃を語られ、リンは呆然と尋ねた。
「母を……知っているんですか?」
 ミキも唖然とした顔を夫に向ける。ちゃんと説明しろと言う目を受けて、キヨテルは過去を懐かしむように笑う。
「僕が十代の頃、聖歌隊にいたって話はしたよね?」
そんな事あったかとリンは記憶を探る。少々時間を置いて、とある情景が頭を掠めた。
「あっ。あーはいはい! 思い出しました。言ってましたね」
 そうだと得心がいき、リンは明るい声色で答える。初めて会った時だったと話すと、良く覚えているなとキヨテルとミキに驚かれた。
「その時だっけ? ……まあとにかく、僕は王妃になる前のアンを知っていたんだよ」
「そっか、母上は昔教会にいたから……」
 そこで知り合ったのかとリンは納得する。何の事かと疑問符を浮かべたミキに、黄の国王妃は結婚するまで教会で働いていたとキヨテルは言い添える。
「僕にとっては友人であり、憧れの人だったよ」
 彼女はれっきとした貴族であったのにも関わらず、平民の自分にも分け隔てなく接していたと語り、たまにやんちゃな事にも付き合わされたと冗談交じりに話す。
 聖歌隊を辞めて商人の仕事を始めてからは、働くのに忙しくて教会に行く時間が無くなっていた。自然とアンと会わなくなってしばらくの年月が経ち、その名前を久々に聞いたのは、黄の国の王レガートの婚姻発表の時だった。
 キヨテルは遠い目をして語る。
「王妃が彼女だって知った時には驚いたよ。まさか知り合いが王様と結婚するなんてさ」
リンは感じ入った様子で息を吐く。若かりし頃の母の話を聞いたのもそうだが、その母とキヨテルに接点があったなんて。世間は広いのか狭いのか分からない。
 まだ気になる事があり、リンは問いかける。
「私が王女だって事は、分かっていたんですか?」
「もしかしたらとは考えたけど、確信は無かったよ。リン、から話さない限り、アンの事も話す気は無かった」
 キヨテルは言い慣れていない本名でリンの名を呼ぶ。疑念を持ちながらも見守ってくれていたと胸が熱くなり、リンはうっすらと涙を浮かべた。
「……キヨテルさん。ミキさん」
 座ったまま体を曲げて頭を下げる。
「感謝してもしきれません……。ありがとう、ございます……」
前髪とリボンを垂らし、しゃくり上げながら礼を言った。

 翌日の朝。
 本日一番の馬車便の前に、リンと彼女を見送るキヨテル一家の姿があった。
「お姉ちゃん、行っちゃうの?」
 今にも泣き出しそうなユキに見上げられて、リンは言いにくそうに答える。
「……うん。王都でやる事があるから、もう行かなきゃいけないの」
 ユキは服の裾を握り締め、泣くのを必死で我慢している様子だった。ユキの前に屈み込み、リンは妹の頭を優しく撫でる。
「休みか何かで帰って来たら、その時は本を読んであげるよ」
「本当?」
 リンが微笑んで頷いたのを見て、ユキは右手を差し出した。
「じゃあ、約束!」
 指切りしようと小指を立てる。リンも同じようにして小指を絡ませて、上下に軽く腕を振った。
「行ってくるね」
 指を離して姿勢を戻し、リンはキヨテルとミキへ深々と礼をする。
「長い間お世話になりました」
 ミキはリンを抱きしめ、いつ帰って来ても良いからと伝える。
「気をつけてね。……行ってらっしゃい」
 二人が抱擁を解いた所で、キヨテルはリンへ言葉を送った。
「体を壊さないようにね……。元気で」
 リンは再び礼をする。彼がいなければ、希望の糸を掴む事すら出来なかった。
「助けてもらった御恩は一生忘れません。……ありがとう」
 手荷物を持って三人に背中を向ける。馬車に乗り込む寸前、リンは振り返ってとびきりの笑顔を見せた。
「お父さん。お母さん。ユキ。行って来ます!」
 驚いた表情をしたキヨテルとミキ、泣く直前のユキへ手を振って、リンは馬車へ素早く乗り込んだ。

 ミキにしがみついて泣き出したユキの頭を撫でて、キヨテルは遠ざかる馬車を眺める。
「……やっと呼んでくれたな」
 眼鏡を外して両目を手で押さえる。ミキも目を潤ませて目を擦った。
「ええ……」
 三年間、自分達をずっと名前で呼んでいた彼女が初めて呼んでくれた。
 お父さん。お母さんと。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

蒲公英が紡ぐ物語 第17話

 リンレンの髪は父親譲り。目は母親譲り。

 やっと話が進んだ気がする……。

閲覧数:362

投稿日:2012/06/26 21:14:57

文字数:4,943文字

カテゴリ:小説

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  • wanita

    wanita

    ご意見・ご感想

    読み進めてまいりました☆
    緑の彼女の影が気になりますね。そしてちらりと出てきたハクさんが、ちゃんと支えてくれる人間を得ていることに安堵しました。
    あの子はあっちこっちで薄幸の少女のポジションにいるので、人相は悪いけれども良い人にめぐりあっているようでほっとしました。出会いにもドラマがありそうですね。

    そして青の王子がどうやら「出来るタイプの良い人」のようで、今後が楽しみです。
    彼のようなおおらかな王子が育つのだから、青の国は余裕のある豊かな国なのだなと想像できて、癒されます。対する黄の国は、上層部がいっぱいいっぱいで危うい感じですね。
    今後の展開を楽しみにしています。

    2012/06/27 22:26:16

    • matatab1

      matatab1

       おお、同じ日に二通目。ありがとうございます。

       やっとミクを(名前だけでも)出せたのにほっとしています。実際の登場はまだ先になりそうですが。

       デルは子どもが好きで面倒見もいいんだけど、子どもにビビられるイメージがあるんですよね、何故か。顔つきや雰囲気のせいで勘違いされちゃうタイプのような。デルハクは結構好きです。
       
       今回の話では青の国が一番平和だと思いますね。王族に嫌味じゃない余裕があるから、国民も安心して国を任せられる感じです。

       展開がちょっと遅めですが、今後もよろしくお願いします。

      2012/06/28 17:59:00

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