一面に咲き乱れる白い薔薇の花は、月光に薄蒼く輝くようだった。
広大な庭の一角を占めるその花に囲まれて建つ、小さな東屋。
昼間は彼女のお気に入りの場所でもあるその床の上に、少女は壊れやすい細工物よりも大切に下ろされた。
硬い石の床を足元に感じながら、普段、見慣れない夜の庭を見渡す。

どんな花もその骨頂は光に照らし出されてこその彩り。けれど、この庭に咲く白い薔薇は夜の闇の中でこそ、昼よりも一層際立って美しく見えた。
女王さながらの気高い純白は、闇にも沈まず、闇を従えるように纏い、まるでそこだけ、月光が夜露となって溜まっているかのよう。
夜の庭を渡る微かな風は音もなく、少し肌寒さを感じる静けさはけれど、どこかに密かな熱を孕んで秘密めいている。
ミクは首を巡らせ、彼女を腕に抱いたまま、ここまで連れてきた相手を見上げた。
仄かな微笑を浮かべただけの彼は何の言葉もない。
目元を隠す仮面越しには、微笑みも見知らぬ別人のようで戸惑う。
暗い色の衣装も似合っているけれど、そこには纏わりつくようにまだ喧騒の気配が残っている。
抱き上げられたときに感じた、僅かなアルコールと料理の匂いと、それから――。
唇を噛み、彼女はやおら遠ざけるようにその胸を押した。

「ミク?」
「香水の匂いは嫌い。きつすぎるんだもの」

そう言って眉を寄せ、不機嫌に顔を背ける。
何人かの貴婦人とダンスの相手をした時についたのだろう、複雑に交じり合った、甘く華やかな香りの切れ端。
移り香がそれほど強いはずもないが、彼は笑うと、片腕で上着を脱ぎ、無造作に遠くへ放った。

「これでいい?」

伺いを立てるように、少女の顔を覗き込む。
体温が近くなり、薄いシャツ越しの温もりが、夜気に冷えていく肌に伝わってくる。
その顔にミクは腕を伸ばした。
望みに応えるように、彼も上体を屈める。

「これも」

仮面を押さえる絹のリボンをその手が外すに任せ、彼はそのまま跪き、手を差し伸べた。

「では、姫君。改めて私と踊って頂けますか」

仮面の下から現れたおどけたような微笑みに、彼女は思う。
ほんの思い付きだったけれど、仮面の演出は中々悪くなかった。
おかげで今日、素顔の彼と踊るのは自分だけだ。

「喜んで」

気取って片手を預ければ、あっと間に花の只中だった。
薔薇の咲く庭に二人きり。華やかな夜会よりもずっと良い。
手を引かれ、間近で見詰め合うように向かい合い、最初のステップを踏み出した。








静かな庭に奏でる楽の音はなく、夜風に乗る歌声がその代わりだった。
軽やかなステップの度、広がって揺れる裾が、悪戯に近くの枝葉を揺らす。
闇に白く浮かぶように、一面に咲き誇る薔薇の只中、夜の空気に満ちる月光と花の香りに包まれ踊る二人の他には、辺りに何の気配もなかった。

「ねぇ、覚えてる?昔、私がまだ、うんと小さいとき、花嫁の白い薔薇を欲しがったの」

歌が途中で途切れても、その続きを覚えている二人の足は、タイミングを崩すことはない。

「結婚式では絶対に、この白い薔薇を持つんだって私が言ったの。その時、自分が何て言ったのか、覚えてる?」

戯れのような問い掛けに、彼は腕の中に抱く華奢な身体を見下ろした。
一体いつ頃の話だろうか。記憶を浚ってみても、すぐには思い出せなかった。
あっさり降参して肩を竦めると、彼女は少しばかり気分を害したようだった。真剣みの足らない不実さを責めるように、意地の悪い声音が答える。

「婚礼の薔薇はこの家に嫁ぐ花嫁にしか贈られないし、私はいずれこの家から外へ嫁いでいくから、私の結婚式ではこの薔薇は貰えないんだって言ったのよ」
「そんなことを言ったかな」

気まずさを誤魔化すように、彼は呟いた。それが本当なら、責められても文句は言えない。

「そうよ。それで、私があんまり悲しくて悔しくて泣き出したら、途端に大慌てで、薔薇が欲しい時はいつでも、どんなものでも僕が贈ってあげるよって言ったの」
「ああ……、思い出した」

