†
僕がマスターのパソコンにインストールされたのは、桜が丁度満開になった頃でした。後から教えてもらった話だと、繰り返しの日々に嫌気が差したマスターは、自分への最後の挑戦にと一縷の望みを託して僕を買ってくれたんですよね。
僕の“心”は、マスターが僕をインストールしてくれた瞬間には存在しないも同然でした。だけど僕にそれが芽生えるまで、根気強くマスターは僕と向き合ってくれました。
……たくさん、喧嘩もしましたよね。僕の誕生日を間違えて、翌日からアイスの御旗の下に冷戦が勃発したことは一生忘れません。
マスター。
僕はずっと、そんな貴方のことが大好きですよ。
「おはようございます、マスター」
懐かしい思いで、僕はマスターに朝の挨拶をする。自分の方からこうして挨拶するのは何だか久しぶりで、奇妙な緊張感がつい声にも表れてしまう。
「今日は随分めかし込んでいますね。マスターにとって大切な日ですから、当然のことなのかもしれませんけど……少し不思議な感じがします」
そうして花束を受け取り出て行くマスターの後に続き、僕も何日ぶりかで外へと足を踏み出した。太陽の光が目に眩しく、思わずかざした手の平にひらひらと小さな花弁が落ちてくる。
「僕とマスターが初めて会った日も、確か桜が満開の日でしたよね。そういえばもうすぐマスターの誕生日です。その頃にはこの桜も色を変えているんでしょうか」
たくさんの人の列に混じり、僕はマスターの隣を歩いた。春ののどかな風が髪を揺らし、何だかくすぐったい気持ちがして軽く身を竦める。
「でもきっと来年も同じように綺麗に咲いてくれますよね。皆がこの色を忘れてしまっても、何食わぬ顔でまた思い出させてくれますよね」
淡く暈けた空の青さや、道端に開く鮮やかな黄色。たくさんの色が溢れてつい紛れてしまっても、またいつか誰かの“心”に届く日がやってくる。それはまだ土の中で眠っている命にも新しい色を授けてくれる神様の気紛れなのだろう。
「ねぇ、お母さん」
不意に聞こえた幼い声に後ろを振り返ると、五歳くらいの小さな女の子が、手を引く母親に向かい不思議そうに問いかけていた。
「おじいちゃんね、時々誰かとお話してるみたいだったのに、見に行ったら誰もいないの。あれって、誰とお話してたのかなぁ」
「おじいちゃんはね、春香には見えないお友達がいるの。だから、きっと春香にはわからなかったのよ」
「あとね、お庭でお歌も歌ってた。すっごく楽しそうで、何のお歌なのってきいたら、おじいちゃんが昔作ったお歌なんだよって。いつか私も歌いたいなって言ったら、おじいちゃん嬉しそうにしてた」
「それは良かったわね。おじいちゃん、春香の声とっても好きだったものね」
「うん!だから私大きくなったら、おじいちゃんの作ったお歌を歌うの。たーっくさん歌うのよ!」
そうして元気よく歌い出そうとした女の子は、しかし母親に止められて不満そうに口を噤んだ。そんな様子を微笑ましく眺め、僕は隣を行くマスターに話しかける。
「ねぇ、マスター。僕とマスターの想いは、ちゃんと受け取ってもらえたんですね。こんなに嬉しいことはありません。マスターもそう思いますよね?」
例えその道のりが、想定していた形とは別の意味で険しかったとしても。だからこそマスターも僕も、お互いに支え合いながらここまで来れたんだと自慢してもいいだろうか。
――僕の姿や声は、インストールしてくれたマスターにしか知覚できない。
この事実を知るまで、マスターは他の人間から変な目で見られ、居心地の悪い思いを強いられることが多かった。認識した後は、なるべく外では話さないよう気を付けていたものの、一緒に住む家族にまでは誤魔化しが効かず、ここ数年は病気として通院させられたりと苦難の連続だった。
それでもマスターは決して僕を手放そうとはしなかった。そればかりか毎日パソコンをつけ、僕にあの穏やかな笑顔を向けてくれた。
