鏡音君に色々と話を聞いてもらっているうちに、門限の時間が来てしまい、わたしは帰らなければならなくなった。もう少し時間を自由にできるといいのだけれど、門限を破ったらわたしは外出禁止だ。
今日は全然戯曲の話ができなかった。明日は木曜だから、わたしは部活なのよね……。もう一度休んでもいいけど、ミクちゃんに悪い気がする。それに鏡音君……じゃなくて、レン君って呼ぶことにしたんだった。向こうも、木曜は部活だったはず。
どっちがいいのかを考えてみたけれど、結論が出なかった。今日のうちにそのことも話しておけばよかった。なんでこう、後からああすれば良かったってことに、なっちゃうんだろう。
家に帰ると、お母さんは居間でテレビを見ていた。外国の映画だ。聞こえてくる言葉が英語じゃない……これ、多分フランス語だわ。
「ただいま、お母さん」
わたしが声をかけると、お母さんはびっくりして振り向いた。
「お帰り、リン」
お母さんの顔を見てわたしは驚いた。目が赤くなっている。泣いていたみたい。
「どうしたの?」
「この映画……とても悲しい話だったから」
思わず泣いてしまうような、そんな悲しい映画だったんだ。わたしは画面に目を向けてみたけれど、一部だけ見てもわかるはずがない。家族物なのかな? 子供たちが雪の中ではしゃいでいる。
「リン、着替えてらっしゃい。おやつにしてあげるから」
そう言うとお母さんは映画を止めて――あ、DVDだったんだ――、テーブルを片付け始めた。手に持っているケースに、「クリスマス」という文字が見える。クリスマス気分になるには、まだちょっと早いと思うんだけどな……。
わたしは自分の部屋に行って着替えると、もう一度階下に下りた。居間のテーブルの上には、紅茶とパウンドケーキを乗せたお皿が置いてあった。
「今日は何のケーキにしたの?」
「オレンジピールとチョコチップよ」
わたしの好きな組み合わせだ。手をあわせて、おやつを口にする。
「……ねえ、お母さん」
「なに?」
「あの……こんなこと訊くの、良くないかもしれないけど……わたしの二歳より前の写真、本当はどうなったの?」
お母さんの顔がさっと曇った。ごめんなさい、お母さん。でも気になるの。
「……ごめんなさい、リン。お母さんも知らないのよ」
やっぱり知らないんだ。
「ルカ姉さんの昔の写真も?」
お母さんはため息をついて、視線をアルバムの並んでいる本棚に向けた。
「ええ。お母さんがこの家に来た時、本棚にあったのはハクのアルバムだけで、ルカとリンのものは無かったの。ハクのアルバムも写真があちこち欠けていて……それで、一度全部整理したのよ。でも、捨てたりとかはしてないわ」
「お父さんは、何か言ってた?」
「いいえ。このことについては何も聞いてないわ」
お父さんはしつこくされると怒り出すから、お母さん、重ねて訊けなかったんだ。でも……ルカ姉さんの写真が無い理由はなんとなく想像がつくのだけど、わたしの写真はどこに行ってしまったの?
「ルカ姉さん……そのこと、何か言ってた?」
「……いいえ」
お母さんはまた首を横に振った。何も聞いてないんだ。ルカ姉さんはどう思っているんだろう。レン君にもルカ姉さんには関わらない方がいいって言われたけど、やっぱり気にはなってしまう。
でも、わたしが訊いても、答えてくれない。お母さんが訊いても、同じ反応のような気がする。
「あ、リン。今思い出したのだけれど、土曜日、神威さんのご家族と食事会だから」
「えっ?」
急な話だったので、わたしは驚いてしまった。
「一度両家で顔をあわせて食事でもしましょうという話になって、それで、スケジュールを調べてみたら、今週の土曜を逃すと大分先になってしまうのよ」
多分、向こうの人も忙しいのよね。向こうは誰が来るんだろう。あれ、そう言えば神威さんの家族構成ってどうだったっけ?
