第七章 戦争 パート6

 さて、どう戦おうか。
 ミク女王の執務室から退出し、青の国への出立の準備へと向かったグミとも別れた後、ネルは自身の私室へと戻るとその様なことを考えた。そのまま、窓際に立てかけてある緑の国の全図を取り出して私室の中央に用意されている長机の上に広げる。長机とほぼ同じ大きさの地図を広げ終わり、地図が丸まらないように四隅を重石で固定してから、ネルは空を飛ぶ鳥の様な心境で地図を眺めた。緑の国の王宮は緑の国の丁度中央に位置している。西と南は広大な無人地帯が広がっているから今回は検討しなくてもいい。北部で国境を接する青の国からはおそらく二週間後に援軍が到達する。問題は、東に広がる黄の国であった。緑の国と黄の国は東に位置するミルドガルド山地を国境線としている。ミルドガルド山地はミルドガルド大陸を縦断している、ミルドガルド大陸唯一の山地であり、ミルドガルド山地の北部から中部にかけては黄の国と青の国との国境線となっている。この山地の南部地区が前述の通り緑の国と黄の国との国境線となっているのであった。
 まずはここが第一の防衛線ね。
 地図を眺めながら、ネルはその様に考えた。北部に比べると標高が低くなっており、交通も容易であるという状況ではあるが、他に防衛に適した場所がある訳でもない。ミルドガルド山地を越えると後はオデッサ街道を一直線、平原が広がる緑の国では他に守勢に適した場所も存在しないのである。そのミルドガルド山地までは緑の国の王宮から通常三日の距離であった。黄の国の軍勢が出立したのは今日から五日前だというから、強行軍で行けばなんとか間に合うはずね、という結論を出したネルは早速従者を呼びつけると、進軍の準備を急がせるように指示を出した。

 それから三日後、黄の国の王宮からオデッサ街道を南下し続けていた黄の国の軍はミルドガルド山地に突入する手前で軍を一度止めた。軍略に明るいロックバード伯爵はミルドガルド山地で一度交戦があると踏んだのである。緑の国の地理に明るい訳ではないが、遊覧会を始めとした様々な外交会談で緑の国へは何度も訪れている。オデッサ街道は山地にしては割合広い街道が用意されているとはいえ、街道の周囲を生い茂る木立に隠れての伏兵の可能性は十分に考察できた。そもそも、山での戦いは自然と守備側に有利に働く。こちらは上り、あちらは下り。落差を利用した兵器を使用できることは緑の国にはこれ以上ない程の好条件であるのだ。
 「力押しでは被害が大きくなるな。」
 早朝の軍議の席、野営の為に張られたテントの中でロックバード伯爵は呟くようにそう言った。目の前には長机と、その上に広げられた緑の国の地図が用意されている。ロックバード伯爵とは長机を挟んで向かいに控えるのは副将のメイコとレンである。
 「しかし、他に案もありますまい。」
 ロックバード伯爵に対して、そう告げたのはメイコであった。そして、言葉を続ける。
 「ここに余り時間をかければ青の国の介入を許すことになりかねません。早急に決着をつけるべきだと考えます。」
 「ふむ。」
 メイコの言葉に一つ頷いたロックバード伯爵は、暫くの間思案するように瞳を閉じた。敵はどのような戦いを仕掛けてくるのか。相手の思考を推測しながら検討することがロックバード伯爵のやり方であった。自分なら、ミルドガルド山地の峠に砦を構えてひたすら耐えるが、と考える。先日遊覧会の際にミルドガルド山地を通過した時には砦が無かったから、もし用意できたとしてもせいぜい馬止めの柵程度の陣地を築くことが精一杯だろう。その様にロックバード伯爵が思考を進めた時に、メイコが再び口を開いた。
 「我が赤騎士団が先陣を切り、敵陣地を突破致します。」
 どうやらメイコも考えていることは儂と同じらしい、と判断したロックバード伯爵はその段階で瞳を開き、そしてこう言った。
 「それが一番だな。」
 この山道では火砲を使用することは難しい。火縄銃程度なら緑の国も用意してあるだろうが、何しろ火縄銃は装填に時間がかかる。歩兵で攻めるよりも騎馬で攻めた方が、敵に連射を許すことなく攻めることが出来のである。結果的に被害が一番少なくなると考えたのであった。その時、メイコの隣で沈黙を続けていたレンが口を開いた。
 「僕も赤騎士団に参加させて下さい。」
 その言葉に眉をひそめたのはメイコだった。そして、こう言った。
 「レン、危険な任務だ。初陣で功を焦る気持ちは分かるが、妙な功名心は死を招くぞ。」
 「だからこそ、一人でも多くの人間がいた方がいいでしょう。」
 強い視線でレンはそう言った。その瞳に迷いはない。どうやら功名心からそう言っている訳ではなさそうだ、とロックバード伯爵は考えた。本来ならこの軍の総大将を務めてもおかしくはない人物である。まるであのお方と同じだな、とロックバード伯爵はかつて颯爽と大軍を率いた人物の姿を思い出してから、こう言った。
 「分かった、レン。ならば参戦するといい。但し、無茶はするな。」
 「分かりました。」
 ロックバード伯爵のその言葉に深く頷いたレンの姿を見つめながら、ロックバード伯爵はついこの様に考えた。
 もし、彼がこの戦で死ねば黄の国は救われるのだろうか、と。
 