記憶の底にかちりと噛みあうものがあり、彼は唇を緩ませた。それはまた随分と遠く、懐かしい思い出だ。

「それで一週間くらい、毎日違う色の薔薇をねだられたんだっけ。でも、何を贈っても機嫌が悪かった気がするな。あれはどうして?」

過去と共に一緒に思い出した疑問を問うと、彼女は途端に唇を尖らせた。あの頃から変わらない愛しい仕草だ。

「だって、私、あの花嫁のための薔薇が欲しかったのよ。白いドレスでヴェールを被って、白い薔薇の花束を持って、好きな人とのキスがしたかったの。お母様が幸せそうに話してくれたみたいに」

今更のように納得して、彼はその頬に苦笑を浮かべた。

「確か、最後にねだられたのが白い薔薇で、その時、宮廷で一番流行していた品種を贈ったら、また泣かれたんだった」
「あなたのせいよ。ちっともわかってくれないんだもの」

詰る彼女の言葉には、けれど、それだけではない甘い響きがある。

「いつだって、私を泣かせるのはあなただわ」

耳元に唇を寄せた囁き。
誘い文句のような睦言に、彼はお返しのように、踊るための形に重ねたままの細い指先へ口付けた。

「……まだ、白い薔薇が欲しい?」
「いらないわ」

小さく跳ねた指先に吐息をひとつ零して、かつて彼が泣かせてばかりいた幼い娘は微笑んだ。
もはや少女ではない、艶やかな女の顔で。

「花ならもう、貰ったもの」

白い手が自分の髪に触れる。ゆるく結われた髪を飾る、蒼い薔薇。幻というその色。

「それなら、今は何が欲しい?」
「あなた以外の全てかしら」
「私は望んでもらえないのかな?」
「だって、あなたはもう私のものでしょう? 私があなたのものであるように」

さらりと告げられた言葉に、彼女の動きをリードしていた足が止まった。

「駄目よ、まだ止めないで。曲が終わっていないわ」

彼の反応を見越していたように、くすくすと笑い声が上がる。
強く向けられる視線をかわし、彼女はまるで子供を嗜めるような声を上げた。

「だって、あなた、今夜は他の女性と踊ったんだから。約束でしょう? ――ラストダンスは必ず私と」

ね、と首を傾げて微笑んでみせる。
どこか掛け違ったような、それでいて美しい微笑だった。

「お願いだから、間違っても約束を破らないでね。例え、相手が救国の歌姫でも。でないと私、あなたと彼女のどちらに白い薔薇を贈れば良いのか、困ってしまうわ」
「そうやって、私と誰かを並べるから腹立たしい。私が望むのはただ一人だというのに」

愛しい女を抱く腕に力が篭った。抱擁と呼ぶにはあまりに強い力に、細い背中が折れそうにしなる。
苦悶に眉を寄せ、身じろぐ姿を、彼はただひたすらに見下ろした。
相手が誰であれ、その唇から僅かでも他人の存在を仄めかすことすら許せない。

不意に強く風が吹いた。
まるで彼の仕打ちを咎めるように、風は辺りに咲き乱れる薔薇の白い花弁を千切り、巻き上げ、女のドレスを大きく揺らした。
月光を浴びて光沢を放つその色は、夜目には闇色にも見紛う深い藍。
彼女のためのドレスには一枚たりとも漆黒は存在しない。そうでないと、まるで誰かを悼むように、喪服のような黒ばかりを選ぶから。
冷たい夜風にも冷やせない、灼けつくほどの嫉妬と渇望を篭めて、その身体を掻き抱く。

「私はあなたのものよ。どうして信じてくれないのかしら」

腕の中から、か細い声が囁いた。
見上げてくる表情は、幼い少女さながらの無垢そのもの。それをどれほど見つめても、同じように見つめ返されることはない。それを望んだのは他ならぬ自分だ。
閉ざされた鳥篭の中で、この硝子めいた瞳に映るのは永遠に自分ひとり。そうすることで、飢えた心はやっと満たされている。
たとえ、時折胸を刺す微かな痛みがあっても、望んだものがこの手にある、目も眩むほどの幸福に比べれば些細なこと。

