台所からは、賑やかな女性陣の聞こえてくる。アカリがケーキを焼かないかとリンを誘った結果、メイコにミクも加わり女性全員でのお菓子作りとなったらしい。時折聞こえる派手に何かをひっくり返す音や、その度にあがる悲鳴は精神衛生上気にしない方がいいだろう。
……ま、食べられる物ができるよう祈る位だ。
「ミクやリンちゃん大丈夫かな?」
心配そうにカイトが台所に視線を向ける。一度手伝いに入ろうとしたが、アカリにもう人手は十分と断られた為、男三人で居残りとなったのだ。
「マスターがいるから、何とかなるとは思うけど。あ、リンの作った菓子は、俺は避けるぜ」
台詞の前半と後半が微妙に矛盾しているが、レンはしれっとした様子だ。ソファーに腰掛け、ジュースを飲んでいる。
「まあ、メイコも料理はできるし大丈夫だろ。とりあえず、ミクの手作りなら炭化したクッキーでも食えるだろカイトは」
「そりゃ、ミクの手製なら」
真顔で即答したカイトにレンが若干引きながら、おそるおそる問いかける。
「カイ兄って、ミクの事好きだよな?」
「うん、大好きだよ」
当たり前の事のように答えたカイトに、レンは首を捻る。
「アキラ、カイ兄ってバグってるわけじゃないよな?」
「シスコンをこじらせてるとは思うが、別にバグじゃないだろ。何でレンはバグだと思うんだ?」
水色の瞳を伏せて、レンは暫し沈黙した。大した問いではないつもりだったが、レンにとっては違ったらしい。珍しく考え込んだ様子で、ぽつりぽつりと言葉を紡ぎだす。
「……だって、俺たちボーカロイドはマスターが何より優先されるべき存在だろ? 同じボーカロイドに、過剰な感情を抱くのはおかしくないか?」
アカリが心配していたのはこれか、と思いながら俺は笑った。外見年齢相応の悩みを抱えていたらしいレンの頭を、ぐしゃぐしゃと撫でてやる。
「何すんだよ!」
「いや、お前も成長してるんだなぁと思ってさ」
「はあ?」
馬鹿にされたと思ったのか、剣呑な目付きをするレンに俺は真面目な表情を作って向かい合う。
「ボーカロイドはマスターの命令に従い、マスターを守る為に行動する。それは事実だ。だけど、お前には自分で物事を判断する頭があるし、色んな事を感じる心があるだろう?」
ボーカロイドには、感情システムが組み込まれている。より情感を籠めて歌う為に、人の心を動かせるように作られたシステムだが、それは人の心にとても近い。
「マスター以外の誰かを好きになっても不思議はないし、それはバグなんかじゃない。大切な感情だ」
メイコが祖父に向けていた優しい瞳を思い出す。マスターでこそなかったが、製作者である祖父をメイコは実の父のように慕っていた。
「マスターの考え方は色々あるだろうが、俺はカイトがミクを大事にしていることは悪くないと思ってる。ま、たまにシスコン過ぎて大丈夫かこいつ、とは思うが」
「マスター……それは言わなくていいです」
カイトが弱々しく抗議するが、ひとまず捨て置いて俺はレンに問いかけた。
「アカリは、レンにアカリ以外の誰かを好きになるなと言ったのか?」
水色の瞳を見開いて、レンは弱々しく首を振った。
「……言わない。マスターは、そんな人じゃない」
「俺もそう思う、アカリはレンに好きな奴ができたら喜ぶよ。お前らのこと、あいつは本当に家族みたいに思ってるから」
レンは目を閉じてゆっくり息を吐いた。
「そう、だよな。マスターは俺たちを大事にしてくれてる。でも……そしたら、この思考ノイズは異常じゃないのか?」
レンの独り言みたいな問いかけに、カイトが表情を変えた。
「思考ノイズ? それってどんな音でどれ位続いてる?」
いきなり詰め寄られてレンは何度か瞬きしたが、すぐに答えを返した。
