「マスター!」

 聞こえてきた声は、夢のようだった。
 足音を響かせながら走ってくるのは、さっき、外でたくさん見かけたものだ。それでも、そいつらとは全く異なる――今までならば、ここにはあり得なかった存在。
 黒い艶やかな靴から、エメラルドグリーンの縁取りがされたニーソックスが覗いている。透き通るような肌を、同様にエメラルドグリーンで縁取られた墨色のスカートが覗き、上には肩口でばっさりと切られた灰色のブラウス。しゅっと首元を彩る緑色のタイは、お腹のあたりで黒色のタイピンに留められている。両腕を覆うのは、コンソールが煌めくアームカバー。左肩に刻印された01を覆い隠すような、特徴的な緑色のツインテール。そして、その根元を彩る髪飾りと、ヘッドホン。
 ――ああ。
 夢に見たその姿が、本当にここに在る。
「マスター! マスターですよね!」
「返事、しなさいよ」
 悪戯が成功した、みたいな顔をしている彼女は、これを織り込み済みだったということか。
 目の前の少女――この表現は適切ではないんだろうか――は、まるで人間のような瞳で俺を見上げている。百年前に創られた幻想。百年の節目に造られた現実が、俺の目の前に。
 拡張現実でも、仮想現実でもなく。
「ミク、なのか?」
「はい。わたしは、ボーカロイド試作一号機 初音ミクです」
 まるで、人のようなガイノイド。俺たちの造り上げた――夢の、形。
「ずっと、お会いしたかったです」
 ミクの、その笑顔にどきりとさせられる。喜びを全身で表現するかのような、飛び跳ねるその姿が愛らしい。ああ――本当に。本当に、夢にまで見た、彼女の姿だ。
「……俺が、マスターなのか?」
「そうよ」
 しれっと彼女は答える。ミクは当然、とばかりに頷いている。参ったな、と頭をかく俺。
「あんたがここまでやらなきゃ、この子は今日、ここにはいなかったんだから、当然でしょう」
「とは言っても、実際俺は何もしてないし」
「はいはい、そういうのいいから」
 ……軽々しく笑ってはいるが、彼女こそ、ミクの誕生に多大に貢献した一人だ。ミクはその特性上、ライブやなんやらでの激しい動きが出来ることを求める。また、これが既存のガイノイドと異なる点だが、歌を歌うということから、非常に高度な人工知能の搭載を要求した。もちろん、歌を歌うということにおいて、歌わせる側の人間がパラメータを与えることは容易だ。しかしそれでは、ライブの楽しみというものがない。
 ミクは楽器だ。しかし同様に、歌手でもある。ならば、それまでの経験、ミク自身の気分――そういったものを反映した、その瞬間瞬間での歌声を見せてほしかった。
「マスター、これからどうぞよろしくお願いします」
 おずおずと差し出された手を、どうしたものかと見つめる。粋を集めた、と彼女が豪語するだけあって、その手はとても綺麗だった。緑のマニキュアが眩い。
「あ、ああ」
 おっかなびっくり握り返した手から、緊張が伝わってしまいそうだ。触れ合う場所から伝わる力は柔らかく、ともすれば、本物の人間のよう。
「これでやっと、契約完了ですね」
 不気味の谷を飛び越えた微笑みは、どうしようもなく、可愛くて。顔が赤くなるのを抑えられなかった。
 なにやってんだか、と彼女が笑い、ミクもくすくすとつられるように笑う。俺だけが恥ずかしさで視線を彷徨わせている。くすぐったいような、そんな時間。
 それを、歓声が掻き消した。
 地面が割れるような声。それは地響きにも似ている。遠くから反響する熱狂の渦。
「始まったのね」
「始まったのか」
 容易に想像できる会場内の人々の盛り上がり。最新鋭の空間投影型ディスプレイで、限りなく精巧なホログラムのボーカロイドたちが、ステージを狭しと踊りまわり――あるいは、空中へと飛んでいく。
 普段のライブなら、それで終わりだ。だけど今日は違う。なにせ、ミクがここにいる。あれだけの観客を前に、ミクがステージに立つ瞬間がやってくる。
 その光景を脳裏に描いただけで、胸が躍った。
「見に行きましょっか」
「ああ」
「はいっ」

