無秩序に増殖する建物の群れの底、空気は澱み、ひどく雑多で汚い、底辺の町。ひしめく建物の隙間に渡された物干し竿にはためく色の褪せた洗濯物。建物の側壁に貼り付いた室外機の群れ。露店が連なる路地の奥で怪しくうごめく気配。澱んだ水から立ち上がる生臭い臭気。
ふてぶてしさを感じさせる女たちの喧しい声。肩がぶつかっただけで舌打ちを落とす若者の忌々しさ。
最下層の吹き溜まり。行く当てのないものが辿り着く地。全ての猥雑さと喧騒と不快と快楽をかき集めて煮詰めてぶちまけたような、この町はまるで生きることに貪欲な獣の腹の中のよう。
絶対的に不愉快で、それでいて、この場所にあるものすべて、どれもこれも『生』の匂いに満ちているこの町の雑踏の中を、一人の少年がくたびれた足取りで歩いていた。
まだ大人と呼ぶには少し早い歳の頃。ひょろりとやせた体に大きすぎるTシャツと膝のあたりで切ったズボン。伸ばしっぱなしの長い前髪も、無造作に首に引っ掛けたヘッドフォンも、取り繕うこともしない疲れた顔も、この町ではよく見る姿だ。
ただその目だけは、この生々しい町の中にありながら生気を失っていた。
「ネズ、ネーズ」
雑踏の中で不意に呼ばれた名前に、少年は振り返った。道の傍らでたむろしていた同じ年頃の少年たちがこちらに向かって手を振っている。その気安い態度に、けれどネズと呼ばれた少年は疲れたような笑みを浮かべるだけ。
彼らはネズと同じような境遇で生まれ育った仲間だ。まだ日も明るく、これからどこかに行く心積もりなのだろう彼らの様子はどこか解放感に満ちている。馴染みの酒家か、可愛い女給が入ったと噂の角のカフェか、はたまた電子遊技場か。
彼らがネズを誘うよりも先。それを遮るように、ネズは軽く手を振って歩調を速めた。まるで自分には用事があるんだといわんばかりの素っ気ないネズの態度に、少年たちは鼻白んだ様子でその背を見送った。
「あいつ、最近つきあい悪いな」「顔色も悪いし、病気なんじゃねえの?」「ただの気鬱だろう?災難続きだって聞いた」「親方に理不尽に叱られたって」「給金を掏られたとも聞いた」「巻き込まれて怪我したって本当か?」「ネズ、本当についてないな」「まあ、こんな底辺にはよくある話だけど」
ネズの丸まった背中を見送りながら少年たちがそんな言葉を交わす。同情の色をにじませたその声は、けれどネズの慰めにもならない。ネズの元へ届く前に、ネズ自身が首にかけていたヘッドフォンを耳にあててしまったから。
すべてのものを雑音として切り捨て遮断するように、ネズはポケットに突っこんだままの端末に触れて手探りでスイッチを入れる。途端に、頭蓋の内側にけたたましい音が響いた。
繋がる細いラインから流れてくるのはアップテンポの音楽。16ビートのリズム。反復する旋律。音がゆっくりとネズの内側を満たしていくのに伴って、生きているものの匂いが鼻の奥にほんの少しだけよみがえる。
ちかちかとけばけばしい電飾を思わせるその音は束の間、ネズから運の悪さを忘れさせた。ネズに幸福な幻影を見せてくれた。
どん、と鼓動を刻まぬ心を無理やり外から押すように大きく打つ1拍目。その拍音に、何かを乞う感情が止まらずネズは音量を上げた。そうして空っぽの体内を音が満たすと、ほんの少しだけ息が楽になったような気がした。気がするだけかもしれないけれど。
ふと、リズムに導かれるように水面に浮上するようにネズは空を見上げた。
けれど、それでもそこにあるのは希望のかけらも何もない、煤けた青。やっぱり気がしただけか、とネズは草臥れたため息を吐く。現実と夢想の落差に、しんと心が冷えていく。
そうやって増殖していく建物の底で見上げた空から、その奇怪な男は降ってきた。
空を見上げていたネズの目に、最初に入ったのは橙の小さな塊だった。それを追いかけるように、大きな緑色の影が降ってきた。
煤けた青を遮る上着の白が、翻り、視界を撹乱し、混乱させる。深い緑と瞳の朱色が残像を焼き付ける。大柄の、人間だ。
反射的にネズは目を眇めてそれが何か見極めようとした。それよりも先。先に落ちてきていた橙色の何かのほうが、もふん、とネズの顔面に着地した。柔らかな質感に痛みもなにもないけれど、遠慮も何もなく人の顔面に落ちてくるとは何事か。これもここのところ続く運のなさの一つなのか。
うわ、とネズは堪えきれずにその場に尻餅をついた。顔に生き物が落ちてきた衝撃よりも地面に打った尻のほうが痛い。座り込んだまま顔を顰めるネズをしり目に、橙のもふもふとした生き物は謝罪も遠慮も何もなく顔面から飛び降りて駆けていく。
