白い砂浜が広がる小さな入江を、カイトはひとりで歩いていた。
 午後の光を受けて煌めく波の彼方、水平線を滑るように一隻のフェリーが
進んでいく。
 見上げた空は雲一つなく晴れ渡り、一筋の飛行機雲が空を横切るように、
何処までも伸びていた。
 波打ち際を歩いていると、砂と貝殻の欠片が透き通った波の下で揺らめい
ている。
 足を止め、足元に寄せる小波を見ていたら、白い貝殻に紛れて小さな桜貝
が打ち寄せられてきた。
 しゃがみ込み、薄紅色の小さな貝を掬い上げ、陽の光にかざしてみる。
 小指の爪程の大きさしかない貝殻は、あの日見た桜の花びらと同じ形をし
ていた。
『今度は二人で来ようね』
 そう言って笑った真琴の笑顔が、今も鮮やかに蘇る。
 カイトは、持って来た小瓶の中に桜貝を入れると、ポケットに仕舞った。
 入江の端には海に突き出した堤防があり、偶に釣り人が訪れるが、今日此
の浜辺にはカイトの他に誰も来ていない。
 入江を囲む山の斜面は砂浜近くまで木々が生い茂り、夏を惜しむように蝉
の声が辺りに響いていた。
 あの日と同じように砂浜に腰を下ろし、キラキラと光を弾く波間を見つめ
る。
 ほんの数ヶ月前、散り始めた山桜の花びらが風に舞うこの入江に、カイト
は真琴と槐斗の3人で訪れていた。
 普段多忙な槐斗が、珍しく長期休暇を取っていたからだ。
 穏やかな陽射しの中、生まれてはじめて見る海に戸惑うカイトに、真琴は
笑いながら色々なことを教えてくれた。
「石切り」という、投げた小石が水面を跳ねていく遊びに、子供のように夢
中になって遊んだ。
 波打ち際で探したけど、結局見つけられなかった桜貝を「次に来たら一緒
に探そうね」と、指切りをした右手を、カイトはぎゅっと握りしめた。
 無邪気に笑う笑顔を見ることも、「カイト」と呼ぶ声を聞くことももう出
来ない。幸せだった時間はあまりにも短くて、どうすれば取り戻せるのか解
らない。
 哀しくて寂しくて、それ以上に苦しくて、カイトは立てた両膝に乗せた腕
に顔を埋めた。閉じたまぶたの間から、一筋の涙が零れる。
「Dr.ごめんなさい。マスターを守るって約束したのに、守れなくてごめん
なさい」
 一度零れた涙は、堰を切ったように溢れだした。
「Dr.ごめんなさい。マスターごめんなさい」
 謝る言葉以外忘れてしまったかのように、カイトは泣きながら同じ言葉を
繰り返す。
 泣いたところで何かが変わるわけでも、壊れた時間を巻き戻す事が出来る
わけでもないのに、今のカイトにはただ泣くことしか出来なかった。
 
 どれくらいそうやって泣き続けていたのか。
 時折柔らかな風が、慰めるようにカイトの髪をそっと撫でてゆく。
『大丈夫』
 ふと懐かしい声が聞こえた気がして、泣き止んだカイトは顔を上げた。
 目の前を一羽のアゲハ蝶がひらひらと舞っている。見たこともない鮮やか
なブルーの羽をした蝶は、体を休めるようにカイトの指に止まった。
 しばらくは羽を広げたり閉じたりしていたが、またひらひらと舞うように
カイトの指から離れていった。
 ぼんやりと蝶の行方を目で追いかけると、蝶は海の上を水平線を目指して
飛んで行く。
 傾きかけた陽射しに溶けこむように、青い蝶の姿が見えなくなって、カイ
トは自分が泣き止んでいたことに気づいた。
 足元を見ると、靴先まで波が打ち寄せている。
 立ち上がり、波の届かない所迄下がると、もう一度海を見つめた。
 あんなに苦しかった感情が、今は此の海のように穏やかに凪いでいるのが
解る。
 何故そうなったのか解らず途方に暮れていると、不意に風が吹いて、誰か
に優しく抱
きしめられたような気がした。記憶に残る香りと同じ匂いが微かに感じられ
る。
『大丈夫』
 耳元ではなく、頭のなかに聞こえた声にカイトは目を瞠った。
「Dr.?」
 過去を懐かしむ余りに、亡き人の幻聴を聞いてしまったのだろうか。そう
思えるほど、聞こえた声はこの世界にカイトを送り出した槐斗の声と同じだ
った。
 ラボで槐斗と共に過ごした4年間。羊水とほぼ同じ培養液の中で何時も聞
いていた声。真琴の元に行ってからも、「慣れるまで」と1ヶ月だったが、
そばに居てくれた。
 カイトにとって真琴は「主」だが、槐斗は「親」と呼べる存在だった。
 カイトの瞳から新たな涙が零れ落ちる。
 その涙は、さっきまでの激しい感情からの涙ではなく、嬉しさと懐かしさ
が混じる暖かい涙だった。
 カイトは指先で頬を伝う涙を拭い、空を見上げて微笑みを浮かべる。
「Dr.俺頑張るから」
 そう声に出すと、まるで髪を撫でるように、風が通り過ぎていった。
 やはり、先程感じたのと同じ香りが微かに残っている。
 カイトは目を閉じ、大きく一つ深呼吸した。
 壊れてしまった時間を嘆くのはやめよう。マスターである真琴を守り続け
るのが自分の役目なのだから。
 目を開けたカイトは、海に背を向けて歩き出した。
 この世界で唯一人、カイトだけのマスターの元へと戻るために...。

                           ー続くー

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • 作者の氏名を表示して下さい

「傍にいるから... 」小説ver 1-2

長い事お待たせしました。小説ver1の続きです。
やっと歌詞の所迄来ました。

閲覧数:339

投稿日:2013/10/22 00:57:12

文字数:2,128文字

カテゴリ:小説

オススメ作品

クリップボードにコピーしました