港町の少年
人のいない静かな港で、後頭部の高い位置で髪を結んだ、鮮やかな金髪の少年が海岸で佇んでいた。手には小瓶、筒状に丸められた紙が入っている。
それを見てわずかに笑みを浮かべ、慣れた手つきで海へと放り投げた。小瓶は一旦沈んでから浮かび上り、太陽の光を反射しながら水平線へ向かって静かに流れて行った。胸の前で手を組み、目を閉じる少年。次に目を開けた時には、小瓶はもう見えなくなっていた。
「今日も晴れるな」
癖のある跳ねた前髪を揺らして海風を受けながら、穏やかな海と雲ひとつない空を見る。そして、足跡を残しながら海岸を去って行った。
黄の国王都から南東、国の外れにその街はあった。港があるだけの小さな町ではあるが、緑の国に近いと言う立地条件と、領民の声を積極的に聞き、まとめる領主のおかげで、王都に劣らない程の活気があった。
市街から少し離れた高台に建つ、領主が住む屋敷に少年は入って行った。
「お帰り、レン」
二階に繋がる階段がある、吹き抜けの玄関で声をかけたのは、濃い緑の短い髪の女性だった。
「おはようございます、グミさん」
少年は答え、今日の予定を話し合う。朝の仕事を終えた後、緑の国へ買い出しに行く事。グミは他の仕事の為、屋敷に残る事。
「手伝えなくてごめんね。生まれ故郷だし、一緒に行ければ良かったんだけと……」
「気にしないで下さい。緑の国か、……近いけど、行くのは初めてだな」
申し訳ないと謝るグミに、レンは初めて国の外へ出る事に、緊張と楽しさを込めて返した。
緑の国を南から北へと縦断するように流れる川、海へと繋がるそれは、途中で東と西に真っ二つに分かれ、それが黄の国との国境になっている。橋の向こう側がたまたま別の国、と言う程度の距離で入国審査も必要なく、両国の住人は少し遠くの街へ出かけるような感覚で行き来していた。
千年樹の森がある、自然に恵まれた豊かな土地。緑の国はそう言われていた。遥か遠くにそびえる巨大樹を見て、それは本当だったんだなと、レンは思った。
買い出しは終わった、一休みをしてから帰ろう。そう考え、道沿いに店が並ぶ見渡しの良い道を歩いていると、向かい側からやってきた男とぶつかってしまった。
「気ぃつけろ! ガキ!」
男はそのまま去って行く、謝る余裕も無かった。横柄な態度に軽く不満を感じつつ荷物を持ち直す。落とした物は無いかを確認し、何気なくズボンのポケットに手を当てると、背中に嫌な汗が流れた。さっきまでそこにあった財布が無い。
「待て!」
スリを気付かれた男は逃げ出していた。逃がす気はさらさら無い、財布を取り返す為その背中を追いかけた。
何事かと目を向ける人達を無視して、レンは追いつけない事に苛立ちながら走っていた。本当は荷物を置いて身軽になりたいが、中には頼まれて買った大切な品物が入っている、手放す訳にはいかない。無くしたり、盗まれたりしたら大問題だ。
レンと男が進む先に、足元まで届く淡い緑の髪を左右にまとめた少女が見えた。二人に気が付いていないのか、通り道を塞ぐ様に歩いている。
このままじゃぶつかる。咄嗟に判断したレンは叫んだ。
「避けて下さい!」
突然の大声に少女は振り向き、突進してくる男に気が付いた。そして、道を開けて目の前を走り抜けるのを待つ。……はずだった。
男の腕と胸倉を掴み、足を払い、走って来た勢いを利用して背中から地面に叩き付けた。
流れるような動きで決まった見事な投げ技に、レンは思わず足を止め、目を奪われてしまった。我に返って近づく頃には、少女は男を逃げられない様に地面に押さえつけていた。
レンに気が付いた少女は、何があったのかを尋ねて理由を聞くと
「私の目の前でそんな事をするなんていい度胸ね、言い訳があるなら憲兵詰所で言いなさい」
男を見降ろし、問答無用と厳しく言った。
騒ぎを聞き付けやって来た憲兵に男を引き渡した少女は、取り返した財布をレンに差し出した。
「はい、これ」
打って変わった優しい笑顔と声で言われ、レンは胸が高鳴るのが解った。今まで感じた事のないその感覚に動揺しながら財布を受け取り、しどろもどろに礼を言った。
「あ……ありがとう、ござい、ます」
上流階級の人だろうか、雰囲気が気品に溢れている。このままでは失礼だと名前を名乗った。動揺する気持ちを抑えて、息を吸い込み、
「あの」「ミク様! 探しましたよ」
割り込んで来た声を少し恨みつつ、レンは自分と少女に向かってやって来る人物に目を向けた。長く白い髪を背中でまとめた女性で、困り果てたような顔をしている。
「どうしたの、ハク」
「どうしたのではありません、時間になっても姿を見せないので、ミク様の身に何か遭ったのかと……」
「心配しすぎよ。時間に遅れたのは悪かったわ」
「いいえ、何か事件に巻き込まれては――」
ミクさんって名前か……。お付きの人がいるって事は、やっぱりいい所のお嬢様だろうな。『様』付けされているし。投げ技決めた時はそうは見えなかったけど。思いっ切り事件に巻き込まれていますよハクさん。さっきスリを取り押さえていましたよ。
ぼんやりとした頭で考えながら、目の前で繰り広げられる、ミクとハクの漫才の様な会話を聞いていた。
「私たちはそろそろ行くわ」
しばらく続いた会話が終わり、レンはミクにもう一度礼を言って、これから家に帰ると告げた。一休みが一騒動になってしまったが、時間もちょうどいい。
「そう、気をつけて。また何か盗まれたりしない様にね」
別れの寂しさと、少しのからかいが込もった言葉に、顔を少し赤くして頷く。じゃあ、とハクと共に歩きだそうとしたミクに、一瞬何かを考え早口に尋ねた。
「あの! また会えますか?」
直後、何を言っているんだ、と後悔した。財布をすられた所をたまたま助けてくれただけなのに、そのせいで待ち合わせに遅れて、連れの人にも迷惑をかけておいて……。
俯いて沈んだ気持ちを抱えるレンに対して、ミクは満面の笑顔で返した。
「ええ、きっとまた会えるわ」
蝋燭の火を消す様に、あっさりと沈んでいた気持ちが消えた。幸せに満ちた笑顔で手を振って二人を見送り、上機嫌で帰路についた。
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Re:sui
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