第一章 ミルドガルド2010 パート1

 「卒業式、終わっちゃったね。」
 机の上に腰を置くような格好で教室を呆然と眺めていた金髪蒼眼の少女が、少しだけ寂しそうにそう呟いた。どこにでもある様な、変哲もない卒業式だったけれど、それでも三年間学んだ学舎とこれでお別れだと考えると嫌でも哀愁が募る。同級生たちが後の再会を誓いあいながら、一人一人、古びた教室を後にしてゆく姿を見つめて、その少女は先程担任の教師から受け取ったばかりの卒業証書が入った筒を、軽くその形の整った顎に充てた。まだ幼さが残るが、若い男性が一目見たら将来を本気で期待してしまう様な整った顔立ちを持つ少女である。
 「いつかまた、必ず会えるわ。」
 金髪の少女に向かってそう言った少女は、明らかに活動的な雰囲気を醸し出している金髪の少女とは異なり、落ち着いた、大人しい気配を持つ少女である。その髪は月光のように美しく煌めく白髪。腰まで届くような長い白髪を首筋で一括りにしたその少女は、金髪の少女をなだめるように、ほんのりと優しげな笑顔を見せた。
 「うん、そうだね。それに、ハクリとは大学でも一緒だし。」
 金髪の少女は白髪の少女に向かって、満開の桜のような笑顔を見せると、軽いステップで教室の床に両足を付けた。その瞬間に、セーラー服のスカートが僅かに翻り、若さと生気に満ちた瑞々しい両脚の奥、普段は人には見せない肌が僅かに露わになる。制服とも今日でお別れね、と短めに揃えた紺色のスカートの端を軽く撫でた金髪の少女は、続けてハクリという名を持つ白髪の少女に向けて更に言葉を紡いだ。
 「帰ろうか、ハクリ。」
 いつまでもこの教室にいたいという願望はあったが、そろそろ日も陰る。明日からは新生活の準備を始めなければならないわ、と考えながら金髪の少女はハクリを促す様にいそいそと帰宅の準備を行うことにしたのである。
 彼女の名前はリーン。ミルドガルド共和国の西の果て、ミルドガルド一の貿易港として有名なルータオ出身である十八歳の少女だった。彼女の家系は先祖代々ルータオで暮らしており、地主というほどのお嬢様ではないが、生活に不自由しない程度の裕福な家庭で育てられた。そのリーンは卒業後、ミルドガルド共和国南部に位置するグリーンシティの一角を占めるセントパウロ大学文学部歴史学科への進学が決定している。可愛い一人娘を、交通が発達している現代とはいえ距離にして千キロ近く離れている遠方の大学に通わせることに両親は当初渋面を作っていたが、幼馴染であるハクリも同じ大学に進学するから、とリーンが無理に説得してようやくその許可を勝ち取ったのである。大学ならルータオにも、ルータオから新幹線で一時間程度の距離にあるゴールデンシティにもあるじゃないか、と父親は最後まで抵抗したが、ミルドガルドに現存する大学の中で一番の歴史を誇るセントパウロ大学へ向かうことは歴史家を目指すリーンにとってはどうしても外すことが出来ない進路だったのである。そのリーンに合わせる様に、先述の通りハクリもまたセントパウロ大学法学部への進学を決めたのだが、それは自身の希望と言うより、ともすれば無茶をするリーンを放っておけないという、妙な親心のような感情から進路を決めたと言っても過言ではない。
 「ねえハクリ、久しぶりに修道院に行かない?」
 リーンが傾斜の多いルータオの街の小高い場所に位置する、それまでの三年間を過ごしたルータオ高校から麓へと降りようと足を踏み出した時、リーンはふいに思い立ってハクリに向かってその様に声をかけた。ルータオにはその街の中心部に数百年の時を刻んだ由緒ある修道院が存在している。二人が幼いころから、良く両親と連れだって訪れた場所だ。ハクリとの仲は二人だけのものではない。もう先祖代々、二百年ほど前にこの地に移り住んできたリーンとハクリの先祖からずっと続く長い関係だった。そのご先祖様がどういった理由でこのルータオに移住してきたのか、それを探る術は今や残されてはいない。ただご先祖様はルータオ修道院で出会い、それから両家の関係が始まったとだけ、言い伝えられている。その真偽を確かめる手段も残されていないが、だがそのおかげか、他の同年代の少年少女たちよりも修道院を身近に感じていることは二人に共通した感覚であった。
 「ええ、いいわ。」
 ハクリはリーンの誘いに二つ返事で応じると、通い慣れた下り坂を丁寧に踏みしめるように歩き出した。まるで三年間の想いで全てを詰め込むように、ゆったりと。そのハクリについて歩こうとして、リーンはもう一度だけ三年間過ごした学校の正門を見つめた。古めかしいアルファベットで『ルータオ高等学校』と記載された銅盤を見つめ、それから正門の奥にそびえ立つ三層立ての高校校舎を見つめる。ルータオの街に合わせた様な煉瓦造りのその建物に向かって、リーンは小さく呟いた。