 軍議が終了したのち、メイコはすぐに赤騎士団全軍に進発命令を下した。赤騎士団はその名の通り、全軍が赤い鎧を着用している、黄の国唯一の騎馬隊だけで組織されている軍団である。その数は五千。名実共に黄の国の最精鋭部隊であり、ミルドガルド大陸でも最強を誇ると評価される軍団であった。その赤騎士団が一同に整列した姿を見ると、流石のメイコであっても壮観だという感想を持つ。そして、隣に控える赤騎士団副隊長であるアレクに向かってメイコはこう言った。
 「準備はいいか?」
 「万全でございます。」
 短く答えたアレクの言葉に一つ頷いたメイコは、同じようにメイコの脇に控えるレンの姿を視界に納めた。初陣だと言うのに、どうしてここまで落ち着いていられるのか。レンの態度を見て思わずその様な感想を持ったメイコであったが、レンに向かっては何も言わず、代わりに赤騎士団全軍に向かってこう叫んだ。
 「作戦は単純だ。ミルドガルド山地を駆け抜けて敵陣を奪い取る!我が軍の機動力をもってすれば簡単な作戦だ!遅れるな!」
 応、と一斉に答える赤騎士団の反応に満足したメイコは、続けてこう叫んだ。
 「赤騎士団、全軍進発!」
 その言葉を終えると、メイコは愛馬の踵を返し、愛馬の腹に鞭を叩きこんだ。歯を剥き出しにして嘶いて嘶いた愛馬が駆ける。そして、その後に続くようにアレクが、レンが、そして五千の騎馬が土埃を巻き上げながら駈け出して行った。駈け出してからすぐに上り坂が一同を迎え入れる。周囲の景色はそれまでの平原から深い森へと変化していたが、敵の攻撃は無い。予想通り、伏兵を用意する時間も無かったのだろう、と考えたメイコは真っ直ぐに正面だけを見つめて馬の手綱を軽く握り直した。異変を感じたのか、森の奥から何百羽もの鳥が飛び出して行った。
 
 どうやら、攻撃を始めたみたいね。
 ミルドガルド山地の峠に陣を構えていたネルは、麓から巻き起こった土埃を確認してからそう判断した。本来なら強固な陣を構えたかったが、その時間も無かった。突貫工事で木造の柵だけでも組み立てられただけでも良しとしなければならないわ、とネルは自身を無理に納得させるようにそう考えた。今緑の国が用意した柵は丸太を組み合わせただけの簡素な造りである。火砲でも撃ち込まれれば一発で粉砕されるような代物だが、この山の中で重量のある火砲を使用する考えは相手にはないだろうし、攻め手に回っている以上、装填に時間のかかる火縄銃を用意しているとも思えない。やはりセオリー通り歩兵による突撃だろう、と考えたネルは全軍に火縄銃の装填を命じた。
 この時代の火縄銃の争点には熟練者でも二十秒の時間が必要であった。銃口から火薬と弾を押し込み、それから着火用の火薬を火皿と呼ばれる、引き金の脇についている火薬入れに注ぎ込む。最後に火の点いた火縄を銃の上部に付属してある火鋏に差し込んで発砲準備が完了する。ここまでに二十秒の時間が必要であった。発砲の際は引き金を引くと火縄が火皿の火薬に触れ、火皿に着火した火は導火線の役割を果たして銃筒に収められている火薬を爆発させる。その勢いで弾を飛ばすという構造をしているのだが、一発ずつ銃口から発砲の際のエネルギーとなる火薬と、銃弾を挿入しなければならないという構造的な欠陥を持つ以上、連射が効かないと言う欠点も持ち合わせていたのである。それでも、威力は弓矢に比べて数倍、射程距離は三倍以上という兵器である以上、使い道があるとネルは考えたのである。しかし、そのネルの想像を超える事態が前線に赴いていた偵察からもたらされたのは、全軍の火縄銃の装填が完了した頃であった。
 「赤騎士団が向かっているだと・・。」
 ネルは思わずそう呻いた。歩兵ならば火縄銃の有効射程距離である二百メートル手前からの射撃でも二発以上は発砲が可能である。人間が二百メートルを全速力で駆けたとしても、二十秒以上の時間が必要となるからであった。しかし、騎馬ならば事情は異なる。二百メートルという距離を十秒余りで駆け抜ける馬に対して二発目の発砲を行うことは非常に困難な事態であった。初戦も初戦から最精鋭部隊を投入して来る黄の国の意図が読めず、僅かに混乱したネルではあったが、一つ深呼吸をしたネルは腹を括ることにした。今ある火縄銃は約百挺。まずは一斉射撃で敵の出鼻を挫き、後は耐えられるまで耐える。そう判断したネルは陣地に用意していた折り畳み椅子から立ち上がると、従者に向かって馬を用意するように命令を下した。いつでも戦えるように準備をしておくべきだと考えたのである。

