年の瀬の「マイマスター」
「いないな」
カイトの部屋のドアを閉めながら、レンが呟いた。
「だとしたら、こっち?」
レンの後ろにいるリンが、向かいの部屋のドアを指さした。
年の瀬はいつも以上に忙しい。
特に十二月二十七日が誕生日の、鏡音リン、レンにとっては、十二月二十四日のクリスマスイブ前から、自分たちの誕生日が終わり、更にその後数日までは、息もつけない状態が続く。
そんなわけで、二人が家に無事帰ってきたのは、十二月三十日の深夜に近い時間だった。
明日は大晦日で、二人はまた忙しくなる。
だからなのか、だからこそなのか、リンは家に帰り着く前から宣言していた。
「家に帰ったら、絶対カイト兄のご飯を食べる!」
ボーカロイドとして、メイコ達が住む家に来てから、二人はずっとカイトの料理を食べてきた。
二人にとって、カイトの作る食事が、一番安心できる味なのだ。
幸いカイトのスケジュールを確認すると、今日は家にいるはず。
もう夜遅いが、カイトなら、夜食ぐらい作ってくれるだろう。と二人は思っていた。
が、家に着く、灯りはついていたが、カイトの姿は一階のどこにもない。リンはカイトのご飯を諦める気なし。
と言うわけで、カイト探索が始まった。
リンが指さしたのはレッスン室。グランドピアノとちょっとした音響機器が、置いてある部屋だ。
「練習熱心だからな。カイト兄は」
普段は誰にでも優しいく、穏やかな性格の兄だが、仕事、特に自分の仕事関しては、どこまでも厳しく妥協がない。
マスターから楽譜や企画書を貰った後には、時間を忘れてレッスン室にこもることも良くある。
レンは振り向くと、レッスン室のドアをそっと開けた。
ノックはしない。
ピアノを弾いたり、歌っていたりすれば、ノックの音は聞こえないだろうし、集中して何かを考えていれば、ノックの音は耳に入らないだろうから。
細くドアを開けると、グランドピアノ越しに、カイトの姿が見えた。
カイトは歌ってもいなければ、ピアノも弾いていない。
少しうつむき加減で目を閉じ、胸の前で手を重ね、ピアノの前に座っているだけ。
背筋の伸びた正しい姿勢と、カイトの持つ整った涼やかな容貌。
なによりも、今のカイトから発する気のような物が、声を掛けるのがはばかれるような雰囲気を醸し出している。
声を掛けるのを躊躇っていたレンの脇から、リンが顔を出した。
その時カイトが目を開け、胸元の手を、ピアノの鍵盤の上に置いた。
「あっ……」
リンが声を掛けようとする。
同時にカイトの唇が動き、微かなブレス音がこぼれた。
レンは慌ててリンを押さえつけ、二人でその場にしゃがみ込んだ。
ピアノの伴奏と共に流れる始める、カイトの声。
レンの腕の中で、ちょっとした抵抗をしていたリンが、大人しくなった。
伸びやかに澄んだ歌声が、部屋の中に広がる。
流れる歌は、レンもよく知っている曲。カイトの声に良く合う、優しく、穏やか旋律。
合間に入るブレス音が、メロディーに魂を与える。
甘く優しい揺らぎが、詞(ことば)の意を深める。
大らかでいて繊細なビブラートが、辺りの空気を、胸が締め付けられるような切なさに変えた。
知っている曲なのに、いつもと違う。
いつもより胸に迫り、心に入り込み、躰を振るわせる。
レンは微動だにせず、歌うカイトを見つめた。
潤むカイトの瞳。
歌はサビにかかり、声は朗々と響き渡り、この部屋を抜け、もっと自由に、遠くまで届いていきそうに思えた。
最後のビブラートと、ピアノの一音と共に、カイトは静かに目を閉じた。
頬を伝う涙。
リンも、レンも、声が出なかった。
動けないでいる二人。
その襟首に白い手がかかり、一気に引っ張った。
((えっ!))
廊下に二人を放り出した手が、レッスン室のドアを閉じる。
手の主が、その場に正座して二人に向き直った。
「め、メイコ姉!」
慌てて二人も正座でその場に座った。
「余韻に浸らせておいてあげようね」
なんだか分からないが、二人は大きく、何回も頷いた。
「メイコ姉、さっきのカイト兄の歌って……」
「年の暮れになるとね、こうして時間がある時に、カイトはあの歌を歌うの。今までお世話になったマスターたちに『ありがとう』っていう気持ちを込めてね」
メイコが首を傾げて微笑んだ。
「もちろん、ちゃんと言える人にはカイトだって口で言ってるわよ。今年もお世話になりましたって」
礼儀を欠かさない兄だ。確かにそうしているだろう。
「でもね、中には言えない人もいるの。一度はマスターになってくれたけど、事情があって、別れた人。カイトと相性が悪くて、離れた人。一方的にカイトを嫌って捨てた人。中には、天国に行ってしまったマスターもいたっけ」
確かにマスターになってくれたものの、続かないことは良くある話だ。
レンにも、そう言うマスターはいた。
哀しく寂しい事だけど、終わったことだし、自分たちボーカロイドにはどうしようもないことなので、忘れて気にしないようにしている。
「年の瀬に歌うあの歌は、そんな人たちに『ありがとう』を言うための歌なの」
リンが大きく頷いた。
「だから、あの歌聞いた時、ここが、じーんとしたんだね」
胸を押さえて、リンが嬉しそうにメイコに言った。
にっこり笑ってメイコが頷く。
「でも、メイコ姉。カイト兄のこと、捨てたり、嫌ったりしたマスターにまで、カイト兄は、『ありがとう』をいうのか?
俺知ってる。そうやってカイト兄を捨てたマスターの中には、カイト兄のこと、今も悪く言ったり、馬鹿にしたりしている人もいるぞ」
レンも何度となく耳にした。
耳にはしたけど、聞いていないふりをしていた。
自分たちはマスターに、反論も意見も言えない存在だから。
「もちろん、カイトもその事は知ってるわ。だけどね、そんな人でも、一度はちゃんとカイトに向き合ってくれた人。マスターだもの」
メイコがレンの頭に軽く手を置いた。
「そんなことも全部、カイトは受け止めて、受け入れて、マスターと、マスターだった人たちに『ありがとう』の気持ちを込めて、あの歌を歌うのよ」
レンはやっと分かった。
あの歌には、反論も、意見もなく、許しも、諦めもない。
あるのは一時でもマスターになってくれた人への、あふれるばかりの感謝と、見返りを求めない、忠誠とも言える無私の愛情だけ。
長くマスターに恵まれなかったカイトだからこそ、どのボーカロイドよりも強いその感情。
そんな愚かなほど純粋で、呆れるほど強く美しい想いをこめて歌うカイト。
だからあの歌は、こんなに心に響くのだ。
「メイコ姉は、毎年あの歌、聞いてるのか?」
「もちろん。だって、年の瀬のあの歌は、一番素敵だもの」
ちょっと頬を赤らめながら、メイコは嬉しそうに笑った。
ドアが突然開いた。
「……三人とも、こんな所でなにやってるの?寒くないの?」
廊下に正座している三人を見て、カイトは目を丸くした。
もう、いつも通りのカイトだ。
「えっ、あっ、そうだ、おなかが減ったから、何か食べたいなーなんて思って、カイト探してたの」
メイコが適当に言った。
「そうだった」
リンが立ち上がった。
「カイト兄、リン、おなかすいた。何か作って」
確かに鏡音達は、それが目的でカイトを探していた。
「そうだね。……年越しそばは明日だから、鍋焼きうどんでも作ろうか?」
メイコに手を貸して立ち上がらせると、カイトはレンの方を見た。
「うん。いいな」
返事をしながら、レンも立ち上がった。
「じゃ、下行くよ」
先に行くメイコの後を、リン、レンの背中に手をやって促しながら、カイトも続いた。
「ありがとう」
俺のマスタ-。
俺のマスターだった人。
そして、未来の俺のマスター……。
来年が、あなたたちにとって、良い年でありますように……。
コメント0
関連動画0
オススメ作品
Hello there!! ^-^
I am new to piapro and I would gladly appreciate if you hit the subscribe button on my YouTube channel!
Thank you for supporting me...Introduction

