「『イモケンピ』が食べたいのじゃ!」
そう、リリアンヌ王女が言い出してから1時間。僕、『アレン=アヴァドニア』は途方にくれていた。
午後3時、おやつの時間には、使用人の誰かがリリアンヌ王女におやつを作る決まりになっている。今日は僕の番だ。リリアンヌ王女はブリオッシュが大好きだから、先日ミカエラが送ってきたトラウベンを使ったブリオッシュを作るつもりでいた。
そのトラウベンの量が、またバカみたいに多いのだ。どっさりだ。こちらへ向かう荷馬車が、まるで蟻のようだった。何でも彼女の村で育てているトラウベンが、今年はうんと豊作だったらしい。
トラウベンはとても傷みやすい果実だ。さっさと使ってしてしまわないと、自然発酵して食料庫がワイン工房になってしまう。それだけは避けたい。食料不足で飢えるよりは断然マシだが、だからと言って使用人の仕事に『醸造』『瓶詰め』なんて増やされたらたまったものではない。これ以上忙しくなってしまっては、腕と足が2本ずつでは足りなくなってしまう。
それに、あまり食べ物を無駄にすると侍女長がうるさい。侍女長のお説教は地獄だ。怖い、ただひたすらに。耳のタコも潰れてしまう。
なので、そのトラウベンを消費するべくブリオッシュをつもりでいたが、王女のリクエストは『イモケンピ』という謎のおやつだった。作った事など無いし、見たこともない。もちろん、食べたこともない。トラウベンを消費できるのかどうかも謎だ。
名前はネイから聞いたことはある。たまたま休憩時間が被った時にイモケンピの話をしていたが、ただっぴろい庭園の掃除を仰せつかっていた僕は、疲労困憊で話を半分聞いていなかった。
トラウベンはともかく、レシピが無ければどうする事もできない。最初は想像で作ってみようとも思ったが、トンチンカンなものを出したのが王女にバレれば、僕の首はギロチン行きだ。そんな事で首を飛ばしたくはない。
「そうか、ネイなら作り方を知っているかもしれないな」
確証はないが、今はとにかくネイを頼る他なかった。
王宮にある書物を読めばイモケンピの事が分かるかと思ったが、そんな事をしているうちにもう1時間が経過している。全部読んでいたら埒があかない。
急いでネイの持ち場、鏡の間まで向かう。あそこの隅の方にいる金髪のメイドがそうだろう。
「ネイ、ちょっと頼みがあるんだけど」
「アレン? どうしたのこんなところで」
「おやつの事なんだけど、王女がイモケンピを食べたいって言うんだ」
「イモケンピ?」
「うん。でも作り方がわからなくて……ネイなら何か知ってるかと思って聞きに来たんだ」
「ええ知ってるわよ。私の部屋にレシピがあるわ」
「本当!? そのレシピ、少し借りても良いかな?」
「もちろん。アレンの首が飛んじゃったら大変だもの」
「怖い事言わないでよ」
「ちょっと待っててね、急いで持ってくるから」
「いやいいよ。僕が自分で取ってくるから」
「アレンが自分で?」
「そうだけど、何かまずかった?」
「うーん……」
ネイが困ったような様子を見せる。仕事を邪魔させてはいけないと思っての案だったが、何か問題があるのだろうか。
「男の子を部屋に入れるのは、さすがにちょっと」
「あっ……」
そうだった。普段一緒に行動する事が多いのもあり、自分とネイは異性だという事をすっかり忘れていた。さすがに男の僕がメイドの部屋に入るのは色々まずいか。
「ごめん気が遣えなくて。ネイが女の子だって事、すっかり忘れてて」
「はぁ?」
「えっ?」
険悪な人相で睨まれたあと、みぞおちに重い痛みを感じながら僕は意識を失った。あぁ、短い人生だったな。もっとたくさん、色んな事をしたかったな。もしも生まれ変われるのならば……うーん……ブラックな仕事だけはやめたいな。
……目が覚めると、目の前にはレシピの写しが置いてあった。文字は乱雑で、殴り書きのようにも見える。しばらくネイに顔を合わせるのが怖い。今度から女の子の扱いには気をつけよう。
ひとまず、何とかイモケンピのレシピは手に入った。材料が心配ではあったが、レシピを見る限り、貯蔵されている食料だけで充分作れそうである。あとは出来る限りトラウベンを消費したい。しかしこのレシピを見る限り、トラウベンを使うタイミングはあまりにも無いように見えた。
イモケンピは芋を細長く切って、油で揚げ、砂糖をコーティングする……という単純なものだった。芋を切ってそのまま揚げてしまうとなると、トラウベンを生地に練りこむ事も不可能。飾りつけにも使えそうにない。
いっその事もう1品作ってしまおうとも思ったが、そうこうしているうちに3時のおやつの時間まで時間がない。イモケンピ自体はそこまで時間を有さないが、同時にケーキやら何やらを作るとなると時間はあまりにもギリギリだ。どうしたものか。