 舞台袖には、たくさんの人がごった返していた。当然、ボーカロイドたちの姿はない。代わりに、バックバンドの人々、音響のスタッフたちがわたわたと動き回っている。俺たちはミクともども袖からステージを覗いているが、裏にいる誰も、このミクが正真正銘ガイノイドだということには気づいていないようだった。多分、誰かのコスプレだと思われていることだろう。
「ちょっとした悪戯の気分だね」
 と、彼女は何やら楽しそうだ。
 俺だって、楽しくないわけがない。
 会場の興奮は、空気を媒質に伝播する。たった数十メートル向こうの観客席は、向こう側だと認識するには近すぎた。
「いいな、ライブって」
「そうね」
 録音された音源で聴いていると五分やそこらは正しく認識されるものだが、ライブだと、それは一瞬で終わってしまう。次々と入れ替わり立ち代わるバックバンドだけが曲数の経過を告げる中、気が付けば、夏の日はとうに落ち、間もなくライブが終わろうかという時間になっていた。
「ミク、もうすぐ出番だな」
「はい、マスター」
 その呼び方は、ちょっと気恥ずかしい。
「緊張とか、してないか?」
「緊張、ですか。……申し訳ありません、認識できません」
「まぁそりゃそうよ。出来てまだ一週間のシステムだもの」
 言いながら、彼女はミクの左手を持ち上げ、アームカバーのコンソールをいじった。小さな空間投影型ディスプレイが現れて、なにか文字がスクロールしていく。
「ん、大丈夫みたいね。さすがウチの調整スタッフ」
「はい!」
『みんな、今日はどうもありがとう!』
 照明が落ち、辺りはいきなり暗くなる。観客席の緑色のサイリウムが、まるで星のようにきらめいている。そして、響くミクの声。自分自身の声が聴こえることに、ミクはどう思うのだろうか。ちらり、とミクの様子をうかがうと、寄ってきたスタッフと何か言葉を交わしていた。片手をヘッドセットに当て、小さく口を動かしている。
 そうしていると、本当に人間のようにしか見えなかった。
『今日はわたしの、百歳の誕生日です』
 その言葉で、会場のテンションは一気に跳ね上がった。皆が口々に叫ぶおめでとうの言葉が、あちらこちらに反響して大きな波になる。
『ありがとう! みんな大好きだよ!』
 わああああ。ミクの一言が、またしても会場を熱狂させる。
 それが、ちょっとだけ胸を突いた。ミクは、こんなにもたくさんの人々に愛されている。それは、バーチャルだったからこそ可能だったことで、こうしてリアルにミクを呼んでしまうことは、そんな彼らへの冒涜になってしまうのではないか、と。
 俺の夢は、誰かの夢を壊してしまうものなのではないか、と。
「なーにセンチメンタルな顔してんの?」
 ぱしん、と背中を叩かれる感触に振り返れば、彼女が不遜に腕を組んで立っていた。俺の考えていることなんかお見通しだ――と言わんばかりの表情で、目だけが笑みを浮かべている。
「大丈夫よ。初音ミクっていうのは、百年の間に鍛えられてきた神話。多様性は善を旨とする私たちインターネット世代が受け継いできたものなんだから。そう簡単に、たった一人が壊せるほど脆くはない」
 そうして、彼女は歩き出したミクを見つめる。俺も、その視線を追いかけた。歩くたびに揺れる緑色の大きなツインテール。小さな背中をまっすぐにして、ミクは歩いていく。
「今や世界中の人が愛しているアイドルなのよ、ミクは。あんたの夢は、今までの誰かが、必ず夢見たことでもある。それは沢山の人に受け継がれて、あんたのところに来て、やっと叶ったのよ。だから、胸を張っていい」
 ミクのMCは続いていた。ミクは、今、MCを続けている声だけの自分に呼ばれるのを待っている。
「ああ」
 彼女の言葉に背中を押されるように、気付けば俺は、ミクのそばへと駆けだしていた。
「ミク」
「マスター」
 振り返った表情は、どこまでも落ち着いていて、なんていえばいいのかがわからなくなる。だから何かを言う代わりに、目の前の舞台を、その向こうの観客席を見た。
 たくさんの星々が、ミクのMCに耳を傾けている。
「すごい人だな」
「はい」
『みんな、アンコールが聴きたいかー!』
 おおー。歓声は、遠く空へと響いていく。
「大丈夫だ。ミクは、これだけの人に愛されてるんだから」
「とても、嬉しいです。みんなにわたしの歌を聴いてほしいと、そう思います」
 がんばってな。自分でも驚くほどの自然さで、俺はミクの頭を撫でていた。
『しょうがないなー。じゃあ、もう一曲……と、言いたいところだけど、その前に。いつまでもこんな感じじゃ、みんなもやりにくいよね。だから、わたしも、みんなと同じ場所にいこうと思います!』
 スタッフが駆け寄ってきて、ゴーサインを出す。ミクはしっかりと頷いて、俺を見上げた。
 もう一度、観客席を見る。暗いから、その姿は見えないけれど。みんなの持つ、微動だにしないサイリウムが、ミクの次の言葉を待っている事を語っている。
 ここに集う人々が、すべて、初音ミクを愛し、そして、初音ミクの力を感じている。百年前に紡がれた初音ミクという希望が、今日まで、確かに受け継がれている。
 次の百年も、この歌姫が受け継がれていくように。
 祈りを込めて、ミクの背を押した。
「さぁ、行こう。俺たちの――夢が、始まる」
 振り返ったミクは、顔を少しだけ笑わせて。
 そのまま、階段を上り、ステージへと走っていく。

