二、メイコ

怪しいなって思ってたの。三番の客、やっぱり潰れたわ。前後不覚の意識不明、今にも、椅子から滑り落ちそう。
ルカは、我慢ならない相手をしきれないと判断した客には、涼しい顔して強い酒をどんどん進める。今夜みたいに、たとえば、ロングアイランド・アイスティー。ウォッカテキーラジンにラムのちゃんぽんとかね、なかなか手強い子でしょ?
そろそろ閉店準備に入りたい時間だ、すべきことは決まってる。私は今夜は時間通りに店を閉めたいのだ。
「オリバーくーん、お皿はもういいから、またお使い行ってくれない? ローラのところ、一名様ご案内しますから迎えに来てって」
「はい行きます! 今夜はいっぱいだって言われたら?」
「待つから、部屋があく頃に来てって。それでもダメなら仕方ないわ、あきらめましょう」
「はい」
手付かずで客席から戻ってきたフライの一本をその口にくわえさせ、行ってらっしゃいと送り出す。うん、熱々の時には劣るけど、我ながら今日もいい味だ。
『ローラのところ』は、いわゆる娼館だ。うちから申し送ったお客様は、そりゃもう丁寧に女の子の部屋に運び込まれ、お靴を脱がしてベルトを解き、ボタンを開けてもらってから、そのまま朝までおやすみなさい。朝にはきっちり一晩分の料金をありがとうございます!って寸法。女の子は楽ができるし、お客さんだって路肩で身ぐるみ剥がされるよりはずっとマシでしょう?いいじゃない!酔いつぶれて寝てる間にベッドに運んでもらえるなんて最高のはずよ、これはむしろサービスだわ!
 クローズ準備が大方終わった頃に、ローラのところから二人来て、酔いつぶれた客を引きずって行った。よしよし上出来です。これでちょうど、あいつの戻る時間頃に行ける。約束はないけど、サプラーイズ? だってこまめにかまわないと拗ねて不機嫌になるのよね。まあそこが可愛いんだけど。
今夜も無事の閉店後、上機嫌でソングマンとオリバーを送り出し、着替え、口紅を引き直してから出かけようとすると、ルカが私を呼び止めた。なによあんたそんな柱の陰から、景気悪い顔ね、幽霊じゃあるまいし。
「姉さん私、…………あの男、よくないと思うわ」
それを聞いた一瞬、すうっと体が冷えた。
それから、熱い怒りが湧き上がってきて、気がつけば、私はルカに手酷く言い返していたのだ。
……そりゃああいつは完璧とは程遠い男よ。我儘で、機嫌が悪けりゃ荒れるし……だけど誰を好きになろうが私の勝手でしょ?いいところだってあるのよ、だいたいそれがあんたにどんな関係があるの。賢いふりでお高くとまったってあんたは家に居っきり、本心では私が妬ましいんでしょう!!
そこからはもう、売り言葉に買い言葉。私は部屋に戻り、全財産を小さな鞄に叩き込むと、振り向きもせずに家を出た。後ろからルカが何か叫んだけど知らない。わたしはもう帰らない気で、恋人の家に飛び込んだわけだけど…………。
……まあ、何よ、……だから、この深夜に勢いドアを開いたら、ところがそれが先方はお休みの最中だったって訳だわ。どこかの女とふたりきりでね!
 つまり、それが昨夜のこと。
私は半ば放心状態で、日が傾き始めて紫色を帯びた運河の支流を半目で眺めてた。悲しいし疲れたしもうなんだかよくわからない。……毎日眺めるあの大きい船たち、思えば一度も乗ったことがないなんて今さら気がつく。荷物に紛れて乗り込んだら、遠い国の誰も知らない町に付いてやり直せるんじゃないかしら、誰か顔見知りをつかまえて頼んだら、なんとかなるんじゃないかしら。わたしは『あの、カサブランカのメイコ』なのだから…………ううん、だめかな。きっと失敗する。……見る目ないものね、わたし。

