50年前、2009年。
北海道の中核都市である旭川市。そこをやや南下した所に栗布頓町(くりふとん)という小さな町がある。炭鉱で栄えた時期もあったのだが、近代化に伴い石炭の需要は激減し廃坑となった。基幹産業が失われ、人口は十分の一程にまで減る。
それでも3000人の人口を残し、更に近隣に高校が無い為に、この辺りの子供達は余程の事が無い限り、この町の高校に通う事になる。
長い冬、深い雪。だから―――この町の春は遅い。
なにせ5月のはじめにやっと、桜が咲き始めるのだ。
北海道立栗布頓高校の校門には、そんな遅咲きの桜が開花した時期。
一人の新入生の女子生徒が、とある部室の扉を控えめにノックした。
扉の上には【書道・美術室】と表札が掲げられている。
女子生徒は大人しげな雰囲気、制服のスカートは膝下の長め、校則とおりに白いソックス。髪はボブカットで、眼鏡をかけていた。胸元には大きなスケッチブックを大事そうに抱えている。クラスで決して目立つ事が無さそうな大人し気な生徒。
そんな女子生徒だ。
「あ、あのう・・・ここは美術部・・・でしょうか?」
そろりと扉を少し開け、顔を出し、女子生徒は室内を見渡す。室内はカーテンが閉め切ってあり真っ暗だった。しかし何か気配を感じた彼女は、中央にはもぞもぞとした黒い布を被った塊を見つける。その、黒い布を被った塊から僅かに青白い光が漏れていた。その時、半開きの扉に、女子生徒の足元が「どんっ!」とぶつかった。
「はっ?! 誰か来たっ!! 先生だったらまずいでヤンす―!」
「れ、冷静に! 書生がPCの電源を落とす!」
そんな声が塊から聞こえたが、女子生徒は速やかに扉を閉じ、その場から離れようとした。しかし。閉じた扉から只事でない大きさで音楽が流れ、彼女は驚き、おもわず身をすくませた。鳴り響く音楽は廊下にも洩れた。それは軽快な踊り出したくなる洒落たリズム。音楽のジャンルなどには詳しくは無いが、これなら彼女にもわかる。いわゆるジャズミュージック。そしてその旋律に乗った歌声は、作り物の様な女性の声。
「書生殿~~! それは電源じゃないでヤンす! アンプの音量つまみでヤンすよ!」
「むむぅ・・・これはとんだ失敗を。ヤンス氏、申し訳ない」
「それよりもアノ人、ほっといていいでヤンすか―?!」
「否っ! ヤンス氏、あの人を捕獲するでござる!」
「がってんでヤンす~!」
女子生徒があっけに取られている間に、腕を引かれ室内に引き込まれてしまった。
「きゃ―! きゃ――!! きゃっ・・・??」
彼女は目を閉じ叫んだのだが、腕を引かれたのは一瞬で、その身は無事だ。彼女は恐る恐る目を開く。薄暗い教室の床には2人の男子生徒が土下座していた。しばしの沈黙。―――妙な間に耐えられず、女子生徒が最初に声を出す。
「あ、あのう・・・」
2人は頭を下げたまま、口を開いた。
「お願いでござる! 書生に免じて、ここで見た事は―――」
「内緒にして欲しいでヤンす・・・」
女子生徒はどういう意味かわからず、3人を見下ろしていたが、室内の中央に置いてあるノートPCを見て、何となく状況を察する事が出来た。
どうやら彼等は学校にノートPCを持って来た事を、内緒にして欲しいのだろう。彼女はひとまず「・・・はい」と頷く。もちろんこの事を他言するつもりは無い。
土下座していた2人は「はぁ~~良かったぁ~~・・・」と声を合わせて吐き出すと、その場に立ち上がった。
「書生は、2年生である。ここの部室では"書生"と呼ばれておる」
「僕は1年生でヤンす。ここでは"ヤンス"と呼ばれているでヤンす!」
女子生徒は後ずさりし、頷く。
「書生さん・・・ヤンス君・・・」