「三か月前くらいから、時々心臓の鼓動みたいのが聞こえるんだ。あと、考えるつもりのないことを思考していたりする」
「どんな時に起こるの?」
カイトの質問に、レンはわずかに赤面した。
「か、関係ないだろ?」
「そんなことない、何かに起因しているなら原因を突き止めないと。深刻な故障だったらどうするんだ」
カイトは真剣にレンを心配している様子だった。出会った頃の自分自身を思い出しているのかもしれない。だが、俺は心配する必要は薄そうだと考えた。あの時のカイトと、今のレンは全然違う。それに、アカリはレンを心配してフルチェックを行ったと言っていた。アカリのチェックに引っ掛からなかったという事は、故障ではない。
「……レン、別にお前のは思考ノイズじゃないぞ」
「え?」
「マスター、どういう事ですか?」
カイトの問いに、俺は顎をかいた。改めて説明するのは、少々気恥ずかしい。
「まあ、よーするに好きな女ができたんだろ。人に近づける為とはいえ心音まで再生させるのは細かいな、と俺も思うが」
一瞬きょとんしたカイトだが、次の瞬間焦ってレンに詰め寄った。
「ミクはダメだからね!」
「いや、ミクとは今日が初対面だから」
半眼で突っ込んだレンに、俺は声をあげて笑った。
ケーキ作りはいつの間にか晩飯作りと混ざったらしく、食べ終えた俺たちがアカリの家を出たのは夜になってからだった。
「楽しかったぁ、また遊ぼうね」
「次はメイ姉に一勝してみせるからな」
リンとレンそれぞれの頭を撫で、メイコが微笑む。
「また皆で来るわよ。それまでに腕をあげるのを楽しみにしてるわ」
ミクは名残惜しげにリンとレンの手を握った。
「リンちゃん、レン君、今日はとっても楽しかった。また遊ぼうね」
「うん、あたしもミクちゃんと色々遊んでみたい」
リンは屈託ない笑顔で頷き、レンはちょっと視線を逸らしながらも頷いた。
「電脳空間ならすぐだし、ミクと一緒に遊びにいくよ」
カイトがにこやかに告げて、それからアカリに向き直る。
「宜しくお願いします」
「もちろん、カイ君達が遊びに来てくれるならいつでも歓迎だよ」
「ちゃんとマスターも連れていくわね」
メイコが悪戯っぽく片目を閉じ、アカリが「お願い」と頷く。
「お兄ちゃんは、こっちから招待しない限り来てくれないんだもの」
「アカリが嫁いだから、拗ねちゃったんじゃない?」
「それはないよー、めーちゃんにカイ君にミクちゃんまでいるもん。あ、まさか、余所に女の影が?」
「気づいたら、それこそアカリに連絡してるわよ」
止めどない女子トークに頭痛を覚え、俺は片手をあげて遮った。
「わかった、近いうちにまた顔を見せるから女二人で結託するな」
俺の文句にアカリとメイコは顔を見合わせて、それから本物の姉妹みたいによく似たタイミングで笑った。
帰宅した俺は、メイコに呼び止められソファーに一人座っていた。
カイトとミクは一足先に電脳空間に帰っていた為、台所でお茶を淹れるメイコの気配しか感じない。少しして、湯呑みを二つメイコが運んできた。
「サンキュ」
緑茶の匂いにほっとするのは、慣れ親しんだものだからだろうか。味の細かい違いはわからない程度の舌だが、メイコの淹れてくれるお茶は旨いと思う。
湯呑みを置いて息を吐くと、俺は正面に座っているメイコの顔を見た。
「何か話があるんだろ?」
酒ではなく茶を選んだということは、何か真面目な相談があるのだろう。そう見当をつけて促したが、メイコはすぐには口を開かなかった。手にした湯呑みをしばらく見つめて、ゆっくりと言葉を紡ぎ出す。
「アカリ、結婚してそろそろ一年たつのよね。本当のところ、どうしてあの子のところにずっと顔を出さないでいたの? あんなに仲のいい兄妹だったじゃない」