 「またね。」
 そして、先に進むハクリの背中に向かってリーンは軽いステップで駈け出した。歩みと共に揺れるハクリのポニーテールを追い越して、リーンは次に眼下に広がる広大な海を視界に納める。世界の果てまでも続くような、北国らしく深い青に染められた海は今や水平線の向こうに沈みゆく夕日に照らされて、輝くような赤に染められつつある。その残光を見ながら、でも嫌な赤じゃないわ、とリーンは考えた。全てを優しく温める様な、生命の光。名残惜しげに沈みゆく太陽が今日という一日を締めくくる最後の光。この場所から、この光を見るのも今日が最後。いつも見慣れた風景として日常の中で消化されていたありきたりな風景が、今日はなんだか宝石のように貴重なものに見えるから不思議なものだ。その景色を最後まで見つめようと、目を凝らして坂道の途中で歩みを止めたリーンの隣に、ハクリもまたその足を止める。眩しさを避ける様に額の上に白く透き通る、綺麗な掌を載せたハクリは、ややあってリーンに向かってこう言った。
 「綺麗ね。」
 「うん。」
 ハクリの言葉に頷いたリーンは、そのまま日が完全に沈むまでその場所に留まっていた。やがて、薄闇に包まれた街を街灯の灯りが包み込んでゆく。ミルドガルド随一の貿易港という名声だけではなく、観光地としても有名なルータオの街は歴史的建造物の保管と、その建築物の展示に余念がない。所々古びた建物がライトアップされているのはその為だった。数十年前に流行した近代化の波に抵抗するように、古くから存在する建築物を残すことを決めたことは、この街に暮らす住民たちの意地であったことだけは間違いない。ミルドガルドの中でも夜景の名所として知られる街ではあったが、ルータオ市に用意された観光客向けの展望台よりも、学校の坂から見下ろす景色の方が綺麗だとリーンは考えていた。見知らぬ他人に公開された景色よりも、あたし達だけに許された景色の方が貴重だと、そう考えているのかも知れない。まだ、他人に晒されていない貴重な景色。ふとリーンはその姿を納めたくなって、鞄からおもむろに携帯電話を取り出すと、携帯の中央のボタンを押して一つ撮影を行った。先程の夕日もカメラに納めておけばよかった、という僅かな後悔がリーンを刺激したが、それはまた撮るチャンスがあるだろう、と腹を括り、そしてハクリに向かってこう言った。
 「それじゃ、修道院に行こう、ハクリ。」
 そして、リーンはハクリを促す様に一つ頷くと、再び急な坂道を歩きだした。しっかりと足を踏みしめて歩かないとそのまま落ちて行ってしまいそうな感覚を味わう程度に急な坂である。その坂に反発するように、ライトを点灯したバスが一台、ルータオ高校の方角へと上って行った。通勤帰りの、都会の空気に毒されたかのように少し疲れた表情を鼻面に張り付けた男女を詰め詰め込んだそのバスの目的地は先程リーン達が後にしたルータオ高校となっている。あの辺りは民家も多いから、それぞれの扉を叩きに行くのだろう。一日の疲れを癒すべく。それぞれの家族に迎え入れられて。一部の人は、多分孤独を紛らわす為にテレビをつけたり、インターネットを開いたりして静かな時間を過ごすのだろう。あたしも、もうすぐ一人暮らしになる。でも、大丈夫か、とリーンは考えた。あたしには、ハクリがいるから。だから、寂しくなんてない。そう考えた時、海から一つ、春先にしては冷えた風がリーンの身体を軽く撫でた。潮の香りが強いその風に靡いて流されたセーラー服の胸元のリボンがリーンの首筋をくすぐる。その感触に僅かに身震いしたリーンは、思わず隣を歩くハクリの右腕に両腕でかじり付いた。
 「どうしたの、リーン。」
 突然リーンがハクリに抱きつくことは日常茶飯事だったから、ハクリは驚いた様子も見せない。ただ、優しい声でそう訊ねただけだ。記憶も定かではない程の幼いころから、まるで姉妹の様に育てられて来たのだ。必要以上の言葉は二人の間には必要なかったし、直接身体を触れ合わせることで取れるコミュニケーションもある。リーンはそんなことを考えながら、ハクリに向かってこう言った。
 「へへ、ちょっと寒かったから。」
