17.覚悟
「本当は、リントとレンカちゃん、二人同時に見せるべきなのだろうけどね」
ヴァシリスが、自身の机の引き出しを開け、ある汚れた袋を取り出した。
「これが、君のご両親の遺品だよ」
初めて見る両親の遺品、そして「遺品」という生々しい言葉に、リントの手が震えた。
「開けてもいい?」
「全部、しっかり、見ておくといい」
ゆっくりと紐解いていくリントを見守りながら、ヴァシリスは、本当はレンカとリントが二十歳になったら見せようと思っていたと告げた。
「リント。君のご両親の時代は、まだまだ歩兵戦が主な戦術だった」
古びた紙をほどき、文字を丁寧に追うリントの耳に、ヴァシリスの静かな声が語る。
「これが、現場に居たかれらの記録だ」
ラウーロの日記には、学術記録のように、淡々と日々の記録のみが書かれていた。サーラの手紙には、リントやレンカ、ヴァシリスなど島の者たちを案ずる言葉が並んでいた。
「ラウーロの仕事を見て、俺は思ったよ。ああ、彼は歴史を記録したのだなと」
ぞくり、とリントの背筋が震えた。
「そして、サーラの手紙を受け取って、俺は思った。ああ、伝説はこうして作られる、と」
そういえば、とリントが顔を上げる。
「ヒゲさん、ふたりが死んだってこと……」
ふっとヴァシリスが、苦い笑みを見せた。
「今の今まで、俺がはっきり言ったことは無かったろ?」
リントが手紙に目を落とす。
「ヒゲさんも、これを読んだんだよね?」
「ああ。サーラの手紙を読んだら、なんだか、彼女がまだ生きている気がしてな。今はただ行方不明になっているけど、そのうちこっそり女神の入り江から、遠い国のみやげでも携えて上がってくるのではないかと」
ヴァシリスが、ふっとため息をつく。
「そう、信じたくなってな」
リントは、何も言えなかった。
「ヒゲさん……」
ん、とヴァシリスが卓に肘をついたまま返事をする。
「オレたち、今までもずっと、あなたに守られていたんだね」
リントの手が、ぐっと父親の日記を握りこんでいた。島の白い大地ではない、浸み込んだ異国の泥が、戦場の厳しさをリントに、父親の声で語っていた。
「ありがとう。ヴァシリスさん」
がたん、と音をたてて、ヴァシリスは立ち上がった。
「なに、お互いさま、さ」
え、と振り返ったリントに、ヴァシリスはにこりと笑った。
「俺も、きみらに守られたから」
その時、博物館の事務所の扉が叩かれた。ヴァシリスとリントは飛び上るほどに驚いた。
「ヴァシリスさん? あたし! レンカ!」
事務所の裏口をいきなり叩くのはレンカしかいない。
いそいでヴァシリスが戸を開ける。
「レンカちゃん? どうした! 仕事は!」
レンカが部屋の中に体をすべりこませた。そして彼女自身が、しっかりと扉に鍵をかけた。
「パウロ先生が帰れと許可をくれたの! 知ってる? リントが、市庁舎の張り紙に出されていること!」
ヴァシリスはうなずいた。
「待合室では、もう噂になってる! 今日の夕方にでも、ここに聴取がくるかもしれない!」
「……きみならどうする、レンカ」
ヴァシリスは、リントの意志を尋ねるのではなく、レンカに意見を求めた。今、島の情報をよく握っているのは、毎日人間の相手をしているレンカの方だ。
レンカはうなずく。
「あたしなら、……ここか、島のどこかに隠れるわ。今、島を出る手段はない。定期便の港は軍がいつでもいるし、入り江から船をだすにしても」
レンカが空を見上げる。
「隣島すべてに話が伝わっているのなら、もう逃げ場はない。リント。この島に隠れ続ける覚悟、あるわよね?」
リントの目が泳いだ。逃げた時は、ただ、自分の飛行機で爆弾を運びたく無い、ただその一心だったのだ。
しかし、レンカの言葉が、リントの現実を重く突きつけた。
「リント。あなたは、一度死んだことになった。ならば、一生逃げ続ける覚悟はあるわよね? ……ただ逃げるだけじゃダメ。正気を保ったまま、逃げ続ける覚悟」
ぞくりとヴァシリスが震えた。レンカの言葉は、重い。彼女も、この1年で、医院で多くの患者を見た者だ。
島は小さいといえど、さまざまな人がいる。ラウーロとサーラの死んだ戦争で、島の者も多く出兵していった。幾人かは無事に帰ったが、すっかり人が変わってしまった者もいた。なんらかの原因で正気を失った者のところへ、医師のパウロが、八年たった今も往信に行くこともある。
「ヒトの流れに背をむけることは、命をかけることよりもしんどいよ。でもね、リントにその気持ちがあるのなら、あたしは、リントを、守ってあげる。……リントの、心と体を、守ってあげる」
レンカの瞳が、夏の海のように光る。
「それにね。あたし、思うの。……リントが、ルカちゃんと会ったのはもう十日も前なのに、今の今まで騒ぎにならなかったということは、ルカちゃんもきっと、あなたを守ろうとしていたと思うの。
大陸の軍の中で、規律の厳しい中で、男ばかりの世界で、あの真面目なルカちゃんが、十日もあなたを守ってくれたのよ? きっと、たったひとりで。」
リントが、ぐっとうつむいた。その姿に、レンカは覆いかぶせるように問いかける。
「……答えて。リント。あたしとルカちゃん、そして、何よりもヴァシリスさん。
あなたの意志は、あたしたちの人生を賭けるだけの価値が、ある?」