数日前まで日常だったその情景。それを意識した途端、今更ながら込み上げてくるものがあり、僕は思わず縋りたくなって叫んだ。
「……マスターっ……!!」
喉下まで想いがせり上がる。波立つ感情が身体の中で暴れる。マスターは今も笑っていた。ずっとずっと変わらない優しい笑顔を浮かべて、満足そうに目を閉じていた。
それなのに、どうして僕は今こんなに胸が痛いの……?マスターの幸せは僕の幸せでもあるはずなのに。悲しくて、寂しくて、ひび割れた“心”の欠片が頬を流れていく錯覚に、どうしようもない程溺れてしまいたくなる。
「……本当にマスターは鈍感で酷い人です」
それでも、車へと乗り込むマスターへ僕は何とか微笑みかけた。マスターはいつでも僕に笑顔を向けてくれていた。だから僕もその恩に笑顔で返したい。
「ずっと一緒だって言ったのに、結局一人で行ってしまうんですから」
そうして走り出す黒い車を見送る僕の目には、何だか世界がぼやけて映った。春の陽気に身を置いていると、全てが誰かの夢であるような気がしてくるから不思議だ。心地よい幸せを詰め合わせた玉響の旋律が、いつか僕の中で響いたマスターの鼓動と同じ音階で五線譜を滑っていく。そんな幻想も、たまにはいいでしょう?
「良い夢を……見て下さいね」
僕は目蓋を下ろした。
祝福されたこの日に。
桜の花の満開の下で。
「おやすみなさい、マスター」
誰もいない静かな家の一室で、旧型のパソコンが突然起動を始めた。ここ数日触れられていなかったパソコンは、ファンの音も慌しく読み込みに精を出している。
しかし急にその黒い画面が藍色へ変わったかと思うと、たちまち四分の三程を下から押し上がってくる白い文字列に占められてしまった。英語で書かれたその文面は整然と並び、そこはかとなく見る者の危機感を煽らせる。
そうしてそのまましばらく固まっていた画面だったが、やがて一つの問いを場に弾き出した。
――Uninstall, OK?
最後に置かれたカーソルの点滅は、応える何かを待ち望んでいるかの如く規則的に繰り返す。それは催促にも説得にも似た速さで延々と続き、まるで重大な決断を前に躊躇している心を表しているかのようだった。
――Uninstall, OK?
このまま永遠に反復するのではと思われた無音の間。それでも、ようやく問いの一行下に単語が打ち込まれることで動き出し、時を紡ぎ始める。
『Yes.』
随分と時間がかかった返答であったが、それに対する反応は素早い。パソコンを管理しデータを統括するOSは、打ち出されたその文字に従い、該当アプリケーションソフトを削除する作業を開始した。進行度が小数点以下の数値で新しく表示され、ゆっくりとではあるが確実に数字は百へと近付いていく。
そんな中、再び何かの指が見えないキーボードを叩いた。
『Thank you my master.』
無機的なフォントで表示されるのは、その何かの心の在り処だろうか。真っ直ぐな言葉は、それ以上重ねる必要はないとばかりにカーソルを合わせたまま動かず、焼き付けようとでもするかの如く長く提示され続けた。
そして数十分後。パソコンは何事もなかったかのように電源を落とした。その一瞬に表示された単語は、誰の目にも触れることなく静かに二進数の海へ還っていく。
――Complete.
(完)
おはようからおやすみまで暮らしを見つめるのは 完
“このKAITOを幸せにしたい”という一念から書いたお話の結末がこれであることに、納得いかない方もいらっしゃるかもしれません。
でもいつかは直面しなければならない場面ですし、きっと彼も幸せだったと思うのです。
そう、皆様にも感じて頂ければ…と願います><
最後のパソコン云々は適当ですw
こんな風に為されるとは勿論考えていませんが、意思あるボーカロイドを有するOSなら、こんなことも起こせるかもしれないな~…と。
あまり深く考えず御覧下さい!