その話か、と俺は肩の力を抜いて答えた。
「いい年の兄と妹がそんなにべったりするほうが異常なんだよ。まぁ、一年はちょっと長かったかもしれないが、時々連絡はとってたぞ」
「本当に、それだけ? あの子を遠ざけようとは、していなかった?」
相変わらずメイコは鋭い。幼い頃からこっちを知っているだけに、違和感がぬぐえないのだろう。
「遠ざけるって程じゃないが……アカリは前途のあるボーカロイドの研究者だ、俺みたいなグレーゾーンの仕事している兄がいるっていうのはあんまり外聞がよくないだろ。だから、前から少し距離を置こうとは思ってた。アカリが結婚したのはいい機会だから、実行に移しただけだ」
隠すことでもないので本音を言うと、メイコは何故か肩を落として溜息をついた。
「マスターのしていることは、あんまり論理的じゃないけど、まぁいいわ」
「そうか?」
「そうよ、アカリの身になってみなさいよ。第一級危険職種に就いているたった一人の兄の様子が、気にならないわけないでしょう? あの子を大事に思うなら、距離を置くよりちゃんと安心させてあげればいいのに」
「わかった、もう少し会う頻度はあげるようにするよ。ミクもカイトも楽しそうだったし、リンレンと遊ぶのもいい刺激だろうしな」
メイコの言葉に俺は両手を上げて、降参の意を示す。確かに、あまり意味のない気づかいだったかもしれない。遺書を預けて心配だけさせて、というのでは一方的すぎるだろう。
「安心、ね。どうすりゃ安心してくれるんだか。結婚でもしろってか?」
冗談まじりに独りごちるが、本当の所正解はわかっている。仕事を辞めればいいのだが、その選択肢は俺にはない。遠い未来にその日は来るかもしれないが、少なくとも今の俺には考えられなかった。
茶をすすりながら首をひねっていると、メイコが少し表情を曇らせて問いかけた。
「……マスターは、あたしに隠している事はない?」
長い睫毛が、瞳に影を落としている。子供の頃から綺麗だと思っていた白いかんばせ。世界中にどれだけの数のMEIKOがいても、俺のメイコは目の前にいるこの女だけだ。
メイコの問いかけは、今日アカリに託した遺書を思い出させる。あれは俺にとって保険だが、メイコはそれを重く感じるリスクはあった。
「隠しているわけじゃないが、言っていない事はある」
メイコは目を伏せたまま、膝の上で手を重ねている。綺麗に塗られた赤い爪を確認してるみたいに、顔を上げない。
「そう……それは、あたし達の為に言わないでいるの?」
「いや、どちらかというと俺の為だ。嫌なんだよ、俺が不甲斐ないからって心配かけるのは」
「……え?」
メイコは目をまるくして、数回瞬きした。
「マスター、振られたの?」
今度は俺が目をまるくする番だった。
「なんの話だ? 大体、そういう相手がいないんだから振られようがないだろ」
強いていうなら目の前にいるが、まだ告白もしてないのに振られてたまるか。というか、そんな簡単に決着のつけられる相手なら、こんな苦労はしていない。
「……そう、なの?」
「そうだ。俺に相手がいるように見えるのか?」
少々情けない台詞だといい終えてから気付いたが、今さら引っ込めるわけにもいかない。メイコは大きな瞳をしばたかせ、吹き出した。
「あはは、そうよね。アキラはそこまで器用じゃないってこと忘れてたわ」
「……そこで納得されると、微妙に傷付くんだが」
俺の苦情にメイコは聞く耳もたず、笑い続ける。屈託ない笑顔はいつもカイトやミクに見せる姉のそれとも違って、無邪気な少女めいて見えた。
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