「痛…」
左手首があり得ない方向にねじ曲がっていた。
さっき爆風に巻き込まれたせいだ。
受け身を取ったつもりが、かえって悪い方向に転んでしまった。
夢の中なのにひどく痛む。
雪子はその手を引きずりながら、必死に立ち上がった。
膝から血が出ていた。
奥歯をかみしめ、私は歯車に近づいた。
外で剣のはじき合う音がする。
灰猫さんが戦ってるんだ。…私だけ弱音を吐いてる暇はない。
雪子はまだ使える右手で短剣を振り上げた。
「たぁああああ!!」
突き立った短剣が、歯車の動きを止める。
ぎしぎしと音を立てる。これでようやく終わったんだ。
雪子はほっと一息つき、その場に座り込んだ。
カチッ
「え?」
今、カチッ…て…。
雪子は立ち上がり、小窓を覗き込んだ。
時計は確かに、三時を指していた。
鐘が鳴りやむ。
「そんなッ!!」
がさり。
突然、背後から音がした。
ここは時計台の最上部の部屋だ。
あの階段を上らなければ、誰もここに入ってはこれないはず。
「帯人…?」
違う。帯人じゃない。背筋に悪寒が走る。
突如、部屋の隅にある影がぬうっと動いた。
まるで影絵のように壁を駆け抜ける。
そして、その影は床を滑るように移動し、雪子の足をとらえた。
「きゃ!」
バランスを崩した雪子は、後ろに倒れてしまう。
そのまま足を引きずっていこうとする影。
手首の痛みのせいで、身体に力が入らない。
ずるずると引きずられ、やがて雪子の身体は小窓に連れて行かれる。
このままじゃあ…ッ!
「は、放して! お願いだから放して!」
影は聞こうとしない。
ずりずり、ずりずり、音だけがむなしく耳に届いた。
そのとき、どこからともなく声がした。
壁をすり抜けて、人影が現れる。
それは目にもとまらぬ早さで斧を影に突き立てた。
影は悶え苦しみながら、溶けるように消えてしまった。
「ぁ…」
声が出なかった。
目の前に現れたのは、深紅のピエロ。クレイヂィ・クラウンだった。
彼女はこちらを見るなり、手を差し出した。
「大丈夫? あんたのナイトはなにやってるの?」
「その声は」
「久しぶりだね。雪子ちゃん」
ピエロはその真っ赤な衣装を脱ぎ捨てた。
深紅の長髪に、真っ白な肌。彼女の仮面が床に落ちた。
「キクちゃん!」
私は思わず、キクに抱きついた。
「あなただったんだね。ずっとずっと、そばにいてくれたんだね」
涙が止まらなかった。キクはそっと雪子の頭を撫でる。
「雪子ちゃんが覚えていてくれるなら、私はいつだってそばにいるよ」
「私は絶対に忘れないよ。キクちゃんはずっと友だちだもん」
キクはそっと雪子を離す。彼女の目尻に涙が浮かぶ。
「久しぶりに会えたことだし、私もがんばろうかな。いいでしょ?」
彼女が振り返る。
その視線の先には、真っ青な衣装に身を包んだクラウンがいた。
仮面がそっとうなずく。
「マスター。じゃあ、行ってきます」
キクは斧を引き抜いた。
「……待て…」
「あ、やっとナイトの登場だね」
階段から傷だらけになった帯人が顔を出す。
雪子はすぐに彼のそばに駆け寄った。
彼が崩れ落ちる前に、雪子がそれを支える。
「幸せそうでなにより。いつまでも幸せにね」
「…待てって、言ってる…だろう…」
「なにかあるの?」
帯人は荒い息を整えながら、のどから声を絞り出した。
「…ありがと……」
「なにが?」
「……君のおかげで…変われたから」
帯人は口元に笑みを浮かべた。
キクは「ふふ」と笑い、二人に手を振った。
「私がやったんじゃない。変わったのは、あなただよ。おめでとう」
私もそう、なれたらよかったんだけどね。
キクは「さよなら」と言い残し、小窓の外へ飛んでいってしまった。
平行し、ぐるぐる回る。終わりのない、無限ループ。
それは夢の世界そのものだ。
この世界を作り出す、時間軸の中心があの二つ。
決して交わらない短針と長針。
あれを破壊すれば、世界はたやすく崩れる。
「夢で会えただけ、幸せか」
ありがとう雪子ちゃん。
夢でも、幻でも、あなたに会えて嬉しかった。
あれを破壊すれば私は消えてなくなるだろう。
でも、それでいい。
あの子が覚えてくれてるなら、それで――
「友だちだって言ってくれてありがとう」
それで十分だよ。
彼女の頬に一粒の涙が伝った。
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さよなら。
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