ファントムP
彼女たちは物語を作る。その【エンドロール】が褪せるまで、永遠に。
暗闇に響くカーテンコール。
やむことのない、観客達の喝采。
それらの音を、もっともっと響かせてほしいと願う。それこそ、永遠に。
しかし、それは永久に続くことはなく、開演ブザーが鳴り響く。
幕が上がると同時に、観客達の【目】は彼女たちに...Crazy ∞ nighT【自己解釈】

ゆるりー
陰謀論者の脅しに屈するな
自称神の戯れ言に耳を貸すな
ヤツらの甘い言葉に惑わされるな
自分の正しさを武器にして
あらゆる愚行に異議を唱えても
結局自分も同じ穴のムジナだから
考え過ぎて馬鹿になってはいけない
所詮僕らは人間だ
硝子の破片を丁寧に拾っていては
誰だって生きづらいだろう...publicdomain

Kurosawa Satsuki
A1
幼馴染みの彼女が最近綺麗になってきたから
恋してるのと聞いたら
恥ずかしそうに笑いながら
うんと答えた
その時
胸がズキンと痛んだ
心では聞きたくないと思いながらも
どんな人なのと聞いていた
その人は僕とは真反対のタイプだった...幼なじみ

けんはる
*3/27 名古屋ボカストにて頒布する小説合同誌のサンプルです
*前のバージョン(ver.) クリックで続きます
1. 陽葵ちず 幸せだけが在る夜に
2.ゆるりー 君に捧ぐワンシーンを
3.茶猫 秘密のおやつは蜜の味
4.すぅ スイ...【カイメイ中心合同誌】36枚目の楽譜に階名を【サンプル】

ayumin
勘違いばかりしていたそんなのまぁなんでもいいや
今時の曲は好きじゃない今どきのことはわからない
若者ってひとくくりは好きじゃない
自分はみんなみたいにならないそんな意地だけ張って辿り着いた先は1人ただここにいた。
後ろにはなにもない。前ならえの先に
僕らなにができるんだい
教えてくれよ
誰も助けてく...境地

鈴宮ももこ
クリップボードにコピーしました
ご意見・ご感想