戦う事 守る事
「勿論謝礼は払います」
ややあってから静寂を破ったのはミク。それくらいは当然だという態度を表に出して続ける。
「望みであれば、革命後に王宮へ戻れるよう取り計らいましょう。そもそも、貴女は田舎の自警団などで納まるべき人間ではありません」
ミク王女は褒めているつもりなのだろう。しかしメイコにとっては現在の居場所を侮辱しているように聞こえた。華やかな王宮と賑やかな王都しか知らない少女の目には、この町は粗野で価値の低い土地に映ってしまうのか。
元王宮騎士であり近衛兵隊長だった人間が野に下り、地方の自警団に甘んじている。ミク王女はそう考えているのだと思うが、そんな同情は無用だ。自分は今の生活に不満を覚えていない。
「仕えていた王宮に謀反を起こすのは心苦しいかもしれません。ですが、東側の国民を救うには貴女の力が必要です」
ミクは一度区切り、メイコを真っ直ぐ見据えて告げた。
「元黄の国近衛兵隊長、『赤獅子』メイコ・アヴァトニー殿」
かつての肩書きを口にされ、メイコはミクの言葉を噛みしめる。
「……随分懐かしい呼び名ですね」
そう呼ばれていたのは六年も前の事。王宮を追放された近衛兵隊長の話は風化し、ほとんど聞かなくなっていた。鎧の色に因んだであろう『赤獅子』の異名も既に過去の物だ。
「騎士の誇りを失っていなければ、弱き者達の為に戦って欲しいのです」
ミク王女が指す弱き者とは、王宮を打ち倒そうとする国民達。悪ノ王子を討たんとする彼らに力を貸すのが道理だと言っている。話を聞く限りでは義勇溢れる反乱軍に加わるのが正道だろう。
だがメイコは二つ返事をしなかった。
「少し、時間を貰えますか」
反乱に参加するかしないか決めかねている。良い返答を貰えなかったミクは眉を顰めたが、やがてしぶしぶ納得したように言った。
「分かりました。しかしそちらにも事情があるでしょうが、革命は黄の国民の為です。早めの決断を」
あくまで反乱の誘いを諦める気は無いらしい。とにかくレン王子は打倒するべきだと主張して、ミク王女は護衛と共に部屋を出ていった。
その夜。仕事を終えて帰宅したメイコは、物憂げな表情で酒瓶を傾けていた。向かいの席に鎮座する赤と白の二色を視界に納めて酒瓶を置き、メイコはグラスを手に取る。
近衛兵の証である赤い鎧と、父の形見の白いマント。もう何年も身につけていないものの、騎士時代の誇りだった双方の手入れは怠っていなかった。
あれから六年も経っている。レン王子が変心していても別におかしな事ではない。八歳と十四歳では考え方が違うのは当たり前だ。もしかしたらミク王女の情報通りなのかもしれない。
「『悪ノ王子』か……」
ミク王女はレン王子を悪と呼び、討つべき対象だと語っていた。黄の国を救うには彼を殺すべきなのだと。
国民の立場を考えれば、王宮を打ち倒そうと思うのは自然な行動だ。もし自分が何も知らない部外者だったら、ミク王女の情報を鵜呑みして反乱に参加するのを躊躇わなかったかもしれない。
だけど、とメイコは酒を煽る。青の国への侵攻も臣下の粛清も、レン王子の本意によるものなのか。
「変わってしまわれたのか? 王子……」
言葉に出してみたが、過去の彼を知っている身としてはやはり腑に落ちない。現在のレン王子しか知らなければ疑問を持たないのだろうが、昔なら考えられない所業だ。
あれはいつの夜だったろう。レン王子が一人で尋ねて来たのは。両親にも双子の姉にも相談出来なかった悩みを打ち明けてくれたのは。
再び注いだ酒を飲み進めていく内に、一つの思い出が鮮やかに蘇った。
黄の国近衛兵隊長兼、レン王子の剣術指南として過ごしていたある日の事。メイコは王宮の私室を訪ねて来た人物に目を丸くした。
大半の人間、特に子どもはそろそろ就寝する時刻。てっきり部下の兵士等がやって来たのかと思っていたが、ドアの向こうに立っていたのは金髪の少年。自分が稽古を付けている黄の国王子レンだった。
「王子? 夜分にどうなさいましたか」
問いかけられたレンはメイコを見上げ、何故か悲しそうな表情で下を向く。俯いたまましばらくまごついた後、蚊の鳴くような声で答えた。
「先生……。僕、剣術を止めたい」
どうして、と思わず言いかけ、メイコは喉まで出た言葉を飲み込む。レン王子の態度を見るに、おそらく悩んだ末に勇気を振り絞って直接伝えに来た。いきなり問い詰めても萎縮してしまって逆効果になる。
少しくつろいだ状態の方が話しやすいだろう。嫌がるならそれで仕方が無いと思いつつ、メイコはレンを部屋に招く。