『こんばんは、初音ミクです!』

 新しい百年を告げる産声が、辺りに響いた。


Tell your world――夢の生まれる場所 /fin.

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

小説化 Tell your world 03

Everyone,creator!

ただでさえ天使のミクさんがGoogleとコラボしたlivetuneさんのTell your world.のノベライズです
今回も独自解釈満載でお届けしました。ご容赦いただければと思います

起承転結の結しかない物語ですが、結は同時に起になるのです。
たくさんの点は線になり、線は円になって、全てを繋げる力になれと
想いながらこの話を書いていました。
たった一つの点にでもなれれば嬉しい今日この頃です

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閲覧数:276

投稿日:2012/02/26 11:05:06

文字数:4,029文字

カテゴリ:小説

  • コメント3

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  • 時給310円

    時給310円

    ご意見・ご感想

    おおー、お久しぶりです。ずいぶん長い休暇でしたねw

    あのグーグルの1件以来、一般人への認知度も飛躍的に上がったみたいですね。「お前らおせーよw」って感じですが、何はともあれ良いことです。
    で、そのTell your world.をノベライズですか! これはこれは……相変らず難易度の高い曲を選ばれる。
    でも流石と申しますか、良いお話に仕上がってると思います。文章の呼吸と言いましょうか、スルスル読みやすくて最後まで一息で読めました。
    内容は100年後のお話ということで、これも相変らず独創性のあるオリジナル設定ですね。独創的なのに俺様設定ではなく、原曲へのリスペクトが感じられる。このバランス感覚はG0D0さんお見事だと思います。
    何の比喩でもなく、正真正銘の「現実」となる初音ミク……いいですねぇ、ミク廃の悲願ですねぇw
    あと100年経てば、本当に誰かやってくれるんじゃないかな。なにせ玄人はだしがワラワラ集まっているのがボカロ界隈ですから。それまでミクさんが元気でいられるよう、僕もなおいっそう創作に励みたいと思います! それと僕自身、あと100年生きないとっ!w

    夢と希望のある、楽しいお話ありがとうございました!

    2012/02/28 21:25:10

    • 笹木

      笹木

      >>漆烏さん
       お久しぶりってレベルじゃないですがお久しぶりです。お読みいただきありがとうございました。
       初音ミク誕生の瞬間に立ち会えたことって、すごい幸運なことだと思うんですが、それをどうにか表現したくて今回の話を書きました。みんなが「今ミクさんと一緒にいるって幸運じゃん?」とか思えたらすごくはっぴいだと思います。

      >>sunny_mさん
       ほんとうにお久しぶりです。愚者の塔シリーズとかでご活躍されているようで、おお、はるか向こうに姿がかすんで…!
       このたびは、お読みいただきありがとうございました。

       Everyone,creatorというフレーズは、きっと百年の重みにも耐えてくれると信じています。というか、このフレーズを描くには私はまだまだ表現力が足りなくて、今のような形に落ち着いてしまいました。くそう。
       この初音ミクへのみんなの愛が百年先も受け継がれていれば、本当に嬉しいですね!

      >>時給310円さん
       本当にご無沙汰しています。二年ぶりです。実は一年前に帰ってこようとしたらそのままタイミングを逃して今に到りましたw
       もうあのCMを見た瞬間、これはやるしかないな、と。今何が一番見たいかって言ったら、ミクさんが現実になる瞬間だな、ってことでこうなりました。
       こんな未来が到来することを願って……!