「ほほう・・・書生の推理だと、貴女は入部希望者とお見受けしますが?」
「新部員でヤンす! おにゃコの! ぶひぃ~~~~っ!!」
鼻息荒い2人の部員達。女子生徒は即座に高速で首を横に振ると「間違えました。ゴメンなさい」とお辞儀し室内を後にしようとしたが、再び男子部員の3人は軽やかに前に回り込むと、再び土下座を躊躇なく決めた。
「すまない! 女の子の部員希望なんて初めてなもので、ついつい興奮して心がピョンピョンしてしまった・・・」
「僕も、ついついブヒってしまったでヤンす・・・。ゴメンなさいでヤンすっ!」
何を言ってるのかわからないが、どうやら謝罪をしているのはわかった。
そして、女子生徒に入部して貰いたい様だ。
怪しい2人が在籍する美術部。こんな部活に入れば、何か面倒事に巻き込まれるに違いない。そう思った女子生徒は、再び「やっぱり勘違いでしたゴメンなさい」と、ひとまず謝って、この場から速やかに去ろうと考えた。
―――だが、先ほど耳に入った音楽が少しだけ気になり、PCの方についつい目を送る。その視線に目ざとく気づき、書生は言った。
「・・・さっきの気になっておるな? 先ほどの音楽を―――」
「え! ・・・いえ。その・・・」
図星。女子生徒は視線を逸らして眼鏡を直し、戸惑いを誤魔化そうとした。そこを付け入るように書生が進言する。
「客人よ! よろしければもう一回、上映しますぞ!」
「賛成でヤンす! 皆で見るでヤンす―! ささっ! こちらでヤンす~」
そして半ば強引に、ヤンスにエスコートされPCでの上映会が始まる。見回りに来る先生を恐れて3人は机の上に置いたPCの向かいに並び、全員に掛かる様に頭から先ほど被っていた黒い布を上から覆った。
「・・・んむ☆」
どちらが溢した声かはわからないが、男子生徒2人は緊張した。黒い布の中に柔らかな香りが立ち込めたのだ。これは明らかに女子生徒の髪の香り。書生は少しばかり強ばった指先でノートPCのタッチパネルを操作し、動画サイト画面上の再生アイコンをクリックした。少々のローディング時間、そして動画が再生される。
柔らかなスキャット。ハイハットが割り込みリズムを刻む。ブラスが溢れ響き、ピアノが転がるように旋律を追いかける。画面にはツインテールの二頭身キャラが愛らしく、ステージでスポットを浴びているイラスト。
『ミラクルペイント』という曲が始まり、3人は画面から既に眼が離せなくなっていた。3人の男子生徒はこの曲を何度も聴いている。だが女子生徒は初めてだ。
「ボーカロイドって言うでヤンす」
「ぼーか・・・ろいど?」
「左様。音声合成シンセサイザーでござる。そしてこの声は、初音ミク。まさに電子の歌姫である」
「電子の歌姫・・・」
少し不自然だが女の子の柔らかい声は心地よい。しかし画面の下に添えられた歌詞がなければ聞き損じてしまう。だから目は歌詞を。耳はジャズのリズムを集中して追う事が出来た。
だから彼女は初見でも理解できたのだ。
「・・・この歌は、絵を描いてくれた人に、ありがとうを伝える曲なんだ」
画面を見続ける女子生徒。彼女の目は画面の光に照らされ、粉雪をまぶした様に瞳は輝いていた。
その横顔を、ばれない様に必死に見つめる書生とヤンス。
男子生徒2人が恋に落ちるには充分なシュチュエーション。―――そして。
女子生徒はこの新しい画面の中のカルチャーに、一瞬で恋をしてしまったのだった。
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uraHikoO
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