その瞬間、君と一緒に昨日見た夢を僕は忘れてしまっていた。
興奮が熾火のように胸の内側でくすぶり続けていた。
収まらない興奮を持て余した僕は、地元の駅前ロータリーのベンチに腰かけたまましばらく過ごしていた。春の夕暮れ。オレンジ色の空の向こうから透明な風が吹いて、僕の短い髪を、首に巻いた薄手のマフラーを、揺らす。どこからか飛んできた白い花びらが目の前をよぎっていく。現実味のない光景の中で、胸の中に灯った火は現実の熱を宿したまま。
夢のような、決して夢ではない、現実。
今日、呼び出された事務所で告げられたのは『歌うたい』の仕事依頼。
先日参加した歌のコンペについて、結果は落選だったけれど僕の歌声はかなりの好評価だったこと。その繋がりで有名な『曲創り』が僕へ『歌うたい』の仕事依頼を持ち掛けてきたこと。僕が歌う予定の楽曲にはすでに大きなタイアップが決まっていること。タイアップの放映と併せて僕を大きく売り出すプロモーションを打ち出す企画の用意があること。
歌をうたうことが好きで、ずっと歌うたいとして活動してきた、どこにでもいる歌うたいの一人だ。声は良いし、リズム感だってあるし、上手なんだけどね。僕の歌声はそう評されることが多い。
けどね。けどね。けどね。
必ず語尾に「けどね」が付いてしまうぼくの歌声。
求めている雰囲気とちょっと違う。華やかさが足りない。なんていうか押しが欲しい。今回はそもそも別の歌うたいを売り出すための出来レースなんだよね。等々。けどね、の後には僕の歌声では足りない理由が付いてくる。
そんな、ずっと売れない『歌うたい』だった僕にやってきた、好機。もう、歌うたいを辞めようと思っていた。そんな矢先にやってきた好機だった。
これは現実なのかな、と思わずつねった頬は痛くて、長年お世話になっている事務所の社長も、現実だバカイト、と嬉しそうに笑って言ってくれた。頑張ってきたことが実を結んだなと祝福してくれた。
僕の歌声を求めてくれる人が現れた喜びが、歌うたいとしての道が開けたという現実が、どくどくと僕の胸を打つ。この先どうなるかわからない、それでも歌うたいでいることをまだ手放さなくてもいいのだと赦されたのが、ひどく嬉しくて仕方がない。
僕はもう少しこの現実を追いかけてもいいのかな。まだ手放さなくてもいいのかな。
ふわふわとした思考を、澄んだ風がまたふわりと撫でる。舞う白い花びらが誘うように視界を横切り、ふわり、と君のスカートの裾が揺れる残像が目に入った。ちょっとくたびれた紐靴をはいた君の小さな足が、気がつけばすぐ傍にいた。
顔を上げると普段通りの君が目の前に立っていて、おかえり、と言った。
柔らかな春のニットに青いフレアスカート。斜めがけの小さなカバンに買い物用の大き目のトートを肩にかけている。いつも通りの君の姿が興奮に沸いた僕の思考に冷たい水を差す。我に返った僕は、うしろめたさを隠すように、ただいま、とぎこちない笑みを浮かべた。
「買い物?」そう言いながら駅前のスーパーを目線で示すと、うん、と君はうなずいて僕の隣に腰を下ろした。ふわ、と柔軟剤の匂いがあまく香る。一緒に洗濯をしているのだから同じ匂いのはずなのに、君が身に着けているとほんの少しだけ甘さを感じるのはどうしてなのだろう。
「なかなか帰ってこないなーと思ってたけど。こんなところに座り込んで、どうしたの? 」
調子悪い? そう問いながら君は僕の前髪をかきあげて僕の額に触れた。君の華奢な手のやさしさが、僕に思い知らせる。選ぶべきものを示せと頬を叩く。
表情を強張らせた僕に、心配そうに君は表情を曇らせた。僕の顔を覗き込む君の瞳はまんまるで、顎のあたりで切りそろえられた癖のない髪の毛と相まって、小さな子供みたいだ。君を見ているとなんでだろうか、僕は口元が綻んでしまう。ずっと見ていたくて仕方がなくなる。
さらりと柔らかな頬に落ちる髪に触れて耳にかけてあげると、くすぐったそうに君の瞳が弧を描く。その柔らかな感覚も、いとしさとかなしさが大きすぎて今は息苦しいほど。
「……歌うたいの仕事が入ったんだ。大きな、仕事」
そう僕が言うと、君はきょとんと眼を見開いた。
「大きな仕事?」
「そう。僕の声を気に入ってくれた人がいて。その人が手掛けるプロモーション楽曲に参加することになったんだ」
「そうなんだ! すごい!! おめでとう!!」
良かったねえ、と君は心底嬉しそうにひとしきりはしゃいで。それから、ふと何かに気が付いたように、僕のことを見返した。
それじゃあ、どうするの? と僕の選択を問うようにじっと見つめてくる君の丸い瞳を途方に暮れながら僕は見返した。本当だったら不安定な現実も君との夢も両方とも手に入れたい。けれどそんなことできないってことは何度も話し合ってお互い分かっている。夢も現実も、両方手に入れることができるのならとっくの昔にやっているのだから。