 正確には、甘えたかったから、かな。とリーンは考えて、そのまま二人で、まるで仲の良い恋人同士の様に連れだって坂道を降り立った。ルータオは天然の良港と評価されるだけあり、その平地面積は極端に限られている。人口五十万を超える大都会に成長したルータオ市民はその殆どが傾斜のある場所に無理に建築された民家をその住処としており、彼らが街の中心部、その平地部分に居を構えることは非常にまれな出来事ではあったが、リーンとハクリは幸運にも平地に住処を構える数少ない家庭に属していた。それは先住している人間の特権とも表現することが出来ただろう。ようやく地軸と平行にある場所に降り立ったリーンとハクは、まだ眠る気配も無い煌きに満ちたルータオの中心街を二人連れ添って、ルータオ修道院へ向けて歩き出した。周囲を、リーンとハクリと同年代に見える、制服に身を包んだ学生たちや、これから居酒屋にでも入るのだろう、大学生らしいグループ、そして大人の匂いに満ちたスーツ姿のサラリーマンが歩いている。リーン達が生まれる二十年ほど前に整備された、ルータオ中心街にあるアーケード街は最近再開発され、近未来的な銀色に輝く人工的な景色を作りだしていた。そのアーケード街の東の果てまで歩くと、途端に清浄な空気が周囲を覆い始める。ルータオ修道院の周囲だけは喧騒に溢れた現代とは隔絶されたかのように、旧来のままの自然が残されているのである。そのような街の設計がなされたのは観光地として保存価値が高いと考えた打算からなのか、それともこの神聖なルータオ修道院だけは現代の軋轢から守りたいと言う真摯な心から発生したものなのか。いずれにせよ、今のリーンにとって重要であることは、ルータオ修道院が数百年前と同じ姿で残されているという事実だけであったし、その過程におそらく発生しただろう涙ぐましい努力を想像することはなく、リーンとハクリは修道院の人の高さの二倍はあるだろう古風な、そして長年そびえ続けた品格すら醸し出しているルータオ修道院の正門をくぐった。流石に日が落ちてから修道院を訪れる人間は少ないが、この時間ならまだ修道院自体は閉館していない。二人はそのまま、修道院の本館へと足を踏み入れた。
 「あ、久しぶり、二人とも!」
 修道院の本館である礼拝堂へと入室した二人を出迎えたのは、修道女にしては活力のありすぎる乙女の姿だった。名をミレイアという。二人よりも五つほど年上の彼女は、リーンとハクリにとっては姉の様な存在であった。ミレイアの話では、先祖代々ルータオ修道院に務める修道女ということである。彼女もまた、リーンとハクリと同じく、ルータオの先住者の一人であるのだ。そのミレイアは、二人の姿を見て察することがあったのか、続いてにやりと笑みを漏らしながらこう言った。
 「そう言えば、今日は卒業式だったわね。卒業おめでとう、二人とも。」
 蓮っ葉な口調だけれども、優しさに富んだその言葉に、リーンとハクリはお互い顔を見合わせてから、それぞれがこう答える。
 「ありがと、ミレイア。」
 「ありがとうございます、ミレイアさん。」
 丁度エコーするように同時に響いた二人の声に満足そうに頷いたミレイアは、続けて何かを面白がるかのようにこう尋ねた。
 「で、何かイベントは無かったの?」
 「イベント?」
 ミレイアに対して、リーンは奇妙な表情で瞬きしながらそう聞き返した。その言葉に身を乗り出したミレイアが、リーンに追い打ちをかけるように更に訊ねる。
 「そうよ。リーンにひそかに想いを寄せていただろう男子生徒に迫られなかったの?」
 その言葉に、今一度リーンとハクリはお互いの顔を見合わせる。ハクリが首をかしげたことを見計らってから、リーンはさも残念そうに肩をすくめると、ミレイアに向かって苦笑しながらこう答えた。
 「残念、あたしたちに想いを寄せる男子生徒はいなかったみたいだわ。」
 「情けないなあ。」
 リーンのその言葉に、呆れたようにそう応えたミレイアは、大げさな身振りで肩をすくめると、続けてこう言った。
 「あたしが男なら、リーンもハクリも放っておかないけれど。最近の男子はどうなっているのかしらね。嘆かわしいわ。」
 「ありがとう。」
 芝居がかった仕草で嘆くミレイアに対して、苦笑しながらリーンはそう答える。
 「それで、今日は恋人が出来るようにお祈りに来たのかしら?」
 最後にわざとらしく溜息をついたミレイアは、リーンに向かってその様に訊ねた。
 「それもいいかも。でも、今日は卒業のお礼をお祈りしようと思って。」
 「真面目だなぁ、リーンは。」
 優しい笑顔でそう答えたミレイアは、リーンとハクリを見比べるように見つめながら、続けてこう言った。
 「今なら丁度誰もいないわ。ゆっくりお祈りが出来るはずよ。」