橙の生き物はもふもふもっちりとしたその姿からは想像できない敏捷さで、するるん、と、一緒に空から落ちてきた男の足をよじ登っていく。ここが我の定位置とばかりにちょこんと座る生き物を肩に乗せ、空から降ってきた男はネズの元へ歩み寄った。
それはほんとうに奇怪な男だった。
男が身に着けていた丈の長い白い上着はやたら派手な刺繍や毛皮、モールなどで装飾が施されていた。赤や黄色や緑やら。はてはヒョウ柄まで。その柄の組み合わせは見るものを酔わそうとするかの如く、である。色ガラスのはめ込まれたモノクル眼鏡はごてごてとした造りで実用性や機能性を伺うことが難しい。くすんだ緑の髪もこの辺りではちょっと見ない色合いだ。その肩に乗っている橙の生き物も、よく見れば変わった姿をしている。リスのような姿をしているくせに猫くらいの大きさ。もふもふとした毛並みはまるでぬいぐるみのようであり、なぜか星の形をしている目が更に作り物めいた様子である。加えて、きゅるん、と効果音が聞こえてきそうなあざとさで小首をかしげる様子が、ただの生き物だと侮ることを躊躇わせる。
まさに奇怪としか言いようのないその男の、朱色の瞳が面白そうに三日月の弧を描いた。
こいつはやばいとネズが判断するよりも先、すい、と奇怪な男が手を伸ばしてきた。しりもちをついたままのネズが立ち上がるのを手助けしてくれるのだろうか。ありがたくネズがその手を取ろうとした、が、男はそれを裏切るように、ネズの手をつかむことはしない。
奇怪な男の手はネズを助け起こす代わりに、その頭から無造作にヘッドフォンを引き抜いたのだ。
「っ、おい」
手を貸してくれると思っていたのに、男から肩透かしを食らった上に、ポケットに入れていた端末がつながっていたヘッドフォンのラインに引っ張られる始末。その結果、ネズは体勢を崩して今度は前のめりで転びそうになった。なんて非常識。何とか踏ん張って転ぶのをこらえながら、ネズは男を睨みつけた。
出会いがしらに何をしてくるんだこの男は。しかも一言も謝りもしない。
空から降ってきたこの奇怪な男の態度に、ネズの身の内に不愉快さが沸き上がる。が、男は険のこもったネズの視線を全く気にする様子もなく、ヘッドフォンを自身の耳にあてた。
「ふうん、なかなかご機嫌な曲を聴いているようだね」
しばし音楽に耳を傾けてからそう言って、男は、ぽい、とヘッドフォンをネズへ向かって放り投げてきた。地面に落ちそうになるところを寸でで受け止めて、今度こそネズは文句を言った。
「何するんだ、」
地面を蹴るように立ち上がり、ネズは声を荒げた。
こんな風にネズが怒りを覚えるのは久しぶりだった。怒ることすら忘れてしまっていた。だが、今この状況。突然降ってきて、巻き込まれて転んだネズを助け起こすこともせずにヘッドフォンを奪い、勝手に人の音楽を聴いて、興味なくなったとばかりに放り捨てるような真似をする。こちらを怒らせることが目的としか思えない。加えて怒り心頭のネズを前に、男は謝るそぶりも見せない。その態度が更にネズの怒りを煽る。男の横っ面を殴るにはネズの身長が足りないが、それでも殴らないと気が済まない。怒りのままに振り上げたネズの腕を、奇怪な男は阻むように掴んだ。
朱色の三日月がネズを見下ろし、言う。
「キミの症状に、確かにこの音楽は有効だろう。けど、重症患者に処方するには物足りない」
「は?」
突然、何を言い出したのかこの男は。
無礼すぎる行動の言い訳にしては、その発言は突飛すぎる。当然のことながら謝罪でもない。思わずネズは虚を突かれ、ぽかんとした。
「感覚の喪失、感情の凍結、感動の枯渇。なによりも最も大きな症状は運の喪失」
淡々と述べられた男の言葉に思わずネズはぎくりと表情をこわばらせた。そんなネズの様子を男は見逃さず、さらに笑みを深くした。
乞福症に処方【ドクター=ファンクビート/nyanyannya feat.KAITO】
原曲様
【ドクター=ファンクビート/nyanyannya feat.KAITO】
www.nicovideo.jp/watch/sm26470008
こちらは原曲の二次創作です。
nyanyannyaさんが書かれている小説の二次創作ではありません。
個人的に妄想した作品になりますので、作者様が描かれます作品や世界観とは別物であることをご了承ください。
7/1のカイパラに出る予定でしたが、体調不良やらうんにゃらな理由でお休みすることにしました。で、コピー本にして持っていこうかな~と思ってたいろいろ二次作品の救済措置です。
3ページです。前のバージョンで進んでください。
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