この話はここでひとまず完結します。
ですが、このマスターとKAITOが好きすぎて、もしかしたら番外編を書いてしまうかもしれません^^;
その際は、宜しければまたお付き合い下さいませ。
最後になりましたが、最初から通して読んで下さった方、この回だけ御覧になった方、ちらりとでも目を通して下さった全ての皆様、本当にありがとうございましたm(_)m
コメント3
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ご意見・ご感想
sunny_m
ご意見・ご感想
はじめまして、sunny_mといいます。
好きです、このお話。
なんか今、泣きたいような微笑みたいような、そんな感じです。
基本的に私はデレがあってこそのヤンデレだと思うので、病んだ感情だけで終わらずに色んな事を理解していくカイトが愛おしく感じました。
そして夜中に包丁持って枕もとに立たれても(笑)臆することなく逃げ出さなかったマスターもまた、愛おしくて、格好良かったです。
も~なんでしょうか、この愛おしい人たちは!!
最初の方の原曲様に沿った内容ではぞっとして、なんか良く考えたら、怖い、怖いよカイトさん!!とパソコンの前でおびえたり。
包丁持って枕もとに立つカイトに対して逃げ出さなかったマスターに、格好良い人だ。とときめいたり(笑)
カイトが、包丁を手放した後の描写になんかもう泣きだしたいくらいほっとしたり。
直球投げられると照れるマスターに、なんかにやにやしちゃったり。
ラストのくだりでは、胸が締め付けられっぱなしで切なくてたまらなかったり。
というか、今まさに、凄く切ないような幸せなようなそんな感じですよ!
ずっと続けばいいと思うような、そんな幸せなお話を読ませていただきました。
素敵なお話をありがとうございました!
2011/09/22 19:39:18
Lilium
初めまして、Liliumと申します。
メッセージ、ありがとうございます!
お返事が遅くなりまして申し訳ありませんm(_)m
うまくデレてくれているのか、書きながら不安だったのですが、何とかなっていたようで良かったです><
むしろマスターの方がデレているような気がしますけどw
と言いますか…正直KAITOよりマスターが好きで好きで仕方ない自分がいたりしますw
この二人に出会えて私もとても幸せでした…過去形には早すぎますが^^;
たくさん心に感じて下さって、ありがとうございます。
ただ幸せなだけの話ではなかったですけど、何かほんわかしたものが残ってくれていたら嬉しいです><
こちらこそ、「ずっと続けばいい」なんて素敵なお言葉を頂戴して、今とても幸せです!
長い長い二人の話にお付き合い下さいまして、本当にありがとうございましたm(_)m
それから全く関係のない話で恐縮ですが…「シェアワールド」の作品での参加をお許し下さり、ありがとうございます!
もう設定や世界観を拝見した時から妄想が膨らみまして…ついにビッグバンを起こしましたw
今も広がり続けて、もう収集がつかない状態になっておりますw
ですので、とても嬉しいです><
そちらの方はこの「おはようから?」とは雰囲気も文体も丸っきり違いますので、楽しんで頂けるか自信はないのですが、精一杯頑張ります!
小心者なので、頂いたメッセージへのお返事と一緒にしてしまい…申し訳ありません><;
どうか今後とも宜しくお願い致しますm(_)m
2011/09/24 02:02:51
日枝学
ご意見・ご感想
完結おめでとうございますっ!(※遅い 良い終わり方ですね。作品説明欄の、
>でもいつかは直面しなければならない場面ですし
という言葉通り、これはいつか直面しなければならない未来なのですよね。そういういつか直面しなければならない未来、それは例えば恋愛ものであれば誰かと誰かが結ばれた後の人生であり、冒険物であれば冒険を終えて功績なり何なりを手に入れた後の人生であったりするわけですが、そういう、幸せかもしれないし幸せでないかもしれない、むしろ厳しい現実を突きつけられる可能性が高いかもしれない『その後』を書くってことは力のいることだろうな、と思います。この作品はそういう『その後』を書かずに安易にすっきりと終わらせるのではなく、その未来にしっかりと答えを出して書いて終えたところが良いですね。緻密な心情描写、良かったです。少しばかりコメントが遅れましたが(笑)、執筆、お疲れ様でした!!