      皆さま、お読みいただきありがとうございました。長いことかかりましたが、ボチボチ帰ってきました。

      2012/02/28 21:55:33

  • sunny_m

    sunny_m

    ご意見・ご感想

    お久しぶりです!sunny_mです。
    読ませていただきました。
    やっぱり胸を鷲掴みにされました!素敵すぎる物語だ!!
    “初音ミク”に今と同じように熱狂する人たちが100年後もいるとしたら、それはなんだかすごくうれしいなぁ。って思います。
    長い年月をつなげる事が出来たら、それはもう本当に、嬉しいなぁ。
    そんな感じで今、胸が熱いです(笑)

    確かに、結、の文章ではあるけれど。そこに至るまでの過程を読み手側に想像させてくれる文章だと思いました。
    そしてこれから始まる何かの物語をやっぱり想像させてくれて、すごいなぁと思います。

    それでは!

    2012/02/28 20:05:34

    • 笹木

      笹木

      >>漆烏さん
       お久しぶりってレベルじゃないですがお久しぶりです。お読みいただきありがとうございました。
       初音ミク誕生の瞬間に立ち会えたことって、すごい幸運なことだと思うんですが、それをどうにか表現したくて今回の話を書きました。みんなが「今ミクさんと一緒にいるって幸運じゃん?」とか思えたらすごくはっぴいだと思います。

      >>sunny_mさん
       ほんとうにお久しぶりです。愚者の塔シリーズとかでご活躍されているようで、おお、はるか向こうに姿がかすんで…!
       このたびは、お読みいただきありがとうございました。

       Everyone,creatorというフレーズは、きっと百年の重みにも耐えてくれると信じています。というか、このフレーズを描くには私はまだまだ表現力が足りなくて、今のような形に落ち着いてしまいました。くそう。
       この初音ミクへのみんなの愛が百年先も受け継がれていれば、本当に嬉しいですね!

      >>時給310円さん
       本当にご無沙汰しています。二年ぶりです。実は一年前に帰ってこようとしたらそのままタイミングを逃して今に到りましたw
       もうあのCMを見た瞬間、これはやるしかないな、と。今何が一番見たいかって言ったら、ミクさんが現実になる瞬間だな、ってことでこうなりました。
       こんな未来が到来することを願って……!

      皆さま、お読みいただきありがとうございました。長いことかかりましたが、ボチボチ帰ってきました。

      2012/02/28 21:55:33

  • 漆烏

    漆烏

    ご意見・ご感想

    お久しぶりです!おかえりなさい!
    とうとう復帰したのですね。なんだか懐かしくてコメントしてしまいました。
    読みました。もしボカロ分野が本当に100年続くのであれば、自分はまさにその誕生に立ち会うことができたのだと考えると、感慨深いですね。
    最近のミクさんの活躍は目を見張るものがありますが、だからこそ、いつか唐突に冷めるんじゃないかと心配にもなります。創作分野としてユーザーの創作意欲が絶えれば終わりなので、それが大げさに拡大せずとも、いつまでも続いていくといいですなあ…。

    2012/02/26 19:37:19

    • 笹木

      笹木

      >>漆烏さん
       お久しぶりってレベルじゃないですがお久しぶりです。お読みいただきありがとうございました。
       初音ミク誕生の瞬間に立ち会えたことって、すごい幸運なことだと思うんですが、それをどうにか表現したくて今回の話を書きました。みんなが「今ミクさんと一緒にいるって幸運じゃん?」とか思えたらすごくはっぴいだと思います。

      >>sunny_mさん
       ほんとうにお久しぶりです。愚者の塔シリーズとかでご活躍されているようで、おお、はるか向こうに姿がかすんで…!
       このたびは、お読みいただきありがとうございました。

       Everyone,creatorというフレーズは、きっと百年の重みにも耐えてくれると信じています。というか、このフレーズを描くには私はまだまだ表現力が足りなくて、今のような形に落ち着いてしまいました。くそう。
       この初音ミクへのみんなの愛が百年先も受け継がれていれば、本当に嬉しいですね!

      >>時給310円さん
       本当にご無沙汰しています。二年ぶりです。実は一年前に帰ってこようとしたらそのままタイミングを逃して今に到りましたw
       もうあのCMを見た瞬間、これはやるしかないな、と。今何が一番見たいかって言ったら、ミクさんが現実になる瞬間だな、ってことでこうなりました。
       こんな未来が到来することを願って……!

      皆さま、お読みいただきありがとうございました。長いことかかりましたが、ボチボチ帰ってきました。

      2012/02/28 21:55:33

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