出勤準備を整えてキッチンに行くと、カイトが笑顔で迎えてくれた。
「おはようございます、マスター。今朝はチーズオムレツですよ」
「おはようカイト。ありがと、良い匂い~」
部屋を満たす食卓の香り。オムレツとコーヒーと、何より焼きたてのパンがたまらない。ホームベーカリーで作る、カイトこだわりのお手製パンなのだ。この香りの中にいるだけで幸せになってしまう。
だらしなく緩んでしまう顔を抑えて席に着きかけ、ふと何かが引っかかった。
何だろう? レースのカーテンを揺らす朝の風と光、にこやかに笑うカイト、普段通りの朝のはず――って、待った。『普段通り』じゃおかしいんだ、新メンバーの姿はどうした?
「カイト、サイトは?」
「まだ部屋です」
答えるカイトは変わらぬ笑み。単にサイトがお寝坊さん、て可能性もあるけど……。
「そっか」
にこ、と笑ってきびすを返し、速やかにカイトの部屋へ向かう。あの顔は何か怪しいっ!
あぁほら、案の定、慌ててカイトが追ってきてる。
とは言え、たいした距離があるでなし。追いつかれる前に目的の部屋に付き、ドアを開ける。途端に足元をすり抜ける影、と思いきや、こちらに飛びついてきた。
「うわぁん、ますたぁー!」
泣きつくサイトを抱き上げて、気まずげなカイトを振り返る。
「……カイト?」
「あー……火を使うから、ですね……」
そこで目を逸らさない。大方、朝食の支度してる間にサイトが私のところへ行くのが嫌だったんだろうけど。
「おおきいの、わるいこです! えい、ですー!」
「あっこら!」
咄嗟の声も間に合わず、涙を瞳いっぱいに溜めたサイトが髪に付いた粒をカイトに投げつけた。パチパチッ、と小さな破裂音がする。
「サイト、めっ! それは駄目だって言ったでしょ」
「だって、ますたー、」
再びサイトが泣き声になる。その小さな頭を指先で撫でて、カイトに視線を移す。
「カイトも、サイト閉じ込めたら駄目だよ」
「………………はい、マスター」
出勤時間の兼ね合いがあるから、あまりゆっくりもしていられない。サイトを宥めてアイスを選ばせ、自分達も食事を始めつつ。
「ごめんね、カイト」
切り出した声は小さかった。サイトへの気兼ねもあるけど、それだけが理由じゃない。
「仕事があるんだから、昼間はカイトにお願いするしかないってわかりきってたのに。カイトは乗り気じゃなかったのにね」
自分が情けなくなってしまう。決して、サイトを迎えたことを後悔するっていうのではないけれど。
「自分でずっと見てることもできないのに、無責任だったなぁ……」
可愛いものに弱い、なんてのぼせて、ちゃんと考えられてなかったのかもしれない。種KAITOはぬいぐるみや人形じゃない、いのちなのだということ。わかっているつもりで、本当には。
「ごめんなさい。カイトも、サイトも」
* * * * *
「そんな顔しないでください、マスター」
マスターが項垂れてしまったので、俺は焦って声をかけた。
「ちゃんと留守番できますから。大丈夫です、虐めないし、お昼のアイスもちゃんと食べさせます」
懸命に言葉を捜して重ねる。ねぇ、マスター、何だって出来ますから。貴女が笑ってくれるなら何だって。だから、そんな顔をしないで。無責任だなんて責めたりしないでください。
「……ありがと、カイト。ごめんね、お願いします」
そう言って、マスターは小さく笑ってくれたけど。
本当はもっとずっと、楽しそうに、嬉しそうに笑ってくれるひとだって知ってるのに。
食事を終えて、マスターはサイトにひとつひとつ言って聞かせた。マスターは仕事に行かなければいけないこと、夕方までは俺とサイトのふたりで留守番をしてほしいこと。
「お留守番の間はね、ほら、いろいろ遊べるように用意したから」
絵本や折り紙、落書き帳。昨日のモールで買ってきたそれらを広げて、サイトのだからね、と笑いかける。
「ご本はね、サイトにはちょっと重いから、カイトが見せてくれるって。お昼のアイスも、カイトが出してくれるからね」
ちゃんとお願いしてあるから大丈夫だよ、とサイトを撫でて、危ないから家からは出ないこと、と約束させて。
「それじゃあ、行ってきます。できるだけ早く帰るから、……お願いね」
俺の頬にも労わるように触れて、マスターは出かけていった。
「さて、どうしようか。絵本見るかい? お絵かきする?」
「……おえかき、するです……」
少しの間を空けて答えたサイトは、俺に対する態度を決めかねているようだった。昨夜からのことを思えば、まぁ無理もない。ローテーブルに落書き帳を広げ、サイトも載せてやる。
「何を描こうか。何色使う?」
「……さいと、するです」
「うん?」
真っ白な紙の上で、自分の身長ほどの長さの色鉛筆を抱えて、サイトは俺を見ないで言った。自分でするから俺はいい、ってことか。
……まぁ、無理もない。
「そっか、じゃあ、俺は掃除とかしてるから。用があったら呼んで」
これ以上警戒させないようにと意識し、マスターみたいにできるだけ柔らかい口調で答えて、俺はリビングを後にした。離れていれば余計な揉め事を起こさずに済むのなら、その方がいいだろう。危険物がないことは確認したし、家事を済ませてしまいたいのも本当だし。
もう、マスターにあんな顔をさせたら駄目だ。そのためには、大人しくしてなくちゃ。
マスターの部屋と俺の部屋に掃除機をかけて、サイトに断りを入れてリビングにも。浴室や玄関も綺麗にして……それでやることがなくなった。掃除は日課になってるから、たいして汚れてないんだ。
――いつもなら、これからお昼御飯のお弁当を作って、マスターの働く図書館に行くんだけど。そしたらちょうどお昼頃に着くから、マスターの休憩時間に一緒に食べて。
だけど今日は出かけるわけにいかない。……マスター、お昼御飯どうするのかな。パン屋さんとかカフェとか近くにあるし、困ることはないだろうけど。
「……でも僕の作る御飯の方がずっといいですよね、マスター……?」
あのひとには叶う限り僕の作ったものだけ食べて欲しくて、毎日の調理を任せてもらい、ホームベーカリーまで貰ったのに。せめて、出勤に間に合うようにお弁当を用意しておけばよかった……。
あぁ、駄目だ、こんな風に考えてたら。何かして気を紛らわさないと駄目だ、リビングでパソコンでも触ってよう。
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