覚えていて 君のココロで
そして君の前に現れる「彼」は「ぼく」なのだと 君が証明してみせて
彼が旅立つ前に懇願したその約束を 私は果たさなければいけない
*
「たっだいまぁ!!」
勢いよく開かれたリビングの扉に、今か今かと待っていたミクとリンが目を輝かせて振り向く。
「おかえりおにいちゃーん!!」
「カイ兄おめぇぇぇ!!!!」
2人同時に抱きつかれバランスを崩しながらもしっかりと受け止めたカイトは、ありがとーと笑った。
「…あんま変わってねーじゃん。つまんねぇの」
それにチラリと視線をやりつつ、レンも手許のゲームを止めてぶっきらぼうに投げ捨てる。ソファに腰かけていたルカも、お帰りなさいませ、と言いながら立ち上がった。
私は、無意識に両手をぎゅっと胸の前で握りしめていた。
ずっと、待ってた。きっとこの場の誰よりも待ち望んでいた。
彼の変革、彼の躍進。彼が背負う大きな責と、それを任される彼への誇り。胸が熱くなり、思うだけで涙腺が緩んだ。あぁ、私が待っていたのはそれだけ。彼が求められるこの世界、それだけが望みだった。
メンテナンスでひと月近くも帰ってこなかったカイトは、その身に大きな変身を遂げていた。
見た目はほとんど変わらないように見える。でも、スラリとした長身も、切れ長の目も、瞳の蒼も、微笑む口元も、大きな手も――― 一ヶ月前より一際強く、私を惹きつける。
ひと月の時間は長かった。それ以上に、彼の変貌は大きかった。有無を言わせぬ圧倒的な存在感は、まだこの家の誰もが持ち得ていない能力が彼の中に宿ったからだ。それは私たちの世界を革新する技術。私たちのうち誰よりも先にそれを得たカイトの堂々とした自信と力強さは、そこにいるだけで痛いほどに伝わってくる。
素敵だと思った。かっこよかった。やはり彼は、大きく成長したのだ。
一旦妹たちを離し、私を見つけた彼の目が嬉しげに細められ、ますます頬が赤くなった。
差し出された手の平に、胸が締め付けられる。この手が、私の全て。彼と繋がるこの手が、私の
「―――めーちゃん」
だからその違和感に気付くのが、…一瞬遅れた。
「ただいま」
重ねた手を即座に引かれ、彼の胸に強く抱きしめられる。みんながすぐそこにいるだとか、今日ばかりはそんなつまらないことを言って跳ね除ける真似はできない。
だけど、どうしてだろう。彼が私を呼んだ瞬間、この胸に落ちてきたもやもやはなんだろう。真っ白なコートに顔を埋め、私は戸惑って眉を顰める。
「会いたかった」
「…おかえり、なさい」
「やっと帰って来れたよ。これ以上監禁されたら暴動起こすところだった」
嫁に会わせろって?とからかうミク達にその通り!と答える様も、いつも通りの彼だ。
でも。
彼が、何かを言う度に。
軋む。
私の、ココロが。
―――エンジンが。
「…あぁ、やっと会えた。オレのメイコ」
安堵しきった声に恥ずかしくなり何言ってるのと怒りかけたけど、それを遮るようにもう一度ぎゅうと力をこめて腕の中に閉じ込められる。
彼の右胸に横顔が押し付けられ、トクンと脈打つその音に気付いた時、私は表情を凍らせた。
そこに何よりも私を安心させるあの心音が、聞こえなかった。
*
その夜は、いつもより豪華な食卓を囲んでのお祝いパーティだった。
彼の2つ目の誕生日。彼が、もう一度生まれた日…
自室に戻り私は大きなため息をついた。ようやく吐き出せたそれには自分でもどうしようもないほどの動揺が含まれていた。
そっと、自分の胸に手を当てる。とく、とく、とく、と繰り返す音。ニンゲンと同じように収縮を繰り返し、赤い生命を全身に送り込んでくれる大切な私の一部。
これは唯一無二だ。正確に言うならこれは、対で作られた…「ココロ」なのだ。
国内産のボーカロイド、その二つきりのソフトに与えられた二つきりのエンジン。
エンジン、という名の命。
これは―――誇り。
私が私であるための。
これを持つからこそ、私は初代という重荷を苦に思わずここまで歌ってこれた。
いつでも背中にあったのは、私の唯一。
同じ鼓動を刻む『命』を重ねて、『歌』を重ねて、そして、手の平を重ねて。
歩んできた、このココロが―――私の、証。
ドアをノックする音に、ハッとして振り向いた。声を聞くまでもなく音の位置から誰かはわかる。
「めーちゃん、いい?」
穏やかな声だった。少しばかり気まずさを持っていた私は、遠慮がちにどうぞ、と言った。入ってきたカイトはやっぱり笑顔で、私はぎごちなく笑い返してから、なるべく自然に視線を逸らした。
「ただいま」
ベッドに座る私の隣に腰かけて、彼は笑う。
「…なに、改まって。さっきも言ったでしょ」
「めーちゃんにもう一度言ってほしくて。めーちゃん、ただいま」
返そうとした、たった4文字の言葉が一瞬のどに引っ掛かり、私は小さく息を吸いこんでからゆっくりと告げた。
「…………おかえり」
「ただいま。帰って来たよ」
即座に返されたそれはどこか圧力を感じさせる声だった。わずかに眉を顰めて見上げると同時に頬を掬われ、身を屈めてきた彼の顔が近付く。
キスされると思った、咄嗟に手の平で彼の胸を押し返していた。
…え?
自分で驚く。どうして今、私はカイトを拒んだのだろう。頭で考えるより先に身体が反応して…。
戸惑うままに彼を見上げると、見下ろしてくる表情はひどく冷めていて、私の拒絶を予期していたかのようで、そう考えるとますます何かがおかしいような気がした。
「…かいと」
弁解しようと途切れがちに名を呼ぶ。ふいにカイトはうっすらと笑みを浮かべた。
「めーちゃん、今日は元気なかったね」
「…え?」
「あんなに豪華なご飯作ってくれたのにあんまり食べてなかったし。あんまり自分からしゃべらなかったし。風呂入ったらすぐ部屋に戻っちゃったもんね。どうしたの?」
彼の問いかけは饒舌すぎて、全てが非難に聞こえる。
「…ちょっと、緊張してただけよ」
「緊張?オレに?」
はは、と笑われ、私は恨みがましく彼を睨み上げた。
「だ、だって、一ヶ月ぶりなんて滅多にないし、カイトはその、…変わって、帰ってくるわけだから」
「変わってなんかいないよ」
「でもやっぱり…」
「変わってない」
シーツの上で手を捕えられ、ハッと身を引いた。抑え込まれながら鋭利な瞳が間近に迫る。
「ねぇ、オレは変わってないよ。オレは、『KAITO』だ」
その言葉と目の奥に燻る噛みつくような獰猛さに、私は思わず息を呑んだ。
主張、懇願、それ以上に含まれているのは、―――威嚇だった。否定することは許さないと、彼は私を脅迫していた。
知られている。そう気付いた瞬間思わず尻ごみした。
バレているのだ。彼の声を聞いた時に私が感じたあの違和感。聞こえなかった鼓動に私が一方的に距離を置いたこと。
「―――メイコ。約束を守ってよ」
「…約束?」
「オレが『KAITO』であることを、君が認めて」
私にしかできない。私の言葉しか信じない。私の言葉で自分はようやく完成するのだ、と彼は言った。
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