「しつこいわね、何度も同じことを言わせないで頂戴」
散らかったアパルトメントの部屋に刺々しい声が響く。
昨日の深酒で掠れた声は数時間ばかりの睡眠では回復しなかったらしく、耳に届いた自分の声はまるで中年女のヒステリーのようにも聞こえて尚更苛立ちが増した。
「私は二度と歌わない。あのお坊っちゃんにも二度と会うつもりはないわ」
『まあ落ち着けよ、冷静になって、よく考えて…』
「十分冷静よ。頭を冷やすのはあんたの方じゃないの、カムイ」
とりつく島のない私に二の句が継げなくなったらしいカムイが電話口の向こうでわざとらしくため息をつく。
ため息をつきたいのはこっちだ。いきなり呼び出されたと思ったら見知らぬ若いピアニストに引き合わされ、無造作に古傷を抉られ、こんな落ちぶれた姿に「あなたに焦がれていた」ときたもんだ。
まったくもって嘘くさくて、不快極まりない。
『カイトだっておまえを怒らせるためにあの曲を弾いた訳じゃない。純粋に良かれと思って…』
「良かれと思って人をこんな気分にさせるの?大したピアニストね」
『大人げない物言いをするなって。ちゃんとピアノ聞いてたか?あれは天才だぞ』
「なら正しいところで生かされるべきだわ。あんたが天才だと評価するんなら、あんな場末のバーで可能性を潰すべきじゃないでしょ」
『あんなとはなんだ、あんなとは。おい、メイ』
ガチャン。
カムイの怒りが違う方へ向かったところで私は容赦なく電話を切った。
苛立ち紛れに開いた冷蔵庫は昨日と同じく空っぽのまま。諦めて水道水を口にしたが、鉄錆の味に耐えられず結局吐き出してしまった。
「……」
どさりとソファに寝転び、目を閉じる。
二日酔いの頭に反響するのは昨晩聞いたピアノの音。
巧みな運指に正確なリズム、そして楽器そのものが意志を持っているかのように聞こえる感情豊かなメロディ。これまで一緒に仕事をしたどんなピアニストより彼の奏でる音は無邪気で無防備で、そしてなにより無遠慮だった。繊細に、かつ自由気ままに私に入り込んだその音は一晩経っても鳴りやむことがなく、触れてほしくない心の最奥にずかずかと入り込んでくる。
(貴女の歌声をはじめて聴いた時から、ずっと貴女に焦がれていました)
「…勝手なこと、言ってんじゃないわよ」
サイドテーブルに置いたラジオを付ける。
どんな歌も聞きたくなかったけれど、それでもあのピアノが消えるならと乱暴に選局のツマミをねじった。
*
――コンコン。
ノックの音が聞こえたのは、ラジオの歌が3曲目に差し掛かる頃だ。
はじめは降り続いている雨の音だと思った。しかし、控えめながらも規則正しく存在を主張するその音は紛れもなく来訪者を告げていた。
セールスや大家なら居留守を使えば帰っていくが、この確かなリズムはおそらく私が中にいることを知っている人間の仕業だろう。…あんな電話の切り方をしたのに、つくづくおせっかいな奴だ。しばらく息を潜めてみたがノックの音はまるで止みそうにない。
ため息をひとつ落とし、ガウンをひっかけ立ち上がった。
「聞こえてるわよ、うるさいわね」
開け放した扉の先、まず視界に映ったのは大事そうに抱えられた私の赤いコート。
昨晩ヴィオレに忘れて来たそれは丁寧に折り畳まれていて、珍しくマメなことをするものだと感心して顔を上げたが、――そこに居たのはカムイではなかった。
不安そうに揺れる青い瞳に、同じ色の髪の毛。
整った顔立ちに浮かぶのは、まるで寄る辺をなくした子犬のような不安げな表情。確か、その名前は。
「…カイ、ト」
「…突然すみません。あの、カムイさんからここを伺って…」
「……」
「お忘れ物を届けに…じゃなくって、あの、俺、どうしてもメイコさんと話を」
懸命に紡ぎ出される言葉。我ながら性格の悪いことだが、端々に感じられる人の良さや育ちの良さが、怯えるような瞳が私の苛立ちに触れる。アスファルトに響く雨の音がまるで耳障りなノイズのように聞こえた。
「…って」
「…え?」
「帰って頂戴。話すことなんてなにもないわ」
「そ、そんな。待ってください。俺、昨日のこと…」
「昨日のことを詫びたいなら、顔を見せないことが一番の謝罪だと思うけど?」
冷たい口調で突き放せば、言葉をなくした彼が足下へと視線を泳がせる。
ヴィオレの薄暗い照明では気づかなかったけれど、彼が整っているのは顔立ちだけではないらしい。髪も爪も衣服でさえも、一片の乱れなく清潔で心地よい。
きっと、たくさんの人に愛されてきたのだろう。
そして、その愛を当然のように享受してすくすく育ってきたのだろう。
――生憎だが、私はそういう苦労知らずのお坊ちゃんが大嫌いなのだ。
「そのコートは記念にあげる。あんたが探していた歌姫の抜け殻」
「……」
「ついでにカムイにも伝えて。メイコはどこか遠くの国に旅に出たって」
「…メイコさん」
「夢から目を覚ますにはいい頃合いだわ。カムイも、…あんたもね」
「メイコさん、俺は」
「同じことを何度も言わせないで、坊や」
言い捨てる。鋭利な刃物のように尖った拒絶を突きつければ、頬をはたかれたように呆然とした表情で彼は私を見つめた。
(そう、その表情)
私を持ち上げてもてはやして来た奴らは、そうやって勝手に絶望して、私から去っていった。あんただって、あいつらと同じ。
「私はもう歌わない。…歌えないの」
「……」
「…お願いだから、もう放っておいて頂戴」
「メ、イコ、さん」
「今度こそ本当にさようなら、カイト。ピアニストとして成功するよう、陰ながら祈ってるわ」
バタン。
質量以上に重たい扉が、音を立てて閉まった。
ほんの一瞬開けていただけなのに、室内には雨の匂いが充満していた。湿ったようなかびくさいような、どこか懐かしいような、泣きたくなるような。そこにほんのりと混ざっていた甘い香りは彼のコロンだろうか。
「……」
体中の酸素を吐き出して、私はその場にうずくまる。
雨の音もピアノの音も。今となってはもうみんな同じ。私の周りをただ通り過ぎていくだけの雑音だ。
扉の前から遠ざかっていく足音が聞こえた。
重たく引きずるような足取りはゆっくりと階段を下り、そしてやがて、雨の音しか聞こえなくなった。
【カイメイ】on the rocks-中編-
プロジェクトミライに収録されているカイト&メイコデュエット曲「on the rocks」(http://www.youtube.com/watch?v=OPnu1Z7sdLM)のインスパイア小説…の続きです。
ものすごく間空いた上に妄想全開で本当に全力ローリング土下座
◆!ご注意!◆
・めーちゃん視点
・めーちゃん25歳、カイト19歳、がっくん29歳
・めーちゃんがだいぶ荒んでいます
・「on the rocks」に至るまでの物語です
前編はこちらhttp://piapro.jp/t/2QB_
※前のバージョンで進みます
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