ある晴れた日の昼下がり。
私はグーミリアに修行をつけていた。彼女はまるで乾いたスポンジが急速にたくさんの水を含むように魔法を覚えるのが早くて助かる。しかも折り紙つきの真面目さでコツコツと丁寧に基礎から固めていく。この調子なら近い将来に二人でクロックワーカーの秘術を使い、ルシフェニアの崩壊を防げるかもしれない。
「グーミリア、そろそろ休憩にしましょう」
疲れてきたのかやや集中が乱れたグーミリアに声をかけると、彼女はおとなしく従った。

王宮の紅茶は当然といえば当然だが品質が良い。王女の好みのフルーティーな甘い香りが上品に立ち上り鼻腔をくすぐる。すっきりとした味わいの温かいそれが喉を通り、体に熱を染み込ませていくこの瞬間が好きだ。
一緒に紅茶を飲んでいるグーミリアにこのことを伝えると「少し、分かる」と返ってきた。それがなんだか嬉しく、また紅茶を啜る。

穏やかな日常。これが永久に続いてほしい。

「エルルカ、ここにいたのか。ちとお主に頼みがある」
少なくともこの空間の平和は我らが王女によって壊れてしまった。

「アレンに良い夢を見せてやりたいのじゃ。そんな魔法はないか?」
彼女の頼みにしてはかわいいもので少し驚いた。いつもは自分のための我が儘で、他の人がどれだけ苦しもうと気にしない傲慢な王女が今、アレンのために私に頼みごとをしている。
「どうしてアレンに良い夢を見せたいのかしら?」
「アレンはいつもよく働いておるし、最近疲れているようじゃ。だから特別に何か褒美をやろうとしたが、気持ちだけで充分だと言うのでな。良い夢を見せたら疲れも吹き飛ぶし、褒美にもなるじゃろう?」
彼女は自信を多分に含んだ楽しそうな笑顔で顛末を話した。妙案だろうとでも言いたげな顔だ。
「で、エルルカ。良い夢を見せる魔法はあるのか?」
「そうねぇ……方法がないわけじゃないわ。でも、アレンにこの方法はねぇ……」
「もったいぶるでない!どんな方法じゃ⁉︎」
リリアンヌが机を叩くように身を乗り出してきた。それに合わせて2組のティーカップとソーサーがカチャリと音を立てた。心なしかグーミリアが嫌そうな顔をしている。
「一応聞いておきたいんだけど、リリアンヌはどんな夢が良い夢だと思う?」
「わらわは…そうじゃのう。美味しいおやつをいっぱい食べる夢。全ての国の頂点に立つ夢。……お父様やお母様が、今も生きている夢……」
途中まで明るかった彼女の顔が少し翳った。
どんな言葉をかければいいのか分からず、少しの間沈黙が場を支配した。それがどうにも気まずく、返す言葉も定まらないまま口を開こうとしたが、先にリリアンヌが喋った。
「あと、幼いわらわが同い年くらいの少年と夕暮れの海を眺めながら何かを話している夢じゃな。何を話してるのか、少年は誰なのか、どんな顔をしているのか……何も覚えていないがなぜか安心するのじゃ」
リリアンヌの声色は暖かく、幸せを味わっているような顔をしていた。
ああ、その少年は絶対王女と顔のよく似た彼のことだ。
「どんな方法で良い夢を見せるのじゃ?早く言え!」
「はいはい。夢の内容は深層心理が関わっているの。深層心理とはつまり無意識。心の奥深くに隠されている無意識の欲望を増幅させる魔法を寝ている間に軽めにかければ、自分の欲望が満たされる夢が見れるっていう寸法よ。魔法は目覚める前にはとけるわ」
「ふむ。じゃあ、早速今夜アレンに良い夢を見せるのじゃ」
「まだ話は終わってない。この方法だと現実との差が激しすぎた場合に現実で生きることがひどく苦しくなる人もいるかもしれないわ」
特にアレンはそうなる確率が高い。父母は幼い頃に亡くなり、自分のことを覚えていない我が儘な姉の身のまわりの世話をする、我慢を強いられる生活。
そして、現実に苦痛しか感じなくなった人間の選ぶ道は一つだ。
「欲のないアレンならば大丈夫だろう」
——なぜ、そう言い切れるの。
そう問い詰めようか迷ったが、ここで王女の機嫌を損ねてルシフェニアを出て行くのは得策ではない。
「……アレンが目覚めたときに少年と海を見ながら話をした夢のことを話すことを約束して。それが守れないなら、魔法はかけないわ」
「分かった。約束するぞ」
リリアンヌは私に小指を出してきた。悪ノ娘がふと見せる年相応の少女らしい一面。