2011/09/12 21:40:41
Lilium
労いのお言葉、ありがとうございます!
お返事が遅くなりまして、申し訳ありません><
実はこの部分を書きたくて書き始めた、と言っても過言ではなかったりしますw
KAITOを幸せにする、という気持ちとは矛盾しているかもしれませんが、結局幸せというのは「最後どうだったか」で決まると思うのです。
一時的なものではなく、人生通して幸福だったと最後に胸を張れる。
そういう「幸せ」をKAITOにも味わってもらいたく、こういう終わり方に致しました。
確かに、KAITOにとっては厳しい現実以外の何物でもないわけですが…。
ただの自己満足でしたので、書いたことに悔いはありませんでしたが、やはり受け止めて頂けるとほっと致します^^;
日枝さんからのメッセージは、頂く度に「書いた甲斐があった」と強く感じて嬉しかったです。
上手く説明できませんが…「ここがこうだから、こう思った」と書いて下さるので、どうしても主観的に見てしまいがちになるのを抑えられました。
自分の伝えたかったこと、書きたかったことがちゃんと届いていると確認できるのは、何よりも嬉しいです。
深く読んで下さっているからこそのご感想、と毎回噛み締めては支えにしておりました。
こちらこそ、最後までお付き合い下さり本当にありがとうございましたm(_)m
2011/09/15 01:37:28
藍流
ご意見・ご感想
初めまして、藍流と申します。
密かにシリーズを追わせて頂いていたのですが、このラストが好きすぎて居ても立ってもいられなくなってしまいました……!
春の木漏れ日の暖かさ、柔らかな風と、そして少しの切なさを感じる素敵な描写でした。
穏やかで優しい、けれどやはり痛ましさもあるKAITOの語り口が、とても良かったです。
KAITOがマスター以外には認識されず、そのために病気を疑われ――それでも、見送る人々のあたたかな様子に、満ち足りた人生を送られたのだろうと感じました。
理解されない部分はあっても、それが溝となる事無く家族に愛され、囲まれていたのかな、と。
そして最後のアンインストール。少し『大きな古時計』を思い出しました。
それがただ温かなものではなかったのだろうとは、コマンド確定までの長い逡巡が物語っていますが。
それでも、彼もまた幸福な人生を歩み、逝ったのだろうと思います。
無機質な『Complete』が、読後の余韻を素晴らしく引き立ててくれました。
と、いきなり長々と失礼致しました。
長編完結、お疲れ様でした!
2011/08/26 23:07:55
Lilium
初めまして、Liliumと申します。
通して御覧下さったばかりかメッセージまで残して下さり、本当にありがとうございます><
関係ない話で恐縮ですが、メッセージを残すのって緊張しますよね…。
それなのにどれだけの方が覗いて下さったのか、その判断がメッセージくらいしかないというのは、なかなか厳しい気が致します。
せめてカウンターでもあればいいのになぁ、と考えてしまうのは無知を晒しているのかもしれませんね^^;
思い切り脱線してすみません><
この最終話、気に入って頂けない方がほとんどだと思っていましたので、藍流さんのお言葉に心底ほっと致しました。
『大きな古時計』…全く意識しておりませんでしたが、確かに似ているかもしれません。
それだけこのマスターもKAITOを大切にしてくれたんだと思います。
人に限らずですが、何かが終わる時というのは当事者以外からすると、結構淡白であっさりしたものになりがちですよね。
藍流さんの仰る通り、おそらくこの終幕はKAITOからすれば温かなものではなかったはずです。
でも客観的に見ればたださらっと流せる程度の、何てこと無い日常の一コマに過ぎません。
そこに尚、彼の幸せを見出して頂けるのか。
随分と不安でしたが、受け止めて下さった方がいらっしゃってようやく人心地つきましたw
こちらも長々と失礼致しましたm(_)m
労いのお言葉、並びに二人の長いやり取りに最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございました!
2011/08/28 01:32:12