「だから、ね。――踊って」

僅かに緩んだ腕の隙間から、甘い声がねだる。
枯れない花のような微笑みに、彼もまた微笑みを返した。

彼女が望むなら、いくらでも、いつまでも、望むままに踊るだろう。それが破滅に至るワルツでも。

二人の足がまた動き出す。
やがて、どちらからともなく曲の続きを口ずさみ始めた。
高く低く、時に追いかけあい、二つの歌声が静かな夜に交じり合う。
夜の庭園。
白く浮かぶ薔薇の花。
月光に照らされ踊るラストダンス。
いつまでも終わることなく続くそれは、密やかに交わされた二人だけの約束。

永久に色褪せず、枯れることのない、――青い蒼い薔薇の下で。




ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

「カンタレラ」&「悪ノ娘・悪ノ召使」MIX小説 【カイミク番外編】 第5話

カイミク番外編『Under the Rose』、終了でございます。
最後までご覧下さいまして、ありがとうございました。
今回、番外編のみご覧下さった方は、お気に召しましたら本編も目を通してみて頂けると幸せですv

今回は兄さんに良い思いをさせてあげよう企画!ということで、色々ツッコミどころ満載なお兄様のけしからんセクハラを楽しんで頂ければと←
いえいえ、素でイチャイチャべったりなバカップル兄妹を楽しんで頂ければとww


・・・うん、別に年齢制限とかは大丈夫ですよ、ね。・・・ね!

閲覧数:2,255

投稿日:2010/02/18 01:31:34

文字数:3,561文字

カテゴリ:小説

  • コメント4

  • 関連動画0

  • ピャオタバル

    ピャオタバル

    ご意見・ご感想

    はじめまして 。ピャオタバルと申します。
    10年も後に感想を送るというのは出遅れすぎですが、どうしてもお伝えしたくコメントさせていただきました。
    原曲を深く深く掘り下げてあり、なかなかにブラックな世界観にスっと引き込まれました。毎話楽しみでドキドキしながら読んでたらもう最終話…早いです。
    カイザレ様とミクレチア様は両思いなのにお互いがすれ違っているのがもどかしくて、またそれが良かったです。
    ミクの「だって、あなたはもう私のものでしょう? 私があなたのものであるように」というセリフがすごく素敵です。さらりとそんなセリフを言えるミクとそのセリフを素直に受け取れない兄さんがすごく好きです。
    2人の思いがお互いに届かなかったのが少し心残りではありますが、カイミク好きとしては思う存分2人のイチャイチャが見れて大満足です。
    azurさんの書く文章は描写の一つ一つが細かく、登場人物の姿や心情、場面が目に浮かぶようですごく読みやすいです。こんなに素敵な文章で「カンタレラ」&「悪ノ娘・悪ノ召使」MIX小説及びカイミク番外編
    を読ませていただき、幸せです。素晴らしい話をありがとうございました。
    出過ぎたことを言うようですが、azurさんのほかの小説も読んでみたいです。

    2022/03/31 13:31:07

  • SORA

    SORA

    ご意見・ご感想

    はじめまして
    ピアプロの文章投稿ってどんなものがあるんだろうと、リスト見てた時にふと目についたこちらの小説。
    悪の娘シリーズの名を冠したものはいくつかあるようでしたが、『「カンタレラ」&』、という部分に興味を覚えて読み始めたら、なんだか予想してた以上によく練られた良作で、番外編まで一気読みしてしまいました。そしてうっかり夜明け…
    ミクのダークっぷりも、兄さんのダークっぷりも楽しかったです。この二人に比べたらまァ、双子がどっちも真に子供だわ~~~ww
    歪んだ形で終わるしかないのは少し悲しいですが、まぁそこはそれ…
    兄さんの思いが一応成就できたので、兄びいきな自分としてはちょっと嬉しくもあります。
    歌の二次創作ってあまり興味なかったんですが、面白いものですね。
    何カ月も前に脱稿されてる小説の感想を今更…ではありますが、折角ですので、二つの歌とはまた異なった世界を楽しませていただいた事に感謝と、紡がれた物語に敬意を表して、足跡つけさせていただいてゆきます。ありがとうございました。