「アレン?」
透きとおった声に自分の名前を呼ばれ、驚き、振り返る。こんな美声を持つのは、僕の知る限り1人しか思いつかない。
「ミカエラ?」
そこには、白い肌と綺麗な緑色の髪を持つ少女が立っていた。特別何か楽しい事があったわけでもないのに、その笑顔がきらきらと優しく輝いて眩しい。きっと、彼女のありのままの自然な表情がこれなのだろう。
ミカエラの隣には、白髪で赤い目を持ったネツマ族の少女が不安そうな表情で立っていた。確か、ミカエラの友達の……クラリスと言っただろうか。
「2人とも、こんなところでどうしたの?」
「エルルカとグーミリアに用事があってね」
「そうなんだ。ごめん、今あんまり時間がないんだ。これから急いで王女のおやつを作らなくちゃいけなくて」
さすがにトラウベンを消費しなきゃいけない云々の話をミカエラにするのはやめておこう。ミカエラが親切心で送ってくれたものだろうし、持て余してるだなんて言ったら一緒に育てたクラリスもショックを受けるだろう。
「あっ、もしかしてこの間私が大量に送ったトラウベン、持て余してるのかな?」
……まさか本人の口から出てくるとは思わなかった。
「えっと……」
「ごめんね。実はヤツキ村でもたくさん余っちゃって。押し付ける形でルシフェニアに送ったの。だから気にしなくて良いんだよ」
可愛らしく美しい見た目とは裏腹に、結構強引なところがあるんだなと、僕はまたひとつミカエラの事を知った。
「お詫びって言っちゃあ何だけど、アレンのおやつ作り、私たちも手伝おうか?」
手伝って貰えるなら非常に助かる。2人ならトラウベンの使い方も凄く詳しいだろう。けれど……。
「王女、味にすっごくうるさいよ?」
ルシフェニアの名高い有名シェフたちでさえ、王女の舌を満足させる料理を作れる者は限られる。村娘2人がこなせる仕事ではない気がした。
「大丈夫! 私はあんまり役に立てないかもしれないけれど、クラリスの料理の腕は凄いんだよ」
そう言ってクラリスの袖を引っ張るミカエラ。首をぶんぶんと横に振るクラリス。……本当に大丈夫なのだろうか。
「わ、私なんかがルシフェニアの王女を満足させられる料理を作れるわけ……私の料理なんか、私なんか……生きていてごめんなさい……」
「何言ってるの。クラリスの料理はエヴィリオスで1番だよ。王女も絶対に満足してくれるよ!」
「そんなはずないわ……相手はあのリリアンヌ王女よ? きっと怒られて、ギロチンにかけられて終わるの……」
「そんな事言わないでクラリス。私はクラリスと、この先もずっと一緒にいたいの。だから弱音なんて吐かないで」
「ミカエラ……」
「ねぇクラリス、王女にクラリスの力を見せつけてあげよう?」
「私の力?」
「クラリスが、本当はすっごく素敵な人だということを、ルシフェニアで1番の権力を持つ、王女にも教えてあげるんだよ。何かあった時は私がフォローするからね!」
「……ミカエラがそう言うなら、私も頑張る」
「本当? ありがとうクラリス、愛してるわ」
「私もよ。愛してる、ミカエラ」
「えへへ」
……何かが目の前で始まりどうしようかと不安にかられていたが、早々にクラリスが納得してくれたようで良かった。ミカエラの人を惹きつける能力は凄いのだと、改めて実感する。
「じゃあ2人とも、急いで厨房に行こう」
完全に仲良しモードになってしまった2人を半ば引きずるように厨房へ連れて行く。
僕はイモケンピを作るとして、クラリスにはもう1品トラウベン料理を。ミカエラは補佐にまわってもらう事にした。
「ところで、クラリスは何を作るの?」
クラリスに尋ねてみるが、目も合わせずにあたふたとしているだけだった。それを見かねたミカエラが、トラウベンの実を崩しながら言う。
「ブリオッシュを作ろうかなって。トラウベンも使いやすいだろうし」
「それは良い。王女、ブリオッシュが大好きなんだ」
「そうなの? ブリオッシュを提案したのはクラリスなんだよ」
「へぇ、凄い」
「わ、私は何も……ミカエラのブリオッシュの盛り付けが綺麗だから、それが良いかなって」
「もうクラリスったら」
そんな、何とも言えない、僕の仕事なのに僕がいたたまれなくなる中、王女のおやつ作りは進んでいった。もう2人に全て任せてしまいたい気すらしてくる。どうして僕がここにいるんだろう。
しかし、クラリスの料理の腕前は確かなようだった。器具の使い方も、ひとつひとつの工程の手際も良く、それでいて綺麗だ。ミカエラの言っていた『エヴィリオスで1番』かどうかはさておき、王宮にいるシェフに匹敵するのでは無いかとも思う。何か料理をする仕事をしていたんだろうか?
