「…あれ」
イヤホンから流れ出したメロディに、私は首をひねった。
「この曲、って、こんな曲だったっけ…?」
<ボーナスステージ>
「おーい、リン?」
急に肩を叩かれて、私はびくっと体を震わせた。
コート越しでも不意打ちは辛い。掛けられたのは知っている声だったから、驚きは素早く怒りに変換された。
振り向き様に腹部と思しき場所に拳骨をかましておく。…あっ、避けられた!
「レンちょっと!先に声かけてよね!ってもう、避けるなー!」
私が怒鳴っても、レンは軽く肩をすくめるだけ。慣れたものだ。
「リンが殴りかかってくるのなんてもう慣れてるし、腹狙いだってのも知ってるからな」
それはそうかもしれない。
次からは顔狙いにしてみよう。そんな事を考えながら、私は黙って歩き始めた。
レンも特に何を言う事もなく、同じ方向に歩き出す。同じ大学・同じサークルに所属するから当然のことではある。
今日は、大学に入って初めての文化祭なのだ。
喫茶店をやるらしく、一年生はお菓子を作ってくること、と先輩に申し渡されて早三月。手に提げた荷物の重さが、昨晩の努力の証である。
私はパウンドケーキを3本作って来たんだけど…なんか怖いなあ。お客さんに出すものだし、崩れたり壊れたりしてませんように。とりあえず胸の中で祈っておく。神様、よろしくお願いします。
改札前は薄暗かった。やけに駅の中が暗いな、と思っていたし、単に駅構内の電気が暗いだけかと思っていたけど、まだ日が昇りきる前だから外の街並みが明るくないというのも理由の一つにあったのかもしれない。東の空の色がグラデーションになっているのがびっくりするくらい綺麗だ。
元々繁華街とは無縁の街並みだから、休日早朝という今は全く人の姿が無い。犬の散歩をしているお姉さんをなんとなく避けながら、この一年ちょっとですっかり歩き慣れた道を大学に向かっていく。
くあー、と隣でレンが欠伸をしているところを見ると、彼も寝不足のようだ。ずっと無言というのもなんだか淋しいから、お菓子作りの話題でも振ってみようか。
「…なーんかさぁ、お菓子作るのとか久しぶりだよね。中学のー…あー…家庭科以来?」
「かていかー?ああ、確かに作ったっけ。中学ん時は俺らクラス違ったけど、やった内容はそんな変わんないか。うちの班ベイクドチーズケーキ作ってたっけか。生焼けだったけど」
くあ、ともう一度小さく欠伸をして、レンは私の方に顔を向けた。
「あれは…えーと、中二だっけ中三だっけ、あんまし良く覚えてないな」
言われて、私も考えてみる。
…駄目だ、覚えてなかった。魚のかば焼きとか、なんかいろいろ作ったのは覚えてるんだけど、いつ何を作ったかまではもうすっかり忘れてしまっている。
―――変な感じだ。
ついこの間の事のような気がするのに、もう忘れる程時が経ってしまっているなんて。
「…そっか。あれからもう五年くらい経ったんだね」
何となく呟くと、隣にいたレンがきちんと拾って話を繋げてくれた。
「え…あ、そうか。それ考えるとなんか変な感じするなあ」
わざわざ指を折って年数を数えているレン。
全くもう、こういうところって変わらないんだね。それこそ小学校時代に四則計算が苦手で、レンがいちいち指を使って計算していたのを思い出してしまった。
お母さんも先生も指を使うとその先が大変だからってやめさせようとしたけど、結局これはレンに癖として残っちゃったんだよね。中学も高校も一緒だったけど、毎年一度か二度はレンが指を折って計算しているのを見ている気がする。
子供っぽく見えるけど、これでレンは理数系科目の成績は抜群なのだ。羨ましい事この上ない。
私も、まあ出来ない訳じゃないけど今一つぱっとしない成績しか取れない。多分丸飲みをしているだけだから原理をしっかり理解できてないんだろうな、ってことは分かっているんだけど…どうしたらいいのやら。
それだけじゃない。じゃあどの教科が得意なのか、って聞かれても答えられない。
昔は国語や地歴系が得意だったんだけどなあ…大学入ってから文系科目が激減しちゃったし…使わない知識は衰えていく一方だよ。悲しいね。どの教科も好きで、楽しいんだけど…うーん。
「中学は黒歴史だわ。何だっけ、うちの学年で団結してマラソン大会の開会式乗っ取った事あったよね」
「先生達にめっちゃ怒られたよな、後で」
「後輩にはなんか尊敬されたけどね。まあ確かに度胸はあったよね。勢いに乗ってやったただのバカとも言うけど」
「いや、あん時は馬鹿ばっかやってたよ。なーんかさあ、運動会のクラス旗作る時に他のクラスに行ってたら、変なあだ名で俺の名前書かれてめっちゃショック受けたの覚えてるわ。しかも真ん中あたりにでかめに…サボったの反省して、旗振り役やった」
「あはは、クラスの人には許して貰えたの?」
「多分。良く分かんないけど」
苦笑するレン。その顔には邪気が無い。
まあいじめられたという話も聞かないし、上手くやっていたんだろう。私は陰口と浮気は本人にバレなければOK派だから、陰口はあったとしてもノーカウント。っていうか全ての人から常に賛美されて生きるのって無理だと思ってるし。
胸の奥に少しだけもやもやしたものを感じながら、私は少しだけ笑み含みの声で言葉を返した。
