時は過ぎて、ついにレンを連れに来た一団の足音が地下牢に響いたとき、レンとイルは同時に話すのを止めた。
どちらともなく立ち上がり、しっかりと抱きしめ合った。
「「ありがとう」」
二人が最期に図らずとも同時に囁いた言葉は、同じものだった。
イルは表情を消して、自ら鍵を開けた。五人からなる兵士の一団に、一様に含みのある視線を送られたが、あくまで気づかないふりをした。
「首領、ずっとこちらに居たのですか?」
「そうだよ」
無遠慮に聞いてくる兵士に、憮然と答えてやった。もしかしなくとも、今のイルは死刑囚に身体を要求した好色な首領だろうか? そう思うと情けなくなってくる。
ちらりと見たレンの、男にしては細い肩は僅かだか震えている。そして明らかに口元は、笑いを堪えるように痙攣していた。
本当に、怖くないのだろうか?
今からでも遅くなかった。レンが望んだのなら、イルは今まで共に闘ってきた仲間を斬り伏せてでも、彼と一緒に逃げる覚悟があった。
けれど、彼はそれを望まない。
「そろそろ時間だな。行こうぜ」
外套を払い、一団の先頭に立って昨夜の内に設置されているはずのギロチンに向かって歩き始めた。兵士に囲まれたレンも大人しくそれに従う。レンなら例え一人でもちゃんとギロチン台まで来そうだが。
地下牢から出て、太陽の光にまだ慣れていない目が細められる。思わず手をかざすと、遠くからすっかり興奮している国民の姿が見えた。
『来たぞ! 悪ノ娘だ』
『緑の国との戦争で死んだ息子を返せ!』
『俺達の平穏な暮らしを返せ!』
『国民が飢えている時に、ただ安穏と暮らしやがって!』
叩きつけられるいくつもの罵声。その内のいくつかがイルの耳に意味ある音として拾われた。
そのどれもが、真実を知った今となっては的外れの逆恨みとしか思えない。
『悪ノ娘』など、この国のどこにも存在しない。
天候の変化という、誰にとってもどうしようもない天災が引き起こした悲劇の全てと、それに狂わされた食糧生産と言う歯車を再生するために払われた犠牲。それに対する人々の鬱憤が、『悪ノ娘』という虚像を造り出したのだ。
ほんの十数時間前まで、イルもあちら側の人間だったのだ。そう思うと嫌悪感で吐きそうになる。あっという間に溜まっていくむかつきを必死に噛み殺していると、誰かがレンに石を投げつけた。
それはレンの額に当たり、血が流れた。
かっとなって出所を睨みつけたが、彼らはイルなど見ていなかった。
『殺せ』
『全ての元凶を』
『殺せ』
『悪ノ娘を』
『殺せ!』
無意識に、拳を握りしめる。悔しかった。レンがどうしてこの場に居るのかも知らずに、彼を貶めようとする有象無象どもこそを、ここで処刑してやりたかった。
いいのか? こんな奴らのために、お前が死ぬのか?
俺はこんな奴らを守るために、お前を殺さないといけないのか?
思わずレンを振り返って、はっとした。レンはそれでも柔らかく微笑みながら、石を投げた人間を嬉しそうに見ていた。そしてイルに気づき、唇の動きだけで言った。
僕は君を誇る。
必死に涙を堪えて無表情を取り繕い、頷いた。
分かったよ。これが、お前の望んだことなんだな。
イルにとってとてつもなく長い道のりが終わり、ついにギロチン台まで辿りついた。
務めて無関心を装い顎をしゃくると、兵士達がとても丁寧とは言えない動作でレンを装置に固定していった。
短く息を吸い、レンは本心とは別のことを叫んだ。
「リンネア=リヴェ=アリアンロード、貴女はもはやこの国の君主ではない。貴女の我儘によって、一体いくつの命が消費され、民草が苦しんできたか解っているだろう」
下らない。ただ人々の憎悪を消化し他国へのアピールだけが目的の、儀式という言葉も惜しいただのパフォーマンスだ。
唐突に、終わりを告げる鐘が鳴った。
「そろそろ時間だ。最後に一つだけ問おう。何か言うことはないのか?」
納得してないわけじゃなかった。それでも、レンは最期に問わずには居られなかった。
本当に、これでいいのか? と。
レンは台に下を向かされていたから、顔が見えたわけじゃない。けれど、確かに満足そうにほほ笑んだのをイルは感じ取った。
そしてレンはもっと分かりやすくイルに意思を伝えた。言葉にすれば簡単だ。
「あら、おやつの時間だわ」
イルは腰に吊り下げていた長剣を抜き、人の首を切るには大袈裟な鋼の刃を支えているロープを断ち切った。
一瞬のことだ。
レンの首は吹っ飛んだ。跳ね上がった時にレンの顔が見えて、そして唇が何らかの意思に基づいて動いていた。
全てがスローモーションで確認できた。
もし生まれ変われたら、今度はずっと側にいようね。
ああ、約束だ。一緒に居よう。
レン最期の言葉を読み取り、今度こそ我慢できなくなり俯くと、足元に水滴が落ちた。その時になってようやく、イルは自分が泣いていることに気が付いた。
「大丈夫ですか? 首領」
イルの様子を見て、兵士達が心配そうにイルを眺めている。しかし仲間になって日が浅い一人だけは何かを曲解したらしく、嘲るような目でイルを見た。
「はー、情が湧いちゃいましたか? そんなに良かったですか? この王女様は」
そう言ってレンの身体を蹴った。ぶちん、とイルの中で何かが立て続けに切れる音が響く。
「ま、可愛らしい女の子ですもんね。首領と同い年でしたっけ? そんなに良かったんなら俺たちにも回してくれれば」
唐突に下卑た科白は停止した。イルが抜き身のままの長剣を兵士の喉笛に付きつけたのだ。