    2010/07/31 05:45:46

    • azur@低空飛行中

      azur@低空飛行中

      >SORA様

      初めまして、SORA様、ご感想ありがとうございます!
      何と、うっかり夜更かしをさせてしまうとは、満面の笑顔で眠眠打破をそっと献上したい私です。

      数ある小説の中から目を留めて頂けて光栄です。
      神曲2曲の世界を強引に合わせてみたら、それぞれ単体より禍々しい、混ぜるな猛毒危険なものが出来上がりました。
      悪の双子と劇薬兄妹のブラックさ対決は、根が素直で良い子な双子たちには少々、分が悪かったようです。ことに兄さんのダークさは突き抜けてますが、ドン引かず楽しんで頂けたなら幸いですv←

      この結末も、兄さんスキーな方には賛否両論あると思うのですが^^;;
      私いつもちょっと間違った方向に兄さんを愛でてしまうせいで、ちょっと間違った幸せしか上げられないようです。が、まぁ・・・・・・、これもある種の幸せということで、ひとつ。

      どれだけ前に完結した作品でも、エネルギーを費やして書き上げたものにご感想をいただけるのは、いつもすごく嬉しいです。実は初めてまともに書き上げた作品だけに尚更、最後まで楽しんでいただけたなら感無量です。
      ご読了と足跡、ありがとうございました!

      2010/08/02 23:45:12

  • wanita

    wanita

    ご意見・ご感想

    ピアプロのトップページから前編、本編、そしてここまで、一気に読んでしまいました。
    すっかり外が暗くなっています。
    は~……面白かったです!
    ミクが小悪魔な性格で一生懸命で強くて、かっこいいですね。カイトの腹黒さには共感できそうです←
    そして三つの国の力関係と内部事情に、ぞくぞくしました。本当にこういう歴史が存在しそうで、楽しく読ませていただきました!この話に出会えて、今日はいい休日だったと思います^^//
    ありがとうございました☆

    2010/05/23 19:34:32

    • azur@低空飛行中

      azur@低空飛行中

      wanita様

      番外編まで目を通して頂いて、ありがとうございます^^
      休日のお時間をすっかり頂いてしまったようで、そのお時間を楽しんで頂けたなら、また読後感も気持ち良いものになっていましたら良いのですが。

      またお読みくださっている間も、たびたびのご感想重ねてありがとうございましたv
      個人的に格好いいヒロインが大好きなので、ミクをはじめ女の子達にはめいっぱい頑張ってもらいましたv むしろ女の子達が強すぎて、男性陣の肩身が狭いかもしれませんww みんな本命には頭が上がらない感じですし。
      そして、カイトの真っ黒さ(笑)。どう見てもラストは悪役ですね、むしろラスボスかもしれませんw 是非、一緒になってカタルシスに浸って頂ければww
      三国間の勢力図は一番、ナイ脳みそを搾った所なので、そう言って頂けると散々悩んだ甲斐がありましたw

      何だか書き始めたら自分でも驚く長さになってしまったのですが、読後、面白かったと仰って頂けるのは、書き手として何より嬉しいです^^
      最後まで読んでくださいまして、本当にありがとうございましたv

      2010/05/25 00:49:12

  • アタック

    アタック

    ご意見・ご感想

    完結お疲れ様です。
    素敵すぎてびっくりしました!
    以前からazurさんのお話は読ませて頂いていましたが、番外編を書いていただけてほんとにほんとに嬉しいです!
    お父様が無くなった奥さんの名前を呼んだというシーンでほろりとしてしまいました。悲しい…(ノ_・。)
    カイミク甘いですね!大満足です!
    これからも応援させてください。

    2010/02/19 02:43:45

    • azur@低空飛行中

      azur@低空飛行中

      >アタック様

      こんばんは。ご感想ありがとうございました!
      本編も読んで下さっていたとのこと、二重にありがとうございますv

      勝手にねつ造しちゃったお父様(&お母様)、何気に好評で嬉しいですv 残念ながら奥さんは昔にお亡くなりですが、それでも未だに本命しか目に入らない辺りは、確実にお兄様のDNAの元です。そっくり親子ですww

      本編が割と甘さ控えめだったので、番外編はハメを外しちゃっても良いかな??とやりたい放題やってみました。自重なしのカイミクwご満足いただけましたか?嬉しいですv^^

      遅筆ながら、これからもぼちぼちと書いていきます。
      宜しければ、またお立寄りくださいませ。ありがとうございました!

      2010/02/20 22:43:19

ブクマつながり

もっと見る

クリップボードにコピーしました