ミカエラのサポートも良い。何かを頼むとテキパキとこなしてくれるし、何も言わなくても気を利かせてくれる。ミカエラが元々持つ人の良さもあるのだろう。そうこうしているうちに、僕のイモケンピは完成した。
芋を細長く切り、油で揚げ、溶かした砂糖でコーティングした、見たことのない謎の料理だ。ひとつ味見してみるが、普通に美味しい。が、本物を実際に見たことがないので、これがイモケンピになっているのかどうか、自信は全くない。
ミカエラとクラリスが作ったブリオッシュは、薄いピンク色で、トラウベンのジャムやソースが使ってある。とても美味しそうだし、見た目も可愛らしい。王女も喜ぶだろう。
「あとは運ぶだけか。ふたりとも手伝ってくれてありがとう。おかげで助かったよ」
「いいえ。私たちもとても楽しかったよ」
楽しかったのか。なんならもうここに勤めてくれ。
「それとアレン。最後にひとつだけお願いが」
「お願い?」
「私たちも王女のところまで運んでも良いかな?」
「えっ!?」
驚いたのは僕だけではなかったようだ。クラリスが今日イチの大きい声をあげて驚いている。
「だって、王女の反応が見たいじゃない」
「なるほど、でも……」
「無理よミカエラ! 私、王女の前に立てるわけ……!」
「でも私、王女がクラリスの料理を美味しいって言うところ、どうしても見たいの」
「ミカエラ……」
「クラリス……」
「はいストップ。分かったよ、じゃあ3人で持っていこうか」
またさっきの仲良しモードが始まってしまっては困る。ここはいっその事『ブリオッシュに使用したトラウベンを育てた人たち』みたいな感じで一緒に来て貰った方が良いだろう。料理をサービスワゴンに乗せ、王女の待つ食堂まで持っていく。扉の前で止まり、礼をする。
「失礼いたします」
「入れアレン……と、何じゃその2人は」
「本日のブリオッシュに使用したトラウベンを育てた、ヤツキ村の娘です。ブリオッシュの調理は彼女らに任せました」
「ブリオッシュ? 妾はイモケンピが食べたいと言ったはずじゃが」
「ご安心下さい。イモケンピもご所望通り私が調理致しました」
「本当か? わーいやったー!」
喜んでる。凄く喜んでいる。王女の厳つい口調が抜けるほど、イモケンピが嬉しいのか。まぁ何はともあれ、王女が納得してくれたみたいで良かった。料理を王女の前にお出しする。クラリスにも手伝って貰った。やはり何かやっていたのか、所作がとても綺麗だった。
王女がナイフとフォークでブリオッシュに手をつけ、口に含む。僕もそうだが、クラリスが緊張しているようだった。さっきから顔が硬いし、微かに震えている。ピリピリとした空気が漂い、僕のこめかみにも、冷や汗が流れていた。味は大丈夫だろうか? 王女は納得してくれるだろうか? ……クラリスの命は大丈夫だろうか? そんな事ばかりが脳裏を駆け巡る。
「美味しい!」
その王女の声と笑顔に、僕たち3人の固まっていた体が解れた。ミカエラは小さな声で「やった」と呟く。
「これを作ったのはお主らか?」
「はい! このネツマ族のクラリスが……」
「ちょっとミカエラ!」
「そうか! お主、料理の才能があるな。どうじゃここで働くのは」
「えっ……」
クラリスが驚く。……いや、驚きとは少し違うようにも見えた。あの表情は何だろうか。僕には、それを理解する事は出来なかった。
「私は……その……」
「ダメです」
そこへミカエラがやってくる。さっき解れた空気が、一瞬で凍ったように感じた。
「クラリスは私とエルフェゴートで暮らしていますので。ルシフェニアに住むわけにはいきません」
「ミ、ミカエラ!」
勇ましい顔をしているミカエラとは裏腹に、クラリスが今にも泣きそうになっている。きっとミカエラがギロチン行きになるのを心配しているのだろう。現に僕も、彼女の行動にヒヤッとしている。