リントの拳が、膝の上で握りこまれた。傍らには、ラウーロの日記とサーラの手紙がある。
「オレは」
ヴァシリスとレンカが見守る。
「オレが飛行機部隊に入ったら、間違いなく標的を狙う自信がある。
……オレは、飛行機に乗ってからたった一年だ。一年でこの技が身に着くと知ったら、飛行機は、今のように手紙を運ぶものではなく、間違いなく戦争の道具になるだろう。
……空は、つながっている。
だからこそ、つながったことで不幸になるような前例は、作りたく無い。
オレが爆弾を落とせば確実に数千人は死ぬ。
それで島が守れたとしても……オレはきっと、そのほうが耐えられない」
リントが、レンカを見、ヴァシリスを見た。
「悪いな、ふたりとも。敵地の町の数千人のかわりに、大好きなあんたらの人生を俺にくれ」
おもわずレンカが目をまるくする。ふとヴァシリスをみやると、同じ表情でリントを見ていた。
「……笑顔でプロポーズされたけど、どうする?ヴァシリスさん?」
「……すごい口説き文句だな。さすが、石像のルカを陥落せしめた色男」
今度はリントの方があっけにとられた。
「な、何言ってるんだよ! 俺は、本当に真面目に言ったのに!」
噴き出したのは、レンカもヴァシリスも同時だった。
「し、知っているよ……リントが緊張するとやたらと笑顔になること」
「いや、あのね。うん。俺は笑ったわけじゃなく……感心したんだよ」
「思いっきり笑っているじゃねーか!」
三人の笑い声が、事務所に響く。ひとしきり笑いつくしたあと、ヴァシリスが頷いた。
「大丈夫だ。リントの存在は、この島で、『大陸っ子』だった俺に居場所をくれた。
だから、今度は俺が、この世にお前の居場所を作ってやる。
……どんな手をつかってもだ」
レンカは、そっとリントの手をとった。
「あたしも。リントを助けるよ。きょうだいだもの」
そして、夕闇が迫るころ、外がにわかに騒がしくなった。
「これは、来たかな」
ヴァシリスが再びリントに隠れるよう促す。
叩く音に、ヴァシリスさーん、という呼び声が聞こえる。島の者だ。
「……島の人を『案内役』に抱きこんだ、か。情に訴える手口だな」
足音がいくつか聞こえた。事務所の裏口に回られたことをレンカも気付く。
「完全に、疑っているね」
「それでも、隠し通すしかないだろう」
もしくは、とレンカは声をひそめる。
「一瞬だけ、目をそらさせて、リントには外に逃げてもらう」
するどい囁きは棚の中のリントにも届いただろう。
「でも、どうやって……」
ヴァシリスが眉をひそめたその時、レンカががばっと上着を脱いだ。
「え、レンカちゃん、」
その時だ。展示室側と事務所側、両の扉が激しい音とともに破られた。
「今日は休館日ではないだろう! ヴァシリス! 返事ぐらいしろ!」
双方向から飛び込んできた一行の目に映ったものは、
「……!」
薄着のままヴァシリスの首に腕を回し、深く口付けるレンカの姿であった。
……つづく!
滄海のPygmalion 17.覚悟
リントの覚悟。ヴァシリスの思い。そしてレンカの想い。
発想元・歌詞引用 U-ta/ウタP様『Pygmalion』
http://piapro.jp/t/n-Fp
空想物語のはじまりはこちら↓
1. 滄海のPygmalion http://piapro.jp/t/beVT
この物語はファンタジーです。実際の出来事、歴史、人物および科学現象にはほとんど一切関係ありません^^
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Party night? Party night?
やばない?やばない?
Party nigh...大草原 歌詞
だし。
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ご意見・ご感想
日枝学
ご意見・ご感想
16と含めて読ませていただきましたよー こ れ は 凄 い 展 開 !
両親の遺品があって、決断があって、危機があって、レンカ咄嗟の案があって――と、盛り上がる要素てんこ盛りじゃないですか(笑 面白かったです!
あと個人的に、
>あなたの意志は、あたしたちの人生を賭けるだけの価値が、ある?
というセリフが良かったです。決断を迫るシーンにふさわしい、読んでいて盛り上がる表現が良いです。
執筆GJです! 続き楽しみにしてますよー
2011/07/03 06:05:00
wanita
>日枝学さま
いつも感想ありがとうございます!すごく励みになります^^!
そっか?レンカが覚悟を迫るシーンが良かったか!と、こちらも新鮮な気持ちです。
リントは、自分の信念に従って社会に背を向ける決断をしましたが、これは周りの者、とくに島という狭い社会に暮らす近しい者にとって、相当重い荷物になるので、一気にレンカにそのあたりを詰め寄らせて見ました☆
リントの決断に対しては、次はもう少し大きいスケールからもう一度詰め寄ってみたいと思います。誰がどういう手段に出るかは……月並みですがお楽しみということで^^!
では、これから山場に向かってぐいぐい物語に坂道を登らせようと思いますので、どうぞ見守っていただければ幸いです。
2011/07/03 13:43:47