「取り消せ。それは『彼女』に対する許しがたい侮辱だ」
普段穏やかなイルは、仲間に対して滅多なことでは怒らないし、命令もしたがらない。天性の求心力があるイルには必要な場面が少なかったとも言えるが、そのイルが明確な殺意を持って武器を仲間に向けたのは初めてのことだった。
極大の気迫と共に叩きつけられた殺意は、愚かな兵士を一瞬で屈伏させた。
「あ、す、すいません。つい……」
失禁しそうな勢いで怯えた兵士があわあわと言い訳を開始すると、急に馬鹿らしくなりイルは剣を納めた。
「もういい。どっか行け」
イルが背中を向けた瞬間、その兵士は飛び跳ねるようにして逃げて行った。
「イル、機嫌が悪いですよ、ね? どうかしましたか」
腹心の部下であり参謀役であり、まだ幼いイルの保護者的存在であるディーが、恐る恐るとイルに話しかけた。その彼の反応を見ていると更に急速に頭は冷えていき、暴言を吐いた兵士についてすら八つ当たりに近いものがあったと反省した。
まだ齢十四歳だとはいえ、組織の首領に対して許される言動ではなかったのは事実だが。
「あー、いや、悪かったな。苛々してて。亡骸は俺が一人で処理するから、お前たちは民衆を散らしてくれないか?」
未だ熱狂している国民達に目をやりながら、すっかりいつも通りとなった首領に安堵している兵士に頼んだ。
「それは、ご命令とあらば。ですが貴方一人でするんですか? お手伝いしましょうか?」
「いい。俺一人でする」
「……分かりました」
三人の兵士がイルの頼みを遂行するために台から降りて行ったが、未だ怪訝そうに顔を顰めるディーは何か言いたげに動こうとはしない。
「言いたいことがあるんなら言えよ」
数秒間睨み合いが続いた後、イルは根負けを宣言した。
「ありがとうございます。では率直に、何故、悪ノ娘と一晩共に過ごされたのです?」
内容としては、さっきの馬鹿のものとそう変わらない。しかし、ディーが知りたいことは『王女』とイルの情事などではなく、その出来事がイルにもたらした結果なのだろう。
「俺が『彼女』と一晩楽しんでいた、と?」
「さあ? 失礼かもしれませんが貴方はまだ十四歳の少年ですし、閉じ込められて震えている可愛らしい少女を見て、持ち前の優しさで話し相手になっているうちに……。と言うことが起こっても何ら不思議はないと思いますが、別にそんなことはどうでもいい事です」
それにしては随分細かくねーか? その推測と言うか、妄想?
「私が不思議に思っているのは、たったそれだけのことで貴方がそこまで悪ノ娘に傾倒してしまったのは、何か理由があるのではないかと」
ディーの指摘に、イルはまた反省した。同時に脳裏に浮かぶのは、平民として間近で見てきた悲劇の数々だった。
枯れていく畑と飢えていく人々。
税金が払えないという理由で徴兵され、生きて帰ってはこなかった者たち。
大切な者を失った人々は皆、自分達の分でさえ十分にない食糧をイル率いる反乱軍に託して、泣きながら頼んだ。
『悪ノ娘』を倒せ、と。イルのかつての大親友の妹を、ギロチン台の上に引きずりだせ、と。
彼らを無知だ、愚かだと嗤うのは簡単だ。けれど失った存在を取り返す術は無く、彼らはその欲求を憎悪に変えてこう唱えるしかない。
贖罪を、と。
取り戻すことができないのなら、奪った者に同等以上の存在を失わせる。これが復讐と言うもので、そこに何の生産性も合理性も無い。果たしたところで、大切な者が失われた時以上の喪失感に見舞われるだけのこと。
歴史上、経験上、誰もがよく知っているはず。それでも、何度でもその過ちを繰り返さずにはいられない。
それが、人間だから。
目の前のディーを見て、さあどう誤魔化そうと考えていると、ふとレンとの会話の一部が再生された。
『君は仲間に嘘をつける人間ではないし、敵に嘘をついたって直ぐに見破られるよ』
そうだな。俺には無理だ。
「理由はある。けど、それを言う気はない」
単純に、きっぱりと言い切った。
「知ってもお前にとって何の得もねえよ。今は俺を信じて、亡骸の処分を任せてくれればいい」
迷いのさっぱり消えたイルの目を見て、ディーは安心したようだった。
「興味は尽きませんが、分かりました。貴方を信用して任せます」
ディーが去った後、イルはレンの亡骸を今はレジスタンスの拠点となっている、国軍の屯所に運んだ。やはり少女とは違い、見かけよりもかなり重かった。
王宮の中の一室に鍵をかけてから、レンの首をそっと持ってようやく瞼を閉じることができた。
「おやすみ」
石をぶつけられて出血した箇所を丁寧に拭うと、そこには満足そうな笑顔があった。
「ごめんな」
レンの望むところではあったのだろう。けれど、やはりイルはレンを信じきることができず、レジスンタンスを組織してしまったことを悔やまずにはいられない。
必死に我慢していた涙。ようやく一人きりになれた地下室では抑えることができなかった。
「ずりいよ。お前が泣いてるときは、俺が肩貸してやったじゃねえか。何で、今お前はいないんだよ」
払っても払っても、後から後から溢れてくる涙が石畳を打った。
必要だったとか、本人が望んだことだとか、それで沢山の命が救われたとか、ましてや国の未来が開けたかなんて関係なかった。
そんなことは、親友を失って悲しまない理由になりはしない。
レンの顔を抱え込んで、イルは声を上げて泣いた。
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