——悪魔など存在しなければ私の大事なものは……。
もしもの話なんて意味はないのだが、ふと思ってしまう。

「エルルカ? まさかお主……指切りを知らないのか?」
「ごめんなさい、少し考え事をしていただけよ」
自分の小指をリリアンヌの小指に絡める。グーミリアはこの行為を不思議そうな顔で見ていた。後で教えてあげよう。


– – –


こんな夢を見た。

僕はいつもの動きやすい使用人の服ではなく、王族のような装飾が施された服を着ていた。
隣にはいつものドレスを着たリリアンヌがいて、僕に話しかけてきた。
「アレクシル、今日は何して遊ぶ?」
もう随分と呼ばれていない僕の本当の名前。それが彼女に呼ばれることがこんなにも嬉しいとは知らなかった。
「アレクシル?どうしたの?」
「いや、なんでもないよ。そうだなぁ……海に行きたいな」
そう言うとリリアンヌは可憐に笑った。まるで花が咲き誇るようで見とれてしまった。
「私もね、そう考えてたの。やっぱり私たちは双子ね!」
リリアンヌは僕の手を取り、駆けだした。馬小屋に向かうのだろう。

王宮の長い廊下を二人で走っていると、服が変化していた。僕はシンプルで清潔感がある白いシャツと黒いズボンに、リリアンヌはスカートに黄色いラインが入った白いワンピースに身を包んでいた。刺繍やボタン、リリアンヌのワンピースの裾のレース、肌触りの良い生地から高級であることが伺える。
「遊びに行くのならこういう動きやすい服の方がいいでしょ?」
背後から声が聞こえ、振り返るとエルルカが立っていた。二人で礼を言い、また走りだす。確かにこの服は動きやすい。

馬小屋へ向かっているとシャルテットが声をかけてきた。
「あれっ、二人とも遊びに行くッスか?なら、ネイと侍女長に会った方がいいッスよ!……あっ、噂をすればなんとやら!」
シャルテットの視線を辿ると、マリアムとネイが談話しながら歩いてきた。ネイは何か包みを持っている。中身は何だろう。
「こんなところにいたのね、アレクシルとリリアンヌ。これを渡したくて探してたけど、ちょうどいいタイミングだったみたいね」
僕はネイから包みを受け取った。ほんのり甘い、いい匂いがする。
「私とネイで作ったブリオッシュよ。二人とも遊びに行くなら持っていきなさい」
「いいな〜私も食べたいッス!」
「シャルテットの分も作ってとっておいてあるわ」
「さっすがネイと侍女長ッス!気が利いてるッス‼︎」
シャルテットはネイに勢いよく抱きつき、押し倒されたネイが軽い非難と助けを溢した。僕らはマリアムとその様子を笑って見届けた後、お礼を言って馬小屋へ足を向けた。
遊ぶ前に疲れてもいけないので、走るのはやめて歩くことにした。

馬小屋では愛馬を撫でているお父様とお母様が何か話していた。時折お母様が笑っている。しばらく二人で隠れて様子を伺おうとしたが、レオンハルトに「何してるんだ、二人とも」と声をかけられ、見つかってしまった。
「遊びに行くのか? 遅くならないようにするんだぞ」
「いってらっしゃい」
お父様とお母様の言葉に、二人で「いってきます」と答えた。声が綺麗に揃ったのがなぜか嬉しくて顔を見合わせて笑った。
お父様の馬以外はジョセフィーヌしかいなかったので、行きは僕が、帰りはリリアンヌが手綱を握ることにした。

