ハルジオン④ 【小説版悪ノ娘・白ノ娘】

第二章 魔術師ルカ


 農耕技術が発達していないこの時代、農作業は天候との戦いであり、運任せであり、神頼みであった。平年通りの気候に恵まれればそれなりの収穫が見込めるが、気候の変動があった時、この時代の農業は果てしなく弱かったのである。実際、昨年黄の国を襲った乾燥はまず地方の農村経済を直撃した。雨に恵まれなかった農村は当然のように不作に見舞われたのである。しかし、不作を理由に租税が安くなるわけではない。自分たちが生活する上で必要最低限の穀物も奪われた農民たちは生きる為に次々と手を打ち始めていたのである。
 まず、彼らは森に入った。
 慣れない手法ではあったが、木の実を採取し、食べられる雑草を摘み取ってその日の食卓に載せた。時には兎や鹿を捕えて貪る様に食べた。
 しかし、それも捕り尽くしてしまうと、彼らは途方に暮れた。残っている食物は来年の種だけ。それですら、家族全員を養えるほどの量があるわけではない。
 一部の老人は自ら進んで、村から姿を消した。
 一部の親は、冷や汗を背中に流しながら、我が子を山に放置した。
 そして、来年の栽培の為に取っておいた貴重な種を食べた。
 それでも足りずに、とうとう餓死者が出た。一瞬過った、背徳的な思考をどうにか堪えて、彼らは餓死者を埋葬した。埋葬した直後に、誰もがこう思った。
 ああ、貴重な食糧を埋めてしまった。
 やがて、餓死者の数が増えてきた。もはや埋葬する手続きすら困難だった。埋葬するには力がいる。力を使えば腹が減る。どうして埋める必要があるのだろうか。
 誰もが絶望し、誰もが無気力だった。
 その様な困窮の極みにあった一つの農村を訪れた者がいる。
 魔術師ルカである。
 春だというのに目深の黒いフードを頭から被ったルカは、その深海の様な濃紺の瞳の奥から村の状況を観察した。
 ひどい状況ね。
 一つ、そう考えてルカは村に足を踏み入れた。生きているのか、死んでいるのか一瞬判断の付かない、頬のこけた青年が住居の壁にもたれながらルカを見つめ続けていたが、その瞳には光がなかった。おそらく二十代、もっと活力のある青年なのだろうが、その見た目はどうしても老人にしか見えない。少なくとも死の間際にあることは間違いがなかった。
 死臭がルカの鼻につく。
 見ると、餓死者の死体に群がる無数の蝿が歓喜のワルツを踊っている最中であった。
 その様子を確認したルカは少し眉をひそめると、再び歩き出した。以前、村長の自宅と呼ばれたその家前に立ち、扉をノックする。ノックに対する反応は無かったが、人の気配はある。
 まだ、生きているみたいね。
 そう判断したルカは躊躇いなく扉を開けた。鍵はかけられていない。大きく扉を開けて、室内を見渡すと、部屋の一室、窓際の椅子に倒れ込む様にして座っていた一人の老人を発見した。
 老人、という表現は間違っているわ。
 ルカはそう思い、彼の姿を注意深く観察した。少し高めの鼻筋。間違いない、村長だ。確か昨年会ったときは四十代の壮年であったはずだが、たった一年で見るも絶えないほどに老けた。肉付きも良かった方だと思うが、今はその面影すらなく、文字通り骨と皮だけになった体が苦しそうにわずかに上下運動をしている。どうやら呼吸をしているようだった。
 「村長。」
 彼の近くに近寄ってから、ルカはその様に声をかけた。聴覚はまだ失われていないのだろう、その声に反応してわずかに瞳を開いた村長はルカの姿を確認し、僅かだが瞳に驚きの色彩を加えた。
 「る・・ルカ様・・。」
 もう声を出すことすら重労働なのだろう。聞き取れない程度に小さな声で村長はそう言った。
 「良かったわ。まだ生きていて。」
 「ルカ様、この村は・・もう、駄目かも、知れません。」
 息も絶え絶えに、村長はそれだけを告げた。
 「諦めないで。私がなんとかするわ。」
 ルカはそう言うと、手のひらを村長の額にかざす。
 「ルカ様・・何を?」
 突然詠唱を始めたルカに対して、村長は戸惑ったようにそう言った。その表情を見て、ルカは安心させるように微笑む。
 「今から私のエナジーを少し分けるわ。少しは動けるようになるはずよ。」
 「それは・・もったいのうございます・・。」
 村長はそう言うと、任せた、という意思表示をするように瞳を閉じた。ルカは手のひらに精神力を集中させる。回復系の魔法、キュアである。
 「キュア。」
 詠唱を完成させる最後の文言をその様に結ぶと、ルカの手のひらから暖かい光が溢れ出した。その光は意思を持つように村長の体を包み込み、そして太陽の光のように村長の体を回復させてゆく。
 「お・・おお!」
 光の全てが村長の体に吸収されると、村長は目を見開いて、その様に唸った。
 「少しは体が軽くなったかしら?」
 ルカは村長の目を見ながら、そう言った。先ほどまで光のなかった瞳の奥に、生命力の光をルカは確認する。
 「は・・はい!確かに。あ、ありがとうございます。」
 「良かった。でも、一時的なものに過ぎないわ。とにかく何か食べなければ。私がスープを作るから、少し休んでいて。」
 「何から何まで・・・しかし、もうこの村には食糧が全くありません。」
 「それならさっき私が捕ってきたわ。」
 そう言ってルカは腰に佩いている袋の中から白い物体を取り出した。兎である。
 「おお!兎などもう何日も食べておりません。」
 「そうでしょうね。とにかく、私は先に村人たちに回復魔法をかけてくるわ。まだ生きている人はいるでしょう?」
 「おそらく、ですが。一体何人生き残っているやら・・。」
 「仕方ないわ。とにかく、皆を集めて、今後のことを話し合いましょう。」
 そう言うとルカは村長の自宅を出た。手当たり次第に回復魔法をかける為だ。魔術師であるルカは生命力のあるなしを感覚で把握することができる。死者からは発生しない生命エナジーを感じ取り、ルカはほんの三十分程度で生き残っていた村人全員にキュアの魔法をかけていった。
 それでも、たったこれだけ・・。
 ルカが救えた人間はたったの十名。もともとこの村には百名は村民がいたはずだった。それが、ほんの半年程度の期間で十分の一になってしまった。
 それでも、ゼロよりはまし・・か。
 自分に納得させるようにそう考えたルカは、ようやく血色の戻った村人たちに無理な笑顔を見せながら、こう言った。
 「じゃあ、私は兎のスープを作るわ。皆村長の自宅で、少しの間待っていて。」
 