「…そういうとこ、レンって要領いいよね。憎まれないタイプって言うか」
「そーかぁ?」
「うん…」
信号が赤になっていたから、止まる。
車は一台も通らないけど、なんとなく律義に交通ルールを守りたいような気分だったから。
なんだか、最近とみに思う。
私は結局はランクCに落ち着くのかな、って。勉強の話じゃなくて、人生全体の総合評価について。
だってどの分野にも私より上の人なんて山ほどいるし、総合評価で上位を狙おうったってそこまであれこれ考えられるほど私の頭の情報処理速度は速くない。考えると泣けてくる。
人付き合いもそう。何気なく言った一言が、後で思い返してみるとかなり自己中心的だったり嫌味に聞こえたりすることに気が付いて、落ちこむ事だってある。人格者への道は遠い。
かといってそんな自分が嫌いなのかって言うと、そうでもない。
それは救いなのか、それとも向上を妨げる枷なのか。一番良いのは、自分を認めながらも上を目指す事なんだろうけど…事あるごとに心が折れるからなあ。なかなか難しいや。
尊敬と友情、妬みに嫉み、自己嫌悪とプライド。
どこかで順位を付けないと回らない世界だということは分かっていても、時々とても息がしにくい。
考えなければいけない事は、余りに多すぎる。
今でこれなんだから、自立した時はどうなるんだろう。私、ちゃんとやっていけるのかな。それを思うと怖くなる。
小さい頃、私はお姫さまだった。
考えた訳じゃない。半ば感覚として、そう思っていた。
守られている世界。私は結局、その柔らかい殻の中から飛び出すようなおてんばはしないままだったのだろう。
世界は広くて、自分は何だってできる気がしてた。何にだってなれる気がしてた。
「若さとは走り続ける事!」なんて叫びながら友達と階段を駆け上ったりしていたけど、あれもあながち間違いじゃないんじゃないかって言う気がする。
何も知らないまま、好きなように夢を描いた。思ったように行動していた。
天井なしの未来予想図。そりゃ流石に出来ることと出来ない事の大まかな線引きとか、ある程度のことは知ってたけど、あやふやな夢はあやふやだからこそとても綺麗に見えた。
井の中の蛙―――幼い私達の世界は、確かにちっぽけなものだった。
でもあの頃、世界は確かに私達のためにあったんだ。
いつの間にか、信号は青に変わっていた。
私達は、大きくなった。
世界の広さを知って、少しずつそれに馴染んでいった。
それだけじゃない。
あの本を読んで笑うこともなくなった。
あの歌を聞いて泣くこともなくなった。
あの道を走り抜けることもなくなった。
もちろん、逆もある。大人になったからこそ、気付くことも、感じる事もある。
それは…どういうことなんだろう。
良い事なのか、悪い事なのか。それとも善悪で判断できるような事じゃないのか。
私にはまだ分からない。
なんの変鉄もない町並みがやけに鮮やかに見えて、私は黙って歩いた。横を歩くレンも無言で、黙って前を向いていた。
落ち着いた色彩の七階建てのマンション。
甘い青に染まった空。
逆光の木の影で煌めく太陽。
あるかなきかの風に吹かれて、頬と耳朶がかすかに冷えた。
あの賑やかな世界にはもう戻れないけれど、私は覚えている。きっと、レンも覚えている。忘れることなんてできない。
だってあの世界は、すべてが私達のためにあったんだから。
思い出す度に、馬鹿だったなぁ、って苦笑が漏れる。
だけど、同時に、その輝きが眩しすぎて泣きたいような気分になる。
変わってしまう。
戻れない。
それでも、この目に映るものは綺麗なままだ。
「…寂しいな」
レンが、そう呟いたような気がした。
誰に呟いたのか、分からない。もしかしたら私に向けての言葉だったのかもしれない。
でも、特にそれを問うこともせず、私は振り切るように溜め息をついた。
まだ温もりを残した空気の中では、それが白い筋になる事もない。ただ目に見えないまま広がって、広がって、やがて消えていくだけだ。
私は、顔を上げた。
「よし、走ろう!準備に遅れちゃうよ!」
弾けるように言って、一歩、二歩、わざわざ縁石の上を歩く。
少し大袈裟なくらいに跳ねてみると、後ろから苦笑混じりの声が飛んできた。
「おま、子供か!」
「子供で悪かったね、…うわ!」
「ははは、落ちてやんのー」
「あああ!人の不幸を笑うな!」
「うっせ。つか危ないから普通に歩道歩け」
今はいい。何も考えなくていい。
きっと、これが最後の時。「学生」なんて若さの象徴みたいな称号を貰える今だけは、難しいことを全部後回しにしても許されるんじゃないだろうか。
ティーンエイジャーにももうすぐサヨナラ。
大人になりきる前に許された馬鹿な時間。
それが分かっているから、余計に、ほら、いち、に、さんぽ。全力で楽しもうじゃないか。
最初で最後のボーナスステージを―――
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ご意見・ご感想
文月
ご意見・ご感想
ボーナスステージは聞く度に考えさせられるんですよね~(・・;)
別に大人になるってことは遊べなくなるってことではないんですよね…。
10代のような輝きはないけれど、20代は20代の何かが見えてくる。
だからこそ今のこの瞬間を常にフルで楽しもうよ!!