 どれくらいそうしていたか……少し寝てたのかも。遠くから私の名前を呼ぶ声が聞こえた。思わず耳を覆う。やめてよ今は誰にも会いたくないの。
「……ちゃーん、めーーちゃーん……でしょ?おーい」
「…………」
あきらめて重い頭を上げても何もない。首を巡らせて探すと、幼馴染のカイトが、どうしたわけか、ぼろボートの底に仰向けになって川面をゆっくり流れていくところだった。
「………………あんた、なにやってんの?」
カイトとは、歳が近く顔が似ていて名前も似てる。父親がいっしょだったりして!などと無責任に大人たちは言い、私たちも一緒に意味もわからずげらげら笑っていたくらいだ。ちなみにカイトのママだけがそのことは真顔で否定していた。
「傷心をいやしてる?」
カイトはとてもそうは思えないニコニコ顔でこちらへ大声で言い、まるで痛むみたいに胸をさすってみせる。
同じ通りのカイトは柔和極まる性格で、子供の頃からの付き合いの私でさえ声を荒げる姿をみたことがない。優しくて気が利くので、荒っぽい船乗りに嫌気がさした女の子たちにめちゃくちゃにもてるけれど、年中相手をとっかえひっかえなところを見れば、それほど与し易い男でもないってわかりそうなものよねぇ。
「僕さ、ふられちゃったー」
相変わらず、カイトは全然真剣味がない。
「……それはこっちのセリフ」
「……ええ、そうなの?かわいそう!」
はぁー!ひざの上でたるんだスカートに顔を埋めて、深いため息を吐いた。いつも通りのゆるさのカイトと話していたら、気が抜けてきたのだ。
「メイコー」
目線だけを上げるとカイトが、寝転んだままボートのロープの端をぐるぐる回して見せている。私は土手を立って草まみれの斜面を水辺まで降りて行き、カイトが投げたロープの端をつかむとそのあたりの杭に結びつけた。カイトはボートを岸に寄せると、腿まで水に濡らして上がって来、私の背中を押して土手に上がった。蛇も出るしワニも出るし、長居したい場所じゃない。
カイトは私を見下ろすと、当たり前そうに言った。
「お腹すいたよ。送ってく」
「………………ああ、もう!ああもう!もうーーー!!」
頭が沸いてきた私は、そんなカイトの腕にごんごん頭を打ち付けてうなった。
「……わたしを!誰だと思ってるのよ!カサブランカのメイコよ!みんな!日付変更線の向こうから!わざわざ私に会いにやってくるのよ!!」
聞いているのかいないのか……多分聞いてないけど、カイトが私に胸を貸したままでいるのをいいことに、わたしは全力で泣き言をぶちまけた。
「それを!……それを、なんで……もう、ああもう、バカァーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
「おおよしよし、かわいそうにねぇ」
肺の中の空気を全部吐き出して叫ぶと、なんだかちょっと気が済んだ。鼻をすすりながら顔を上げる頃には、カイトは限りない親しみを込めてそつなくハグしてくれていた。……あんたねえ、ほんとそういうとこよ……。
いろいろ諦めた私は、カイトの肩で適当に涙を拭いて離れた。全財産が入ったままのハンドバッグからハンカチを出して鼻をかみ、癇癪を起こしてあいつに投げつけて来たりしなくて良かったと、自分をすこし褒める。
この時間は、寝ぐらに帰る海鳥がうるさい。
それは人も同じで、運河通りの店々では夜に向けて開店準備に大わらわだろう。
「はぁ……。……あんたは、いいの?」
「うん?うん。もういいよ、僕もよくなかったし」
「ええ……、なにその軽さ。あたし、あんたが少し心配だわ」
カイトは黙って肩をすくめてから、私の背中に置いた手で前へ促すから、心の準備もないまま、なんだか一緒に歩き出してしまう。

 川べりから路地を上がり、最も栄えた運河通りを南へ。
賑やかに店がつらなり、砂埃を立てて人々と車とが行き来する、船乗りたちが、この街に降りていちばんに目にするところ。そのまま下れば、少しずつ道は細く静かになり、街路樹の下に置かれたベンチが存在感を増してくるちょうどその頃に、見えて来る区画の角の白塗りの壁。ママが植えたバナナの葉が、風を拾ってザラザラ音を立てていた。テラス席の椅子はまだテーブルの上に上げられたままで、あけっぱなしの厨房からは青紫に暮れ始めた通りへ、オレンジ色の明かりが漏れている。
……わたしの店。
ママと、ルカと、わたしのカサブランカ。
私が足を止めると、カイトも黙って足を止めた。