 粗野だが味の深いスープができたのはそれから一時間ほど後のことであった。兎の出汁を出し易くする為に兎の肉を細かく切り分け、更に消化に良いようにすりつぶした、体力回復に効果のある薬草をふんだんに混ぜたスープである。そのスープの汁だけを取り分けると、ルカは村民にスープを配った。
 「まずはスープだけよ。ゆっくり、噛むように飲んでね。そうしないと、胃が拒絶反応を起こすから。」
 ルカがその様に指示を出すと、村人たちはその言いつけ通り、ゆっくりと、数日ぶりとなる食物を胃に流し込み始めた。食物を口にしたことで細胞の一つ一つが再び活性化し始めたのか、みるみる内に村民の顔色が良くなり、頬に軽い赤みが蘇ってくる。ほう、という安堵の溜息が誰ともなく漏れた。その様子を確認してから、ルカは次に細かく砕いた肉を全員に配ることにした。自らの血肉となる養分を与えられた村民たちは丁寧に肉を噛み砕きながら飲み干してゆく。やがて、分け与えられた食糧が全て尽きると、村長は深々と一礼をして、こう述べた。
 「ルカ様、ありがとうございます。ルカ様は命の恩人でございます。」
 「構わないわ。もう少し早く来られたら良かったのだけど・・。」
 「致し方ありますまい。ルカ様の力は大陸中で必要とされているのですから。」
 「・・ごめんね。」
 そう言うと、ルカの瞳がわずかに曇った。同じことを何人にも言われた。放浪中に出会う村はどこもこのような状況であり、その度に生き残りの村人たちを救ってきたのである。一時は助けたその人たちも、今はどうなっているか分からない。食糧が安定して継続的に入手できる状況ではない以上、せっかく助けた命も既に露と消えているかもしれない。
 私だって、無力な女に過ぎないのだから。
 「ルカ様、他の村もこのような状況なのでしょうか。」
 村人の一人がルカにそう訊ねた。村の入り口で無気力にルカを見つめていたその青年は、血肉を体に取り込んだことで年相応の表情を取り戻している。その真剣な瞳にルカは少し迷い、そして事実を伝えることにした。
 「そうよ。既に全滅している村もあったわ。」
 「なんと・・。正にこの世の終わりでございます・・。」
 苦悶の表情を見せた村長がそう言った。
 「まだ、終わりではないわ。」
 励ますように、ルカはそう言った。
 「しかし、このような状況なのに王宮からは何の救済も行われておりません。我々には死ねと仰っているのでしょうか?」
 「そんなことはないわ。きっとどこも酷い状況だから、手が回っていないだけよ。」
 「なら、いいのですが・・。」
 「それに、私はこれから王宮に向かうの。リン女王陛下にこの現状をお伝えして、救済をお願いするわ。」
 「なんと・・。宜しくお願い致します。」
 村長がそう言って頭を下げると、生き残った村人たちも同じように頭を下げた。
 素直に言うことを聞いてくれればいいけれど。
 その村人たちの姿を見ながら、ルカはそう思わずにはいられなかった。
 あの子に一国の統治は早すぎるわ。せめて、前国王があと五年生きていてくれれば・・。
 そう考えても、死んでしまった人間に対しては文句の言いようがない。
 やはり、次善策ではなく亡き者にすべきだったのかもしれない。
 幼いころに出会った彼の右手の痣を思い出しながら、ルカはそう思わずにはいられなかった。
 