みたいなことで把握してたのですが…。
深いです!!深いですよ!!翔破さん!!!!(ぉぃ
なんか考えられましたね…。
今リアルにこの曲を感じる立場だからこそ、
前向きに頑張りたいと思います!!
すみません、いきなり宣言なんかしちゃって…。
素敵な小説ありがとうございました♪
ブクマさせていただきます!!
2012/02/27 14:33:22
翔破
こんにちは、コメントありがとうございます!
そして、実生活の方がずいぶん忙しいようで…すぐにお返しできなくてすみません!
動画の方はhiamaさん経由で連絡を取らせて頂こうと思います。いくつかお聞きしたい点もあるので、そちらもhiamaさんの方からお尋ねしたいと思います。
私の方も割と実生活が忙しくなりつつありますが、頑張って行きたいと思います!
2012/02/28 18:21:00
桃色ぞう
ご意見・ご感想
こんばんは、桃色ぞうと申します。
拝読するうち、私なりに十代最後の一年などを思い出したりしました。
やはり何か怖いような、もったいないような、落ち着かない気がしたものです。そんなことを久しぶりに思い出させてくれた作品でした。
>別に大人になったり社会に出たりしたからって、楽しみがなくなるとか遊べなくなるとか、そういうことではないんです
これには全力で同意ですね。
私が十代のころなぞは、光を見てもそれが『光』と分からず、勝手に未来が暗いもののように決めつけて、毎日が鬱だったような気がします。それに比べれば、出来ることと出来ないことがある程度見極めがついた今の方が、毎日が明るいくらいです。
だから現役十代には、楽しいのは十代のうちだけだ、なんてことは思ってほしくないですね。いろいろ知ることで、面白いことも見えてくるぞ、と。
じっさい、リアルで身の回りにいるアラフォー男女のハジケっぷりというか、怖いもんなし振りは羨ましいくらいですw
2012/02/18 23:22:40
翔破
こんにちは、コメントありがとうございます。
私ももうこの鏡音さん達の年齢は過ぎているもので、色々な事を思いながら書きました。
少しでも気に入って下さったのなら、物書きのはしくれとしては光栄の至りです。
コメントして下さったことには完全に同意ですね!
私もこれからも人生を楽しんで生きていきたいと思っております。
ブクマもして下さったようで、ありがとうございました。これからも精進していきたいと思います。
2012/02/21 23:38:13
芙蓉
ご意見・ご感想
ボーナスステージですか…。
この小説で初めて知りました。
だ、大学…!どうしよう、中卒になっちゃうかも!とか考えてる今だと何とも考えにくいものですね。所詮中二ですから。←もう何を書いてるのかもわかってない
すみません、ティーンエイジャーってなんですか?←馬鹿
2012/02/07 10:36:28
翔破
コメントありがとうございまする
この曲は、(どこだったか忘れてしまったんですが)どこだかのコメントで「これは大学生の歌」というのを見かけて、それ以来このイメージで大体固まってしまいました。でも特に意味は無いです!
まあ簡単に言うと「若いって良いねぇ」という感じです!
ティーンエイジャーは teen ager=十代、という感じで使っています。
…英語表記が正しいかどうかは、ちょっと自信が無いです…
2012/02/07 21:38:56
ちぇる
ご意見・ご感想
ボーナスステージの小説ずっと読みたいなって思ってました!
私はまだ中2ですが、すごく共感できます。
やっぱ翔破さんは文章上手ですね!
2012/01/31 21:00:53
翔破
こんにちは、コメントありがとうございます!
私もずっと書きたいと思っていた作品だったのですが、他の方が読んで面白い作品かどうかは分からなかったので、気に入って頂けたのなら有り難いです。
そして、文章を褒めて頂けるとは思っていませんでした…!
出来るだけ感じた事を伝えられるように書きたいと思っていましたので、そういって頂けると嬉しいです。これからも精進します!
2012/01/31 22:47:25