 見えた。
 峠までの上り坂、最後のカーブを回ったメイコは前方に見える木製の柵と、立ち並ぶ緑の国の幟を発見してからその様なことを考えた。一発目は火縄銃でも浴びせてくるのか、とメイコが考えた直後、柵の隙間から百余りの光が一斉にメイコに向かって飛び出してきた。直後に、大きな破裂音が響き、周囲を火薬の香りが包む。火縄銃の一斉発砲であった。大丈夫、私は無傷だと駆けながら判断したメイコは視線だけで左右を確認した。それまで一団となって駆けていた騎士団の内幾名かの姿が見えない。今の火縄銃に撃ち抜かれたのだろう。何頭かの馬が銃声に驚き、僅かに進路を逸らせたがそれを制御している時間もない。レンとアレクが無事だということだけ確認したメイコは愛馬の腹に向かってもう一度蹴りを入れた。早く砦に到達しなければ二発目が来る。次の発砲を許せばそれだけ被害が拡大する。そうさせる訳にはいかない、とメイコは考え、馬の腹に括りつけていた槍を手に取った。そのまま柵に到達すると柵の隙間から槍を突き刺し、そして引き抜いた。槍の先端には血。メイコの視界に移った人間は火縄銃を片手に持ったまま、胸を貫かれて、声も上げる間もなく絶命した。そのまま、数名を串刺しにしてゆく。
 「柵を破壊しろ!馬で引きずり倒せ!」
 そう叫んだのは副将のアレクであった。どんな時でも冷静なアレクはともすれば暴走しがちのメイコにとっては良い参謀役でもある。その声に反応して、何本もの鍵縄が木製の柵に向かって投げつけられた。そして馬で逆方面に引っ張りこむ。散発的に銃声が響いたが、それよりも赤騎士団が緑の国の銃兵を刺殺してゆく方が早かった。そして、簡素な砦の一部が耐えきれずに倒壊する。その隙間から飛び出して緑の国の兵士に向かって行ったのはレンであった。初めての殺し合いだろうに、全く臆することなく冷静に、敵兵をバスタードソードで切り裂いてゆく。
 大分剣が上手くなったな。
 流れるようなレンの剣捌きに、まるで息子の成長を喜ぶかのように目元を瞬きする程度の時間だけ緩めたメイコは、レンに続いて緑の国の陣地へと突入して行った。着用している赤い鎧が僅かに金属音を響かせる。目の前に飛び出してきた敵兵の頭蓋を一撃で破壊したメイコは槍をしごき直してからこう叫んだ。
 「全軍突撃!敵軍を壊滅させろ!」

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ハルジオン29 【小説版 悪ノ娘・白ノ娘】

みのり「お待たせしました、第二十九弾です!」
満「今何時だと思ってるんだ。」
みのり「えっと、朝の五時(笑)」
満「ま、今月は先月よりも時間があるからな。」
みのり「そうだね。で、今回は武器の解説をしないと。」
満「そうなんだ。以前『西洋史概論』でも記載した通り、時代を前作よりも数百年先に先送りすることになった。」
みのり「それで登場したのが火縄銃ね。ところで火砲って何?」
満「この作品では簡単に大砲だと思ってくれればいい。」
みのり「ふうん。火縄銃と言えば織田信長の長篠の戦が有名だけど、ここでは三段撃ちは登場しないのね。」
満「それをやられたらメイコでも勝てないからな。その内作品で使う予定だけど。」
みのり「使うんだ^^;」
満「ま、お楽しみと言うことだな。」
みのり「そうね。では次回投稿をお待ちください!今からレイジさん寝るので(ごめんなさい。)次回投稿までは暫くお待ちくださいませ☆」

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投稿日:2010/04/03 05:12:05

文字数:5,039文字

カテゴリ:小説

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