 村人たちと別れを告げ、ルカが黄の国の城下町に入城したのはそれから二週間後であった。その途中途中でも全滅しかけている村を見つけるたびに生き残っている人間を治療し続けていたのである。そのため、通常一週間といわれている日数を大幅に過ぎてしまうことになったのだ。
 まだいるといいけど。
 そう思いながら、ルカは直接に王宮へは向かわず、城下町の歓楽街へと歩みを進めていった。事前に遅れる旨を記載した手紙を送付しているとはいえ、相手も放浪癖のある人物だ。一週間も同じ場所にいるかどうか、流石のルカにも自信が持てなかったのである。
 その人物との待ち合わせの場所は昼間から営業している、薄暗い酒場を指定していた。人の目に目立たぬし、密談には最適の場所であったからだ。
 その酒場に入ると、犯罪臭のする男どもがルカを見て、そして好奇に満ちた視線をルカに送った。フード付きコートで身を隠しているとはいえ、女性らしい体つきが目立つルカはどう見ても色欲の対象になる。中にはわざとらしく口笛を吹きならす男までいた。
 やらしい目ね。
 口笛で注意を引こうとしたらしい屈強な体躯の男を一瞥すると、ルカは店内をざっと見渡した。
 いた。
 目的の人物はルカには目もくれず、カウンター席で強い酒をあおっているところであった。紫がかった長い髪を後頭部に一つに括り、腰には反りが入ったミルドガルド大陸でも珍しい剣・・倭刀を佩いている人物である。
 その人物に向かって歩き出した時、ルカの右肩に羆のような巨大な手が置かれた。
 「姐さん、酌をしてくれよ。」
 かなり飲んでいるのだろう、きつい口臭がルカを襲う。その臭いに顔をしかめたルカは、一言こう述べた。
 「手をどけなさい。」
 「うひょ、こりゃ気の強い女だ。いいね、好みだね。」
 知性の欠片もない、品のない言葉がルカの耳朶を打った。その言葉に苛立ちを覚えながら、ルカは務めて冷静に言葉を続ける。
 「もう一度言うわ。手をどけなさい。」
 「おい、お前、いいから言うことを・・っ!」
 その男は言い切ることができなかった。ルカが右手から火炎魔法を放ったからである。その男の衣装が焦げる匂いが店内を包む。自然に店内がざわめく。
 「魔術師に声をかけるなんて、いい根性をしているじゃない。」
 ルカは殺意を込めた口調でそう言いながら、フードの奥からその男を睨みつけた。ミルドガルド大陸では魔術師の数は多くはない。その特殊な能力は畏怖と尊敬の対象であるのだ。
 「あ・・す、すまねえ・・。」
 魔法を目の当たりにして敵わない相手だと直感したのだろう、その男は素直に手をルカの体から離すと、数歩後ずさった。その様子を見て、ルカは一瞥をその男にくれると、まるで何事も無かったかのように平静に、目的の男に向かって歩き出した。
 「助けてくれてもいいじゃない。」
 騒ぎの中でも一人、変わらぬペースで酒を飲み続けていた紫髪の男に、ルカは悪態をつきながら隣に着席した。
 「貴殿なら対処できると判断したまで。」
 丁寧で、古風な言葉遣いを放ったその男はそう言ってようやくルカの顔を見た。戦慣れしている、鋭い眼光がルカの瞳を襲う。
 「相変わらず愛想のない男ね。」
 「傭兵とはそのようなものです。で、今回の依頼は?」
 「あなたの腕を見込んでのお願いよ。」
 「殺しでしょうか。」
 「いいえ。護衛よ。」
 「対象は?」
 「リン女王陛下。」
 「また、御冗談を。」
 「冗談ではないわ。あなた以外に頼める人間はいないもの。」
 「別に私でなくても、護衛に足りる人物はいるでしょう。赤騎士団隊長のメイコ殿など、黄の国一番の使い手という話ではないですか。」
 「それでは不足しているわ。いま必要な人物は大陸一の剣士よ。」
 「ふむ。」
 その男は、少し思索するように視線をルカから逸らした。いける、とルカは考えて、更に言葉を続ける。
 「仕えるに足りる主君を求めているのではなくて?」
 「確かに求めておりますが、齢十四の少女が君主として足りますかどうか。」
 「それは会って確かめることね。」
 「成程、一理ありますね。」
 「女王陛下との面会の約束はすでに取り付けてあるわ。今すぐ、来て頂戴。」
 「やれやれ、ルカ殿は相変わらず無理をされる。」
 そう言いながらその男は立ち上がった。
 その名はガクポ。大陸唯一の倭刀使いであり、その実力は比類するものがいないと評価されている傭兵である。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ハルジオン④ 【小説版悪ノ娘・白ノ娘】

第四弾です。

ここは手直しだけです。

閲覧数:445

投稿日:2010/02/14 22:39:43

文字数:5,955文字

カテゴリ:小説

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