どこまでも広がる深い青色の海と空。頭上を照らす太陽は一つだが、僕らは二人でそれらを見ている。
砂浜で城を作ったり、追いかけっこをしたりしていると、鐘の音が響いてきた。もうおやつの時間か。楽しい時間が過ぎるのはいつも早い。
ネイとマリアムからもらった包みを開けるとバターと少し甘い匂いが僕らを包み込んだ。形も綺麗で、とても美味しそうなブリオッシュだ。いつもおやつの時間は準備する側なので新鮮だ。
「いただきます」
手を合わせてそう言った僕と対照的にリリアンヌはもう一口食べていた。僕をちらりと見て、慌てて手を合わせた。その姿がかわいらしくて自然と笑みが溢れた。
「笑わないでよ……」
リリアンヌは不満気に頬を膨らませ、非難を込めた瞳で見てきた。
「ごめんごめん」
リリアンヌに軽く謝り、僕もブリオッシュを一口大にちぎり、食べ始めた。表面はサクサクしていて中はしっとりしている。バターの風味が鼻から抜けていき、たくさん食べたくなる味だ。
「おいしいね、アレクシル」
「そうだね、リリアンヌ」

ブリオッシュを食べ終わってからも少し遊んでいると空がオレンジ色に染まってきた。
「遅くなっちゃいけないし、もう帰ろう?」
「私はまだ遊びたい……」
「明日、遊ぼうよ。今日遅くなったらお母様に明日遊ばせてもらえないかもよ」
リリアンヌは「でも……」と渋っていたが、名前を呼んで嗜めるとゆっくりと腰を上げてジョセフィーヌに跨った。
リリアンヌの背中は僕より少し小さかった。これから成長していくにつれ、もっと差が開いていくのだろう。リリアンヌの腰に手を回しながらそんなことを考えていると夕陽が沈んでいく海が見えた。

そこで、ゆっくりと意識が浮上していった。

目覚めて数分、夢の内容を思い出し涙が出てきた。お父様とお母様が生きていて、記憶を失くしていないリリアンヌと遊びながら暮らす毎日。そんな夢はもう二度と叶わないのに。叶わないと分かっていたから心の奥に押し込んだのに。
「アレン、目覚めはどうじゃ……っ、お主、何故泣いている……?」
リリアンヌが部屋に飛び込んできた。慌てて涙を拭い、笑顔を見せる。
「なんでもありません、リリアンヌ様」
「エルルカに頼んで良い夢を見せたはずなのじゃが……あっ、泣くほど良い夢を見たのか?」
「そうですね。とても良い夢でした」
なるほど、おそらくあの夢はリリアンヌが僕へのご褒美としてエルルカに提案したのだろう。確かにあれは良い夢だった。現実を見たくなくなるくらいに。
「わらわも久しぶりに良い夢を見ての。幼いわらわが夕暮れの海を眺めながら、同い年くらいの少年と何かを話してる夢じゃ。少年は誰か、何を話しているかは分からんがなぜかとても安心するのじゃ。しばらく見ていなかったからまた見たいと思っていたから嬉しくてな。それに今日ふと思ったのじゃが、あの夢はわらわが実際に体験したことなのかもしれないな。となると、少年の正体がより一層気になるが……アレン、なぜそんな顔をしている。どうかしたのか?」
それは、きっと幼い頃の僕らのことだ。いつも二人で遊んでいた頃の僕らのことだ。記憶を失くしていても、リリアンヌの中には僕の、アレンとしてじゃなくアレクシルとしての僕の存在があるんだ。
「お話ししていただき、ありがとうございます」
「……お主、何か吹っ切れたような顔をしているな。何があったのじゃ?」
「なんでもありませんよ」
僕は笑顔でそう言った。
リリアンヌは不満気に頬を膨らませた。

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夢と欲望と現実

アレンが夢を見せられる話です。結構ギリギリだけど間に合って良かったです。

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投稿日:2018/09/28 16:40:43

文字数:4,619文字

カテゴリ:小説

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