「食事会って、どこで?」
「レストランに個室の予約を入れたわ。どちらの家でもない方がいいでしょうし」
「わたしも行くの?」
「ええ」
正直言うと、気が進まない。……また、作り笑いしてひたすら座ってないといけないだろうし。でも、行かないといけないんだわ。
「お母さん……」
「なに?」
「ハク姉さんのこと……どうするの?」
そもそも、神威さんはハク姉さんの存在を知っているんだろうか? 結婚相手に引きこもりの妹がいるというのは、わたしが言うのもなんだけど、マイナスのように思う。特に神威さんは我が家に婿養子に入るわけだし……。
お母さんはというと、また表情を曇らせた。
「ハクが行きたいと言うのなら、私は連れて行っても構わないけれど……」
お父さんが嫌がるのね、きっと。縁談が壊れるって。
「……ハク姉さん、行きたがらないと思うわ」
なんで、わたしの家はこうなんだろう。また悲しい気分になってきてしまった。
次の日、登校してきたレン君は、わたしに二枚のCDを差し出した。
「良かったらこれ貸すよ。例の『折れた翼』の入ってるCDと、『RENT』のサントラ。たまにはクラシック以外を聞くのもいいと思うんだ」
わたしはちょっと困って、目の前のCDを眺めた。どっちもじっくり聞いてみたいとは思う。思うけれど……わたしの家は、この手のものは禁止だ。
「リンの部屋にもプレーヤーぐらいあるだろ?」
「それは……あるけど……」
「イヤフォンで聞けば、家の人にはわからないよ」
確かにイヤフォンを使えば、部屋の外まで音が響くことは無いから、何を聞いているのかはわからないだろうけれど……。
「嫌だってんなら無理強いはしないよ。だから借りるか借りないかは、自分の意思で決めてくれ」
わたしはどうしたいかを考えた。……やっぱり、ちゃんと聞いてみたい。お父さんが家にいない時間を見計らって、それ以外の時間は、クローゼットとかに隠しておけば、多分気づかれないだろう。
「じゃ、じゃあ……貸してもらうね。ありがとう」
わたしはCDを受け取って、自分の鞄に入れた。レン君が、プリントの束を取り出して、それも渡してくれる。
「じゃあこれも渡しとくよ。印刷しといた歌詞。そのCD、輸入物だから歌詞カードついてなくって。歌詞があった方がわかりやすいと思うから」
わたしは渡された歌詞を見た。全部が全部というわけではないけど、大体の意味はわかる。わからない単語も、辞書を引けば理解できるだろう。
「あ……うん、色々とありがとう」
わたしは貸してもらったものを、まとめて自分の鞄に入れた。
「レン君、戯曲は今日はどうするの? 演劇部って、確か木曜は活動日よね?」
「リンの方は、今日の予定は?」
「わたしも今日は部活があるの」
この前休ませてもらったから、今日は出た方がいいような気がする。でも、戯曲の話は早めに終わらせた方が、レン君の為って気もするし……。
「じゃあ、今日はお互い部活に出るということで。戯曲の話は明日以降ってことでどう?」
「わかったわ」
わたしは頷いた。レン君がそう言うのなら、その方がいいわよね。
その日の夜、わたしはレン君から貸してもらったCDを聞いてみた。といっても全部を聞く時間が無いので、二枚組になっている『RENT』のサウンドトラックは翌日以降に回し、もう片方のCDだけを聞いた。
どういうジャンルなのかも知らなければ、この曲を歌っている人のことも知らないけれど――特徴的な歌詞が多かった。夫に暴力を受けている女性が家に火を放つ歌や、母親に暴力を振るわれている幼い女の子が、周囲の無関心の中で亡くなってしまう歌。……ただ、幼い女の子が亡くなる歌を除けば、不思議と暗さを感じさせない。歌う人の声と曲調が、全体的に力強いせいだろうか。
そういった曲の中で、わたしが一番強い印象を受けたのは、『ハッピーガール』という曲だった。このCDに収録されている曲の中では、一番軽やかな印象を受けるメロディーの曲。でもわたしが惹きつけられたのは、この曲の歌詞が、なんと言うか……聞いていて心に響く内容だったからだ。
「カーテンを閉じた暗い部屋の中で、顔は石のように無表情、希望を無くして、いつも泣いてばかり、か……」
少し前のわたしもこんな風だったっけ。いや、今もそんなに変わっていない。でも、以前よりはましになっている……と、思う。
そして……。
「笑いたい時は笑おう、泣きたい時は泣こう、文句を言い続けてる限り世界は変わらない、世界を回せ、わたしはハッピーガール……」
わたしはここまではさすがに思えない。こういう風に思える時が、いつかは来るんだろうか……。
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