 テラス席のあるこの角はかつて、うちとは別の雑貨店だった。ママにもらったコインではじっこの溶けたキャンディを買うのが楽しみだった。ひとつ奥に入った白い小さな私たちの家のその二階で、ママと私とルカは寝起きし、その一階がうちの小さな食堂。なつかしいこどもの日々、まるで昨日のことのよう。
夜、ルカとベッドに入る時間にはいつも、ママの作るトマトの煮込みと揚げ油の匂いとお客さんたちのにぎやかな声がしていて、翌朝には、それらのおいしい残りものをつめたいご飯にのせて三人で食べたものだった。
そうそう、時々は、近所のカイトの家にもおすそわけに持って行った。カイトはなんでも喜んで食べたけど、開店中のお店のことはどうしてか怖がっていてそれは今でも同じ。営業時間には寄り付きやしない。でも、差し入れに料理を持っていくと喜んで食べるのだ。
「……」
横に立ったままのカイトを見上げると、カイトは少しこちらに首を傾けて言う。
「バナナのフライと、魚の煮込みでいいよ」
「…………」
「久しぶりに食べたいなぁ」
「……わかったわよ。わかったわよ!帰ればいいんでしょう。でもこれはただ……あんたが、道を送ったくらいでわがままを言うから、そのためなんだから!」
「うん」
ひとつ大きく深呼吸をして五歩、進んだところで振り返るとカイトはやっぱりまだいた。心配してくれているのはわかっているがどうにも照れくさく、さっさと帰りなさいと追い払うように手を振った。カイトがちょっと笑ったのを横目に見て、お礼にはデザートもつけようと思ったきり、私はもう振り返らなかった。鍋いっぱいのお湯が肉をゆでている匂いがしたからだ。
私が匂いに惹かれて明るい厨房に入ると、洗う前のオレガノとミントの山に手を突っ込んだルカがこちらを見て固まった。奥の裏口からは鍋を気にした様子でソングマンが入ってきたが、向き合う私たちの様子を見るとそのまま後ろ歩きで戻って行った。
私は言った。
「振られたわ」
ルカは、ハーブの山にうつむいて、こもった聞き取りにくい声で応える。……だったら、
「……だったら早く、手を洗ってきてよ。困るのよ!ライムもなかったし、鍵はへんなところにかけてあるし、この間変えたモツ煮のレシピは字が読めないわ!」
「……そうする」
正直へとへとだったけど、とにかく着替えて手を洗いに通り過ぎようとしたら、裏手の野菜箱に座って待っていたソングマンが後ろ後ろと指をさした。振り向くと、私の妹が顔を覆ってめそめそ泣いている。ルカは、姉と違ってミステリアスとか言われるその実、まだ子供みたいなところがあるのだ。
私が戻ってその背を軽く叩くと、十の子供みたいに抱きついてきて泣く。それをハグして甘やかしてるうちに、なんだか私まで泣けてきた。
「……ごめんね」
「姉さん」
「ごめん」
「わたしこそ」

 ねえ、仲直りって馬鹿みたいよね。
それまでなにを悩んでいたか、もう全然思い出せないの。
私は泣きながら笑ってしまい、ルカを立たせて振り向いた。さっきから、鍋の火加減が気になっていたのだ。
「ソングマンー、鍋、もういいと思うわー」
言い終わるかどうかのうちに、サッとやってきたソングマンが準備し尽くされたかのような迷いない動きで具材や調味料をどんどん足していく。まあ裏口で暇だったものね、悪かったわよ。
「それで、モツ煮がなんだっけ?どれ?読めないの」
ソングマンが尻ポケットから出したレシピ帳を覗き込むと確かに書き直しのあとがある。
「……ああ、クローブとピーナッツクリームを入れてみたけどやっぱりやめたの。だからこれはなんでもない、いつも通りでやって」
ソングマンはうなづく。
「オリバーは来た?今日は船数多かったから、椅子多めに出しておいてって……あ、ダメか置き場二階よね、手伝ってあげて。ルカは何かあったっけ」
「……いいえ、仕入れは済ませた。私ではいつも通りに買えないところもあったけど、とりあえずは大丈夫よ。あとは、このまま準備をするだけ」
「そう。じゃあ、今日も始められそうね」
「…………わたし、私、カサブランカがなくなるのかと思ったわ」
「そして今度こそ、私の帰る所もなくなるってわけね!」
「姉さん!」
肩をすくめて、着替えに二階へ上がろうとすると、たぶんオリバーのおはようの声が聞こえ、それにかさなるように、追いかけてきたルカが言った。
「もう勝手にいなくならないで。……頼りにしてるの!」
「……はいはいおまかせくださいな」
お姉ちゃん反省いたしましたもの。大好きなみなさんとみなさんの愛するカサブランカのために、本日もはりきって働かせていただきますわ!
……だけどちょっとその前に。
私は階段からみんなのいる一階をふりかえり、肩をおとして懇願したわけよ。

「お願いだから、一時間だけ寝かせてほしいなぁ!」

                              


(おわり)

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

ウェルカムカナルストリート(2/2)

運河の街でメイコとルカが食堂をしている小説です。
korby(畑中洋光)さんの曲とコラボしています。
【動画】http://www.nicovideo.jp/watch/sm33470731
【曲のみ】http://piapro.jp/t/1j52
【PDFブックレット】https://tmym.booth.pm/items/925564
合わせておたのしみいただけたら幸い。

閲覧数:447

投稿日:2018/07/07 19:19:56

文字数:5,396文字

カテゴリ:小説

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