君の華奢な手に触れて、握り締めた。壊れ物を抱くように、離したくないと駄々をこねる様に、強く。
君の華奢な手が、僕の手を遠慮がちに握り返した。問うように、願うように、おずおずと。
こんなにもいとしいのに、いとしいのに、いとしいのに。君の顔を見ているとかなしい気持ちになってしまうのは、僕はもう選んでしまったから。熱に浮かされ手放せなくなってしまった現実か、昨日、君と一緒に見た夢か。どちらも一緒に選ぶなんて器用な真似が僕にできるわけなんてなくて、どうしたってどちらかを選んで、どちらかを手放さないといけない。
求め続けた現実か、君と一緒に見た夢か。どちらも手放したくないのに、僕の欲は簡単にどちらを選ぶのか決めてしまう。
「あのね、僕、歌うたいを続けたい」
僕は俯いて、絞り出すようにそう言った。喪失感に胸が痛くて君の顔を見ることができない。酷いこと言ってるのは僕の方なのに。君を悲しませているのは僕なのに。
「……。カイトは、私と一緒になるんじゃなくて、歌うたいを続ける道を選んだんだね」
確認するように、君は言った。淡々としたその声に君の哀しさと怒りが伝わってきて、また胸が痛くなる。
「……うん」
頷くと、僕の手を握り締める君の手の力が強くなった。その責めるような強さが痛い。
俯いた足元に白い花びらが吹き溜まる。僕の隣に並ぶ君の足元にも白い花びらが吹き溜まり、さあ、と渦を巻いてまたどこかへ行ってしまった。
『歌うたい』の好機を得たけれど、成功できるかどうかはまた別の話だ。実際問題、今まで成功とは程遠い位置にいたのだ。この世界で名を上げるには実力はもちろん必要だけど運だって必要。今好機があるからと言って続くとは言い切れない。つまり歌うたいを選んだ時点で僕はまたしばらく不安定な生活を続けることになる。
適齢期、という言葉は彼女の友人から言われたりした。彼氏がいることを知りつつも彼女に好意を寄せる男がいることも知っている。気が利いて、穏やかで、そこそこずぼらで、一寸子供っぽい彼女が異性に人気があることも知っている。
君と一緒に見る夢ではなく、現実を追いかけることを選んだ僕が、このまま君を縛り付けることはできないって、わかっている。
ごめん、と小さく言えば、ほんとうだよ、と君は言った。
「私と一緒になってくれるって言ってくれたのに。私の事なんて本当はどうでもいいんだよね」
「そんなことはないよ」
「だけど、歌うたいの夢と天秤かけたら私のほうが軽いでしょう?」
君が責めるように問いかける。僕は黙る。
歌うたいでいたいと願うことと君が大好きだという気持ち。それは比較するようなものではないけれど。それでも一度は君との夢を選んだくせに、好機があると知った瞬間、簡単に手放してしまう僕の薄情さは責められても仕方がない。
君との夢を手放すことは本当に嫌で仕方がないのに。それでも、まだ歌うたいとしてやれると気が付いてしまったから、現実を追いかけることも止めることができない。
ごめん、と絞り出すように僕は言った。
沈黙が続く中、日が暮れていく。
すう、ふう。君が大きく息を吸って吐き出した音が耳に届いた。苦いものを飲み込むような。気持ちに折り合いをつけるような。諦めるための準備運動としての君の深呼吸が、夕暮れ時の空気に淡く溶けていく。
「……、わかった」
赦すような寂しさを帯びた声で君はそう言った。
僕が顔を上げると、君は困ったような笑顔を返した。泣き出す前のようなその笑顔に、罪悪と焦燥の入り混じった感情がまた僕の胸の辺りをきつくつねる。それでも後悔の感情が生じないのだから、本当に僕はひどい。その後ろめたさにまた視線を足元に落とした僕の手を、君は励ますような強さでまた握り締めた。
今日という一日が終わる。夕焼け色に染まった空気の中で、僕たちの間にも終わりの気配が濃くなっていく。
夕暮れの空は夢の終わり 【KAITO】昨日見た夢【オリジナル】
原曲様
【KAITO】昨日見た夢【オリジナル】
http://www.nicovideo.jp/watch/nm20430647
こちらは原曲の二次創作です。
個人的に妄想した作品になりますことをご了承ください。
7/1のカイパラに出る予定でしたが、体調不良やらうんにゃらな理由でお休みすることにしました。で、コピー本にして持っていこうかな~と思ってたいろいろ二次作品の救済措置そのにです。
前のバージョンで続きます
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