「……まぁ、それなら仕方ない」
「えっ……」
王女は意外にもあっさりと折れた。これは僕にも予想できなかった。そこまでクラリスの存在が重要では無かったのだろうか。
「ありがとうございます!」
「うむ。……お主らはもう帰って良い。ブリオッシュは美味だった。また機会があれば頼む」
「はい、ありがとうございます!」
そう言って、2人は嬉しそうに食堂の外へ消えていった。
「あの、どうして……」
あまりにも王女が彼女らに対して甘かったので、思わず聞いてしまった。
「……2人の人間を離れさせるのは、どうも気が進まんのじゃ」
あぁ、なるほどね。
それは。僕もそれは、すごく同じ気持ちだ。
2人の運命が裂けてしまうのはとても悲しい事だから。
「さあて次はお主の料理だぞ、アレン」
「はい」
王女がイモケンピを口に含む。僕の知らない料理。君が食べたいとワガママを言った料理。
「お味はいかがでしょうか?」
そう僕は王女に尋ねた。
君は、無邪気に笑った。
君のワガママ
アレン視点ですが、大好きなミカクラも入れました。
元々ゲーム用に考えていたネタを、少し直して書いてみました。
ヤツキ村描写が多いのは、私の好みです!!
コメント0
関連動画0
ブクマつながり
もっと見る◇◇◇
年をとった。
肖像画を描けなくなったのはいつからだろうか。
──否。描けなくなっていた、と気付いたのはいつだったか、と考えるのが正しいかもしれない。
若い頃は絵を沢山描いていたし、画家を目指していたこともあった。
しかし、母と画家ニコライ=トールによりその夢を絶たれてからは絵筆を持つことも無...とある画家の肖像
たるみや
「はあ…気持ち悪い…。」
胃の中のものがぐるぐるとかき回され、昇ってくるような途方もない不快感に襲われる。理由は考えるまでもない。ここに来るまでに乗ってきた馬車のせいだ。ルシフェニアから、ここ、エルフェゴートまでの道はそこまで綺麗に整備されてるわけじゃない。道はでこぼこだらけだし、そこらに小石が転...馬車と君には敵わない
カンラン
遠くから私を呼ぶ声が近付いてくる。
すごい勢いで。
一瞬誰か分からなかったが、「カイル兄様~!!」とドレスの重さを感じさせないくらいの速さでやってきたのはリリアンヌだった。よくあのドレスで走っていて転ばないものだなと感心しつつ、王女がそんなことをしてはいけないよと窘める。その言葉を受けしゅんと...夢の中でなら
雪夢
私の名前はネイ=フタピエ。『悪ノ娘』リリアンヌ=ルシフェン=ドートゥリシュに仕えるメイド……というのは仮の姿。
その正体はリリアンヌに悪魔を取り憑かせ、悪政による内部崩壊を引き起こすために送り込まれた工作員であり、知られざるマーロン国第十三王女である。
無事王女付きのメイドとして王宮の中枢に潜...工作員の試練
むぎちゃ
時計塔の針の音が響いている。規則正しく鼓膜を穿つそれは、まるで心臓の鼓動のようだ。
マーロン王国ブラッドプール地方北部、キャッスル・オブ・ヘッジホッグ。その中心にある巨大な時計塔の針音は、その風体にふさわしい程大きく、城をぐるりと囲うように建てられた城壁の上にまで届いている。
針の音に合わせるように...逆さの塔に名を刻む
たるみや
話をしよう。
その共同墓地は格好の遊び場だった。旧王都という街中では子供たちの遊び場は少なく、近場で人気のなく木々に覆われたそこは最適だった。
私が「彼女」に気付いたのは、ある日のこと。
かくれんぼの場所探しの最中、ある墓標の前の彼女を見つけた。その修道着は確かエルド派のものだ。
私は目の前の「彼女...悪ノ娘 黄のアンコールあるいはビス
万華
クリップボードにコピーしました
ご意見・ご感想