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

小説版 South North Story ②

みのり「ということでお待たせしました!SNS第二弾です!」
満「おいっ!なんでここにいるんだよっ!」
みのり「ほぇ?いやだなぁ満。オラ○ダに負けたからってそんなに怒らなくても。」
満「あいつら蛍光色激しすぎるんだよ!・・じゃなくて!この前もうお別れ見たいなことを言っていたのに!」
みのり「あれだよ。場を盛り上げるための方便よ。」
満「・・レイジの野郎・・!」
みのり「まあいいじゃない。あたしは皆とまた会えて嬉しいし☆」
満「ま、そうだな。」
みのり「ということで、今後も宜しくお願いします。そして注意事項を。」
満「名前についてだ。リーン=リン、ハクリ=ハクと考えてくれ。二人が出会った時に同じ名前だと不都合があるから、敢えてリーンという名前にしたんだ」
みのり「ご了承くださいませ♪では、これからも宜しくね☆次回もお楽しみに!」

閲覧数:525

投稿日:2010/06/20 00:11:56

文字数:5,730文字

カテゴリ:小説

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  • lilum

    lilum

    ご意見・ご感想

    コメントしてる間に続き来てたんですね。すぐ読めて嬉しいです♪

    私はもうダメだ…。リーンとハクリのやりとりに2828が止まらない。どうしても妄想がぁっ!
    …なんかこんな奴でほんとゴメンナサイm(_ _)m

    満君とみのりちゃんの再登場、二人が大好きな私にはとっても嬉しかったです!
    次回も本編ともども楽しみにしてます。それでは(^-^)/

    2010/06/20 00:51:40

    • レイジ

      レイジ

      ということでこちらこそコメントありがとうございます☆
      コメは俺の活力です。
      本当にありがとうございます。

      ふふふふふふ・・今後もっと凄い妄想シーンが今度展開・・おっと誰か来たようだ。
      妄想は世界の摂理です♪思う存分どうぞ☆

      満&みのりの活躍もご注目くださいませ!
      では続きをお楽しみください☆

      2010/06/20 08:46:14

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