「とりあえず中へ。何もありませんが、座って話をする場所ならあります」
レン王子には温めたミルクを、自分にはお茶を用意してメイコは席に着く。王子はカップを両手で包んで何も言わず、お茶を口に運ぶメイコも問い質す事はせず、二人の間に静かな時間が流れた。
「……人を傷つけたのに、みんな僕を褒めるんだ」
ミルクに口を付けたレン王子はぽつりと言い、王宮をこっそり抜け出していた事を白状してから訥々と語り出す。
リン王女と一緒に城下を歩いていた時、チンピラ風情の男が老人に言いがかりを付けている光景を出くわした。一方的に怒鳴り散らす有様を目にしたレン王子は、咄嗟に木の枝を拾ってチンピラに斬りかかったらしい。
無我夢中で枝を振り回している内に人が集まり、巡回中の兵士が駆けつける程の騒ぎになっていた。チンピラはすぐ兵に取り押さえられ、双子の王子と王女は揃って保護された。
老人にはお礼を言われて、リン王女や兵士達には褒められた。だけど気持ちがもやもやしているとレン王子は言う。
「痛がってる人を見て凄く嫌だった。僕が怪我をさせたんだって思ったら、急に怖くなって……」
話しながら涙ぐみ、レン王子は嗚咽して続ける。
「あんなのもう嫌だ。誰かを傷つける剣術なんていらない」
「王子……」
大半の子どもなら自慢するような出来事。だがレン王子はそう捉えられなかった。誰かを傷つけた罪悪感が強いのに、周りは己の行動を称賛する。
勇敢に立ち向かって偉い。危険を恐れずに良くやったと。そんな感情が湧くのは妙な事ではない。むしろ一般的だ。けれども王子にとって、人に怪我をさせて褒められるのは矛盾だった。
優しくて純粋だからこそ、レン王子は力を振るった事に疑問を持っている。自分は何をしてしまったのかと。
「王子」
メイコの呼びかけにレンは顔を上げる。充血した目はまだ潤んでいたが、一頻り泣いて落ち着いた様子だった。
「大切な事を忘れていますよ。王子が剣術を使えたから、その時の人を助けられたんです」
誰かを傷つけただけじゃない。守れた人だっている。師匠にはっきりと告げられ、レンは驚いたように目を見開く。
「王子は相手が悪者だから攻撃しましたか? それとも困っている人を助けたくて斬りかかりましたか?」
剣を振るうという結果は同じ。しかし理由は全く違う。十にも満たない子どもには難しい問いだが、メイコはあえて王子に尋ねた。
「……分かんない。おじいさんが怒鳴られてるのを見るの、やだった」
素直な返答を聞いたメイコは微笑み、レン王子を穏やかに諭す。
「それなら、王子が剣を使ったのはそのおじいさんを守る為です。人を傷つける為に剣を使ったのではありません」
「そうなの、かな……」
緊張が解けたのか、レン王子はようやく安堵の表情を浮かべる。こんな顔が出来れば大丈夫だ。理解出来たかどうかは一先ず置いても良い。
もう時間も遅い。今日はここまでだとレン王子に伝え、メイコは肝心な知らせを付け加える。
「何日かかっても構いません。剣術を止めるか続けるか。決まったら教えて下さい」
それから数日間、レン王子は稽古に姿を見せなかった。家族には何も話さなかったらしく、レガート国王やアン王妃は息子が悩んでいるのを心配していた。リン王女から様子を聞いたりはしたが、メイコは王子が答えを出すのを待っていた。
「先生。僕は剣術を続けたい」
久しぶりに木剣を持って現れたレン王子は、決意を秘めた目をメイコに見せた。
「剣を上手くして、皆を守れるくらい強くなりたい。弱い人や困っている人を助けられるように」
子供らしい真っ直ぐで一途な願い。いつか王になる少年の希望を叶えたいと、メイコは笑顔で頷いた。
果たしてレン王子が悪になったりするだろうか。
いつの間にか酒瓶が空になり、メイコは最後の一杯を手に取る。頭にはレン王子を信じる思いとミク王女に聞かされた話が同居し、悪ノ王子への疑念が拭いきれない。
きっと何かある。そうだ。あの子は物事を他とは違う受け取り方をしていたではないか。
彼に真意を聞く為にも、反乱軍の勝手な行動を抑えるには。
「手段はない、か」
現状ではミク王女の話に乗る以外の方法が思いつかない。結局、レン王子を悪と呼ぶ彼女に協力する形になるとは。
皮肉な現実を認識し、メイコは目の前の酒を一気に飲み干した。
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